GWが明け、「ウィズ・コロナ」の生活になってきた。
街中を歩けば、まだまだマスク着用で歩いている人を見かける。
それでも、ここ数日の暑さでマスクを外している人も徐々に見かけ始めた。
中には、マスクは着用しているけど「顎マスク」になっている、という人も見かける。
個人的には「顎マスクをするなら、外したら」と思うのだが、マスクをサッと着用するための「顎マスク」なのかもしれない。
あと1ヵ月もすれば、暑さも本格的になり「マスクをしていたら、熱中症になってしまう」という、危機感からマスクを外す人も多くなってくるのかもしれない。
とはいえ、まだまだ街中に刄「新型コロナ対策」の跡を見る事ができる。
例えばスーパーやドラッグストアーのレジ。
撤去後のプラスチックのパーテーションや、透明なビニールの幕などは現在も継続利用中、という所も多い。
まだまだ「新型コロナから解放されていない」という心理状態の人の為の「安心」提供ということだろう。
このような状況をある一定期間経て「ウィズ・コロナ」へと人の気持ちも切り替わっていくのだと思う。
思うのだが、人の気持ちとは別に「経済面・政策面」等の視点で、「新型コロナ対策」を検証していく必要があると思う。
というのも、日本の場合「五月雨的に流され、忘れていく」という傾向があるからだ。
そのような思考が全て悪いわけではない。
ただ今回の「新型コロナ」の感染拡大によって、経済は大きく疲弊してしまった。
とにかく「消費意欲」そのものの低下を、感じる場面が随分増えたように感じるからだ。
「消費意欲の低下」は、ジワジワと日本の経済にダメージを与え、消費傾向も「欲しいものがない」消費減退なのか?「消費するコトへの抵抗感」なのか?「将来に対する不安の増幅」なのか?と言った、「生活者の気持ち」を振り返る必要がある、ということなのだ。
その中から、今の「社会問題」が分かることもあるだろう。
高齢者の場合「人と接する機会の減少」により、運動機能だけではなく認知機能の低下などもあったはずだ。
実際、実家の父の様子を見ていると、高齢ということもあるが「新型コロナ」が感染拡大し始めた頃よりも、ご近所の方と接する機会が減り続けた今の方が認知機能やコミュニケーション力など、人が生活をする上で必要な「生活力」の低下が顕著になっている。
単純に「年だから」では済まされないような感じなのだ。
それだけではなく、日本の場合「個人の気合と根性」で、この「新型コロナ」の感染拡大を乗り切ろうとしたような部分がある。
それが「新しい生活習慣」という、政府が発表した「お願い」だ。
内容については、改めて書く必要はないと思うのだが、まだまだ感染拡大が見込まれている時点で行った「Go to キャンペーン」。
この時も大型予算を組んで実施したが、果たしてどれだけ一部特定業界にどれだけの恩恵となったのだろうか?
他にも長い間「保健所」を窓口としたため、「保健所職員」の負担増となり、感染者の情報がスムーズに集まらないということもあった。
そもそも未だにファックスで情報を集める、という方法は効率や合理性という点でよかったのだろうか?
一体何のためのデジタル庁新設だったのか?
何より、「陽性者数(あるいは「感染者数」)」と死亡者数、クラスター発生報告だけの情報で、良かったのか?
拙ブログでは、再三「統計データとして使えない」と書いてきているが、この発表によって生活者が大きな不安を抱き続けたという、印象を持っている。
そして、2類相当から5類へ移行する「条件」が明確に示されなかった、ということも生活者に不安を与える結果となってしまったのでは?
既に「ウィズ・コロナ」へと生活が変わり始めている今だからこそ、多角的な視点で「新型コロナ対策」を検証する必要があると思う。
それが、今後発生するかもしれない「大規模感染症」の対策の参考になっていくと考えるからだ。