日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

日本が世界のファッション界に与えたもの‐クリスチェン・ディオール夢のクチュリエ展‐

2023-03-25 21:23:12 | アラカルト

日経新聞のWebサイトを見ていたら、現在東京で開催されている「クリスチェンディオール 夢のクチュリエ展」の記事があった。
日経新聞:「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ展」に見るディオールと日本の絆

クリスチャン・ディオールと同じ時代にパリのファッション界を席巻したのは、ご存じの方も多いココ・シャネルだ。
この二人のファッションデザイナーは、生まれも育ちの対極的であったと言われている。
比較的裕福な家庭で生まれ、育ったディオール。
孤児として修道院で育てられた、といわれているシャネル。

この二人に共通するのは「エレガント」ということになるのだが、シャネルは一貫して「働く女性の為の服」を目指していたのに対して、ディオールは富裕層のマダムが顧客だった。
シャネルが「働く女性の為の服」を目指していた、というと「普通の働く女性が手に取れるような値段ではない」と、言われると思う。
もちろん、価格は相当高額で日本の働く女性が購入できるものではないことは、身を持ってわかっている。
シャネルが目指したのは、それまで男性の服地とされてきたツイードやスポーツ着の素材であったジャージなどを、ファッションに取り入れたという点で「働く女性が動きやすく、丈夫な服作り」ということだった。
ちなみに、パリのホテルリッツで生活をしていたシャネルが亡くなった時、クローゼットにはシャネルスーツが3着ほどしかなかった、と言われている。

ディオールが戦後発表した「ニュールック」以降、ファッション業界では「ディオールがどれくらいの生地を使ったのか?」ということが話題になるほど、シルク生地をたっぷりと使い、女性らしいからだのラインを描き出すようになる。
「生地をたっぷり使える=経済的な豊かさ」が求められるような、ファッションでもあったということだろう。
そしてディオールは、戦後の日本でいち早く「ファッションショー」を開催している。
これは、百貨店が主催する「受注会」の一環のようなものであったのだと思うのだが、同時に百貨店内に「サロン」を開く。
面白いのは「ファッションショー」で披露された洋服を見て、洋裁学校などで型紙を起こしそれが雑誌などで紹介をされたことだろう。
その中心となったのは「装苑」や「ドレスメーキング」という雑誌だったはずだ。
特に「装苑」を発刊していた文化服装学院は、その後川久保玲さんをはじめとする1970年代から現在に至るまでパリのファッション界で活躍をしているデザイナーを輩出するコトになる。
その視点で考えれば、ディオールが日本のファッション界に与えた影響というモノは、多大なモノであった、ということが分かるはずだ。

素材としての日本の織物技術の高さがあったからこそ、ディオールのファッションの華やかさが表現された、という指摘は間違ってはいないだろし、それは明治から続く日本の織物技術や刺繍などの手仕事の緻密で控えめな美しさがあってのことだろう。
そう考えると、日本は「経済の低迷」によって、日本が長い時間かけて創ってきた美的技術を合理性や効率という言葉で、切り捨ててきたのでは?という気がする。

ちなみに、動画にある上皇后・美智子様がご成婚時に着られているローブデコルテをデザインしたのは、ディオールのデザイン室にいた20代のイブサンローランだった。