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コーチングとティーチングー日大アメフト部事件で考えたことー

2018-06-09 21:46:33 | 徒然

朝、FM番組を聞きながら過ごすことが多い。
今日、何気なく聞いていたら「コーチとティーチ」という言葉の違いを、ある番組でしていた。
プロキャディーの方が「ビジネスに役立つゴルフメンタルの話」をする、という内容の番組だ。
その話の中に「米国のトッププロと呼ばれる人であっても、コーチを付けるのはなぜか?トッププロと呼ばれるような人達に、教える人というのは、もっとすごいプレ―をするのでは?」という話があった。
その時の、プロキャディーの方の回答が、なるほど!と思う内容だった。

まず、「トッププロにゴルフを教えるという(ラウンド)コーチは日本でイメージしているコーチとは違う」ということらしい。
何故なら「コーチとティーチは、違うからだ」という話だった。
「コーチ=指導、ティーチ=教える」ということになるのだが、「指導と教える」ということを一緒にしているのでは?ということだった。

「ティーチ=教える」ということは、手取り足取り基本から技術などを教える、ということ。
すなわち、「ティーチ=教える」というのは、教える側と教えられる側の関係が「縦」になる。
一方「コーチ=指導」の関係は、する側とされる側の関係が「横並び」で、一緒に戦略を立てたりしながら、目標を達成する違いがある。
だからこそ、トッププロであってもコーチは必要で、その時々の(ラウンドの)アドバイスをするのが、コーチとしての役割である、という話だった。

確かに「ティーチ」と「コーチ」を日本語にすると、「教えると指導する」という違う言葉になる。
しかし、様々な現場においては「教える」ことも「指導する」ことも、「縦の関係」で行われていることのほうが多いのではないだろうか?
その「縦の関係」が、「支配と従属」という関係に陥りやすいのが、昔ながらの「体育会」であり、最悪な状態を見せてしまったのが今回の「日大アメフト部」の事件のような気がする。

確かに、新しいことを学ぶ為には「教えてもらう」必要がある。
何故なら、そのための知識も技術もないからだ。
しかし、知識や技術が身につき、自主的に行動をするために必要なのは「指導」だろう。
その「指導」が、組織や個人の目標となるものに対して平等な関係でなければ、自主性は失われてしまう。
同じ目標に向かう為の方法は、一つではないからこそ、最善の方法を選びだす為の「指導=コーチ」が、必要だからだ。
もう一つ、コーチをする上で重要なことは、「考える」ということではないだろうか?
指導をされる側の考えと、指導をする側の考えをすり合わせ、最善策を考える、という作業が「コーチ」の中には含まれているからだ。

今回の「日大アメフト部」のような、古い日本的な「気合と根性の縦関係」は、日本の企業でもあるのでは?という、気がしている。
確かに「考える」ということは、時間を要する「効率の良くない」ことかもしれない。
しかし「考える」ことによって、思いがけない視点が生まれることも確かなのだ。
それが、自主性へと繋がっていけば、明快な目標(=企業の場合は企業理念となるだろう)を達成し、次の発展に結びついていくのではないだろうか?