日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「平成」が終わろうとしている今だから、「平成」という時代を検証する必要がある

2019-04-28 22:06:56 | アラカルト

Huffpostを見ていたら、菊池武夫さんのインタビューが掲載されていた。
Huffpost:洋服はカルチャーの一部だと思う ファッションの平成30年史【菊池武夫さんインタビュー】

掲載の元となっているのは、博報堂の「ひらけ、みらい生活総研」のサイト内にあるインタビュー記事だ。

菊池武夫さんが、BIGIをはじめられたころと今とでは生活者のファッションに対する考えや捉え方が、随分違うだろう。
それはBIGIに限らず、川久保玲さんのコムディギャルソンや山本耀司さんのY’sなども同じなのではないだろうか?
1970年代~1980年代の頃は、ファッションは生き方とはどこかで同期していたような気がする。
だからこそ、コムディギャルソンを好む人は、ピンクハウスのような服を着ることは無かった。
だからと言って、コムディギャルソンのファンが、ピンクハウスを毛嫌いするようなこともなかったし、その逆もなかった。
「ファッションに対する感性やデザイナーに対する共感性が違う」と思っていたからだと思う。
言い換えれば、ファッションの多様性が若者たちの価値観に影響を与えていたのかもしれない。

昭和という時代は、戦争と高度成長の時代だった。
「戦争を二度と起こさない」為には、多様性を認め合う必要があった。
一つの価値観、一つの考えのもとでは、独裁者が登場しやすい社会環境に陥りやすいためだ。
そして高度成長を支えたのもまた、企業の持つ競争力という名の多様性だったのでは?という、気がしている。
確かに高度成長を支えたのは、「大量生産、大量消費」であったことは、違い無いだろう。
拡大する市場の中で、様々な企業がしのぎを削り市場を獲得するためには「大量生産」の中でも、それぞれの企業の独自性を持たなくてはいけなかったはずだ。それが市場の中での差別化となり新たな顧客の獲得へと結びついたと思われるからだ。
だからこそ高度成長期の日本は、エネルギッシュで前を向く力が強かったのではないだろうか?

その昭和が終わり、平成という時代になるとファッションの多様性から「みんなといっしょ」という感覚が、強くなり始めたように感じる。
その顕著な姿が、今年の入社式や入学式で見られた「黒のスーツ姿」だったのではないだろうか?
菊池さんのインタビューの中にもあるが、普段のファッションスタイルがカジュアル一辺倒のファストファッションしか知らないとすれば、公の場に着ていく服(TPOによるファッション)というモノは、分からなくなってしまうのは当然かもしれないし、ファッションから何かしらの影響を受けていないことが、「みんなといっしょ」という感覚を生みやすくさせてしまったのかもしれない。

バブルの崩壊と共に平成が始まり、世界的に見れば「戦争の世紀」から「紛争の世紀」へと変わっていった。
「戦争」は国対国の争いだが、紛争はイデオロギーや宗教観、あるいは民族間での争いとなる。
だからこそ、その解決は難しく紛争が新たな憎しみを生み続けるようにもなった(ように感じている)。

昭和という時代を懐かしむつもりはないが、平成という時代を振り返る時「多様性と非寛容性」という言葉が思い浮かぶのだが、本当はどのような時代であったのか?ということを検証することで、令和という時代が開かれていくような気がする。