日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「好き」とか「素敵!」、「カッコイイ」が、新しい何かをつくるのかもしれない

2018-12-12 19:01:15 | 徒然

イギリスのバンド・クィーンを題材にした映画「ボヘミアンラプソディー」が、ヒットしている。
クィーンが活躍した1970年代からのファンもいれば、クィーンというバンドを知らない若い世代まで、引き付けているという。
主人公であるフレディーマーキュリーの命日には、「応援上映会」と称してフレディーマーキュリーのステージ衣装を真似た格好で、映画を観、ライブ映像に合わせてヒット曲を歌った、という現象もあったようだ。
この映画のヒットにより、現在は廃刊となってしまった音楽雑誌・ミュージックライフの当時の編集長東郷かおる子さんのインタビューなども雑誌などに掲載された。

東郷かおる子さんの前任編集長は、星加ルミ子さんだ。
星加さんは、ビートルズが来日した時ホテルで直接インタビューができた数少ない人物で、その星加さんの後を継いだということで東郷さんも随分著名なミュージシャンと直接インタビューをされている。
その中でも印象的だったのがクィーンだったようだ。
理由は、まだ無名のバンドだったクィーンの世界的な人気をつくり出したのが、東郷さんでありその当時の「洋楽少女」達だったからだ。

東郷さんのインタビューの中にもあるのだが、クィーンの人気を決定づけたのは日本の「洋楽好きな少女達」だった。
まだ無名に等しいイギリスのバンドを招聘したウド―音楽事務所も凄いが、空港で迎え会場となった武道館を埋め尽くし彼女たちも凄かった。
この空港での日本の少女たちのお出迎えは、メンバーに驚きだけではなく、その後の活躍への自信となったのではないだろうか?
何故それほどまでに、彼女たちはクィーンに夢中になったのだろうか?
難しい理由などはない。
「素敵」とか「カッコイイ」→「だから好き」という、感性という部分で、彼女たちが支持をしたからだ。

当時のロック少年たちからすれば、「それってどうよ?」と言いそうな、フレディーマーキュリーが全身タイツのような衣装で歌っても、関係ない。
逆に「ロックは、Tシャツとジーンズじゃないとダメなの?」と、ツッコこむような勢いを彼女たちは持っていたし、「××でなければならない」というような、既成概念のようなものを持っていなかったのも彼女たちだった。
「ミーハー力」恐るべし、ということになるのかもしれない。

それを支えているのは、上述した「素敵」とか「カッコイイ」、だから「好き」という感性の豊かさであり、既成概念を打ち破る「ミーハー力」かもしれない。
今このような、既成概念のようなものを打ち破る「ミーハー力」は、どこにあるのだろう?
そして「ミーハー力」が、社会を変える原動力の一つかもしれない、と映画のヒットで思うのだ。

賢明な方は感じられたと思うが、クィーンに熱狂はしなかったが私も「洋楽少女」の一人だったので、当時のことは鮮明に覚えている。






SNSは、終わりに向かっている?!

2018-12-11 20:09:44 | トレンド

朝のFMを聞いていたら、「え!」と思うような話があった。
TFM:クロノス リポビタンD Trend Eyes(12月11日)

番組の内容は、「今年のビジネストレンドを振り返る」というものだった。
仮想通貨が、事件をきっかけに市場というか生活者から信頼を失い、当初の流行予測とは全く違う結果になってしまったのは、仕方のないことだろう。
「市場や生活者から信頼を失う」ということが、どのような結果になるのか?ということを反面教師のように、教えてくれたと思えばこのランクインも納得ができる。

一つ気になったのは、コメンテーターの方が感じた「誰でも発信できる時代の終焉」という言葉だった。
ここ10年ほどネット上で話題になったモノ・コトといえば「SNS」などの、個人がネットを使って情報発信をする、ということだった。
このような「誰でも情報発信ができる」ようになったのは、Youtuberの登場からかもしれない。
そして今の中高校生間では同じ動画でもTikTokへの投稿が、人気らしい。
Youtuberの多くが大人であるのに対し、TikTokは若い人たちが中心であることも、特徴的なところだろう。

Twitterの登場により面識がない人たち同士がつながるようになり、Instagramが登場したコトで「フォロワー」の数を競うようになってきた。
「インスタ映え」と言う言葉が、流行語大賞に選ばれたのは昨年だったように思う。
そして今年時置ききいたのが「インスタ疲れ」だった。
「インスタ映え」するような写真や動画を掲載しないと、「いいね」が押してもらえず、フォロワーの数も伸びない。
そのために、(様々な意味で)相当の無理をしてInstagramに投稿をしていた、という人も少なくなかったようだ。

それだけではなく、SNSを通していじめを公開するような人たちも現れ、「SNSによる二次的いじめ」が拡散するような事件も起きた。
他にもコンビニの冷蔵庫に入ったりした動画をSNSに上げ、問題となったこともあった。
Instagramを含むSNSそのもののシステムが悪いわけではなく、あくまでもユーザー側のモラルや一般常識の問題ではあったのだが、このような問題が起きた背景の中には、「いいね」などの数を増やしたい、という動画を撮影し公開する行為よりも「いいね」を増やしたい、という承認欲求のようなもののほうが強いというような指摘も多く聞かれた。

逆に言えば、「いいね」を数多く得るためには、それなりの工夫やアイディアが無くては、「いいね」を増やすことができなくなってきた、というのが、今年だったということかもしれない。
それが「誰でも情報発信できる時代の終焉」ということに、なるのだろう。
となると、いま若い世代で人気のTikTkoなども、投稿数は多いが1投稿に対しての視聴者数はとても少ない「内輪の表現ツール」となっていくかもしれない。
ただ忘れてはいけないのは、このような情報は一端拡散してしまえば、削除してもしきれずにネット上に残る、ということだ。





入管法改正の前に考えたいこと

2018-12-09 20:37:25 | 徒然

与党が強行採決をした「入管法改正」。
この結果、海外からの労働者を受け入れしやすい状況となった。
日経新聞:外国人受け入れ5年で最大34万人 改正入管法が成立

この入管法の改正の理由は、将来的に人手不足が考えられるからだ。
既に、建設業や介護の分野では、人手不足といわれている。
だが、その前に考えることがあるのでは?という気がしている。

一つは「難民の受け入れ」だ。
日本は、「難民を受け入れない国」といわれている。
確かに今回の「入管法改正」の正しい名称は「改正入管難民法」だが、報道を読む限りでは「難民を受け入れる」のではなく、「人手不足を補うために入管法改正をした」と読み取れる。
政治的な理由などで命の危険があるため、泣く泣く母国を離れざる得なかった「難民」の受け入れを緩和する、という趣旨のようには思えないのだ。
「人手不足解消の入管法改正」と、「政治的理由で母国に帰れない人たちを受け入れる、入管法改正」とでは、その意味合いは大きく違うように思える。

そして「本当に人手不足なのか?」という疑問だ。
2,3年前に「AIが仕事を奪う」と、話題になった。
AIに奪われる仕事は、多岐にわたっていた。
ある特定の仕事だけがAIに取って代わられる、というわけではないのだ。
とすれば、AIにとって代わられる仕事分だけ、人が余るということになる。
もちろん、代わりの仕事を見つけ、職に就くことができる人も少なくないだろう。
しかし現実に、アメリカでは産業構造の変化などによって、仕事を奪われた人たちは数多くいる。
トランプ氏の熱狂的支持者といわれている中西部・中南部に住んでいる「忘れ去られた人々」だ。
彼らの多くは、1950年代の頃ような働き方が、21世紀も続くと信じてきた人たちでもある。
社会の時代変化についていけなかった、そのための努力や技術や知識の習得をしてこなかった、と言ってしまえばそれまでだが、同様のことがAIの普及によって、日本でも起こる可能性が全くないわけではない。
むしろAIによって仕事が奪われる人たちの多くが、知的職業といわれている人たちである、という指摘があることを考えれば、より深刻な状況が起きてくるのでは?という、気がしている。

今現在「労働力不足」と言われている分野の多くは、上述した通り今日本の若者があまりやりたくない、あるいは志高く仕事に就いたが、余りにも給与面などでの待遇が悪い、と言われている仕事だ。
「AIで仕事が奪われる」というのであれば、「AIで仕事が奪われても、若い人たちが安心して働くことができる、労働不足分野での労働環境改善」を、まずすべきではないだろうか?

「人手不足が懸念されるから、海外から労働力を入れる」という発想は、どこか前近代的な発想のような気がするのと同時に、それにかかる企業や社会の負担はどうなのだろう?



微妙な減税

2018-12-07 21:36:15 | 徒然

Yahoo!のトピックスをはじめ、一部新聞社のWEBサイトにも掲載されている「自動車税減税」。
日経新聞:車保有税、最大年4,500円減税へ 総額1300億円規模

この記事を読んで、なんとなく微妙な金額の減税だな~という印象を持った。
ポイントとなるのは「最大4,500円」だろう。
全てのクルマに均一4,500円の減税が、行られるわけではないのだ。
これまでの排気量に合わせて、排気量が少ない方が減税額が大きい、という仕組みになっている。
考え方によっては、小型車の車保有者にはそれなりのメリットが感じられるが、排気量の大きい大型車の保有者には、余り減税実感がないかもしれない。

といっても元々「最高年4,500円」という金額が、とても微妙な気がするのは、私だけではないと思う。
「微妙」という印象があるのは、「減税されてるのは嬉しいが、恩恵が感じられない」のでは?
車どころか、免許すら持っていない私ですら「微妙だな~」と感じる減税額なので、実際車を所有している方々にとってはより「微妙」な印象を受けるのでは?と、想像している。
何故なら、自動車に関連する税は複数あり、ガソリンは販売価格にガソリン税が転嫁されているうえに消費税が加わる。
日々車を運転する人であれば、昨今の原油の高騰で最高4,500円程度では、恩恵は全く感じられないかもしれない、という減税額だからだ。

ただ、減税分を「エコカー減税対象車」を絞り、その分をカバーするというのは、生活者の気持ちを十分理解した案なのかは、やや疑問だ。
確かに、車そのものはある一定期間使ったら乗り換える、という商品だ。
子どもが小さい時は、ファミリータイプのワンボックスカーだったが、子どもたちが成長し独立するようになると、そのような車から小型車へ乗り換えをする、というケースはままとしてあるだろう。
場合によっては、軽自動車に乗り換える方もいらっしゃるかもしれないし、逆に若いころ憧れていたスポーツタイプの車に替える方もいらっしゃるかもしれない。
だからといって、乗り換え年数そのものは年々長くなりつつある、という話もある。
初めて「エコカー減税」が行われたときのように、乗り換える動機になるのだろうか?

しかし、この減税額が総額となると1300億円という、大きな数字になる。
一人ひとりには「微妙」な印象を与える数字であっても、総額となると「減税額は大きい」と感じる数字へと変化していくのだ。
「数字のマジック」と言ってしまえば、それまでだが、この減税額を見て生活者はどう思うのだろうか?
おそらく、これまでであれば政府は「総額1300億円の減税」という表現をしていたのでは?という、気がしている。
その後、小出しに「減税額の内訳」が報道され、最初の「減税」ぬか喜びがなくなり、具体的にわかるような発表に変わったという点は、良かったのかもしれない


ローカル百貨店の意外な強み

2018-12-06 19:21:31 | ビジネス

Yahoo!のニュースのローカル版に、「名古屋の老舗百貨店が愛されるわけ」という記事があった。
Yahoo!メーテレ:【特集】名古屋駅の老舗百貨店が愛されるワケ

という記事があった。
日付を見ると半月以上前にテレビ放映されたようだが、活字としてみると「なるほどな~」と思う部分がある。

この記事で取り上げられている「名古屋駅の老舗百貨店」というのは、名鉄百貨店のことだ。
場所は、JR名古屋駅にほど近い場所で、名古屋鉄道(=名鉄)名古屋駅の駅ビル百貨店だ。
名古屋鉄道は、愛知県を横断するようなカタチで豊橋~岐阜、知多半島までの路線を持っている為これらの地域の人たちにっては、とてもアクセスが良い場所の百貨店ということになる。

以前から「名駅と栄とでは客層が違う」といわれてきたが、その理由は名鉄を利用して名古屋に来くる買い物客にとって、栄にある百貨店(=松坂屋・名古屋三越栄店)は、乗り換えをする必要があるなどやや不便な百貨店でもあるのだ。
いくら名古屋の老舗中の老舗百貨店・松坂屋であっても、よほどの買い物目的を持たないとこれらの地域に住んでいる人たちにとっては、買い物に行きづらいともいえる。

このような百貨店であれば、名古屋に限らず東京や大阪にもあるだろう。
大坂・梅田にある阪急百貨店や阪神百貨店なども、同じような駅ビル百貨店だろう。
しかし決定的に違うのでは?と感じたのは、書き込みの中にあった「三河弁で話せる」という点だ。

意外に思われるかもしれないが、地方、地方の言葉というのは、普段言い慣れている言葉でもある。
反対に標準語といわれる言葉は、確かに綺麗で丁寧だがどこか冷たい印象を与える。
実際、転勤族であった父について、引っ越しが多かった我が家は基本標準語で話すことが多かった。
成人をして、仕事をしているときには何も感じなかったのだが、ある時「標準語で話されると、冷たい印象」と、言われたことがある。
この言葉は、私的には衝撃的であった。
共感性という点でも、地方の微妙なイントネーションなどと標準語のイントネーションとでは、受け手となる相手の印象が大きく違うようだ。
違う言い方をするなら、「地方の言葉を話す人(あるいは分かってくれる人)=自分の仲間」という、意識を持ちやすいということだ。

だからこそ、同じ名古屋駅にあるターミナル百貨店「名古屋髙島屋で買い物をすると、緊張する」という、書き込みにつながるのだ。
確かに品ぞろえや客層の分析、「モノ消費からコト消費」への対応など、百貨店側の努力があってのことなのだが、顧客の利用する理由の一つに、このような「ことば」があった、というのは意外な気がしたし、ローカル百貨店の強みというのはこのような点もあるのでは?という気がしたのだ。

「百貨店」と言う言葉通り、一つの店舗に様々な商品があり「ワンストップで買い物ができる」ことは、大きな魅力だった。
しかし今のように、「ワンストップで24時間買い物ができ、指定した日時に送られてくる」ECサイトなどの登場により、実店舗は苦戦を強いられている。
しかし、人はどこかで人と相談をしたり、話しをしながら「買い物を楽しみたい」という気持ちがある。
その時、「地方独特のニュアンスやイントネーション」での会話は、買い物客を安心させ、コミュニケーションを取りやすくしているのかもしれない。



マーケティングの役割

2018-12-05 20:47:07 | ビジネス

毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、凄いな~という記事があった。
記事を読み進めているうちに、この「凄いな~」をどうしたら市場に出せるのだろう?と、考えるようになった。
凄いな~と思った記事は、「ミノムシから世界採用の糸」という内容だ。
毎日新聞:ミノムシから世界最強の糸 クモの糸よりも強く丈夫 興和など開発

これまで「世界最強の糸」といわれていたのは、クモの糸だ。
そして「クモの糸」の量産に成功したのは、山形のベンチャー企業だった。
Huffpost:山形のベンチャーが世界初!クモ糸量産化成功の快挙

クモの糸といっても、昆虫のクモが吐き出す糸ではなく、クモがつくりだした糸と同じタンパク質を生成した糸だ。
強いと言っても繊維としてしなやかで、服の生地としても十分に使えるという素材だった。
それに対して、ミノムシからつくられた「世界最強の糸」は、蚕からつくられたつくられた絹と同じような生産方法でつくられる。

これらの情報から、
①日本の養蚕産業の復活の切っ掛けになるのだろうか?
②そのようにしてできた「糸」は、何に使えるだろうか?
③アパレルであれば、どのような場面で着る服が想定されるのだろうか?
④他にはどのような産業が考えられるのだろうか?
これらの需要となるのは何か?
といったことが、次々と思い浮かび「新しい市場」になるのか?とすれば、それを必要としているのは誰なのだろう?と、考えが広がっていく。

おそらく、このような発想がマーケティングの役割なのだと思う。
日本の場合「人の生活を豊かにする」という視点で、このような発想がされることが多い。
これはとても日本的で、軍事産業が盛んな国とは違う発想だと言われている。
そして今世界で求められるマーケティングの発想というのは、このような日本的発想であり、それがマーケティングの本来の役割なのでは?と、思っている。


AIに負けない力とは?

2018-12-04 20:47:25 | 徒然

1ヵ月ほど前のHuffpostにAIに関する記事があった。
Huffpost:「感動を生むテクノロジー」とは?次へと向かう時代、鍵となるのは「ストーリー」だった

内容は、「AIなどのテクノロジーが向かう未来」ということなのだが、これまでAIが苦手(?)とされてきた、人の感情や感動といった「心の動き」まで、AIがサポートするようになると「人がすること」はますます減っていくのでは?という気がしてくる。
AIの普及で残る仕事といわれていたのが、介護や看護、カウンセリングといった「人の心」を察知する仕事もAIに取って代わられるのでは?という、印象を持ってしまうからだ。

そもそも「人の心」というのは、どこにあるのか?といえば、「脳」にあるということが、様々な研究で分かってきている。
もちろん、この考えに違和感を感じる方も少なくないだろう。
何故なら、日本語には「わかる」と言う言葉一つにも「理解する・納得をする・腑に落ちる」という、3つの段階があると経験的に知っているからだ。
これらのことは全て「脳」の中で起きていることだとしても、一つの物事に対する感じ方は全く違う。
このような微妙な感じ方までAIが察知し、反応するようになるのか?という疑問がある。

とはいうものの、AIで分析し作られた楽曲は著名なクラシックの作曲者の楽曲よりも「名曲」に聴こえ、同じようにAIでつくられた絵画は名作よりも「素晴らしい」と感じる(人もいる)と、言われている。
楽曲や絵画のパターンを分析し、多くのひとが好むパターンと掛け合わせるようにしてつくられた「名曲」や「名画」は、確かに均整がとれた作品になる(らしい)。
それは、「文章」でも同じということになる。

しかしそのような楽曲や絵画をいくつも見ていると、多くのひとは飽きてくるらしい。
その理由は「意外性」が無い、ということのようだ。
「意外性」というよりも「個性」といったほうが良いのかもしれない。
多くの楽曲や名画、名著から様々なパターンを分析し、つくられるモノはバランスが取れて安心感を持って「素晴らしい」という、第一印象を与えるが、そのような作品を見続けると「飽きてくる」ということのようだ。

とするとAIに負けない力というのは、「パターン化されない思考と表現力」ということになるのかもしれない。
ここ1,2年、ビジネスパーソンの必須スキルが「アート感覚」や「美意識」と言われるのも、わかるような気がする。



時代と共に、法律や税制を変える必要があるのでは?

2018-12-02 18:56:13 | アラカルト

先日、与党の自動車税見直し案が、ニュースとして報道された。
毎日新聞:自動車税 走行距離に応じ課税 政府与党税制見直し検討(有料記事)

Yahoo:月額4千円。それでも無関心?~自動車関連税制の見直し

自動車税が見直しされたからといって、車離れの中心である若年層が車を購入し、運転をするようになるのか?といえば、疑問を感じる。
例えば都市部でクルマを持つとなれば、真っ先に問題となるのは「駐車場(代)」と「使用頻度」だろう。
都市部の月額の駐車場代と使用頻度を考えると、週末の土曜日か日曜日にしか運転をしないのに、高い駐車場代を払ってまで、クルマを持つ意味があるのか?ということだ。
週末出かけるにしても3連休などになれば、あちらこちらで起こる「渋滞」。
都市部のように、公共交通機関が充実している地域であれば、クルマで移動するよりも確実な時間がある程度見込めて、行動することができる公共交通機関のほうが便利という場合も多い。

他にも、自動車を購入した時にかかる「自動車取得税」のように、「自動車」そのものが富裕層のステータスのような時代の名残のような気がしている方は、多いのでは?
地方では、「生活必需品」のような使い方が一般的だ。
「生活必需品」に取得税がかけられる、というのは不満を感じる方のほうが多いだろう。

そして今回の「走行距離に応じて課税」となると、毎日のように車を使う地方生活者にとって、不利になる可能性がある。
だからといって、都市部の若年層が積極的に車を購入し、運転をするようになるか?といえば、上述したように「車にかかる維持費」という問題があり、購入にはなかなか至らないだろう。

もう一つ気になっているのは「ガソリン税」だ。
この「ガソリン税」のうち、約半分は税金だと言われている。
ガソリンの高騰やPHVを含むハイブリッド車やEV車の普及で、ガソリンそのものを必要としなくなる、あるいは少量のガソリンで今までと同じように走れる車が普及すると、ガソリンそのもの使用量が減っていく可能性が高くなる。
そうなると「ガソリン税」によって賄われている(?)高速道路などの建設費や維持費(=道路特定財源)が不足してしまう可能性が出てくる。
となれば、今まで「ガソリン税」で賄っていた高速道路の建設費や維持費は、どこから捻出することになるのだろう?
将来を見据えた税制やお金の使い方を、早急に考える必要があるはずだ。

自動車産業自体は、関連する企業が多いからこそ話題にもなるし、国も動きやすいのだろう。
しかし車だけではなく、このような施行当時には有効であったかもしれない法律や税制などは、案外多いのでは?
その一つがNHKを対象とした「放送法」かもしれない。
時代の変化・生活者の生活志向の変化に合わせて、法律や税制を変えていかなくては、「不利益を被るのは国民」ということになってしまう。