大阪市立桜宮高校のバスケット部主将だった生徒の自殺から、顧問の教師による体罰というよりも暴力が、明らかになりつつある。
バスケット部だけではなく、同様の指導と言う名の体罰というか暴力がバレー部でも在ったようだ。
バレー部に関しては、バスケット部の問題が発覚する前にも問題があったようなので、2度目の問題発覚というコトになる。
この様な事件が起きると、多少体罰のような指導ができるのも愛情でそれが熱血指導である、と言うご意見の方がテレビなどで発言されるコトがある。
元プロスポーツの経験者で、ご自身もその様な指導を受けてこられた方のように感じる。
そして次に出てくるのが「根性論」だ。
長い間、日本のスポーツではこの「根性論」が幅を利かせてきた感がある。
確かに、「最後の一歩が出るか出ないかは、気持ちの問題」というコトはしばしば言われているコトだ。
問題なのは、その「気持ちの問題=根性論」とするトコロなのではないだろうか?
昨年暮れ、引退をしたサッカーの中山雅史選手などは、「気持ちでプレーする選手」だった。
しかし中山選手のプレーには、いわゆる「根性論」的なトコロはほとんど無かった様に思う。
それは試合を間近で見ていても「根性」ではなく、「向上心」だったような気がするのだ。
中山選手自身、「サッカーの上手い選手は沢山いる。自分は下手な選手だと思う。だからこそ、少しでも上手くなりたい、そんな気持ちでプレーをしている」と、いろいろな場面で話しをしている。
だからこそ、他の選手よりも早く練習場に来て筋トレをしたり、遅くまで走り込みをし、人一倍時間をかけ体のケアをしてきた選手でもあるのだ。
ところが「向上心=根性」と解釈をすると、暴力的な行為も「選手を発憤させるため」という理由になったり、今回の自殺をした生徒に対して行ったような「主将への見せしめ」的指導に、なってしまうのではないだろうか?
何もスポーツに限ったコトでは無いが「根性論」よりも、「向上心」を持たせる為の指導というものが、とても苦手な指導者が多いような気がする。
「好きこそ物の上手なれ」という諺があるが、そのスポーツやお稽古ごとをまず好きになること、そして目の前にある目標を確実に達成させ、達成感と新しい目標、最終的な「なりたい像」を明確にさせ、そのために何をしたら良いのか?どうすればできるのか?と言う具体的なビジョンづくりが、抜け落ちてはいないだろうか?
指導者が鉄拳を振るったところで、選手が伸びるわけでは無いし良い成績が残る訳でもない。
そろそろ「根性論」ではない、指導者の育成に本腰を入れる時期なのでは?
オリンピック招致に名乗りを上げている以上、スポーツ選手の育成も世界をリードできるモノに変わる必要があると思う。
バスケット部だけではなく、同様の指導と言う名の体罰というか暴力がバレー部でも在ったようだ。
バレー部に関しては、バスケット部の問題が発覚する前にも問題があったようなので、2度目の問題発覚というコトになる。
この様な事件が起きると、多少体罰のような指導ができるのも愛情でそれが熱血指導である、と言うご意見の方がテレビなどで発言されるコトがある。
元プロスポーツの経験者で、ご自身もその様な指導を受けてこられた方のように感じる。
そして次に出てくるのが「根性論」だ。
長い間、日本のスポーツではこの「根性論」が幅を利かせてきた感がある。
確かに、「最後の一歩が出るか出ないかは、気持ちの問題」というコトはしばしば言われているコトだ。
問題なのは、その「気持ちの問題=根性論」とするトコロなのではないだろうか?
昨年暮れ、引退をしたサッカーの中山雅史選手などは、「気持ちでプレーする選手」だった。
しかし中山選手のプレーには、いわゆる「根性論」的なトコロはほとんど無かった様に思う。
それは試合を間近で見ていても「根性」ではなく、「向上心」だったような気がするのだ。
中山選手自身、「サッカーの上手い選手は沢山いる。自分は下手な選手だと思う。だからこそ、少しでも上手くなりたい、そんな気持ちでプレーをしている」と、いろいろな場面で話しをしている。
だからこそ、他の選手よりも早く練習場に来て筋トレをしたり、遅くまで走り込みをし、人一倍時間をかけ体のケアをしてきた選手でもあるのだ。
ところが「向上心=根性」と解釈をすると、暴力的な行為も「選手を発憤させるため」という理由になったり、今回の自殺をした生徒に対して行ったような「主将への見せしめ」的指導に、なってしまうのではないだろうか?
何もスポーツに限ったコトでは無いが「根性論」よりも、「向上心」を持たせる為の指導というものが、とても苦手な指導者が多いような気がする。
「好きこそ物の上手なれ」という諺があるが、そのスポーツやお稽古ごとをまず好きになること、そして目の前にある目標を確実に達成させ、達成感と新しい目標、最終的な「なりたい像」を明確にさせ、そのために何をしたら良いのか?どうすればできるのか?と言う具体的なビジョンづくりが、抜け落ちてはいないだろうか?
指導者が鉄拳を振るったところで、選手が伸びるわけでは無いし良い成績が残る訳でもない。
そろそろ「根性論」ではない、指導者の育成に本腰を入れる時期なのでは?
オリンピック招致に名乗りを上げている以上、スポーツ選手の育成も世界をリードできるモノに変わる必要があると思う。