東京と近隣3県に「緊急事態宣言」が出された。
そして今度は、大阪・京都・兵庫の3県を対象に「緊急事態宣言」が出る。
その次に予定されているのが、愛知・岐阜のようだ。
このように「緊急事態宣言」の対象となる都道府県が、五月雨的に増えていく状況は生活者にとってプラスなのだろうか?と、考えてしまうのだ。
日本のように中央集権国家の場合、個々の自治体の状況に合わせた「緊急事態宣言」を出すことは難しい。
逆に言えば、一気に感染症を封じ込める手段を持っている可能性が高い、ということにもなる。
この方法で見事「新型コロナウイルス」の封じ込めに成功したのが、台湾ということになるかもしれない。
台湾と日本とでは、人口も国土面積、産業構造やGDP等経済の部分でも大きく違う。
台湾だからできたが、日本でもできると言い切れる訳ではないが、少なくとも参考になる点は多々あったのではないだろうか?
しかも台湾が封じ込めに成功してから約1年が経つ。
この1年間、日本は何をしてきたのだろう?ということにもなる。
この間「経済を動かす」という名目で、「新型コロナウイルス」封じ込めに成功したとは思えない状況で、「Go Toキャンペーン」等を展開し、海外からの入国も緩和したりした。
「経済を動かす」という視点は間違ってはいないと思うのだが、「今その政策をする?」と疑問に感じた生活者も多かったはずだ。
次々と発表される政策にしても「緊急事態宣言」にしても、上滑りをした言葉だけでその内容や目的となることになると、しっかりとしたビジョンと具体的な「新型コロナ対応策」については、全くといって良いほど説明されてこなかったように感じるのだ。
確かに日本の政治家の多くが、「説明が不得意」という部分はあるとは思う。
何故なら、選挙戦で見られるのは「政策論争や政治ビジョン」ではなく、「候補者の名前連呼と土下座のお願い」だからだ。
平時であれば、このような情緒で選ばれた政治家でも、政治は何とかできるだろう。
しかし今のような地殻変動のような、大きく緊急性が高い危機的状況になると、「責任を全て負う」という覚悟を持った政治的発言が求められる。
「責任を負う」という点では、誰もそのような発言をしていないし、政治家自身にその覚悟も感じられない。
このような状況だからこそ、国民の不安は高まるばかりなのだ。
今の社会的不安を解消するためには、感染者数・重症者数・死亡者数とその推移比較と対PCR検査からの割合等、具体的目標となる減数値を示しながら、国の対策方針と医療崩壊を立て直す方策を出す必要があると思うのだ。
以前、拙ブログでも書かせていただいたが「がんばれ、我慢しろ」だけでは、国民の心も体も疲弊してしまう。
疲弊する前に「ガス抜き」のような、開放的行動をしてしまう人も少なくないはずだ。
そのような生活者・国民の「行動や気持ち、不安」を、政策に反映するためには「五月雨緊急事態宣言」よりも、「具体的対策と%による数値目標」を示す必要があるのではないだろうか?