日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

事の重大性が分からない人が、役職についたりしたり顔で発言してはいけない

2021-02-09 21:13:31 | アラカルト

森氏の発言は海外メディアから、相当な反発を招き謝罪記者会見となったはずだが、ご存じの通り「謝罪にならない謝罪記者会見」となり、火に油を注ぐという結果になってしまった。
にもかかわらず、森氏本人はそのコトが理解できていないようだ。
理解できていないのは、何も森氏だけではなくJOCの主要理事も与党の偉い人達も同様だったようだ。
だからこそ、二階氏のような発言が出てくるのだと思う。
産経新聞:自民・二階氏「撤回したからいいのでは」森氏を擁護

だからと言って、森氏の「女性に対する差別的発言」に対しての批判が収まった訳ではなく、逆にオリンピックのボランティアの人たちが約390名辞退する、という状況になってしまっている。
このボランティア辞退についても二階氏は、「大したことではない」と考えていらっしゃるようで、「一時の気の迷い」のような発言をしている。
東京新聞:二階幹事長 森会長の女性蔑視発言は「そんなこと」五輪ボランティア辞退で

二階氏にしても森氏にしても、ボランティア活動に参加する人達の気持ちや考えなどを、理解してはいないだろう。
個人的な話で申しわけないのだが、2002年のFIFAサッカーW杯が開催された時、ベースキャンプボランティアとして参加した経験から言うと、ボランティア活動そのものは「手弁当」で、交通費や日当などが支給される訳ではない。
支給される場合でも、ほんの「心付け」程度のモノで、ボランティアに登録した人達の多くは「この大会に携わりたい」とか「スポーツそのものが好き」という、損得勘定の無い理由で参加・登録をしている。
そのような「志を持った人たちが、相次いで辞退をしている」ことが、森氏や二階氏の発言に影響されたとすれば「トップがそのような考えであれば、参加する意義は無い」と考えての辞退だと、考えてよいと思う。

2020東京オリンピックの登録ボランティアは8万人ということなので、約400名の辞退者であればそれほど影響力は無い、と考えているようだが、8万人のボランティアは昨年7月の開会式に向け、既に活動場所や活動内容が決まっていて、そのための研修などを何度も繰り返し行ってきたはずだ。
場合によっては、ボランティアの活動日などのスケジュールも、決まっていたかもしれない。
二階氏が言うように、簡単に再募集をして補充したり協賛企業から社員派遣をしてもらって、すぐにできる訳ではないのだ。

もう一つ言うと、スポーツボランティアに限らず、様々なボランティア活動の中心となっているのは、女性であるということもご存じないのだろう。
上述したW杯のベースキャンプボランティアですら、6:4位の割合で女性のほうが多かった。
ボランティア活動の中心となる女性たちが、辞退やボイコットをすれば、それはボランティア組織として活動することが、難しくなるということでもあるのだ。

そのような現場での準備状況やボランティア参加者の思いなども理解せずに、このような発言を繰り返すということは組織のトップとしてどうなのだろう?

森氏にしても二階氏にしても、今後の国政選挙に出馬する意思はあるだろう。
その時、私たち選挙民は「自分にとっての利をもたらす人」ではなく、「本当に手弁当で支援をしたい人物なのか?」ということを、自分自身で考え・投票することが必要だろう。
自治体レベルでの選挙を含め、これまでの選挙は「自分にとって就職などの口利きをしてくれそうな人」等の利益を考えて、投票してきた結果が今のような状況であるとすれば、改めて選挙民として「手弁当で支援したい人物」を選ばなくては、このような時代錯誤のような発言をし、世界から批判されても、批判される理由が分からない、という人を政治家として育ててしまうことになってしまう、ということを改めて示しているのかもしれない。



スーパーボウルのCM

2021-02-08 19:00:15 | CMウォッチ

日本時間の今朝、全米が熱狂すると言われている「スーパーボウル」が、開催された。
アメリカンフットボールのファンであれば、「スーパーボウル」がどれほど影響力のある、スポーツイベントであるのか?ということは知っているだろう。
そして、アメリカンフットボールに興味が無いマーケターもまた、「スーパーボウル」というスポーツイベントの影響力を、理解しているはずだ。
何故なら、スポンサー企業はこの「スーパーボウル」の1回の為に、特別なCMを制作するからだ。
CMを流すために支払われる金額が「30秒で5億」とも言われ、当然それに似合うだけのCMが制作されることになる。
それほどの金額を投じてつくられるCMは、CMの新しい潮流を創り出す、とまで言われている。

今年の「スーパーボウル」のスポンサーとして登場した企業の中には、日本のメルカリやINDEEDなどがあったようだ。
TC:スーパーボウルCMにメルカリ初出稿、Game Stop騒動で注目が集まるRedditやRibonhootなども

常連企業としてはトヨタやペプシ、バドワイザーなどがある。
ELLE:2021年スーパーボウル、CMで株を上げているブランド、下げているブランド

ELLEの記事では、「評価をあげたCM、下げたCM」それぞれを見ることができるので、じっくりと見て欲しいのだが、スーパーボウルのCMが新しい潮流を創り出すと言われるゆえんは、このCMが出稿した企業からのメッセージというだけではなく、「今企業が求めれているコト」を表現している場合も多いからだ。

今回のバドワイザーの場合、「新型コロナ」に対する企業の考えを示しながらも、昨年スポーツ選手を中心に大きなムーブメントとなった「BLACK LIVES MATTER」の映像を差し込んだりしながら、「希望」を持つことを訴えている(冒頭、アパートの窓から口ずさまれる歌は、ビル・ウィザースの「Lean Me On(「私を頼りに」という意味)」。
逆にロジテックは、今全米で最注目されているミュージシャンを起用し、若い世代に対してストレートな社会メッセージを伝えている。
両極にあるようなCMではあるが、どちらも企業としてのメッセージとしては、昨年から続く「新型コロナ」やアメリカ特有の人種的、あるいは性的問題に対して「(みんなで)解決していこう。希望を持って」というメッセージが伝わってくる。

このように、スーパーボウルのCMというのは、製品CMではなく企業が今社会に対してどう考え、行動していこうと考えているのか?ということを伝える場であり、そのための映像表現もまた「人種のるつぼ」と言われるアメリカの内情も加味しながら考えられているのだ。
と同時に、今回は大きく取り上げられなかったようだが、新しい映像手法なども見ることができるし、スポンサー企業を知ることで、今勢いがある企業、長いブランディング活動により、生活者の心をがっちりと掴んでいる企業などが分かるからだ。
だからこそ、マーケターとしてスーパーボウルのCMは特別なCMなのだ。


日本は外圧が無ければ、変われないのだろうか?

2021-02-06 20:27:19 | アラカルト

2020年東京オリンピック組織委員会長の森喜朗氏の発言は、思わぬところにまで話が伝わってしまったようだ。
Huffpost:各国大使館が男女平等で連帯ムーブメント「誰かが一線を越えたら、声を上げよう」

おそらく謝罪記者会見をした森氏は、あくまでも日本国内向けに会見をした、というつもりだったと思う。
それだけではなく、森氏に留任を求めた組織員の人たちや、森氏の同僚である自民党の議員なども「あくまでも国内向けに発した言葉に対しての謝罪記者会見」であった、という認識をしていると思う。
だからこそ、森氏の発言に対して積極的な発言がほとんど聞かれないのだろう。
唯一、オリンピックの理事をされている山口香さんだけは、以前から日本の古い体質のスポーツ組織や国に対して、積極的に「変革の必要性」を訴えていたように記憶しているが、その積極さが逆に、他の理事たちから「煩がられていた」というのも事実だろう。

これまで森氏の発言に対して、何も言わずに「嵐が去るのを待っている」ような対応が、今度は各国の大使館から批難の声が上がるようになってしまった。
このような状況になるとは、関係者一同思いもよらぬことだったのではないだろうか?
理由は、森氏の発言はあくまでも日本国内向けのモノであり、問題となった「女性の話は長い」という会議も、海外での会議ではなかったからだ。
森氏も関係者にも、海外からこのような反応が起きる、とは想像すらしていなかったのでは?

このような海外からの反応に対して、「日本国内のことだから」と言ってしまえば、おそらくより強い反発が海外から起きるだろう。
日本は先進諸国の中でも「ジェンダーギャップ」が各段に低いからだ。
「ジェンダーギャップ」が改善しない理由を、海外に示してしまったというのが海外の反応であり、それは森氏一人に向けられたものではないのかもしれない。

3,4年前、「有名なバイキング戦士は女性であった」ということが、判明した。
ナショナルジオグラフィック:有名なバイキング戦士、実は女性だった
指導者としてまた尊敬される人物、というのは性差ではなくその人自身の行動であったり、発言であったりする、ということは古代から変わらない、ということだろう。

この事実に、森氏や留意をお願いしたオリンピック委員、閣僚や国会議員たちは、どう思うのだろうか?
この外圧によって、やっとオリンピック委員会の委員や理事、そして議員さん達が気づき、変わることができるのだろうか?
日本企業を含め、男性中心思考の社会が変わる切っ掛けとなるのだろうか?





森喜朗氏の発言は、誰もが持っている「潜在的差別意識」なのかもしれない

2021-02-05 19:34:24 | 徒然

オリンピック組織委員の会長をしている森喜朗氏が、「女性が多い会議は、時間がかかる」という発言をし、問題となっている。
この発言に対し、昨夜森氏自身が「謝罪会見」を行ったが、その内容が「全く謝罪になっていない」と、再び問題になっている。

これまでの森氏の話題になってきた発言には、いわゆる「暴言。放言」と言われる内容のモノが多い。
「学習能力に問題がある」と言ってしまえばそれまでだが、このようなことを知っている人たちからすれば、「またか~。ヤレヤレ、懲りない人だな~」という印象しかなったと思う。
実際私も「懲りない人だな~」という印象しかなかった。
だからこそ、森氏の元同僚である閣僚たちはこの発言に対して積極的な反応を示さないのだ。
毎日新聞:森喜朗氏の女性蔑視発言、閣僚から辞任を求める声なし

もちろん、開催予定(あくまでも予定)まであと半年を切ったような状況で、組織委員の会長を辞任させるリスクということもあるだろうが、肝心要の主要組織委員や閣僚などから、苦言を呈すような発言などが無いことを考えると「またか、ヤレヤレ」程度の認識なのだと思う。
世界でどのように報じられ、日本のオリンピック組織委員がどのようにみられているのか?とか、日本の社会がどのようにみられているのか?という、視点も考えも全く持ってはいないはずだ。
むしろ、自民党の中には「これは日本国内のことだから、海外から色々言われたくない!」と思っている方々も、いらっしゃるのではないだろうか?

ただ、森氏の発言は特別なことなのだろうか?と考えた時、女性ジャーナリストが記者会見場で官房長官や総理大臣、閣僚に、厳しい質問、ある意味問題の核心に迫るような発言をした時、質問をされた官房長官や総理大臣、閣僚たちのあからさまな「嫌な女だな~」という表情を見たことはあると思う。
それ以外でも、このようなニュースが報じられるとヤフコメなどでは、辛辣な批判のコメントが並ぶことが多い。
これが、男性ジャーナリストだったら「よくやった!」と言われるのでは?という気がしながら、見ることが多々とある。
これがおそらく、今の日本の潜在的社会意識であり、潜在的差別意識なのでは?ということなのだ。

そして森氏の「会議に時間がかかる」という発言は、日本の株主総会の姿と、重ね合わせられるように感じている。
「モノ言う株主」と言われた村上ファンドの村上氏などが登場した時、「株主総会を混乱させている人物」のような書かれ方をされたコトがあった。
何故なら、事前に用意された「想定質問」には無い質問を、株主として発言をすることが多かったからだ。
おそらく今でも日本の株主総会の理想は「株主の声を聞く」ことではなく、「予定通りに進められ、短い時間で終了する『シャンシャン総会』」なのでは?と、思っている。
事実、株主総会について新聞などで報道されるとき、決まって総会の時間が掲載される。
それが個人株主が増え、企業についての新聞報道などが増えてくると、個人株主自身が積極的に質問や疑問を呈するようになってくる。
当然、想定質問の中には無い質問内容なので、時間もかかるようになる。
それがあたかも、「株主総会の運営が下手である」かのような書かれ方が、実に多いのだ。

「自分と違う意見を聞き・考え、答えはでなくとも、より良い方法を考える」ということが、民主主義の第一歩のはずだが、どこかで「より良い方法を考える」という時間を省き、発言力の強い人の意見に従うことを、潜在的に選んでいるのではないだろうか?

「時間がかかる」のは、当たり前のことだ。
自分とは違う意見を持っている人がいる、ということも当然のことだ。
それが、同性であれば納得できることであっても、異質な存在である異性や外国の人ということになれば、「アウトサイダーが何を言う!」という、反応を示してしまう。
森氏の発言は許されるものではないが、それは森氏だけの問題ではなく私たち自身の潜在的問題のような気がする。



「新型コロナ」対策に、懲罰的な法を適用するというのは、どうなのか?

2021-02-04 11:25:21 | アラカルト

「新型コロナ」に対する、改正特措法が国会で成立した。
その内容の一部は、飲食店などの時短要請を拒否、感染陽性者が入院を拒否した時には「過料」する、という内容だ。
日経新聞:新型コロナ時短・入院の拒否に「過料」改正特措法など成立

飲食店などでクラスターが発生すると、ニュースとして大々的に取り上げられる傾向が強いが、今は家庭内や職場、高齢者福祉施設のような場所での感染が、増えているという指摘がされている。
そのような現実を見ないまま、飲食店をターゲットにする、というのはいかがなものだろう。
既に多くの飲食店は、1回目の「緊急事態宣言」で閉店を余儀なくされたところも多い。
「持ち帰り」等で何とかつないでいた飲食店側としては、「何故?」という気持ちだろう。

そして「入院の拒否」に対する過料という点も、解せない。
今の状況は「医療崩壊」と言われており、入院したくてもできずに「自宅療養」をしている、という感染陽性者の方が数多くいるからだ。
受入れ先病院が見つからず、自宅に送り返されたという患者さんもいた、という報道もあった。
このような状況で「入院拒否に対する過料」というのは、なんとも的外れのような気がするのは、私だけではないと思う。

それよりも気になるのは、「新型コロナ」の感染拡大が深刻化した頃から問題になり始めている「女性の自殺者の増加」だ。
先日も「職場や家族に迷惑がかかる」という理由で、30代の女性が自死されたというニュースがあったばかりだ。
女性の場合、非正規雇用者が多くその職場の多くが、今回の「新型コロナ」によって打撃を受けた飲食業や小売・サービス業についている。
非正規であるために、このような状況になれば真っ先に解雇対象となってしまう。

雇用の不安と「社会に迷惑をかけた」という理由で、自死を選ぶ女性が増えている、というのは日本独特の社会風土によるところが大きいのでは?と、考えている。
日本独特の社会的雰囲気の一つが、「他者から視線を気にしやすい」というところがあると感じている。
それが「感染症」等と結びつくとどのようなことになるのか?と言えば、ハンセン病患者を隔離するための法律「癇(らい)予防に関する法」や不良な子孫を断種させることを目的とした「旧優生保護法」のような、国が作る差別を生むことになる。

「社会に迷惑をかけた」という理由で自死された女性が恐れていたのは、このような「他者からの差別を含んだ視線」に耐えられなかったのではないだろうか?
このような「他者からの差別を含んだ視線」に対して、敏感な人たちにとって「新型コロナ」に感染することはもちろん、生活保護を受けるなどは耐えられないことなのだ。

このような社会風土的なことを勘案した上での「過料」という発想ということなのかもしれないのだが、現実の問題として「医療崩壊」が進み、入院どころかPCR検査にまでたどり着けずに亡くなり、その後「新型コロナに感染していた」ということが判明するケースが増えている状況なのだ。

このような状況を考えれば、政府として行うべきことは「医療体制を整える」ということと、「感染陽性者」や「医療者」に対する偏見に対する何らかの対策ではないだろうか?
連日発表される「感染陽性者数」や「重症者数」、「死亡者数」等を見ると、どこか不自然な数字だと感じることが多くなってきた。
その的外れな法改正よりも先に、行うべきことがあるのではないだろうか?


政府の発表に疑心暗鬼になってしまう

2021-02-02 21:25:07 | 徒然

今日、菅総理が「11都府県に出している緊急事態宣言を延長する」という記者会見をした。
朝日新聞:緊急事態宣言、3月7日まで延長 首相「はっきり効果」

確かに昨日発表された東京都の「新型コロナウイルス感染陽性者」は、400人を切っていた。
今日は昨日よりも増えたが、1000人を超えるような数字ではない。
このような数字だけを見ていると、「緊急事態宣言」の発令によって効果があった、ということになると思う。
思うのだが、どこか疑心暗鬼なところがある。
というのも、昨年春の長期にわたる「緊急事態宣言」により、相当数の感染陽性者の数が減ったからだ。
感染陽性者が減ったからこそ、「緊急事態宣言」を解き、「Go TOトラベル」を皮切りに「Go Toキャンペーン」を実施したはずだ。
ところが「Go Toキャンペーン」を切っ掛けに、感染陽性者が全国各地に拡大し、それまで感染者数が少なかった地域でも急激な感染陽性者数となってしまった。

このような経過があり「緊急事態宣言」をし、感染陽性者数が減ったのは「自粛生活」を再び開始したため、「濃厚接触などの機会が減った」ということが要因であって、根本的な減少と言えるのか?という、疑問を感じている、ということなのだ。
「緊急事態宣言」を解くと、再び「感染陽性者」が爆発的に、増えてしまうのではないだろうか?
「同じ轍を踏む」という言葉があるが、今の政府の行っていることを見ると、この言葉を思い浮かべてしまうのだ。

というのも、「緊急事態宣言を解く」という基準などが、明快に示されていない、という点がある。
昨日の「東京都の感染陽性者数の減少」に関しても、PCR検査数に対してどれだけの感染陽性者数だったのか?という、数字ではない。
単に「感染陽性者数」だけを発表し続けている現状では、10,000人のPCR検査数に対して、400人の感染陽性者数だったのか?1,000人のPCR検査数に対して400人の感染陽性者数だったのか?とでは、その数字の意味するものが全く違う。
そのような基本的なデータ公開がされず、「緊急事態宣言」の効果があったというのでは、「数字のめくらまし」でしかない。

拙ブログでも再三書いてきていると思うのだが、政府はそろそろ「収束宣言の為のロードマップ」を公開し、感染陽性者数だけではなく、対PCR検査数などを基にしたデータによる「判断基準」を示す時期に来ているのではないだろうか?
「同じような内容を繰り返すだけ」の会見に、そろそろ飽きてきたのが生活者の本音のような気がするのだ。