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多様性が、当たり前になるかな?

2019-04-19 20:16:11 | アラカルト

4月スタートのテレビドラマを、見逃し配信サイトで見ている(Tver様様の状態である、笑)。
その中で気づくことがある。
それは「多様性」ということだ。
一つはテレビ東京系の「きのう何食べた」。
もう一つは関西テレビの「パーフェクトワールド」だ。
どちらもマンガの原作があるので、ストーリーをご存じの方も少なくないと思う。

「きのう何食べた」は、テレビ東京の「(深夜の)食テロ」とも呼ばれた「孤独のグルメ」などと同じ時間帯のドラマなのだが、主人公がおいしい料理を食べる、というよりもゲイカップルという二人のごくごく平凡な日常と、簡単美味しい、食材を無駄にしないレシピで話が進んでいく。
そしてゲイカップルというと、どこかキワモノのようなイメージが先行しやすいように思っていたのだが、決してそのようなことは無く、ゲイ云々ではなく、ごくごく普通の人の暮らしが描かれているように感じるのだ。
他人同士が同居生活をしているのだから、当然それなりの諍いもあるし、仲直りもある。
主人公の一人シロさんが料理を作れば、もう一人の主人公であるケンジさんが後片付けを当たり前のようにしている。
洗濯物をたたむのも役割分担を決めて、どちらかがするというよりも、自然に二人で協力しながら家事をするのが当たり前になっている、というように感じる場面が多いのだ。

考えてみれば、ゲイのカップルなので社会的役割分担である、「仕事は夫、家事は妻」という構図が無い。
もちろん、このようなゲイカップルばかりではないとは思うのだが、同性の同居だからこそ社会的役割にこだわることができない(あるいは必要が無い)、ということなのだ。
そしてこのような生活ができるのは「相手のことを大切に思い、理解し合いたい」という気持ちが、あるからなのでは?という気がしている。

しかし、同性の同居という生活スタイルだからなのか?と、考えたとき、同性カップルの暮らし方の考えは本来であればとても自然で当たり前なのでは?
むしろ、「夫は仕事、妻は家事」というような社会的役割分担にこだわることの方が、生活の息苦しさの要因になっているのでは?という、気がしてきたのだ。

もう一つの「パーフェクトワールド」は、単純に言えば恋愛ものドラマということになると思う。
イケメンでスポーツ万能、一級建築士という夢を叶えた高校時代のスーパーヒーローに憧れる主人公の地味な女性との恋愛ドラマ、というのは確かに王道中の王道恋愛ドラマだ。
ただ違っているのは、かつてのスーパーヒーローが事故により半身不随になり、いきなり主人公の女性に無様な姿を見せつける、というところだろう。
決して障害者を馬鹿にしているわけではなく、障害を持つ人と健常者との恋愛という一見お涙頂戴的なアプローチではなく、障害を持つ人の悩みとそれに戸惑う主人公という、おそらく健常者が感じ、戸惑う姿をキチンと描いている。
だからこそ、公式サイトのトップには「いつかこのドラマが、ただのありふれたラブストーリーになりますように」と、ドラマの制作意図が書いてあるのだと思う。

これらのドラマは、恋愛も暮らし方もゲイだからとか障害者だからという視点ではなく、「人」としての多様性の中でこれまでの概念に縛られることのない社会とは何か?それが当たり前になる(経済だけではない)社会の豊かさの一つを見せてくれているのでは?という気がしている。