時刻は午後4時30分をとうに回っている。「ペア将棋体験コーナー」は4時までの予定だったが、船戸陽子女流二段、大庭美樹女流初段はそれぞれパートナーをチェンジして、まだ続けていた。おふたりの熱心さに頭が下がった。
藤森奈津子女流三段が、
「こんど陽子ちゃんと組んでペア将棋に出たら?」
と、おかしなことを言う。夢物語、架空の話である。これを本気で行使しようと思ったら、100万円の出費は下らないだろう。
「いや、船戸先生と私とでは、棋風が違うからムリです」
「…えっ? …あっ、ペアの組み合わせは抽選なんですって。残念、一公さん」
近くにいた人からペア組み合わせのルールを聞いて、藤森女流三段はマユをひそめて言った。
「……。ほかの人とペアになったら意味ないですよね。あっ、でも藤森先生とならボクは喜んで指させていただきますよ」
私がそう言うと、藤森女流三段は永遠のアイドルの笑顔を見せた。私の話術もまずまずといったところか。
他愛ないおしゃべりの間にも、準決勝2局の将棋は動いていた。藤田麻衣子女流1級・鈴木貴幸アマ×中倉宏美女流二段・伊藤康晴アマ戦は、自玉に受けがなくなった中倉・伊藤ペアが相手玉へ王手ラッシュをかけている。
中井広恵天河・宮原洋介アマ×石橋幸緒女流四段・馬上勇人アマ戦は、中井・宮原ペアがじりじり差を拡げ、収束を図った。
藤田~中倉戦は、観客が盤の周りを囲っている。気持ちは分かるが、これはよくない。先月の「大阪1dayトーナメント」の一部の観客より、観戦マナーが悪い。
そんな中、王手ラッシュを余した藤田・鈴木ペアが、中倉・伊藤玉を即詰みに討ち取った。時に4時51分。そしてその3分後、中井・宮原ペアも、石橋・馬上玉を討ち取り、それぞれ勝ち名乗りを上げた。
こうしてみると、私が先月28日に書いた、「絶対に絶対に絶対に勝ってもらいたい2ペア」が決勝進出を果たしたことになる。もっとも、ここまで勝ち進んでくれなくてもよかったのだが…。
ともあれ決勝戦は、LPSAとしては、女流六段・タイトル保持者に女流1級が挑む構図となった。
対局は引き続き、室内中央で行われる。5時18分、中井・宮原ペアが先手番を引き、ついに決勝戦の火ぶたが切って落とされた。
序盤の解説は松尾歩七段、聞き手は松尾香織女流初段。夫婦での解説は意外に珍しい。
将棋は居飛車党ペアの組み合わせとなったので、矢倉模様となった。
室内のうしろでは、船戸女流二段と島井咲緒里女流初段が、こんどは「どうぶつしょうぎ」のリレー対局をしている。船戸女流二段にちょっと元気がなさそうな気がする。
盤上では、中井・宮原ペアが、角で3筋の歩を交換した。対して藤田・鈴木ペアが☖4四銀とぶつける。米長流急戦を目指しているようだ。LPSA女流棋士は、絶対に指さない戦法である。それに中井・宮原ペアがカチンときたか、☗2四歩と行ったから、いきなり大決戦になった。
松尾歩七段が、
「これは定跡にあるんですよ。(香織さんは)知ってますか?」
と問う。すると香織女流初段が、
「もちろんです」
と、当然のように応える。夫婦解説ではなく、夫婦漫才だったらしい。
藤田・鈴木ペアが☖4二金と寄ったところで、5時31分、中井・宮原ペアが相談タイムを取る。私には先手がうまく指したように見えるが、どうなのだろう。
解説が三たび鈴木大介八段に代わった。聞き手は船戸女流二段が務める。船戸女流二段は、予選1回戦では右端で私に背を見せていたし、2回戦は私が外出していた。本日やっと船戸女流二段を観賞できる感じだ。
多田佳子女流四段が午後から見え、いまは中倉女流姉妹と談笑している。とくに用事もないと思うが、こうして顔を見せていただけるのはありがたい。
局面は佳境を迎えている。藤田・鈴木ペアが名角を放ち、先手の攻め駒を責める。なんだか後手が有望に思えてきた。
将棋盤前の席に座っている植山悦行七段が、
「☗2四歩なんて指すからだよ」
と、ぶっきらぼうに言う。この手を指したのは中井天河だ。対局者に聞こえてしまったのではないかとハラハラする。私は知らない。
5時40分。島井女流初段が、今度は観客のひとりに「どうぶつしょうぎ」のルールを教えている。大庭女流初段は、再び30秒ペア将棋を始めた。こうした地道な普及がやがて実を結ぶ。事実島井女流初段と指していた男性は、その後LPSAファンクラブ「Minerva」へ入会したようだ。島井女流初段のヒットである。
局面――。
「こういうのはペアの相手の心理状態を読んであげることも大事なんですよね」
と鈴木八段が言う。その点では、この2ペアは及第点であろう。読みの波長が合っている。またそうでなくては、決勝に進出できない。
5時42分、☗4六同銀の局面で、藤田・鈴木ペアが相談タイムを取る。これが終われば、ノンストップで終局まで進行する。
将棋は藤田・鈴木ペアが依然優勢だ。しかし藤田女流1級には、「初優勝へのふるえ」がある。中井天河は「仕方ない」という手つきで指しているが、鈴木八段の言う「死んだフリ攻撃」もあり、藤田・鈴木ペアも油断はできない。
6時すぎ、藤田・鈴木ペアが☖6二香と受ける。落ち着いている。それから☖9二桂~☖8二香と、今度は先手の馬をシャニムニ責めた。馬を責めることが自玉を安全にすると同時に、敵玉の攻めにもなっている。いよいよ大勢決したのではないか?
130手目、☖9七金と王手。ここで中井・宮原ペアが投了し、藤田・鈴木ペアの嬉しい優勝となった。
…と、ここでいつもなら拍手が起こるのだが、対局が室内中央で行われていたため、生で観ていた観客も少なく、拍手をする雰囲気ではなかった。結果、公開対局では珍しい、静かなフィナーレとなった。
やがて終局の報が解説者に届き、決勝戦を戦った4名が前方に立つ。ここでようやく拍手が起こった。早速ミニ感想戦が行われたが、焦点はやはり「☗2四歩」の是非である。
中井天河は思い切りよく、行っちゃえ! という感じだったようだが、殊勲の鈴木アマは、☗2四歩からの攻めは無理、と書かれた佐藤康光九段の著書を読んだ記憶があったそうだ。トップアマはそんな定跡まで勉強しているのか。いやはや恐れ入った。
ともあれ両雄は全5局を居飛車で通し、4局に急戦を採用、実にキビキビした戦いだった。お互いが持ち味を十分に出しつつ読みを補完し合い、まるでひとりで指したと錯覚するような、堂々たる優勝であった。
注目の決勝戦進出ペア2組を当てた観客は、わずか1人。これも大殊勲である。
表彰式では、藤田女流1級・鈴木アマに、藤森理事から表彰状が手渡された。藤田女流1級は、プロ入り後初めての優勝の賞状である。その思い、いかばかりだったか。棋戦の大小にかかわらず、「初優勝」は感動を伴う。いつの間にか目頭が熱くなっている自分がいた。
喜びのコメントでは、藤田女流1級が、
「将棋はいつもはひとりで指しますが、今回はパートナーがいたので安心して、とても落ち着いて指すことができました。指してみて、ペア将棋はふつうの将棋と180度違うと実感しました。
ペアのゲームは、囲碁界ではかなり打たれてますが、将棋はまだまだです。ぜひ皆さまも、気の合った方々と、ペア将棋を楽しんでみてください」
という意味の言葉を述べた。「どうぶつしょうぎ」育ての親のひとりでもある藤田女流1級にふさわしい、コメントの場だったと思う。
また鈴木アマは、昨年のペア戦では、中井天河とペアを組んだそうだ。そのときのプレシャーといったら、パートナー、期待度、作戦などが複雑に絡み合って大変だったそうで、それに比べ今回は、自然な気持ちで指せたことが勝因と心情を吐露し、観客の爆笑を誘っていた。これもペア将棋ならではの感想である。
6時30分すぎ、「第3回ペア将棋選手権」は無事終了。来年のペア将棋も、たぶん私は観戦に行くのだろう。またそのときが来るのを、楽しみにするとしよう。
藤森奈津子女流三段が、
「こんど陽子ちゃんと組んでペア将棋に出たら?」
と、おかしなことを言う。夢物語、架空の話である。これを本気で行使しようと思ったら、100万円の出費は下らないだろう。
「いや、船戸先生と私とでは、棋風が違うからムリです」
「…えっ? …あっ、ペアの組み合わせは抽選なんですって。残念、一公さん」
近くにいた人からペア組み合わせのルールを聞いて、藤森女流三段はマユをひそめて言った。
「……。ほかの人とペアになったら意味ないですよね。あっ、でも藤森先生とならボクは喜んで指させていただきますよ」
私がそう言うと、藤森女流三段は永遠のアイドルの笑顔を見せた。私の話術もまずまずといったところか。
他愛ないおしゃべりの間にも、準決勝2局の将棋は動いていた。藤田麻衣子女流1級・鈴木貴幸アマ×中倉宏美女流二段・伊藤康晴アマ戦は、自玉に受けがなくなった中倉・伊藤ペアが相手玉へ王手ラッシュをかけている。
中井広恵天河・宮原洋介アマ×石橋幸緒女流四段・馬上勇人アマ戦は、中井・宮原ペアがじりじり差を拡げ、収束を図った。
藤田~中倉戦は、観客が盤の周りを囲っている。気持ちは分かるが、これはよくない。先月の「大阪1dayトーナメント」の一部の観客より、観戦マナーが悪い。
そんな中、王手ラッシュを余した藤田・鈴木ペアが、中倉・伊藤玉を即詰みに討ち取った。時に4時51分。そしてその3分後、中井・宮原ペアも、石橋・馬上玉を討ち取り、それぞれ勝ち名乗りを上げた。
こうしてみると、私が先月28日に書いた、「絶対に絶対に絶対に勝ってもらいたい2ペア」が決勝進出を果たしたことになる。もっとも、ここまで勝ち進んでくれなくてもよかったのだが…。
ともあれ決勝戦は、LPSAとしては、女流六段・タイトル保持者に女流1級が挑む構図となった。
対局は引き続き、室内中央で行われる。5時18分、中井・宮原ペアが先手番を引き、ついに決勝戦の火ぶたが切って落とされた。
序盤の解説は松尾歩七段、聞き手は松尾香織女流初段。夫婦での解説は意外に珍しい。
将棋は居飛車党ペアの組み合わせとなったので、矢倉模様となった。
室内のうしろでは、船戸女流二段と島井咲緒里女流初段が、こんどは「どうぶつしょうぎ」のリレー対局をしている。船戸女流二段にちょっと元気がなさそうな気がする。
盤上では、中井・宮原ペアが、角で3筋の歩を交換した。対して藤田・鈴木ペアが☖4四銀とぶつける。米長流急戦を目指しているようだ。LPSA女流棋士は、絶対に指さない戦法である。それに中井・宮原ペアがカチンときたか、☗2四歩と行ったから、いきなり大決戦になった。
松尾歩七段が、
「これは定跡にあるんですよ。(香織さんは)知ってますか?」
と問う。すると香織女流初段が、
「もちろんです」
と、当然のように応える。夫婦解説ではなく、夫婦漫才だったらしい。
藤田・鈴木ペアが☖4二金と寄ったところで、5時31分、中井・宮原ペアが相談タイムを取る。私には先手がうまく指したように見えるが、どうなのだろう。
解説が三たび鈴木大介八段に代わった。聞き手は船戸女流二段が務める。船戸女流二段は、予選1回戦では右端で私に背を見せていたし、2回戦は私が外出していた。本日やっと船戸女流二段を観賞できる感じだ。
多田佳子女流四段が午後から見え、いまは中倉女流姉妹と談笑している。とくに用事もないと思うが、こうして顔を見せていただけるのはありがたい。
局面は佳境を迎えている。藤田・鈴木ペアが名角を放ち、先手の攻め駒を責める。なんだか後手が有望に思えてきた。
将棋盤前の席に座っている植山悦行七段が、
「☗2四歩なんて指すからだよ」
と、ぶっきらぼうに言う。この手を指したのは中井天河だ。対局者に聞こえてしまったのではないかとハラハラする。私は知らない。
5時40分。島井女流初段が、今度は観客のひとりに「どうぶつしょうぎ」のルールを教えている。大庭女流初段は、再び30秒ペア将棋を始めた。こうした地道な普及がやがて実を結ぶ。事実島井女流初段と指していた男性は、その後LPSAファンクラブ「Minerva」へ入会したようだ。島井女流初段のヒットである。
局面――。
「こういうのはペアの相手の心理状態を読んであげることも大事なんですよね」
と鈴木八段が言う。その点では、この2ペアは及第点であろう。読みの波長が合っている。またそうでなくては、決勝に進出できない。
5時42分、☗4六同銀の局面で、藤田・鈴木ペアが相談タイムを取る。これが終われば、ノンストップで終局まで進行する。
将棋は藤田・鈴木ペアが依然優勢だ。しかし藤田女流1級には、「初優勝へのふるえ」がある。中井天河は「仕方ない」という手つきで指しているが、鈴木八段の言う「死んだフリ攻撃」もあり、藤田・鈴木ペアも油断はできない。
6時すぎ、藤田・鈴木ペアが☖6二香と受ける。落ち着いている。それから☖9二桂~☖8二香と、今度は先手の馬をシャニムニ責めた。馬を責めることが自玉を安全にすると同時に、敵玉の攻めにもなっている。いよいよ大勢決したのではないか?
130手目、☖9七金と王手。ここで中井・宮原ペアが投了し、藤田・鈴木ペアの嬉しい優勝となった。
…と、ここでいつもなら拍手が起こるのだが、対局が室内中央で行われていたため、生で観ていた観客も少なく、拍手をする雰囲気ではなかった。結果、公開対局では珍しい、静かなフィナーレとなった。
やがて終局の報が解説者に届き、決勝戦を戦った4名が前方に立つ。ここでようやく拍手が起こった。早速ミニ感想戦が行われたが、焦点はやはり「☗2四歩」の是非である。
中井天河は思い切りよく、行っちゃえ! という感じだったようだが、殊勲の鈴木アマは、☗2四歩からの攻めは無理、と書かれた佐藤康光九段の著書を読んだ記憶があったそうだ。トップアマはそんな定跡まで勉強しているのか。いやはや恐れ入った。
ともあれ両雄は全5局を居飛車で通し、4局に急戦を採用、実にキビキビした戦いだった。お互いが持ち味を十分に出しつつ読みを補完し合い、まるでひとりで指したと錯覚するような、堂々たる優勝であった。
注目の決勝戦進出ペア2組を当てた観客は、わずか1人。これも大殊勲である。
表彰式では、藤田女流1級・鈴木アマに、藤森理事から表彰状が手渡された。藤田女流1級は、プロ入り後初めての優勝の賞状である。その思い、いかばかりだったか。棋戦の大小にかかわらず、「初優勝」は感動を伴う。いつの間にか目頭が熱くなっている自分がいた。
喜びのコメントでは、藤田女流1級が、
「将棋はいつもはひとりで指しますが、今回はパートナーがいたので安心して、とても落ち着いて指すことができました。指してみて、ペア将棋はふつうの将棋と180度違うと実感しました。
ペアのゲームは、囲碁界ではかなり打たれてますが、将棋はまだまだです。ぜひ皆さまも、気の合った方々と、ペア将棋を楽しんでみてください」
という意味の言葉を述べた。「どうぶつしょうぎ」育ての親のひとりでもある藤田女流1級にふさわしい、コメントの場だったと思う。
また鈴木アマは、昨年のペア戦では、中井天河とペアを組んだそうだ。そのときのプレシャーといったら、パートナー、期待度、作戦などが複雑に絡み合って大変だったそうで、それに比べ今回は、自然な気持ちで指せたことが勝因と心情を吐露し、観客の爆笑を誘っていた。これもペア将棋ならではの感想である。
6時30分すぎ、「第3回ペア将棋選手権」は無事終了。来年のペア将棋も、たぶん私は観戦に行くのだろう。またそのときが来るのを、楽しみにするとしよう。