昨日、武田良太総務大臣が、NHKの受信料徴収について「郵便局を利用することで、人件費を軽減したい」という趣旨の発言があった。
日経新聞:NHKの受信料徴収「郵便局の活用を」総務相
武田総務大臣が言った「郵便局の利用」というのは、近所にある郵便窓口での支払いのことではなく、かんぽ生命などの契約をするために戸別訪問をしているかんぽ生命などの社員のことを指しているようだ。
そしてこの報道に対して、Yahoo!などでのコメントは冷ややかな内容が多かった。
理由は、ご存じの方も多い契約に関するかんぽ生命の不祥事があったからだ。
このような不祥事をおこす組織に、受信料の徴収を委託すること自体、問題ではないか?という、指摘が数多くあったようだ。
一度起きてしまった不祥事は、信頼回復の為に必要とされる時間は長く、いつ終わるとも分からないことも多い。
Yahoo!のコメントなどは、信頼回復の難しさを表している。
NHKの受信料の話がNHK側だけではなく、放送事業を管轄する総務省などからも「受信料の未払い」についての話題が時折出てくる。
それに対して「受信料を払っていない世帯が受信できないように、スクランブル放送にしてくれ」という声も、再三出てくる。
技術的なことはともかく、NHKそのものを視聴していない人たちからすれば「見てもいない番組に対して、受信料を支払う必要はあるのか?」という、疑問があるのは当然だろう。
何故なら「NHKの電波を受信していない」からだ。
そのような声に対して、NHK側は「放送法でテレビの受信機を取り付けた場合、受信契約をする」という、「放送法」を持ち出して「不払いを止める」ように勧告をしているのだ。
このようなやり取りが、これまで延々と続いてきているのは、ご存じの通りだと思う。
ただ、このやり取りにどこかチグハグさ加減を感じる人は多いのでは、ないだろうか?
まず、チグハグさを感じる要因の一つが、NHKと総務省側が主張している「テレビの設置=受信料支払いの契約が成立する」という点だ。
これは上述した通り「放送法」という法律で決められているので、「テレビの設置=受信料の支払い」ということになるのだが、テレビを購入した人の多くは「テレビは購入し設置したが、契約書など見たことが無い」という感想を持つのではないだろうか?
実際、テレビを購入し設置しても、NHKの受信契約書なるモノは、添付されてはいない。
「契約書が無いのに、契約をした」というのは、問題ではないか?という主張もできるはずだ。
ただこの件に関しては、最高裁だったか?NHKの主張が認められたような記憶がある。
そして「NHKを受信していないのに、受信料を支払う」ということに、疑問を感じられる方も多い。
この疑問を感じられる方々の多くが、「スクランブル放送の実施」ということを言っているのでは?と、考えているのだが、「NHKを受信していない」という人の中には、「テレビでテレビ番組を見ていない」という人も少なからずいらっしゃるはずだ。
特に若い方などは、テレビをゲーム機につないで、ゲームをされている方も多いはずだ。
このようなテレビの使い方をする人にとって、「テレビ」そのものの考え方がNHKや総務省が考えている、テレビの使い方とは全く違う。
この点は、NHKが目論んでいる(?)オンライン放送との関連も出てくる。
オンライン放送が「テレビの受信に代わる方法」として、NHKが考え受信料を請求してくるようになると「オンライン放送とは何か?」というところから、考える必要があるのではないだろうか?
NHKや総務省の主張しているような考えは、これまでの「テレビを設置すれば、受信料を支払う契約を行ったと考える」をオンライン放送で適用できるのか?と言えば、そもそもオンラインの目的はテレビ番組を視聴するためのシステムではないため、これまでのNHKと総務省の主張との整合性に疑問符がついてしまうからだ。
テレビという道具は、テレビ番組を受信するための道具だからこそ、NHKや総務省の主張がなんとなく通ってきた。
しかしオンラインはテレビ番組を受信するためのシステムではないし、今ではテレビという道具そのものが、テレビ番組を受信するためだけの道具ではなくなってきている。
NHKや総務省は、「今テレビはどのような使われ方をしているのか?」というところから、発想を変えていかないと生活者からの支持は。ますます得られなくなるだろう。
その根本的な問題に目を向けることなく、昭和20年代のテレビ創成期の頃と変わらない主張を続けるのであれば、NHKそのもの体質が昭和20年代から進んでいない、ということになる。
「濡れ手で粟」のようなビジネスをこれまで60年以上してきたため、「道具としてのテレビの使い方の変化」が分からないのだろう。