日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

年号の暗記ではない、「現代史」を教えてほしい

2018-06-14 18:20:02 | 徒然

大人気漫画「ONE PIECE」の89巻の表紙裏に掲載されている、作者の尾田栄一郎さんのコメントなどが物議をよんでいるらしい。
日刊スポーツ:ONE PIECE89巻で物議、編集部「反省」

1970年代の初め第二次世界大戦終了から30年近く経って、フィリピンなどの激戦の地で日本兵であった方が発見される、ということがあった。
そのおひとりが横井正一さんであり、もう一人の方が小野田寛郎さんだった。
お二方が日本に帰国をされたときのことは、子どもながらに鮮明に覚えている。
日本の地に降り立った時、「恥を忍んで帰ってまいりました」と話した横井さんの言葉は、衝撃的だったように思う。
直後から流行語のようになったが、「生きて帰ってくる」ということを良しとしなかった、第二次世界大戦中の日本の軍国主義教育の恐ろしさのようなものを、なんとなく感じ取ったように思う。

話は違うのだが、RADWIMPSの「HINOMARU」の歌詞についても、同様の印象を受けるのだ。
「御国」とか「御霊」と言う言葉は、神道で使われることがあるが、その言葉を利用し国威発揚に使ったのが第二次世界大戦だけではなく、日本が参戦した戦争でもあったのだ。
そこに「御旗」とか「死ぬ気で戦え」というニュアンスの言葉がつけば、軍国主義的な印象を持つ人がいるのは当然だと思う。

歌詞を書いた野田さんには申し訳ないが、たかだかサッカーの世界大会の応援ソングのカップリング曲なのだ。
サッカーファンである私であっても、そんなに力を入れなくても、もっと楽しくサッカーを楽しみましょう!と、声をかけたくなるほどの、力が入っている言葉が並んでいるように感じるのだ。
その程度のことなのに「愛国歌」と言われると、ますます「もっと肩の力を抜きましょう」と、言いたくなってしまう。
もちろん、選手たちは日本代表としての誇りをもって、プレーをするはずだ。
だが、そのプレーは「サッカー」というスポーツの中でのことであって、それ以上でもそれ以下でもない。
サッカーファンの中には、日本代表のファンではなくドイツ代表やスペイン代表のファンだっている。
サッカーというグローバルなスポーツだからこそ、自国だけではなく対戦相手国に対しても、敬意を表する気持ちや謙虚さも必要なのだ。

残念ながら、尾田さんにとって横井正一さんという方に対する印象は、そのようなものでしかなかった、ということだろう。
そして、RADWIMPSの野田さんにしても、「御国」とか「御霊」と言う言葉が、神道で使われる言葉だと十分理解していたのだろうか?と、疑問に感じる部分がある。
そして、そのような言葉が戦時中「御旗」と言う言葉とともに、多くの若者を戦場へと送り出し、多くの命を犠牲にした、という過去を知っていたのだろうか?と、疑問に感じてしまうのだ。
もしかしたら、これらの言葉が「カッコ良い」とか「日本らしい」と感じていただけなのでは?という印象を持っている。
ではなぜ、そのような印象を持ってしまったのか?と考えると、「現代史」をキチンと教えていないのでは?という気がしてくるのだ。

これまでの高校で教える「日本史」や「世界史」は、年号を暗記するということが主だった。
「何故そのようなことが起きたのか?」という、時代背景や産業の変化という部分が、おざなりになっていたように思う。
特に「現代史」に関しては、時間切れでほとんど学んでいないのではないだろうか?
実際、大学入試で出題されることもほとんどない。
このような問題が出るたびに感じることは、「現代史」こそキチンと時代背景や産業の変化、経済の影響などを含めて教える必要があるのではないだろうか?

横井正一さんが羽田に降り立った時の「恥を忍んで(生きて)帰ってきた」という言葉の重さを、改めて考えてほしいと願っている。







音楽の無料配信は、売り上げに貢献している?!

2018-06-13 21:15:35 | ビジネス

FM番組を聞きながら、朝の支度をするのには訳がある。
時刻をチェックするのに便利だということもあるのだが、テレビではない独特の視点の話題を知ることができるからだ。
今朝もそんな話題があった。
リポビタンD TREND EYES:Billboard Japan2018年上半期 総合ソングチャート TOP5

1位となった米津玄師さんの「Lemon」は、今年1月スタートのドラマ「アンナチュラル」の主題歌だった。
ドラマが話題になるにつれ、主題歌も話題となりドラマ終了後のリリース(だったと思う)にもかかわらず、MVなどの再生回数が1億回を超すほどになった。
確かに、ドラマの世界観と楽曲の使われ方がマッチしていて、この「Lemon」を聴くと、今だに「アンナチュラル」の数々の場面を思い出されるドラマファンも多いことだろう。
ドラマそのものの視聴率よりも、SNSなどでの話題などの総合的な関心・注目度などでも高かったことが、楽曲のヒットへとつながったのかもしれない。

ドアマのTwitterやインスタグラムなどをチェックしていると、気づくことがある。
それは、ドラマを視聴しているファンが、関連グッズなどを積極的に購入している、という点だ。
この春のドラマで話題になった「おっさんずラブ」のTwitterなどをチェックしてみると、DVD・Blu-rayの発売決定が発表された直後のツイートには「貢がせてくれてありがとう」というニュアンスの呟きが数多くあったのだ。
ドラマファンにとって、気に入ったドラマは「手元に置いて、いつでも見たい!」ということなのだと思うのだが、この「貢がせてくれてありがとう」という言葉に、個人的にはやや驚いたのだった。

おそらく、このようなファンの心情が音楽市場にも現れているのでは?という気がしているのだ。
youtubeなどで公開されるMVを見て、気に入ればストリーミングやダウンロードで買いたい!という気持ちを起こさせるように、最近ではMVのショートバーションを先行公開をし、リリース後ロングバーションの公開。
その後のストリーミングやダウンロードへとつなげるような工夫(というべきか?)を、音楽会社(個人的には「レコード会社」と呼びたい)がしている、ということだろう。

もちろん、「Lemon」や「どらえもん」のように、タイアップ楽曲ということも、音楽ファン以外の人たちが聴く環境づくりとなっているはずだが、それだけでは人は購入行動へと動かない。
youtubeのように、何度か無料で音楽そのものを聴くことで、お気に入りとなりそれが楽曲の購入へと結びつていると考えたほうが自然かもしれない。

ただ、私のような「レコード世代」にとっては、「アルバム1枚をトータルで聴く」ということが無いのでは?という気がしている。
音楽を楽しむスタイルは様々だが、個人的には残念な気がしている。


もう少し、緩めに応援しませんか?メディアの皆さん。FIFA W杯ロシア大会

2018-06-12 18:05:45 | スポーツ

今週に入り、RADWIMPSの「HINOMARU」という楽曲が、話題になっている。
話題というか、この楽曲を随分不快と思っている方々が多い、という。
そのため、楽曲を作ったRADWIMPSの野田洋次郎さんが、コメントを出した。
exciteMuisc:RAD野田「HINOMARU」歌詞について謝罪「軍歌だという意図は1ミリもない」

この楽曲はフジテレビ系のFIFA W杯ロシア大会の番組応援ソングとして、使われる予定のようだ。
前回のブラジル大会の時も、NHKのW杯の番組応援ソング・椎名林檎さんの「NIPPON」も、お隣の国々から不快感を表明するようなことがあったように思う。

日本が初めてFIFA W杯に出場したのは20年前のフランス大会だった。
初出場ということもあり、異様なほどの盛り上がりを見せたように思う。
次の大会は、日韓合同での開催となったが、この時は「日本」だけではなく、サッカーというスポーツそのものに対しての盛り上がりだったように思う。
世界中の一番上手い選手が、一同に会して試合をするのだ、サッカーファンでなくても盛り上がったのは、当然かもしれない。
予選を突破した直後の渋谷の交差点は、人があふれかえり「ニッポン」コールが遅くまで響き渡っていた。
その後も、サッカー日本代表男子はW杯に出場し続けることができるようになってきたこともあってか?初出場のフランス大会や日韓大会ほどの熱狂さは、やや薄らいでいるのでは?という気がしている。

それに反するように、試合を放送するテレビ局は随分力が入るようになってきたように感じるのだ。
その象徴が、応援ソングのような気がしている。
椎名林檎さんの「NIPPON」や今回のRADWIMPSの「HINOMARU」が、悪いわけではない。
各テレビ局がオーダーするときに、そのような趣旨で作ってください、とお願いをしていると思うからだ。
その結果、なんとなく必要以上に力が入った歌詞が、出来上がってしまっているのでは?という、気がしているのだ。

テレビ局が、力を入れるのには、放送権料などの大幅な高騰があり(おそらく、日本の場合はNHKと民放各社連合体としての放送契約をしているはずだ。しかも複数大会契約でFIFA側の言い値に近い契約金を支払っているはずだ)、そのためには時差などとは関係なく視聴率を上げる必要があるのかもしれない。
その力の入り具合が、このような力の入り過ぎた応援ソングのオーダーになってしまっているのでは?という気さえしている。

今回のロシア大会は、直前で監督交代があり、その後の試合でも良い成績が残せていない。
そのため、世間的にはあまり盛り上がっていないのでは?という気さえしている。
応援ソングというのであれば、日本代表だけではなく世界のトップクラスの選手のプレーが見られる、というワクワク感やドキドキ感を歌詞に反映してもらったほうが良かったのでは?
何より、サッカーの楽しさや嬉しさのようなものが詰まった歌詞のほうが、W杯の応援ソングにふさわしいのでは?という気がしている。


AIと学歴、そして仕事の関係

2018-06-11 21:18:16 | アラカルト

ForbesのWEB版に、「学歴とAI」というテーマの記事があった。
Forbesjapan:人工知能革命によって「学歴社会」は崩壊する

「現在の職業の多くが、AIによって奪われる」という話は、2年ほど前から盛んに言われるようになってきた。
その結果として考えられるのは、これまで「安泰」とされてきた職業についていた人の多くが、職を失うということだ。
その中でも税理士や公認会計士などの「士業」と言われる職業などが、AIに取って代われると言われた。
既に、WEBなどを使った市場調査などでは集計データなどは、コンピューターが自動的にはじき出しているのでは?と、思っている。
人の手で集計するよりも早くて確実だから。
そのようにして、出されたデータが蓄積されればAIの独壇場となっていくことは、目に見えている。

オートメーション化により、ブルーワーカーと呼ばれる人たちの職が失われた。
そしてAIによって、今度はホワイトカラーと呼ばれる人たちの職が失われる、と言われている。
その予測は半分以上当たっていると思う。
思うのだが、やはり人でなければできない仕事、というモノもある。
何故なら、AIは万能ではないからだ。
だからこそ、AIの普及が「学歴社会を崩壊」させるとは、今は考えにくいと思っている。
何故なら2020年度から、大学入試が大きく変わることになっているからだ。
河合塾:こう変わる!大学入試~2020年度からセンター試験に代わる試験を実施~
そのための予備テストが、昨年秋実施されたことも記憶に新しいところだろう。

変更される内容を見ていると、鉛筆を転がせばある一定の確率で正解となるマークシートから、思考を試される内容に代わるようだ。
この「思考を試される内容」こそが、AIでは対応できないことだと言われている。
AIが苦手とする内容の大学入試試験が、2次試験などで実施されるようになれば、それにあった学習をする必要が出てくるからだ。

言い換えるなら、仕事についても「思考力」が必要な仕事は、AIの時代になっても生き残る仕事、ということになるはずだ。
「思考する仕事」というのは、デザインなどのクリエイティブな仕事だけではない。
「相手を思う」ということもまた「思考」の一つだろう。
違う言葉で言うなら「コミュニケーション力」が問われるような仕事、ということになる。
介護や看護という職種などは、配膳のような仕事はAIのロボットが担当するなど、職場内での棲み分けができるだろう。
そして忘れてはいけないのは「匠」と呼ばれるような、技能を持った人材だ。
このような人たちには、独特の身体的感覚を持っている為、AIでは太刀打ちできない部分があるからだ。

むしろ、問題となってくるのは企業側かもしれない。
AIとの棲み分けが進めば、今よりも少ない人員で仕事ができるようになる。
少子化に向け、AIの活用は「人材不足」を解消する一つの方法となるかもしれないが、問題なのは「今働いている人たち」だからだ。
簡単に配置転換できない人材こそ、AIに対抗できる思考力や発想力、人を思いやる為の観察力を身に付ける必要があるのでは?


コーチングとティーチングー日大アメフト部事件で考えたことー

2018-06-09 21:46:33 | 徒然

朝、FM番組を聞きながら過ごすことが多い。
今日、何気なく聞いていたら「コーチとティーチ」という言葉の違いを、ある番組でしていた。
プロキャディーの方が「ビジネスに役立つゴルフメンタルの話」をする、という内容の番組だ。
その話の中に「米国のトッププロと呼ばれる人であっても、コーチを付けるのはなぜか?トッププロと呼ばれるような人達に、教える人というのは、もっとすごいプレ―をするのでは?」という話があった。
その時の、プロキャディーの方の回答が、なるほど!と思う内容だった。

まず、「トッププロにゴルフを教えるという(ラウンド)コーチは日本でイメージしているコーチとは違う」ということらしい。
何故なら「コーチとティーチは、違うからだ」という話だった。
「コーチ=指導、ティーチ=教える」ということになるのだが、「指導と教える」ということを一緒にしているのでは?ということだった。

「ティーチ=教える」ということは、手取り足取り基本から技術などを教える、ということ。
すなわち、「ティーチ=教える」というのは、教える側と教えられる側の関係が「縦」になる。
一方「コーチ=指導」の関係は、する側とされる側の関係が「横並び」で、一緒に戦略を立てたりしながら、目標を達成する違いがある。
だからこそ、トッププロであってもコーチは必要で、その時々の(ラウンドの)アドバイスをするのが、コーチとしての役割である、という話だった。

確かに「ティーチ」と「コーチ」を日本語にすると、「教えると指導する」という違う言葉になる。
しかし、様々な現場においては「教える」ことも「指導する」ことも、「縦の関係」で行われていることのほうが多いのではないだろうか?
その「縦の関係」が、「支配と従属」という関係に陥りやすいのが、昔ながらの「体育会」であり、最悪な状態を見せてしまったのが今回の「日大アメフト部」の事件のような気がする。

確かに、新しいことを学ぶ為には「教えてもらう」必要がある。
何故なら、そのための知識も技術もないからだ。
しかし、知識や技術が身につき、自主的に行動をするために必要なのは「指導」だろう。
その「指導」が、組織や個人の目標となるものに対して平等な関係でなければ、自主性は失われてしまう。
同じ目標に向かう為の方法は、一つではないからこそ、最善の方法を選びだす為の「指導=コーチ」が、必要だからだ。
もう一つ、コーチをする上で重要なことは、「考える」ということではないだろうか?
指導をされる側の考えと、指導をする側の考えをすり合わせ、最善策を考える、という作業が「コーチ」の中には含まれているからだ。

今回の「日大アメフト部」のような、古い日本的な「気合と根性の縦関係」は、日本の企業でもあるのでは?という、気がしている。
確かに「考える」ということは、時間を要する「効率の良くない」ことかもしれない。
しかし「考える」ことによって、思いがけない視点が生まれることも確かなのだ。
それが、自主性へと繋がっていけば、明快な目標(=企業の場合は企業理念となるだろう)を達成し、次の発展に結びついていくのではないだろうか?


ゲノム医療の進歩と患者

2018-06-07 20:13:30 | 徒然

今年に入ってから、「ゲノム医療」についての話題が多くなってきた。
国立がんセンターなどを中心に全国10病院が、「ゲノム医療拠点病院」に指定が発表されたのは2月のことだったように思う。
その後、拠点病院と連携をする100の病院が決まり、本格的な「ゲノム医療」の準備を整ったというのが、この半年の医療の動きだった。

もちろん、企業も「ゲノム」に関する様々な事業分野に乗り出している。
「シークエンシング」と呼ばれるゲノムの解析機器の開発から、医薬品の研究開発まで、今や「ゲノム」という市場はこれまでにないほどの市場規模になる、と考えられているからだ。
特に「ゲノム医療」という分野については、世界各国が「世界標準」となるために、しのぎを削っている状態だろう。
今日の毎日新聞には、ゲノム医療の推進の為の議員立法を超党派で目指す、という記事もあった。
毎日新聞:ゲノム医療 推進へ議員立法目指す 超党派議連

何も「ゲノム医療」に限ったことではないのだが、「世界標準」となることで関連する事業を展開している企業にとっては、世界的にシェアを大きく伸ばすことができる。
「ゲノム医療」については、米国や中国に比べ応用研究(実際に薬として使えるような研究)となると、後れを取っている、というのが現状のようだ。

その一つには、治験などに対する生活者の理解が得られにくい、ということがある。
今まで、日本で新薬の承認が遅れがちになっていた大きな理由は「治験」の難しさ、という指摘も度々されてきた。
それに加え「ゲノム医療」となると、「ゲノム=遺伝子情報」を提供してくれる人という問題が出てくる。
現在「ゲノム医療」の中心として考えられている、「がん」の領域に関していうなら、患者数は年々増える傾向にあり、患者個人一人ひとりに合わせた治療薬を選び出す為に必要な総合的なデータが、どれだけ集まっているのか?という、疑問がある。

患者一人ひとりに合わせた治療薬の選定の為には、治療を受ける患者本人のゲノム情報が必要なのは当然だが、それだけでは、治療薬の選定とはならない。
候補となる治療薬一つひとつを、患者のゲノムにテストをしているような時間も費用もないからだ。
そのために必要なのは、過去~現在に至る治療を受けた患者のゲノムデータなのでは?
そして、治験と同様にこのような「ゲノムデータ」の提供に、抵抗感を持っている患者は、少なくないと思うのだ。
例えゲノムデータの提供を了解しても、提供患者に対しての結果報告はどうするのか?という問題もあるだろう。
今現在の状況では「ゲノムデータ」の提供に協力しても、その結果報告はしない、ということになっている(と記憶している)。
理由は、提供されるゲノムを匿名扱いにする、ということだからだが、それで提供する患者は納得するのか?という問題も起きてくる可能性がある。

今後、治療のための遺伝子検査が普及した場合、患者に対する説明やカウンセリングを誰がするのか?という問題が大きいと感じている。
「ゲノム医療」そのものは医療関係者よりも、治療を受ける側の患者のほうが理解と納得が無くては意味がない。

「ゲノム医療」は、様々な期待を持たれる新しい分野だが、そのために必要なことは何なのか?ということを考えた、生活者への教育とサポートがまず必要な気がする。


再生可能エネルギーだけでは、エネルギー不足になる?

2018-06-06 20:32:55 | ビジネス

東日本大震災以来、太陽光発電などを利用した「再生可能エネルギー」に注目が集まっていることは、ご存じの通りだ。
結果、耕作放棄地や工業団地の誘致が失敗したような場所に、太陽光パネルが所狭しと並ぶような光景をあちこちで見られるようになった。
このような場所だけならまだしも、最近では山を切り崩してまで太陽光パネルを設置している場所を、見かけることがある。
ここまでくると、本当に「再生可能エネルギー」なのだろうか?と、疑問に思うようになってしまう。

これまで、日本の電力政策(というべきか?)は、過疎地に近いような場所に発電所を建設する、という傾向があったような気がする。
その顕著な例が、原発なのではないだろうか?
「再生可能エネルギー」のポイントは、「エネルギーの地産地消」のはずなのだが、これまでのような感覚で、「再生可能エネルギー」の一つである太陽光発電用のパネルが、地方に次々と造られているのだとしたら、日本のエネルギー産業の構造は全く変わらないような気がする。
そのような疑問を呈しているコラムが、今日の日経新聞に掲載されていた。

日経新聞:廃棄物再生利用でエネルギー自立へ

随分前になるのだが、下水道処理の過程で発生するメタンガスなどを使って電力を造り出す、という技術は既に確立していて、事業化することは簡単である、という話を聞いたコトがある。
下水道処理ということを考えれば、人口が圧倒的に多い都市部のほうが、生産コストなどを含め有利であるはずだ。
にもかかわらず、このようなエネルギー事業は実現化されていないように思う。
事実、環境省のHPにはメタンガス化の技術が紹介されている。
環境省:メタンガス化の技術

都市部などでは、環境省が勧める「廃棄物を利用したエネルギー」のほうが、現実的で「都市型の地産地消型エネルギー」と言えるのではないだろうか?
にもかかわらず、普及しない理由があるとすれば、それは「既得権益」という問題だろう。
下水を管理しているのは各自治体で、ガスや電力は民間企業だ。
自治体が電力会社へ売電をするということになれば、これまでの電力会社のビジネスモデルは崩れてしまう。

ただ、これから先電気自動車の普及ということを考えるなら、下水を利用し電力をEVステーションに限定して送電する、ということは考えられるかもしれない。
EV車両の普及の目的が、CO2の削減が目的だからだ。
EV車両で使われる電力そのものが、CO2を発生させる火力発電などから造られているとすれば、EV車両の普及という点では本末転倒になってしまうからだ。
今検討されている水素エネルギーを利用した自動車にしても、水素ステーションそのものの普及がされなければ、意味がない。

今、「再生可能エネルギー」という視点で語られる「エネルギーの未来像」では、電力不足は避けられない現実だと思う。
とすれば、EV車両の普及という点もふくめ、個々の地域に合わせた「廃棄物利用エネルギー」も積極的に、考える必要があるのではないだろうか?


大日本除虫菊の広告の訴求力

2018-06-04 13:06:35 | マーケティング

ネットには、新聞やテレビでは扱わないようなニュースを取り上げるサイトもある。
その一つWihtnewsに「確かに、そうだけど・・・直球過ぎる」という広告が、取り上げられていた。
Whitnews:図々しいことを直球でいうユーモア キンチョウの新聞広告が深かった
この記事で取り上げている、キンチョウの新聞広告というは、大日本除虫菊が日経に出した広告のようだ。
大日本除虫菊:新聞広告 コックローチ ゴキブリがうごかなくなるスプレー

この広告のキャッチコピーは、「買うまでが広告です」だ。
このキャッチコピーを見た時、思い出したコピーがあった。
1985年、武田製薬の「ベンザエースを買ってください」というCMだ。
youtube:武田薬品工業ベンザエース
このCMを見た時、随分大胆なキャッチコピーだな~という印象があった。
というのも、企業側が「買ってください」というコピーが、(ほとんど)無かったからだ。
CMの多くは、製品や企業のイメージや性能・機能、あるいは価格を伝えることが主で、使われるコピーもそのイメージに沿ったものになる。
その中で「買ってください」というコピーは、随分直接的で思い切ったものだったからだ。

広告の使命は、その製品や商品、サービスを生活者に告知することが、一番重要だ。
しかし、生活者に告知したからと言って、その製品や商品、サービスが生活者の手に届かなければ、企業側は広告費が無駄になってしまう。
広告の目的には、生活者に製品や商品、サービスを買ってもらう、ということもあるからだ。
残念なことに、広告を出してもなかなか買ってもらえない、ということが度々あるのも事実だろう。
まして、競合他社が多い製品や商品は、生活者にとっては選択肢が多くなるという利点があるが、企業側にとっては厳しい市場ということになる。
今回の「コックローチ」というゴキブリの殺虫剤も、競合他社の多い分野の商品だといえる。
だからこそ、広告としての訴求力が求められる、ということにもなるのだ。

ただ、この広告を見た時「金鳥らしいな~」という気もしたのだ。
これまで、大日本除虫菊=金鳥の広告は、どこかヒネリのあるユーモアもある広告やCMが多く、ある一定世代の方ならご存じだと思われる「亭主元気で留守がいい」というCMも、金鳥の製品CMだったからだ。
これまでの実績(というのだろうか?)があるため、これほどダイレクトな訴求広告を出しても、受け手となる生活者は「金鳥の広告だからね~」と、分かってくれる部分があるし、面白がってくれる(はずだ)という読みが、企業側にあると思う。
何より、広告として嫌味が無い。
これが、この広告の一番の魅力かもしれない。






素敵だな~と感じるデザインは、普遍的?

2018-06-01 21:18:32 | ビジネス

朝日新聞に「世界の名車」というコラムが、掲載されている。
自動車そのものには、さほど興味はないのだが(苦笑)「デザイン」という視点で観ると、その時々の時代感を反映しているな~と、感じることがある。
今回取り上げられている自動車のデザインを見た時、ここ数年流行している「厳めしい兜」のようなデザインではない。
フロントのデザインの印象は、丸っぽくて初代の新幹線0系を思い起させるようだ。
朝日新聞:<小川フミオのモーターカー>世界の名車<166回>個性的なデザインが魅力の「ホンダ・ライフステップバン」

このコラムそのものは昨年に書かれている内容なので、既に読まれた方も多いかもしれない。
改めてこの「ホンダ・ライフステップバン」のデザインを見てみると、上述した通り、初代の0系新幹線のような、人に寄り添ってくれそうな優しさを感じるのだ。
現在の「ステップワゴン」という名前のホンダ車があることを考えると、案外このクルマからネーミングをしたのかな?という、気がする。
特に、ミニバンブームをつくったとも言われる「初代ステップワゴン」は、このクルマのコンセプトをそのまま生かしたのでは?という気がしてくる。

とはいっても、この「ホンダ・ライフステップバン」は商業用の軽自動車なので、一般車両のような大きさではない。
その当時の荷物を運ぶ「バン」の中では、相当コンパクトな車両だったのではないだろうか?
そのためなのか?この「ライフステップバン」は1972年~1974年と、わずか2年しか製造されていない。
運転席のデザインを見ても、今とは随分違うのは仕方ないだろう。
この「ライフステップバン」が発売された頃は、オートマチック車が普及する前なのだから。
しかし、商業用として「伝票を置く場所」があったり、その当時としてはサイズギリギリまでの車高と居住空間を持たせるなど、クルマに乗る人のことを考えた居住デザインであることには変わりない。
このころから「軽自動車」の基本的デザインの考えは変わっていない、ということかもしれない。

この文を書きながら、どこかで見たことがあるデザインなのだか??と思っていたのだが、ダイハツが発売をしているムーブキャンパスに似ているような印象があることを思い出したのだ。
ダイハツが、ホンダ・ライフステップバンのデザインを真似したとは思わない。
ただ、素敵だなと感じさせるデザインは普遍性を持っているのでは?ということなのだ。