随分前から始まった、名古屋駅周辺の再開発事業。
最初は、JR名古屋駅の建て替えだった(と記憶している)。
その後も名古屋駅をはさんだ大通りの向かい側にあった「毎日ビルと豊田ビル」も解体され、その後建て替えられている。
そして「大名古屋ビルヂング」も建て替えられ、すっかり名古屋駅周辺は昭和の面影が亡くなってしまっている。
そのような名古屋駅周辺の中で、唯一昭和からある建物と言えば、名鉄百貨店と近鉄ビルかもしれない。
名鉄百貨店と言えば、「ナナちゃん人形」という名前で親しまれている巨大な人型のモニュメント(?)がある。
季節折々、名古屋で開催されるイベントやプロ野球の開幕戦などに合わせ、衣装が変わることで度々話題を呼んでいる。
ある意味、名駅のランドマーク的存在、と言っても過言ではないと思う。
この「ナナちゃん人形」を運営・管理しているのが名鉄百貨店本店なのだが、その名鉄百貨店本店が2026年に閉店するという。
日経新聞:名鉄百貨店、名古屋駅前の本店26年春に閉店へ 再開発加速
確かに、名鉄百貨店本店は、JR名古屋駅に併設している高島屋や栄の三越などに比べ、ターミナル百貨店としてそれなりに集客力はあるとはいえ、現在のJR名古屋高島屋ができたことで、集客に苦戦しているのでは?という、印象を持っていた。
とはいえ、名鉄百貨店の強みはターミナル百貨店ということで、名鉄電車を利用する人達にとっては「買い物しやすいデパ地下」という場所でもあったような気がする。
何故なら、百貨店の売り場から地続きで名鉄電車の改札に行けるからだ。
百貨店と改札に通じる通路に扉そのものが無い、というやや特徴的なつくりをしているのが、名鉄百貨店本店でもあるのだ。
そのような特殊な造り方がされている名鉄百貨店を閉店し、再開発ということになると名鉄電車の利用者は不便になるだろうな~と、想像する。
それどころか隣接する近鉄ビルも一緒に閉店するのでは?という、気すらしてくるのだ。
というのも、名鉄電車・名鉄百貨店・近鉄ビルは全て地下通路で繋がっており、至極便利が良い。
その一部が閉鎖されるとなると、買い物客ではなく電車の利用者の利便性が悪くなることが、目に見えているからだ。
これまでJR名古屋駅や毎日ビルと豊田ビルの建て替えが、不便ではあるが思いの他問題なく進めることができたのは、乗り継ぎの駅と直結していなかったからだ。
名鉄百貨店の収益に関しては、様々なコトが言われてきたのは事実だ。
何より、少し離れたところにあった「名鉄レジャック」という、ゲームセンターや飲食店を集めたビルも閉館し、取り壊されている。
もちろん、建物の老朽化も取り壊された大きな理由だと思うのだが、やはり名古屋駅周辺の再開発という理由の方が大きかったのではないだろうか?
とすれば、名鉄百貨店本店の閉店は、一つの事業の終わりというだけではなく、名古屋駅全体の再開発の最終プランのような気がする。
ただ、名古屋市民だけではなく、名駅利用者から愛されてきた「ナナちゃん人形」の今後が気になる方々は多いのではないだろうか?
2日ほど前、Uberタクシーが「子ども送迎サービス」を始める、という話題を、FM番組で知った。
日経新聞:ウーバー配車、未成年も利用可能に 習い事の送迎など
Uberと言えば、Uber Eatという、いわゆる「出前」を手始めに、最近では配車なども手掛ける様になってきている。
とはいえ、Uberのドライバーはタクシードライバーとは違い、国土交通省から認可されたタクシー事業者ではない(と、認識している)。
個人的には、「配車サービスは、国土交通省から認可された事業者のタクシーに乗りたい」という気持ちの方が強い。
料金のこともあるのだが、やはり「道を知っている」という点では、タクシー事業者の方が安心できるからだ。
ただ、Uberも配車サービス事業に参入したのは、「タクシー不足を解消する」という目的で、政府が進めている「ライドシェア」事業を見据えた事業展開ということなのだと思う。
「運ぶ」という点では、人も物も同じだからだ。
人を乗せるのであれば、それ相応の安全運転が求められるので、ライドシェア事業を展開するのであれば、「ゴールド免許保有者」等の条件が必要となるだろうし、そのような条件を設けずに事業展開するのは、リスクが大きい気がする。
そのような「タクシー不足」を解消する為の「ライドシェア」であり、UberTaxiということになると思う。
その延長線に「子ども送迎サービス」があると思うのだが、この「子ども送迎Uber Taxi」の需要は高い気がしている。
それは都市部の「中学受験」の為に小学生が夜遅くまで塾で勉強することが、当たり前のようになりつつあったり、逆に地方で小・中学校の統廃合により、通学時間が伸び、部活動の帰りが遅くなる、ということが考えられるからだ。
都市部・地方関係なく「子どもの帰り時間が遅くなる傾向がある」とすれば、「Uber子どもお迎え配車サービス」の需要があると考えられるからだ。
だからと言って、Uberやライドシェアのようなサービスにまかせっきり、というのもどうなのだろう?
都市部における夜遅くまでの塾通いはともかく、地方では「地域社会が子どもたちを守る」という意識を持ち、「地域のライドシェア事業」として、地域住民主体で行う、という方法もあるのでは?
日ごろ顔を見る近所のおじさんやおばさんが、迎えに来てくれる方が利用する親も子どもも安心するような気がするのだ。
そのような「地域住民主体のライドシェアサービス」の運営ができれば、その地域全体に住む人達も増えるだろうし、新しいコミュニティーの手段となるのでは?
「Uber配車サービス」そのものは、これまでのタクシー事業者が事業展開できなかった「ニッチ」なビジネスかもしれない。
ただ、その「ニッチ」なビジネスを、地域社会で行うということがあってもよいのでは?という、ことなのだ。
日本時間の昨日、ノーベル賞授賞式が行われた。
各部門の受賞者たちが、受賞スピーチをすることが慣例になっている。
世界でただ一つの核兵器による被害国であり、長い間「核兵器廃絶」を訴えてきた、日本被団協の受賞スピーチは万雷の拍手が送られたようだ。
Reuters: 「次の世代が運動の継承を」日本被団協、ノーベル平和賞受賞演説 「核のタブー」弱体化に危機感
日本の報道機関のニュースサイトでは、Reutersほどの動画が無かった(あるいは、有料サイトとなっている)為、全スピーチを見ることができないのが、残念だ。
このスピーチには、広島・長崎で起きた被ばく体験の話だけではなく、現在も世界で進行している様々な紛争や戦争に対しても、言及している点がとても今日的である、という点でも大きな意味を持っていたのでは?と、感じている。
ただ被爆国・日本にとって、このノーベル平和賞の受賞は手放しで喜べるモノなのだろうか?
それを考えさせられるのが、授賞式でスピーチをした田中さんの「日本政府は、原爆犠牲者に対して補償をしてこなかった」と、2度繰り返した点だ。
焦土と化した戦後の日本において、犠牲者に対する政府としての補償など、手が回らなかった」ということもあるだろう。
被爆者に対して「被爆者手帳」の交付により、医療費などの優遇措置も、一つの「政府補償」と言えるのかもしれない。
戦後の日本において、被爆者や被爆者家族が社会的差別を受けた、という事実もあったはずだ。
何より、この時多くの親を失った子供たちの人生に何等かの補償をしてこなかった、というのもまた事実なのでは?
それを言ったら「戦争孤児全てが対象となるべきだ」という、考えも起きてくるだろう。
その事実が、今現在も世界で進行している市民を犠牲にした紛争や戦争の将来のツケともいえるのでは、ないだろうか?
一部の大人たちの都合によって多くの市民の生活が失われ、多くの犠牲者は生活力を持たない子供たちでもある。
その子供たちの未来の補償をどうするのか?
そのような想像力が、世界の権力者たちに求められているのではないだろうか?
世界が武力による不安が高まる時だからこそ、ノーベル賞委員会は、被団協を平和賞に選出したのではないだろうか?
今一度、核兵器に頼らない人間の英知による平和的解決が、未来への補償となる、ということを真剣に考える必要があると、ノーベル平和賞を訴えかけているように思うのだ。
一昨日、シリアのアサド大統領がロシアに亡命、というニュースがあった。
このニュースを聞いた時、中東そのものが(政治的に)大きく揺れているのか?という印象を持った。
実際、イラン・イラク・パレスチナの関係は、とても難しいモノがあり解決の道すら見えていない、という感じだ。
その一方で、シリアの情報そのものは、日本では乏しいモノだったような気がする。
その為、「反政府勢力がアサド大統領を亡命するまでに追いやった」というニュースを見た時、シリアもまた大混乱に陥るのでは?という、懸念を持ったのだ。
しかし、日本の大手メディア以外からの情報から読み解くと、実は長い間シリアの人たちはアサド一家の独裁政治によって、相当抑圧された生活を強いられていた、ということもわかってきた。
BBC News:【解説】アサド政権崩壊、シリアと周辺のパワーバランスはどうなるのか
このBBC Newsによると、さっそくイスラエルがシリアに攻撃を仕掛けているようだ。
BBC News:イスラエルがシリア各地で空爆との現地報道 化学兵器の研究施設も対象か
地図を見るとわかるのだが、先日まで秋篠宮ご夫妻が訪問していたトルコは、シリアの隣国という位置にある。
その為、トルコにはシリア難民が数多くいるはずだ。
シリアという国から逃げ出した人達の多くは、アサド大統領時代の抑圧から逃れてきた人たちも既に数多くいるのでは?と、想像するとトルコ政府としては、日本の皇族を快く迎えれられる状況ではなかったような気がする。
終始、かたい表情をされていたエルドラン大統領の心情は、心穏やかではなかったのでは?
もちろん、シリアと接する国の中でヨルダンのように、政治的に安定している国にとっても、今回のシリアでの出来事は大きな影響を与えることになるだろう。
そしてアサド大統領をロシアが受け入れたことで、ロシアの威信に打撃となっているのでは?という、指摘もされている。
BBC News:【解説】シリア・アサド政権の崩壊、ロシアの威信へ打撃
ロシアがアサド政権をバックアップする代わりに、シリア国内にロシア軍が駐留していたということを初めて知った。
おそらくロシアにとって、シリアにロシア軍を駐留させることで、イラン・イラク・イスラエルといった国々へ何等かの影響を与えることができるということよりもNATOをはじめとする西側諸国に対する牽制という目論みもあったのではないだろうか?
日本では、ウクライナvsロシア、あるいはイスラエルvsパレスチナということばかりに目が行っていたが、世界情勢はそれほど簡単なものではなかった、ということを改めて知った気がする。
そしてそのような「大国のバックアップを受けながら、紛争が続いている地域」が世界には数多くある、ということだろう。
このアサド政権崩壊の前には、韓国では大統領が「戒厳令」を出し、わずか数時間後に解除される、ということが起きている。
このことで尹大統領は、韓国内での政治的力を失いつつある。
来年、米国ではトランプ氏が大統領に復活する。
「国際政治が大きく揺れ動く年」が、まさに始まろうとしているのではないか?
その中で、日本はどのような舵取りをしなくてはならないのか?
与えられた課題は、とても難しく世界を見据えられる多眼的思考が求められそうだ。
先日、中山美穂さんの訃報が報じられた時、とてもビックリした。
まだまだ50代とお若く、美しい女性の突然の訃報だったからだ。
しかも亡くなられた場所が、自宅浴室ということで、私の周囲では「ヒートショックだったのかな?」という話で、もちきりとなった。
ご存じの通り「ヒートショック」は、浴室と脱衣所や浴室に通じる廊下などとの温度差があることで、起きる事故だ。
寒い脱衣所や廊下から、あたたかな浴室に入ることでそれまで縮こまっていた血管が、急激に広がる為血圧が急上昇し、循環器に影響を及ぼす、という症例だ。
しかし、このような浴室と他の屋内との温度差による「ヒートショック」だけではない、ということをXのポストで知った。
その方は、中山さんが亡くなる前に「ヒートショック」により浴室で倒れられた状況を詳しく書かれていた。、
要因となったのは「長風呂」だ。
ポストされた方の承諾を得ていないので、詳細を拙ブログで書くことはできないが、ヒートショックで倒れた時は、助けを求める声すら出ない状況だったという。
このポストを読んだとき、「長風呂でヒートショックが起きるのか?」と驚いたのだが、もしかしたらヒートショックが切っ掛けで、循環器に影響を及ぼし、例えば心筋梗塞などを起こしてしまったのでは?と、考えたりした。
もう一つ考えたのが「溺死」だ。
実は、私も時々やってしまうのだが、お風呂に入っている間に気持ちよくなり眠ってしまう、ということがある。
ほとんどの場合は、口や鼻にお湯が入ることで自分が眠っていた事に気づくのだが(私の場合は、このパターン)、中には気づかず眠ったままお湯を飲みこみ溺死してしまう、という。
そして冬の入浴事故は、交通事故の2倍らしい。
交通事故は、いろいろなところで「交通安全」という言葉とともに注意喚起が常にされているが、入浴時の事故の注意喚起が十分ではないと感じるのは、季節的なものということもあるだろうし、事故対象者が高齢者が多いという限定的なイメージがあるからだろう。
今回の中山さんの事故は、高齢者でなくてもこのような事故は起きる、ということだろう。
因みに、政府広報に「冬の入浴事故」についてのコンテンツがあったので、紹介をしておくのでお時間のある方は、ご覧いただきたい。
政府広告:交通事故死の約2倍?!冬の入浴中の事故に要注意! (コンテンツ内に動画あり)
SNS界隈で話題になっているらしい「万引き自慢」。
ことの発端は、ある音楽評論家の方のプロフィールからだった。
Modelpress:音楽評論家、突如レコード万引きの過去を語り出して炎上「犯罪自慢ダサすぎる」と怒りの声も…
この音楽評論家のプロフィールを拝見すると、私と同世代ということが分かった。
とすれば、おそらく聴いてきた音楽なども似たようなモノだったのだろうな?と、想像がつく。
中学・高校と洋楽ファンであった私だが、欲しいレコードがあるからと言って万引きをする、という発想は一ミリも無かった。
というよりも、音楽そのものが好きでその音源であるレコードはとても大切に扱うべきモノだったし、大切なモノだからこそ自分のお小遣いで買いたかった。
もちろん、限られたお小遣いから自由に買える訳ではないので、1枚のレコードを買うことそのものもアレコレと考え、買っていた。
だからこそ、欲しかった1枚のレコードを手にしたときの嬉しさは、とても大きく大切に聴き込んだものだ。
今のようなサブスク時代の聴き方とは、全く別の聴き方をしていた時代でもあったのだ。
だからと言って、サブスクで音楽を楽しむコトを否定する気はないし、とても便利な時代になり好きな音楽を好きなだけ楽しむことができることが、うらやましいと感じることも多々ある。
そして気が付いたのだが、時折このような「若いころ、こんな悪いことをしていたんだぜ!」というような、「昔の不良自慢」をするオジサン(時にはオバサンもか?)が世間をにぎわす。
「にぎわす」というよりも、「炎上する」といった方が良いのかもしれない。
「炎上」理由は、「不良自慢の内容」が、「窃盗」であったり「恐喝」や「脅迫」といった、犯罪行為だからだ。
簡単に「万引き」や「いじめ」と言っているが、「万引き=窃盗」であり、「いじめ=恐喝や脅迫」といった、れっきとした犯罪であり、被害者の立場に立てば、許されるべきことではない。
にもかかわらず、何故「昔の不良自慢」をするのだろう?
その心理は、どういったことなのだろうか?
アゴラ:男はなぜ「オレって昔はワルでさ」みたいな自慢をするの?
アゴラで紹介されている記事は、半分書籍のPRを兼ねているとしても、どうやら「昔の不良自慢」の背景には、「不良をしていた頃の自分は、カッコよかった」という思い込み心理のようなモノがありそうだ。
それを単純に「男性脳」と言ってしまうことに、疑問もない訳ではないのだが、ある種の「征服欲」のようなモノなのだろう。
「何としても手に入れたい!」→「自分が手に入れなくてはいけない」→「手段を選んでいる場合ではない」という感じなのだろうか?
女性の場合は「マントを取りたい(=相手に対する支配欲)」ということなのかもしれない。
そう考えると、この「万引き自慢」をした音楽評論家の方は、還暦を過ぎるようなオジサンになっても、思考がお子様以下なのだろう。
むしろ、理性ではなく本能に近い感覚しか持っていないのかもしれないし、「相手を思う想像力(創造力)も欠如している」のだろう。
それで音楽評論(音楽を創り出した人や音楽を評論する)と名乗るのは、辞めていただきたい(というのが本音だ)。
今年の夏も残暑が厳しかった(ようだ)。
(ようだ)としたのは、例年であれば「残暑」と言われる時期を、自分の不注意から入院生活を送ることになってしまったため、実感していないからだ。
それでも私が退院をした10月17日は、名古屋の最高気温が30℃超えだった。
その為、8月下旬に入院をしたときの服装で帰宅しても、肌寒さどころか暑い位だった。
そして「地球温暖化」どころか「地球沸騰化」を実感したのだった。
もう一つ入院中、世間で話題になっていたのが「手足口病」と呼ばれる、感染症が流行していたことだ。
感染者のほとんどは、子ども達でその症状も比較的軽い(というべきか?)為、多くの場合は経過を診る、ということになるようだ。
厚労省HP:手足口病
そして主な流行期は、夏のようだ。
厚労省のHPにある写真を見て、「あ~~私も子供のころになったことがあるかも?」という、印象を持った。
その「手足口病」の流行がおさまりつつあると思ったら、今度は「マイコプラズマ肺炎」が、流行しているらしい。
それだけではなく、今年の秋は寒暖差が激しい為「インフルエンザ」も大流行の兆し、という話も聞く。
このように、通年で「感染症が流行する」ということが、最近増えているという話を、今朝のFM番組でも話していた。
確かに、「新型コロナ」に始まり「インフルエンザ」、子どもが主な感染者とはいえ「手足口病」があり、「マイコプラズマ肺炎」となると、私たちの生活は「感染症とともに生活をしている」という、状況になりつつある、ということになる。
この背景にあるのが「地球温暖化」の影響がある、と言われている。
季節感が無くなりつつあるだけではなく、「手足口病」のように夏場に流行する感染症は、残暑が長くなることでその流行期間は長くなる。
逆に「インフルエンザ」等は、夏場ではなく急激な寒暖差が起き始める晩秋から冬にかけ、流行するので、まさに今年の気候状態が感染流行のパターンに当てはまる、ということになってしまうのだ。
もう一つ指摘されているのが、「新型コロナ対策」が長引いたことで、成人の中には結果として「インフルエンザや風邪の抗体を得られずにいる可能性」も指摘されているらしい。
確かに、日本は諸外国に比べワクチン接種回数も多く、徹底した「感染予防対策」を行ってきた。
その結果として、毎年のように得られた「(初期の風邪になることで得られたであろう)ウイルスの抗体」が、得られないまま現在のような状況になっている、という指摘だ。
この「ウイルスの抗体を得られない」という問題に関しては、様々な意見があるとは思うのだが、少なくとも「地球温暖化」によって日本の四季が失われると同時に、夏に流行する感染症の感染期間が延び、体が冬に向かう用意ができないまま、冬になり「インフルエンザ」のような冬に流行する感染症が一気に流行する、という考えは的を得ているような気がしている。
そしてこのように季節性だった感染症が、次から次へと通年で起きる現象を「感染症ドミノ」と呼ぶようだ。
問題なのは「感染症ドミノ」という状態は、常に体内に何等かの感染症の原因を持ち続け、体力や免疫力を著しく落としている、ということでもある。
「地球温暖化」による感染症リスクとしてこれまで指摘されてきたことは、これまで熱帯地域で発生していた感染症が、これまで感染症が発生していない地域にまで拡大する、という問題だった。
もちろん、この問題も大きなリスクであることには違いないが、「感染症ドミノ」という状況は今の日本にとって対策を急ぐ必要があり、このような視点から「地球温暖化」を考えることも重要なコトかもしれない。
昨夜、寝る頃にスマホの通知音が鳴り、何ごと?と思い画面を見ると、韓国大統領が「非常戒厳令」を出した、という内容だった。
その時は、「非常戒厳令」が出されたという事実だけで、その詳細が分かっていなかった様だったので、そのまま寝てしまった。
そして今朝、「あれからどうなったのだろう?」と思って、スマホのニュースを見ると、「非常戒厳令」が解除されていた。
思わずスマホの画面を見ながら「どういうこと???」と、つぶやいてしまったのだが、海外で「非常戒厳令」が出される時というのは、国内事情が大混乱に陥っている時に限られていた(ように思う)。
例えば、未曾有の大災害が起こり、都市機能が失われ、市民生活が大混乱に陥り政府も統制することが難しいと判断した時や、クーデターが起きた時だ。
とすれば、今回の「非常戒厳令」が出されたということは、韓国内でクーデーターでも起きたのか?ということしか、思い浮かばなかった。
その割には、翌朝には解除されるということも、異常な状況のように感じていた。
時間が経つにつれ、この「非常戒厳令」が出された背景が見えてきたのだが、それにしてもこの宣布の判断は早急過ぎたのでは?という気がしている。
朝日新聞:韓国大統領が「非常戒厳」を宣布 官僚の弾劾訴追で「行政府がまひ」
良く知らなかったのだが、現在の韓国は少数与党対野党、という状況になっているようだ。
与党が圧倒的多数であれば、強硬的な政治運営ができるし、それだけ大統領の政治的力も強くなる。
しかし少数与党という状況は、何事においても「野党との話し合い」が不可欠となる。
何故なら、それが「民主主義」の基本だからだ。
そこに、与党にとっての重要な後ろ支えとなる官僚が弾劾訴追を行う、ということになれば、一時期的でも政治は混乱するだろう、ということは暗に想像することができる。
問題なのは、だからと言って簡単に「非常戒厳令」を出す必要があるのか?という点だ。
実際、今回の「非常戒厳令」は国会で「解除要求決議」を突き付けられ、宣布後わずか6時間で解除されている。
深夜の宣布だったこともあり、おそらく韓国国内の生活者は、大きな混乱もなく今も過ごしているのでは?と、思っているのだが、「非常戒厳令」そのものは、軽々しく宣布するものではない。
上述したように、諸外国の例のように「国民(あるいは市民)の生活基盤が、自然災害で失われるような状況」か「クーデーターが起きた時」のような、国としての機能が失われ、国民(あるいは市民)の生活が危機的状況に陥った時、に宣布されるものだからだ。
尹大統領からすると、自分自身の政治家生命に対する危機的不安があったのかもしれないし、その官僚による弾劾訴追を支持していたのが韓国軍だったのかもしれない。
尹大統領からすれば「軍によるクーデーターが、企てられた」という、気がしていたのかもしれないのだが、それにしてもヒステリックな判断だったのではないだろうか?
ご存じの通り日本の政治も「少数与党vs野党」という状況になっている。
政治評論家の中には、「国会運営がスムーズにいかず、心配される」と言われる方もいらっしゃるようだが、「少数与党vs野党」という構図だからこそ、国会という場で現在日本が抱える様々な問題を真剣に議論できるのでは?
以前のような「自民一強」という政治は、民主主義という視点から考えれば、決して健全なモノではなかったのでは?
今回の韓国の尹錫悦大統領の「非常戒厳令」の宣布は、勇み足だったというだけではなく「民主主義とは何か?」ということを、改めて考えさせられる出来事だったように思う。
10月に兵庫県議会で、不信任を突き付けられた斎藤元彦さん。
斎藤さんが選んだのは、辞職をし再び選挙で兵庫県民から信託を得る、ということだった。
結果については、ご存じの通り。
斎藤元彦さんが再選され、何ごとも無ければ今後4年間、県知事としての職務を全うする、ということになる。
ここまでが、斎藤知事再選の大まかな流れ、ということになるのだが、再選されたとたん再び問題が起きている。
NHK ニュース:兵庫 斎藤知事 陣営のSNS運用 違法性否定認識示す
今回の出直し選挙に関して、斎藤知事がSNSを活用して、若い有権者層を取り込み、選挙に勝った!と言われてきた。
選挙期間中、そのSNSを使い斎藤さんは選挙に勝った!と、言われている。
このことから、今回の出直し兵庫県知事選は、これまでの選挙活動では、若い有権者を取り込むことが難しい、ということが分かる選挙結果だと言われている(拙ブログでも紹介済み)。
今や選挙であってもSNSを上手に活用することは、これまでのような辻立演説や選挙カーでの活動では、難しいということが分かった選挙でもあった。
かつて、米国でケネディー大統領候補とニクソン大統領候補の間で行われた「テレビ公開討論会」に好印象を与えた、ケネディーが勝ったということがあった。
そのようなコトがあってから、米国の選挙では「テレビ討論会」に力を入れるようになった。
テレビ写りから、討論会で着る衣装やネクタイなどの小物に至るまで、立候補者のパブリックイメージを良くし、対立候補者との違いを鮮明に打ち出すことで、選挙を優位に運ぶことが、選挙を左右する重要ポイントだという、認識が生まれたからだ。
とすれば、今回の斎藤さんのSNSの活用そのものは、次世代の選挙活動のやり方として、注目されるはずだ。
そして今回も疑惑は、そのSNSの運営を任せていたPR会社に報酬を支払ったのでは?というモノであり、それが選挙法違反になるのでは?ということのようだ。
確かに、選挙の支援はボランティア頼み、というようなところがある。
与党である公明党などは、支持母体である創価学会から人が動員され、動員されなくても自主的に有権者への声掛けなどを積極的に行っている。
果たして、そのような「ボランティア型の選挙支援」が、今後も続いていくのだろうか?
そんな疑問も感じている。
それにしてもこれほど、問題を起こす知事というのも珍しい気がする。
辞任理由となった「パワハラ問題」に関しては、きちんと調査をし、県民に報告する必要があると思う。
ただ、選挙活動に関してはこれまでとは全く違う流れをつくった、という点で各政党は考える必要があると思う。
明日から、マイナンバーカードに健康保険証の紐づけ(=マイナ保険証)が、本格的に動き出す。
と言っても、拙ブログに来てくださる方でマイナ保険証を持ち、そのマイナ保険証を持ち、使われている方はどのくらいいらっしゃるのだろう?
私自身は、マイナンバーカードそのものを持っていないので、当然マイナ保険証は持っていない。
理由は、これまでマイナンバーカードにまつわる様々な問題が、解決されたという報道がされていないからだ。
逆に、マイナ保険証に関しては、使いにくいとか暗証番号などを忘れたために、使えない高齢者が多い、等の話が数多く見受けられる。
このような報道を見る度に「マイナンバーカードにおける、政府の責任所在の無さ」を実感している。
そのため、「健康情報」という、極めて個人的情報の塊のような内容が流出してしまうのでは?と、不安になる、というのもマイナンバーカードをつくらない理由ともなっているからだ。
そのような不安を解消するどころか、今度は運転免許証もマイナンバーカードと紐づけさせる、ということが進んでいるようだ。
政府の考えとしては、将来的には国民生活にかかわる様々な情報をマイナンバーカードで一元管理する、ということなのでは?と、思っている。
なぜ生活にかかわる様々な情報を政府が一元管理しなくてはならないのだろうか?
流石に、スーパーでの買い物などに関しては関係ないと思うが、銀行や証券会社を通した個人資産を把握などの目的もあるのか?等、これまでマイナンバーを知らせてきた先を考えると、なんとも息苦しさを感じてしまうのだ。
個人が尊重されないというか、自由さが奪われそうな気持になってしまうのだ。
大袈裟な感じ方なのだとは思うのだが、矢継ぎ早に様々な個人情報の一元化を進めようとする政府に対して、その先にある政府の考えはどこにあるのだろう?と、気持ち悪さと怖さのようなモノを感じてしまうのだ。
この利用者が拡大していないと思われる「マイナ保険証」だが、何故「健康保険証にマイナンバーを付加する」という発想が無かったのだろうか?
例えば、企業に勤めている方なら「マイナンバー」の番号を確認されているのでは?
当然、マイナンバーを確認されるということは、年金や保険証などとも連動するようになっているのでは?
本人確認としてマイナンバーが登録されているだけではないと思うのだ。
とすれば、いちいちマイナンバーカードをつくり、保険証と紐づけさせる労力と時間は全くの無駄な作業、ということになる。
と同時に、既に構築されているオンラインシステムに付加するだけなので、治療歴や投薬記録などもスムーズになると思うのだ。
足首骨折という、ありがたくない経験をした中で感じたことは、日本の「皆保険制度」はとてもよく出来た制度で、世界に誇れる社会保障制度だと実感した。
既にすぐれた制度があるのだから、その制度を充実拡大する、ということを考えるのであれば、上述したように「健康保険証にマイナンバーを登録する」という方法の方が、確実で利便性も高いのではないだろうか?
それは今後「運転免許証を紐づけさせる」ということも同じで、「免許更新時に運転免許証のICチップにマイナンバーを登録させる」ことで、様々な負担が減るのでは?
マイナンバーカードありきではなく、もっと「使い易さと安全性」を考えた、逆転の発想は無かったのだろうか?