goo blog サービス終了のお知らせ 

日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

梅雨だから、オシャレにも一工夫

2007-06-18 21:01:49 | アラカルト
今日の毎日新聞に、装うナビ:雨の日もおしゃれに過ごしたいという記事が掲載されている。

記事中にもある「長靴」だが、昨年あたりから若い女性の間で注目されてきていた。
特に、スキニータイプのジーンズ、チュニック丈の薄手のブラウスにジーンズというカジュアルなスタイルに合わせる姿を、チョクチョク見かけていた。
「長靴」といっても、私がこどもだった頃のような半端な長さではなく、いわゆる「ジョッキーブーツ」と呼ばれるブーツ丈(=ひざ下までの長さがある)が主流となっている。
このような丈の長靴といえば、釣具店などでは見かけることがあったのだが、それがオシャレに、カラフルになったことで若い女性に注目されるようになってきたのだ。

実は、私もこの「長靴」を昨年から狙っている、ファッション・アイティムの一つだ。
ところが・・・履いていく場所がないのだ。
近所への買い物では、チョッと履きたくないし、だからといって仕事では履いていくのははばかれる。
履きかえればいいのだが、それでは今度荷物になる。
そんな理由で、なかなか買うことができない。
もちろん、私が狙っているのは記事中にあるようなブランドのモノではなく、故高田喜佐さんのブランド「kissa」のモノなのだが、イマイチ踏ん切りがつかないでいる。

子供の頃、長靴を履くと水溜りにズンズンと入っていった経験はないだろうか?
なんとなく、長靴を見るとオシャレとは別に、子供の頃を思い出してしまう。
そしてあの頃は、雨の日は決して鬱陶しいモノではなく、雨の日には雨の日の楽しみ方を知っていたようにも思う。
「長靴を履いてみたい」という気持ちは、本当は子供の頃のような「雨の日の楽しみを見つけたい」という、気持ちがどこかあるのだろう。
だからこそ、大人のオシャレとしての「雨の日ファッション」が、気になるのかも知れない。

こんなデザインはいかが?-煌びやかさだけがジュエリーじゃない-

2007-06-17 22:07:26 | アラカルト
毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、気になる言葉を見つけた。
それが柏圭:風にあおられうねったリングだ。

日本では、ジュエリーブランドといえば「ティファニー」(米)が有名だが、他にも「ショーメ」や「ヴァンクリーフ&アペール」、「カルティエ」などのフランスのジュエラーが思い浮かぶ。
その中で「ニーシング」というドイツのブランドは、あまり有名ではない。
私が知ったのも、宝飾品関係の仕事をしていたときだった。
煌びやかで華やかさはないのだが、どこかやわらかでシャープな感じのデザインに引かれるところがあった。
何よりもデザインの着想が、面白いと感じたのだ。

それが「テンション」と呼ばれる、シリーズの指輪だ。
その中でも「テパーレット」は、ダイアモンドなどを止める「爪」がないことが良く分かるデザインだ。
ダイアモンドなどの宝石を止めるためには、「爪」がなくてはコロコロと転がって取れてしまう。
その「爪」をなくすことで、宝石本来の持つ美しい輝きを引き出すことに成功しているのだ。
それが物理学の「張力」を応用・利用したデザインなのだ。

物理学とデザインという、畑違いとも言える考えが一つとなってジュエリーにいきている。
これって、とても素敵なことでは?と思うのだ。
もう一つ言うなら、ニーシングのこのデザインは真似をしようとしても、その技術と手法が分からないというデザインでもある。




気密性VS開放感-家の姿考-

2007-06-16 22:55:50 | ライフスタイル
確か今週の木曜日に、「梅雨入り」したはずなのだが・・・今日も各地で、真夏日となったようだ。
4月くらいから、エアコンのテレビCM(夏ヴァージョン)に切り替わり、いよいよ夏物家電商戦が本格化といったところだ。

しかし、私のように冷房そのものを受付けない体質の人間にとっては、辛い季節でもある。
単純に「夏の暑さ」だけであれば良いのだが、エアコンの室外機から排出される熱の暑さには、耐えられないのだ。
それも最近では一戸に一つではなく、個々の独立した部屋用として複数機取り付けられている。
そのために排出される室外機の熱も、多くなっている。

「チーム-6℃」の掛け声よろしく、家電メーカーは「省エネ」を謳っている。
そして住宅メーカーも「気密性」を高くすることで、「省エネ住宅」というアプローチをしているトコロもあるようだ。
本当に「気密性を高める」コトが、「省エネ住宅」なのだろうか?
むしろ「開放感のある家」のほうが、「省エネ住宅」なのではないだろうか?
「開放感のある家」というなら、冬場は「寒い家=高エネ住宅」になるのでは?と思われるかも知れないが、例えば、「南北に風の通り道」を作り窓を開けるだけでも、だいぶ違うのではないだろうか?
「窓を開けるとプライバシーが守れない」という人も、いらっしゃるようだがベランダなどに、簾や朝顔のプランターなどを置くだけでも外からの見えにくくなるし、朝顔などの植物の間を通り抜けてきた風は、意外と涼しいモノだ。
このような方法なら、マンション住まいでもOKだと思うのだ。
まぁ、話し声やテレビの音といったモノは、どうし様もないかも知れないが・・・。

そして、夏至の頃になると東京・丸の内や銀座などでは、環境省肝いりで、女性が浴衣を着て「打ち水」をするパフォーマンスが見られたり(あの水道代も、バカにならないのでは?とか、渇水地域に対して失礼なのでは?などと、余分なことを考えてしまうのだ)、最近では「ドライミスト」を降らせるビルなどもあるようだが、もっと違う方法を考えて欲しいのだ。
ビルや店舗と歩道の間に、1mくらいの空間をつくり緑化するといった方法だ。
きれいな植え込みになれば、ゴミのポイ捨ても減るかも知れないし、不要な街頭チラシ配りも、しにくくなるかも知れない。

この季節になると、「省エネ」のあり方そのものを、違う視点で観る時期にきているのではないだろうか?と思ってしまうのである。


皮肉な受賞-不二家・モンドセレクション受賞-

2007-06-15 22:09:38 | アラカルト
今日の産経新聞に不二家のチョコ 「モンドセレクション」で最高金賞 という記事が掲載されている。

不二家といえば、今年始めに古い原材料を使った生ケーキなどが発覚し、品質管理に問題となった。
幾つものフランチャイズ店が、閉店に追い込まれただけではなく、不二家そのもののヤマザキ製パンの支援を得ることになってしまったことは、記憶に新しい。
その不二家が、チョコレート他の部門で「品質管理を重視した食品の品評会(という表現が正しいのだろうか?)」に出品していたようだ。
出品理由は『お菓子づくりの不二家として、名誉と自信回復』のためだったようだ。

この「モンドセレクション」を日本で一躍有名にしたのは、サントリーの「プレミアム・モルツ」だろう。
今年も見事に受賞をし、3年連続という快挙を成し遂げている(記念の限定「黒」は、是非とも手に入れたい・・・父の日には遅いのだが)。
そして、「プレミアム・ビールのブーム」をつくった、ビールでもある。
それだけ、食品業界では重要視されている賞なのだろう。

とは言うものの、今回の不二家の受賞は皮肉としかいいようがない。
不二家の不祥事は「品質管理のずさんさ」からだった。
そしてその「品質管理」に対する賞を、受賞してしまったのだから。
となると「モンドセレクション」という賞そのものの価値は、どうなってしまうのだろう?
本来ならこのような賞を取ることよりも、日々お客様の笑顔を思い浮かべながら、よいモノをつくるコトのほうが大切だということになるのだろう。
その積み重ねと努力が、受賞の対象とならなければ意味がないような気がするのだが・・・。


Wiiとdocomo2.0-携帯電話の多機能化は便利か-

2007-06-14 21:32:37 | CMウォッチ
「そろそろ反撃してもいいですか?」のテレビCMで、注目を浴びたdocomo2.0。
「反撃の一部」が、テレビCMで見られるようになってきた。
その一つが、CM出演している女性陣が集まっての、「ボーリングゲーム」だ。
このCMを見たとき、思い浮かんだテレビCMがある。
それが「Wii」のCMだ。

一時期、生産が追いつかなくなったほどの、スティック型のリモートコントローラーのゲーム機だ(といっても、テレビゲームをしないので、認識が間違っていたらゴメンナサイ)。
そのゲームソフトの一つとして、ボーリングゲームがあったように思う。
テレビ画面に向かって、ボーリングと同じようにコントローラーを振ると、テレビのピンが倒れるというモノだ。
家族や友達と一緒になって、ボーリング気分を手軽に楽しめるというゲームだった。
docomo2.0でのテレビCMを見る限り、操作そのものはWiiと同じようだが、テレビ画面ではなく、携帯の画面にそれが映し出される。
しかし・・・テレビCMで見て感じるのは、友人が集まって一方方向に向かって一斉にボーリングの仕草をするというのは「・・・」な気分だ。
確かに、スコアーを見せ合ったりして楽しむのは分かるのだが、どこか違和感を感じるのだ。
まして、自宅でひとりそんなことをするのって・・・寂し過ぎという気がする。
他にも、NintendoDSのボール転がしゲームのようなモノもある。

おぼろげな記憶で申し訳ないのだが、「docomo2.0」というキャンペーン名が発表されるだいぶ前に、発表された次世代機種の特徴は「ゲーム」だったと思う。
それも、テレビゲームなどとはあまり縁のなさそうな、女性をターゲットにした機種の投入を積極的に展開する、という内容だったと記憶している。
テレビCMを見る限り、確かにそうなのだが、本当に携帯電話に対してそのような機能を期待して、女性たちが使っているのだろうか?

NintendoDSと携帯電話の両方を持って歩くのは大変だし、Wiiのゲームの楽しさを携帯電話に集約して楽しんでください(+通信料のUpの期待ありか?)、というコトなのだろうが、どことなくピントが外れているような気がするのだ。

携帯電話の多機能化はドンドン進み、必要最低限である電話とメールの機能だけで十分な私にとっては、手に余る道具となってきている。
もちろん、ゲームや着メロや着うたなどを、ダウンロードしたこともない。
作る側としては、多機能化が生活者の便利だと考えるのかも知れない。
だが、使い切れないほどの機能は、かえって不快なのではないだろうか?
ましてピントが外れている機能であれば、尚更ではないだろうか?




日本の社会風土とファンド

2007-06-12 21:40:31 | アラカルト
「ハゲタカ外資」と呼ばれるファンド会社の一つに、スティール・パートナーズがある。
サッポロ・ホールディングスに対して、TOBを仕掛けた会社だ。
最近ではブルドック・ソースに対しても、同様にTOBを仕掛け話題になった。
そのスティール・パートナーズの共同創始者が、今日(世界で初めて)記者会見を行っている。

企業を経営していく上で、安定的株主の存在は重要だ。
それは資金調達を安定させるコトで、企業は自由な経済活動ができるからだ。
そして株主は、その経済活動から企業が得た収益の中から「配当金」を得ることができる。
投資会社というのは、多くの人たちからお金を集め、投資先企業の今と将来に対して資金提供をしている企業だとも言えるのだが、村上ファンドに象徴されるように、どうも良いイメージがない。

その一つには、メーカーなどのように「企業の姿が見えない」と、いうところにあるように感じている。
もう一つは、「株主利益」というコトを強調するあまり、総ての企業が持っているはずの「社会性」や「公共性」が感じられない、ということもあるのではないだろうか?
実際、村上ファンドの村上さんは、「株主利益」というコトばかり言っていて、その実投資先企業そのものに興味があったのか、疑問な感じがした。
外資であれば、尚のことその姿は見えづらい。

その結果、新興企業などは「時価総額」という亡霊に取り付かれ、自分たちの足元にある本業を忘れ、表面上の「数字」だけを追求してしまうようになってしまっているような気がする。
だからこそ、多くの人が「マネーゲーム」といって、眉をひそめるのだ。

スティール・パートナーの会見では、ブルドッグ・ソースやサッポロ・ホールディングスに対して批難をしていたが、ではスティール・パートナーは何故、サッポロやブルドッグ・ソース、名前の知られていない天竜製鋸社に対して買収を持ちかけるのだろう?
株主の利益は、社会に還元されるモノでなくては、投資会社本来の役目を果たしていないのではないか?

お金儲けは、決して悪いことではない。
ただ、その目的が自己欲のためだけであれば、問題なのだと思うのだ。
そして、日本の社会風土には「自己欲の投資」は、受け入れられないのではないだろうか?
その意味で、今回のスティール社の説明は、日本で理解されにくいと感じる。

カルピスと「ちびくろサンボ」

2007-06-11 22:16:15 | アラカルト
今日、味の素がカルピスを完全子会社化という、ニュースが出ている。
カルピス社としては、苦渋の決断だったようだ。

カルピスと言えば、思い出すキャラクターがある。
1960年代前に生まれた方なら、思い出すであろう「黒人のキャラクター」だ。
この「黒人キャラクター」は、1922年にカルピス社がフランスなどヨーロッパを活動拠点としている新人芸術家を援助するために実施し、優秀賞を受賞した作品でもあったと記憶している。
ところが、カルピス社のHP中のヒストリーを観てみても、このキャラクターを見る事ができない(ラベルの変遷1962年版で見ることができる)。

というのも、1988年ごろに起きた絵本「ちびくろサンボ」バッシングによって、このキャラクターも姿を消したのだ。
「サンボ」やお父さんの名前「ジャンボ」が、黒人を対象とした差別語だということ、物語の最後、サンボがお母さんにパンケーキを100枚作ってもらい、食べる場面によって黒人は大喰らいというイメージを与える、というのがその理由だった。
そのため、絵本「ちびくろサンボ」は絶版となり、同じ頃「ダッコちゃん」やカルピスの黒人意匠など、黒人キャラクターが一斉に姿を消してしまったのだ。
そのキャラクターの誕生過程、意匠デザインとしての素晴らしさや、多くの人に愛されているコトなど、まったく無視されたカタチで。
その後、絵本「ちびくろサンボ」は復刻するのだが、カルピスの意匠デザインは復活することがなかった。

同時に、「初恋の味・カルピス」という名コピーも消えてなくなってしまう。
この黒人の意匠と、ワンセットだったということなのだろう。
その意味で、1922年から半世紀以上愛され、親しまれてきた意匠デザインがなくなってしまったコトは、とても残念なことだと思う。
事実、この「ちびくろサンボ」バッシング以降、黒人をキャラクターとした意匠デザインが登場していないのだ。

今日、カルピスは味の素の完全子会社として生き残る道を選んだ。
でも、1922年の頃のようなグローバルな視点を持った企業文化だけは、失って欲しくない。

日本の社会保障制度は大丈夫か?

2007-06-10 22:18:41 | 徒然
社会保険庁の入力ミスに始まった「年金制度」の不安は、ますます広がりをみせている。
現在年金を支払っている世代は、「払う意味があるのか?」という疑問とともに、社会保険庁は、結局年金として支払ったお金で「グリーンピア」だとか、訳の判らない厚生費に使い込んでいて、「グリーンピア」なんて二束三文で売り払って、カタをつけただけなんじゃないのか?という気持ちでいるのではないだろうか?

そして、コムスンの不正請求による実質的な業務停止は、「介護制度」の不備を明らかにした。
これまでも、不正請求をしてきた「介護会社」は幾つもある。
ただ、全国展開をしてきた会社ではなかったために、これほどまでの問題になっていなかっただけなのだ。
コムソンだけではなく、不正請求をしてきた(今でもしている)介護会社は、批難されなくてはいけないとは思うのだが、そもそも今の介護保険制度に不備がないのか?という疑問もある。
個人的に怖いと感じるのは、コムソンを人身御供にして制度的に問題のある介護保険制度や、昨年から始まった病床数を減らすために、長期入院者の強制退院・リハビリ病院の利用期間の短縮などをウヤムヤになってしまうことだ。

冷静に考えると、今の日本の社会保障制度は「できれば、年金は二十歳からシッカリ払ってもらって、受給前にポックリ亡くなる」コトを最優先に考えた制度のような気がするのだ。
そうすれば、年金制度も介護制度も維持されるコトになるだろう。

7月には、参議院選挙がある。
当初は「憲法九条」が争点になると、言われてきた。
しかし、ここにきて年金や介護などの社会保障制度が、争点になる可能性がある。
生活者が、唯一意思表示ができるチャンスではあるのだが、東京都知事選のような選択肢のない選挙となってしまっては意味がない。
かといって、不確かなデータを基にした将来ヴィジョンでは、もっと意味がない。
政府などは当てにせず、自分の終の生き方は、金銭面を含め自分で計画し、準備をする時代なのかも知れない。

バーガーキング再上陸で、ロッテリアはどうなる

2007-06-08 22:29:56 | アラカルト
今日、東京・新宿に「バーガーキング」が、再上陸オープンをした。
ウリは「ワッパー」と呼ばれる、ボリュームのあるハンバーガーだ。
もちろん、本場アメリカンスタイルを貫く調理法も健在だ。

それに対抗するかのように、マクドナルドも新たな「メガハンバーガー・メガてりやき」を投入している。
どちらも高カロリーで、昨今のヘルシー指向とは逆行しているように感じるのだが、それでも若年層を中心に人気となっているようだ。

ところで気になったことがある。
それは、ロッテリアのことだ。
日本におけるハンバーガーショップというのは、①マック②モスバーガー③ロッテリア(売上等の順番ではない。思いついたままの順番である)という3社が中心となってきていた。
もちろん「佐世保バーガー」のように、地域性のあるハンバーガーもあるが、全国展開をしているファーストフードハンバーガーチェーン店といえば、この3社ということになるだろう。
そこに、参入してきた「バーガーキング」というコトになるのだが、今回のバーガーキングの日本企業の仕掛け人は、ロッテリアの再建を託されている玉塚元一氏であり、バーガーキングジャパンそのものが、ロッテリアと玉塚氏がCEOとなっている「リヴァンプ」との共同設立なのだ。
この組み合わせでは、ドーナッツチェーン店「クリスピー・クリーム・ドーナッツ」も展開している。
今の状況では、玉塚氏の仕掛けは一見成功のように思えるのだが、その共同設立者であるロッテリアはどうなってしまっているのか分からない。

現在ロッテリア自体は「新ロッテリア」として、店舗のリニューアルなど積極的に展開しているはずなのだが、その実目新しさというモノがあまり感じられない。
モスバーガーのように、独自の路線で生き残ることもできず、中途半端な存在となりつつあるように思うのだ。
ロッテリアはバーガーキングという同業者を、共同設立することで何らかのメリットがあるのだろうか?
「軒を貸しつもりが母屋まで」というコトに、なってしまうのか?
それとも、バーガーキングというパートナーを得ることで、再生できるのか?


現場だけが頑張る介護でいいのか?

2007-06-06 22:02:08 | 老親介護
昨日起きた「コムスン」の指定介護業者停止という厚生省の通達は、1日過ぎてまた新たな動きを見せている。
グッドウィルグループ内の同じ介護企業へと譲渡することで、サービスの維持を図るということなのだが、既に各方面から反発の声が出ている。

そんな中、たまたまテレビのチャンネルを合わせたNHK教育テレビで、「福祉ネットワーク」という番組に目が止まった。
NHK総合などは、大掛かりな番組作りばかりが目に付きまず見ることはないのだが、NHK教育は時々良質な番組を提供しているという印象をもっている。
そして、以前から予定されていたとはいえ、このタイミングで「介護保険や介護事業者の問題」を取り上げていた番組の再放送というのは・・・。
番組の主な内容は「介護保険」の問題点だったのだが、その中でゲストの方が「一生懸命、受益者である人たちのことを考え、事業を細々とやっている地元の小さな事業所が潰れ、儲かりそうな事業だからという理由で大きな企業が、参入し(現場の努力など関係なく)儲けを優先させることが多くなってきている」と言っていたことだ。
機会があれば、見ていただきたいとおもうのだが、残念なことに、この番組がWEBサイトなどで見ることができない。

番組を見ていて感じたことなのだが、政府も事業者も「現場の頑張りだけに頼っている」という、現実だ。
現場で一生懸命にホームヘルパーやケアマネージャーとして仕事をしている人たちは、誇りを持ち、担当している要介護者に対して接している。
だからコムスンのヘルパーさんなども、サービスを受けている人たちから「困ってしまう」という声があがるのだろう。

一方、今回の件でグッドウィル・グループという企業のもう一つの顔が、浮かびあがってきている。
それが「コムスン」と譲渡先として名前の挙がった「日本シルバーサービス」という企業は、グッドウィル・グループが事業を買い取った企業だということだ。
「人材派遣」というキーワードで、(儲かりそうな)事業を次々と様々な企業を買収してきたことだ。
その一つが「介護」という分野だったのだ。
それは、老人介護という分野だけではなく、「障害者サービス」という分野も含めての事業なのだ。

「障害者サービス」といった場合、経済的自立を目指すことを目的している授産施設などが一般的だが、こちらは生活自立支援を目的としていて、高齢者介護と似ている。
そして同じことが、この障害者サービス事業でも行われていたようなのだ。
私が、福祉事業の法的内容を知らないためでもあるが、ある意味、福祉事業の盲点を突いているような印象がある。

「福祉を食いモノにしている」というのは、とても簡単なことだ。
本当の問題は、儲けを優先する事業体だけではないはずなのだ。