日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ピンチをチャンスに-例えばEV車-

2013-01-17 19:50:07 | ビジネス
Yahooのトピックスに、東洋経済の記事として「日産と三菱自、EV陣営“生みの苦しみ”を紹介している。
確かにここ数年自動車メーカーは、「燃費と環境」に主眼を置いたクルマの開発に力を入れてきている。
その内容は、
1.ガソリン車で燃費効率を上げる
2.積極的にハイブリッド車を開発・投入
3.EV車の開発・投入
の3つに分けられると思う。
ガソリン車で燃費効率を上げる、中心となっているのは軽自動車とマツダ。
ハイブリッド車は、ご存じの通りトヨタとホンダ。
EV車は、この記事にあるとおり三菱自と日産。
と言うコトになると思う。
その中で、EV車というのはガソリンスタンドの代わりとなる、充電ステーションが充実しないと、なかなか普及するまでには至らない。
これは、EV車が登場する前から再三指摘されてきたコトだと思う。

では、日本ではこの問題を解消すべく技術が開発されていないのか?と言うこと、実験段階ではあるが開発は進んでいるようなのだ。
電気自動車、走りながら充電 国総研が実験公開 (日経新聞:2012年11月30日記事より)
他にも「振動による発電システム」の研究も、日本では進んでいる。

昨年暮れ、中央自動車道で起きた笹子トンネル事故をきっかけに、高度成長期~バブル期に造られた高速道路などの点検・補強・整備などを急ぐ声があがっている。
とすれば、補強整備などの工事と共にこの様なEV車充電ができる工事を、平行して行うコトはできないだろうか?
それだけでは無く、防音設備を兼ねたソーラー発電システムなども併設するコトで、EV車向け設備というだけでは無く、高速道路全体が「エネルギーシステム」となるような発想の補強・整備というコトだ。

高度成長期~バブル期に全国で造られた高速道路などは、とても長くそれこそ日本を縦断している。
それらの点検・補強・整備となれば、相当の費用が掛かるはずだ。
であれば「未来への社会投資」として、この様なシステムを装備した高速道路整備ができる、数少ないチャンスなのでは?
そして世界に対して新しいエネルギーモデルとして、発信できる機会でもあると思うのだ。

日本発のラグジュアリー・ブランドを

2013-01-16 18:54:59 | アラカルト
先の連休中、実は「大腸炎」で七転八倒していた。
出かける予定を取りやめ、自宅で静かに過ごすコトになり、年末に買って読みかけていた本を読むコトにし、静かに過ごした。

本を読みながら考えていたコトは、「海外のラグジュアリー・ブランド」は、何故高価なのに買いたい!と言う気が起きるのか?と言うコトだった。
「ラグジュアリー」と呼ばれるのだから、購入する側は最初から「高価である」と思っているし、「高価だから買う」というトコロもある。
ヴィトンやシャネル、エルメスがユニクロプライスでは、いくらデザインが良くても「買いたい!」と言う気が起きるだろうか?と、考えていたのだ。
日本ではミーハーというか、メディアに影響されて購入したい!と言う人も少なからずいるのだろうけれど、ラグジュアリー・ブランドの本家・フランスではどうなのか?と、考えてみると、「時間をかけた手仕事」に対して、高い価値を見いだしているのでは?と、思ったのだ。

翻って日本はどうなのだろう?
高度成長期以来、「大量生産・大量消費」で進んできた経済。
その「大量生産」という発想の中には、「時間をかけずに、安価に製品を提供する」という、考えも含まれていたはずだ。
だからこそ「時間や手間が掛かるモノ・コト」に対して、振り向きもせずに邁進してきたのだと思う。
その結果が、工業製品以外の国産製品の衰退というコトが、あったのではないだろうか?
でも、それはもしかしたら「日本のラグジュアリー・ブランド」として、世界に発信できる力のあるモノなのでは?と言う気がしてきたのだ。

欧米の価値観に照らしてみて、日本には「ラグジュアリー=贅沢」と感じる工芸品や服飾、ライフスタイルが沢山あると思う。
「ラグジュアリー」と言うと、友禅などの着物のようなものを思い浮かべるかも知れないが、友禅のようなものだけでは無く、青森の刺し子なども時間と手間をかけ作られた芸術品に近いモノがあると思う。
その芸術品が「実用品として使われている」と言う点が、海外のラグジュアリー・ブランドと大きく違うトコロだと思う。
大館の曲げわっぱにしても、美しい秋田杉の木肌を活かしながらも実用性に富むデザインだと思う。
言うなれば「日本のラグジュアリー・ブランド」の大切な要素は、「暮らしの中にある」と言うコトなのではないだろうか?

折しも、このお正月ネット上で「(綿入れ)半纏」が、海外で話題になっていた。
海外の人達から見ると、「(綿入れ)半纏」は、「格好良くてエコファッション」というコトになるらしい。
欧米のようなきらびやかなイメージだけが、贅沢なモノ・コトではない。
日本には「人を思いながら丁寧に時間と手間を惜しまずにモノを作る」と言う文化があった。
それが今海外で注目され始めている。
マンガやゲームだけではない、日本の生活の中のラグジュアリー文化も積極的に発信する時機になのではないだろうか?

男子厨房に入る・・・女子は???

2013-01-15 19:25:35 | ライフスタイル
先日FMを聞いていたら、とても興味深い話があった。
それは「今の10代~20代のライフスタイル」と言う内容だった。
例えば、現在の一人暮らしの家には「お米の買い置きが無い」場合が多い。
言い換えれば「自宅でお米を炊く」という生活習慣が、ほとんど無いと言うコトになる。
しかも、お米の買い置きをしないのは男性ではなく、女性のほうが多い。

何となくだが、私達の先入観的な見方からすると「家事に積極的なのは女性で、男性はコンビニなどで出来合いのもので済ませる」と言うトコロがあると思う。
おそらく、その様な世代は今の40代後半以上の世代で、今の10代~20代は男性のほうが、家事全般に積極的というデータがある、と言うのだ。
もっと面白いコト(?)に、「恋人の手料理を食べたことがある」という質問に対して、女性の半数以上が「ある」と答えているのに対して、男性は半数以下だったのだ。
今では「男子厨房に入る」は、当たり前のことになりつつある様なのだ。

もう一つ面白いコトに、女性の冷蔵庫には、食品ではないものが保存されている場合が多い、と言う。
「食品ではないモノ」と言って、ビールなどを思い浮かべられた方もいらっしゃるかも知れないが、「食品ではないモノ=化粧品」と考えた方が自然だと思う。
実際「夏場など化粧水などを冷蔵庫で保管している」と言う女性は、世代を問わずある一定数あるはずだ。
その理由は、化粧品のビンなどに書かれている「保存」についての注意を守ろうとすると、最適な場所が冷蔵庫というコトになるからだろう。
夏場などは「使用感が良い」と言うコトも、挙げられると思う。

これらのデータは、電通総研などが以前に発表した内容のようなのだが、この様なデータを知ると既成概念というか、今までのイメージと現実が大きく変わってきているコトがわかる。

「一人暮らしの女性が、自炊をしない」と言うのであれば、一体彼女達はどこで食事をしているのか?ここ数年、外食では無く中食と呼ばれる食事が一般的になってきたと言われていても、毎食コンビニやスーパーのお弁当なのか?」と、考えるコトになる。
そこに、新たなビジネスチャンスがあるかも知れない。

昔ながらの商店街のお総菜屋さんや、お米屋さんなどが集まって、「お弁当の宅配」というコトだって考えられる。
「お弁当の宅配」では無く、お弁当箱を持って「自分の好きなお総菜」を詰めながら、「夕飯をつくるお弁当」という発想もあるかも知れない。
もう一歩踏み込んで、「何故、女性達が料理をしなくなったのか?」と考え、新しいサービスを創るチャンスとなる可能性もある。

「女性達が冷蔵庫に、化粧品を入れている」と言うデータから、洗面所に置ける小さな保冷庫という商品開発だってあるはずだ。

わずかな時間だったが、いろいろなコトを考えさせてくれた話だった。






本物を見る目を養って欲しい

2013-01-14 18:26:43 | 徒然
今日は成人の日。
全国的に寒い1日となったようで、関東方面では大雪。
一部では雪の重みで電線が切れ、停電となった地域もあるよう。
そんな中の成人式は、例年のような大騒ぎなどのニュースを今のところ聞いてはいない。

今年成人式を迎えた人達は、生まれた時から「不況」という言葉の中で育ってきた世代だ。
正しくは、今の24.5歳くらいから下の世代は「不況」という言葉を、当たり前の様に聞いてきた世代だと言える。
確かに、ここ20年余り日本の景気は決して良いものでは無い。
でも視点を変えると、本当に不況なの?と言う部分も無いわけではない。

例えば、今の若い人達にとってヴィトンのバッグを持つコトは、とても当たり前の様になっているのでは?
ヴィトンでなくても、エルメスでもコーチでも構わない。
いわゆる海外の有名ファッションブランドの商品を持っている、と言うコトに対して「凄い!」という感覚も無ければ、何か特別なコトだという受け止め方もしていないのではないだろうか?
例えそれが、スーパーコピーと呼ばれる偽物であっても(法律では禁じられている行為なので、その点は十分理解をして欲しい)。

私が成人式を迎えた頃、ヴィトンやエルメスなどは夢のまた夢のモノだった。
と言うよりも、そんな海外のラグジュアリー・ブランドを一生手にするコトはない!と思っていた。
それがバブルという異常なマネーゲームによって、一般庶民である私達も手にするコトができる様になった。
もちろん、その頃からその様なブランドショップが次々と日本に進出し、百貨店の特選フロアーから1階のメインストリートに面した売り場へと変わり、独自に店舗を持つようになった、と言うコトも大きく影響しているのだが、それでも、今のような一般化は想像していなかった。

そう考えると、私の二十歳の頃よりも物質的なコトや物質的情報は、恵まれた環境なのでは?と言う気がしている。
ただ、熱狂的なマネーゲームに浮かれていたバブルの頃に比べると、遙かに経済状況が厳しくなっている、と言うコトなのではないだろうか?
ただ、その間にすっかり忘れ去ってしまったモノ・コトが沢山ある様な気がするのだ。
それは「本質を知る・本物を知る」というコト。

海外のラグジュアリー・ブランドには興味があっても、そのブランドの成り立ちや本国での顧客のライフスタイル、それだけでは無く、国内外に埋もれている手間暇かけた職人的芸術作品とも呼べるモノ・コト・・・そんな人が創りだした本物をしっかり、知って欲しいと思う。
言い換えれば、バブルの頃すっかり忘れてしまった「大人としての教養」と言ったら良いだろうか?
なぜなら、これから歩んでいく人生の時間のほうがズッと長く、充実した時間にして行くコトが大切だからだ。






タクシーもハイブリッド車の時代?

2013-01-13 18:59:12 | トレンド
昨日、買い物がてら散歩をしていたら、黒塗りのプリウスを見た。
黒塗りのプリウスに目が行った理由は、それがタクシーだったからだ。
近くの地下鉄にあるタクシー乗り場では、通常の車両しか見たことが無く、黒塗りというだけで「もしかしたらハイヤー?」という気がしたのだが、通常の車両であってもプリウスをタクシーとして使っているのを見たことが無い。
それも、個人タクシーでは無くいわゆる「タクシー会社」のタクシー車両として、プリウスが使われていたのだった。

その黒塗りのプリウスタクシーを見ていて、「時代なのかな?」という気がした。
プリウスそのものは、発売から10年近く経過し街中で走っているのを見るコト自体、特別なコトでは無くなった。
むしろ、プリウスやアクア、ホンダのフィット(ハイブリッド)などが、増えてきたような印象がある。
それだけ「ハイブリッド車」が、普通のクルマのように選択の一つとして選ばれる様になってきたと言うコトだと思う。
数年後には、軽自動車などは別にして、普通乗用車などはハイブリッド車が主流になるかも知れない。

とは言うモノの、タクシーの場合ガソリン車と言う訳では無い。
いわゆるPLガスを使った車両が主流で、経費の節約だけではなく、最近は環境などにも優しいと言われている。
そんなタクシー事情と言うコトを考えてみると、ハイブリッド車に切り替える理由として考えられるのは、やはり「より環境に配慮した」というアピールというコトだろうか?

もちろん、総ての車両がプリウスのようなハイブリッド車に切り替わるとは考えにくい。
ポイントはやはり、「黒塗り」という点だと思う。
地域差があるかも知れないのだが、「黒塗りタクシー=ハイヤー」という印象がある。
標準車両として黒塗り車両を使っている会社もあるとは思うのだが、今回見たプリウスのタクシーは屋根にタクシー会社の電灯(?)はあるが、車両にはパッと見判らない。
標準的なタクシーとは客層が違う、と言う雰囲気を感じるのだ。
「まずは、ハイヤーのような高級感が必要とされる車両から、ハイブリッド車に・・・」と言う会社の意図も感じられたのだ。

これから先、ハイブリッド車や低燃費車がタクシーなど公共性のあるクルマに使われいくのだろうか?
それとも、企業の一つにPRとして使っていくのだろうか?
ハイブリッド車のこれから、と言う視点で考えてみると、タクシー車両への利用というのは、大きな変化なのかも知れない。





根性論だけのスポーツは時代遅れ?

2013-01-11 19:08:00 | スポーツ
大阪市立桜宮高校のバスケット部主将だった生徒の自殺から、顧問の教師による体罰というよりも暴力が、明らかになりつつある。
バスケット部だけではなく、同様の指導と言う名の体罰というか暴力がバレー部でも在ったようだ。
バレー部に関しては、バスケット部の問題が発覚する前にも問題があったようなので、2度目の問題発覚というコトになる。

この様な事件が起きると、多少体罰のような指導ができるのも愛情でそれが熱血指導である、と言うご意見の方がテレビなどで発言されるコトがある。
元プロスポーツの経験者で、ご自身もその様な指導を受けてこられた方のように感じる。
そして次に出てくるのが「根性論」だ。

長い間、日本のスポーツではこの「根性論」が幅を利かせてきた感がある。
確かに、「最後の一歩が出るか出ないかは、気持ちの問題」というコトはしばしば言われているコトだ。
問題なのは、その「気持ちの問題=根性論」とするトコロなのではないだろうか?

昨年暮れ、引退をしたサッカーの中山雅史選手などは、「気持ちでプレーする選手」だった。
しかし中山選手のプレーには、いわゆる「根性論」的なトコロはほとんど無かった様に思う。
それは試合を間近で見ていても「根性」ではなく、「向上心」だったような気がするのだ。
中山選手自身、「サッカーの上手い選手は沢山いる。自分は下手な選手だと思う。だからこそ、少しでも上手くなりたい、そんな気持ちでプレーをしている」と、いろいろな場面で話しをしている。
だからこそ、他の選手よりも早く練習場に来て筋トレをしたり、遅くまで走り込みをし、人一倍時間をかけ体のケアをしてきた選手でもあるのだ。

ところが「向上心=根性」と解釈をすると、暴力的な行為も「選手を発憤させるため」という理由になったり、今回の自殺をした生徒に対して行ったような「主将への見せしめ」的指導に、なってしまうのではないだろうか?
何もスポーツに限ったコトでは無いが「根性論」よりも、「向上心」を持たせる為の指導というものが、とても苦手な指導者が多いような気がする。
「好きこそ物の上手なれ」という諺があるが、そのスポーツやお稽古ごとをまず好きになること、そして目の前にある目標を確実に達成させ、達成感と新しい目標、最終的な「なりたい像」を明確にさせ、そのために何をしたら良いのか?どうすればできるのか?と言う具体的なビジョンづくりが、抜け落ちてはいないだろうか?

指導者が鉄拳を振るったところで、選手が伸びるわけでは無いし良い成績が残る訳でもない。
そろそろ「根性論」ではない、指導者の育成に本腰を入れる時期なのでは?
オリンピック招致に名乗りを上げている以上、スポーツ選手の育成も世界をリードできるモノに変わる必要があると思う。





正月CMに見る、企業の姿勢

2013-01-10 11:35:32 | CMウォッチ
昨日エントリした「成熟した市場は悪いの?」というコトに対して、一つの答えをお正月CMに見た気がした。
富士フイルムの「お正月を写そう♪2013・心に青空を 企業篇」だ。

ご存じの様に、富士フイルムは元々写真フィルムの企業だった。
それがここ10年ほどの間で進んだデジタル化で、写真フィルムは一般的市場からほとんど消え、代わりにデジタルカメラが一般化した。
デジタルカメラだけでは無い。
携帯電話やスマートフォンに搭載されている、カメラ機能によって「写真を撮る」コト自体、意味が変わってきたのではないだろうか?
例えば、外で食事をした時箸を付ける前に写真を撮るのが習慣の様になった方は、案外いらっしゃるのではないだろうか?
デジタルカメラや携帯電話やスマートフォンに搭載されているカメラの登場によって、「思い出を撮る」から「日々を記録する」という生活者の意識変化だ。

そんな大きな社会変化の中で、富士フイルムも大きな転換を迫られたはずだ。
その転換をこのテレビCMの中で、話している。
それだけではなく、その転換を支えた企業の姿勢や考えも伝えている。
CM中に流れている「心の青空」にのせ、富士フイルムの転換の発想、企業の姿勢・・・そんなメッセージとともに、今日本が必要な「笑顔でいよう」ということも伝えている。

考えてみれば、お正月CMはその企業の姿勢を示す数少ない機会のCMだった。
バブルが崩壊してから、積極的にお正月CMを製作する企業は無くなり、今ではこの富士フイルムくらいだろう。
だからこそ、このCMから伝わる富士フイルムという企業の考えや理念、社会との関わりなど今の企業が必要なのでは?と、感じられる内容となってしまったのかも知れない。

「世界は、ひとつずつ変えられる お正月を写そう♪2013企業篇 ウェッブ特別編(90秒)」



成熟した市場って、悪いこと?

2013-01-09 20:29:52 | ビジネス
安倍さんが、自民党総裁そして総理になってから、株価が上昇している。
この現象を見た時、二つのことが思い浮かんだ。
一つは、「経済を動かしている人は、もしかしたら民主党が好きではなかった?」と言うコト。
確かに、株価が上昇した背景には「アベノミックス」と呼ばれる、経済対策への期待感があってのことだと思うのだが、この「アベノミックス」発言をしたのは、総理になる前の話で、何となく現実味のない話のような受け止め方をしたのだが、どうやら経済を動かしている人達にとっては、歓迎すべき発言だったようだ。

もう一つは、旧態依然とした感覚で今でも経済を動かそうとしているのかな?と言うコト。
民主党が与党になる前から、日本経済は「デフレ・スパイラル」に突入していた。
安倍さんが、総理だった頃から「デフレ」だったわけだ。
その時、「デフレ」解消ができなかった安倍さんが、今回解消できるのか?と考えると「???」という気がするのだ。

そしてこの「デフレ」の要因の一つとして上げられるコトが、「市場の成熟」と言うコト。
「成熟した市場だから、モノが売れない」という話は、過去何度も聞いてきた記憶がある。
でも、「成熟した市場」と言うのは、そんなに悪いコトなのだろうか?

日本の様に社会が安定している上、少子化傾向にあれば「市場」というパイは最初からある程度決まってしまっている。
「元々成長する部分がほとんど無い」と言うコトが判っているからこそ、チャレンジ的な発想が必要なのではないだろうか?

高度成長期では、ヒット商品が生まれればそれに追従するような商品を安価で提供すれば、商品そのものはさほどの努力を要することなく売れていった。
業界全体が「規格化」されたような商品やサービスを提供すれば良かった、と言うのが「高度成長期」だったのではないだろうか?
逆に今のような「成熟期」は、「規格外」的発想で市場を創っていく必要がある。
「規格外」というのは、「人の気持ちや心にハイタッチ」する様な、感覚や感性があり、その商品やサービスを受けるコトが「ワクワク・ドキドキ」できるコトだと思う。
過去問を解くような発想では、日本はますます縮小していってしまうのでは?

そう考えると、今の日本はメディアを含め余りにもネガティブというか、「ダメだし」をしすぎているのではないだろうか?
成熟した市場だからこそ、チャレンジ的なコトが企業にとっても社会にとっても必要なのでは?

そんな期待を「アベノミックス」では、感じられなかった。
そう感じたからこそ、日本の市場関係者や経済を動かしている人達は、まだまだ古い感覚でいるのかな?とも感じたのだった。

新築マンション考

2013-01-08 18:36:10 | 徒然
昨年の秋頃、近所の古い木造の集合住宅や大きな個人住宅が取り壊され、新築マンションが建つ、と言う内容のエントリをした。
実は、その時取り壊され更地になった広い土地にマンションが建設される予定となっていて、既に着工予定の期日がきているにも関わらず着工されていない、と言う物件がある。

ほぼ毎日のようにその更地の付近を通る私にとって、いつまで経っても着工しないコトを不思議に思っていたのだが、どうやら原因となるコトが判った。
あくまでも私の想像という部分なので、本当の理由なのかは判らないのだが・・・。

実はその未着工状態のマンション予定地の直ぐ南側に、違う建築業者さんが10階以上建てマンションを建設中なのだ。
それも敷地いっぱいに建設中。
未着工となっているマンション側とすれば、想定外の状況になってしまった為、設計の見直しを余儀なくされ、そのために着工が遅れているのでは?と、考えたのだ。

街中を歩くと、気がつくコトがある。
それは、マンションの規模にかかわらず、緑のスペースがほとんど無い、と言うコトだ。
もちろん、ここ2,3年緑地スペースをわざわざ設けたマンションも増えてはきているようだが、その様なマンションはまだまだ少ない。
「緑豊かなマンションライフ」と言った謳い文句の物件でも、実はマンションに緑地スペースがあるのではなく、緑地公園に隣接しているだけ、と言う場合も多い。
限られた土地に集合住宅を建てるとなると、収益性という面から敷地いっぱいに建てると言うのが、お約束の様になってしまっているのが、日本のマンションなのかも知れない。

この「敷地いっぱいに建てる」という発想が、もしかしたら日本のヒートアイランド化を促進させているのでは?と、昨年の夏、考えたりしていた。
しかし、そろそろ「敷地いっぱいに建てる」という発想を変えても良いのではないだろうか?
と言うのも、街中を歩いて気がつくコトは随分古い物件(おそらく築30年以上の物件)の空き室が、目立つ様になってきたからだ。
これらの物件は、耐震強度やアスベストと言った問題を抱えてる。
しかし、いずれ取り壊す必要のある物件でもある。
とすれば、単に取り壊し、建て直すだけでは無く「都市整備」という視点で、総合的な住宅造りを行政と一緒になって行う時期ではないだろうか?

様々な建築業者が、それぞれの個性(と言うべきか?)のある物件を建てるのは問題無いが、行政との連携が上手くいっていない為に、上述したような想定外のようなコトが起きては、問題だと思うし、街の景観としても美しいモノでは無い。
これまでマンションやビルなどを建てる時抜け落ちていた「街全体の景観」と、その中心に「緑のまちづくり」という発想を、建築業者も行政と連携して考える時代になってきているのでは?
いつまで経っても、着工する気配のないマンション建設予定地を見ると、そんなコトを考えるのだった。





ニンテンドー3DSのヒットから考えるソフトの重要性

2013-01-07 20:13:30 | ビジネス
ニンテンドー3DSが、この冬売り上げを大きく伸ばしていると言う。
「任天堂・岩田社長が語る“本当のソーシャルゲーム”」日経新聞WEBサイトより

その原動力となったのは、「どうぶつの森」と言うソフト。
私的にうかがわせて頂くブログの中でも、この「どうぶつの森」が話題になっていた。
話題の中心となっていたのは、女性たち。
以前からあるゲームソフトだと言うコトは知っていたし、このゲームソフトが女性に人気があった、と言うコトも知ってはいたのだが、それほど話題になっているとは知らず・・・お嬢さんのクリスマスプレゼント用にと、購入しようとした方は随分並んで購入した、とブログにあった。

そして日経の記事を読んで、フッと考えたコトがある。
それは、3年ほど前から日本の家電メーカーが力を入れて開発・製造し、大コケした感のある「3Dテレビ」だ。
私自身はクルマ酔いが酷い為に、おそらく「3D画面」を見るといわゆる「3D酔い」をしてしまう可能性がある為、興味も関心もほとんど無い。
ただ、3D映像化されるコトによって、臨場感や迫力が感じられると言うのは確かだろう。
問題なのは、今の地上波やBS、CSで3D映像化された放送がない、と言うコトなのでは?と言う気がしたのだ。
違う言い方をすれば、「3D専門チャンネル」ができない限り、3Dテレビは「宝の持ち腐れ」と言うコトになるのでは?
逆に考えると、「3Dテレビ」は今までのようなテレビ番組や映画などを見る、と言うのではなく、「ニンテンドー3DS」で使われているような、ゲームを大型画面で楽しむと言う提案が必要なのでは?と、感じたのだ。

おそらく今までのようなテレビ番組製作では、3D映像にする意味はあまりないと思う。
もしかしたら、スポーツや世界遺産を訪ねる観光番組などは、番組を見ながらその場にいるような臨場感や迫力が感じられるかも知れないが、テレビ番組の中心である「テレビドラマ」には、膨大な制作費に対してあまり効果的な映像とならないのでは?
そう考えると、意外にも「ゲーム」などのほうが、3Dと言う映像と相性が良いのでは?

家電メーカーにとって、3Dテレビというのはこれまでのテレビ技術の中でも、高度な技術を要するモノだったのではないだろうか?
問題があったとすれば、「その3D映像は、どんなソフト(テレビ番組やゲームなど)で見ると生活者がワクワクと楽しめるのか?」というコトだったのではないだろうか?