昨年3月9日(月)の第2期マイナビ女子オープン挑戦者決定戦・中村真梨花女流二段と岩根忍女流初段(当時)の1局が行われてから1年近く。今年も2月16日(火)に、第3期の挑戦者決定戦が行われることとなった。
昨年の挑戦者決定戦では「1日スポンサー」になり、その激闘を間近で体感することができた。今年はスポンサーになる予定はなかったのだが、毎日コミュニケーションズ様から「挑戦者決定戦レポーター」の公募があり、熟考のすえ、申し込ませていただいた。その結果審査が通り、思わぬ形で、今年も挑戦者決定戦の場に足を運ぶことになったのだった。
決戦当日。午前中に仕事を済ませ、昼食を摂る時間も省き、いそいそと東京・将棋会館に向かう。集合場所は2階の研修室である。ほかのレポーターも揃い、午後12時45分、注意事項等の説明を受ける。
思えば昨年の7月15日(水)、私がいま説明を受けているまさにこの場所で、予選組み合わせの公開抽選会が行われたのだ。そのときは石橋幸緒女流王位(当時)対里見香奈・倉敷藤花(女流名人)という、タイトル保持者同士の対戦も組まれ、大いに盛り上がったものだった。
あれから7カ月が経ったのかと感慨にふけると同時に、私たちは今回けっこうな重責を担ったのだと、あらためて気を引き締めた。
抽選の綾はあったものの、数々の熱戦が繰り拡げられたすえ、勝ち残った女流棋士は、やはり実力者だった。今年の対局者は、斎田晴子女流四段と甲斐智美女流二段である。
斎田女流四段は過去に女流名人位を含むタイトルを4期獲得し、マイナビ女子オープンの前身であるレディースオープントーナメントでも、2回優勝の実績がある。
対する甲斐女流二段は元奨励会員で、2級まで昇級した。女流棋士に復帰してからは、棋戦優勝2回。しかし特筆すべきは第1期のマイナビ女子オープン5番勝負への登場で、惜しくも獲得はならなかったものの、準優勝は棋戦優勝に相当する実績である。
両者とも、昨年7月25日(土)に東京・竹橋のパレスサイドビルで行われた予選一斉対局からの参加で、ここまで5連勝。実に長い戦いだった。しかしそれも、本局に勝たなければ意味がない。
前期の挑戦者決定戦はともかく、第1期の矢内理絵子女流名人(当時)と甲斐智美女流二段の準決勝の相手はそれぞれ誰だったか、憶えている人は少ないと思う。タイトル戦に出なければ、その名前はすぐに忘れられてしまう。挑戦者決定戦は、タイトル戦に匹敵する大勝負なのである。
対局再開の1時すこし前、私たちは対局室への入室を、数分間だけ許された。
対局室は5階の「特別対局室」。18畳の広い部屋にこの1局。なんとも贅沢だが、その環境で将棋を指せる機会はなかなかない。勝ち進んだ棋士のみに与えられる特権なのだ。
下座に甲斐女流二段が座っている。しかし斎田女流四段の姿はない。と、私の後方から斎田女流四段が現われ、ゆったりとした動きで上座に座った。
盤側には、観戦記者、記録係のほかに、西村一義専務理事、上野裕和理事が列席している。これも大一番の証である。
記録係氏が、
「時間になりましたので、よろしくお願いします」
と対局再開を宣言した。
私は出入口の襖近くに座ったので、斎田女流四段の姿と、甲斐女流二段のややナナメ後ろの姿が拝見できた。
斎田女流四段はパープルのジャケットに黒のスカート。甲斐女流二段は黒系のブレザーに同色のパンツといういでたち。パッと見、高校生のようだ。甲斐女流二段は、ベージュの膝掛けもかけている。東京はここ数日、寒い日が続いている。室内にも暖房がかかっていたが、防寒対策を万全にするに越したことはない。
さて、局面である。どちらの手番なのだろう。私は事前にネット中継を見てこなかったので、先後はもちろん、戦型すらも分からない。ここからは駒がやや光って見えるが、斎田女流四段が飛車を振っているようだ。
斎田女流四段は両手を前に組んで静かに考えている。泰然、という言葉が浮かぶ。昨年の挑戦者決定戦で5階の控室にお邪魔したとき、「このたびはスポンサーになっていただき、ありがとうございます」と、真っ先に声を掛けてくださったのが斎田女流四段だった。あのときは検討の主役だった斎田女流四段が、今期は対局者の主役として、盤の前に座っている。
甲斐女流二段は両手を横につき、やや前のめりで考えている。と、腕を組んで姿勢を伸ばした。この動きは、甲斐女流二段の手番を表すものである。
静謐の空間、といいたいところだが、私たち第一陣のレポーターが10人近くおり、室内がわさわさしている。
斎田女流四段が、チラッと私を見たような気がする。その視線は鋭い。昨年の挑戦者決定戦では、昼食休憩後に盤側での観戦を許された。手番である岩根女流初段が熟考に沈むなか、私の存在が目に入ったのか、鋭い視線を向けられたことを思い出す。
レポーターの写真撮影も終わり、対局室は静寂を取り戻した。しかしこれだけ観戦者がいては、さすがに甲斐女流二段も局面に集中できなかったろう。
これは今年も、レポーターが退室した後での着手だろうな、との思いがよぎった刹那、甲斐女流二段の右手が伸び、左の桂をカチッ、と跳ねた。1時06分だった。そのままお茶を口に含むと、湯のみ茶碗をカタッ、と茶卓に置く。落ち着いている、と思った。
日本女子プロ女子協会(LPSA)主催の公開早指しトーナメントでは感じない、実に重みのある1手であった。
そこで退室の時間がきた。いいものを見せてもらった、と深い感銘を受け、私たちは特別対局室を後にした。
とりあえず2階の研修室へ戻る。このあとは、終局後の感想戦の観戦と、矢内女王と挑戦者の決意表明を聞くまで、自由時間となる。
室内後方にあるテレビで挑戦者決定戦の推移を見守るもよし、外で時間をつぶすもよし、である。私は昼食に出て、近辺にネットカフェがあればそこでブログを書き、本局の進行を見守るつもりでいた。
と、そこへ勝又清和六段が現われた。
「皆さん夕方まで何もしないのも退屈でしょう」
と言うや、事務の方にテキパキと指示を出し、前方の椅子や机を片付けさせた。どうも、この日公務でいらしていた勝又六段が、臨時の解説会を開いてくださるようだった。もしそうなら、これはありがたいことである。
机の上にノートパソコンを置き、プロジェクターを設置する。スクリーンは前方の白い壁だ。着々と準備が進み、予想外の展開に私も喜びを抑えきれないが、空腹状態も厳しい。こんなことなら事前に何か入れてくるのだった。ちょっと我慢できない。私は少考のすえ、食事に出ることにした。
1時58分、研修室を出ると、ジュースの自販機の前で中井広恵女流六段と石橋女流四段がドーンと立ち、ニコニコしていた。
「……!!」
私は口を大きく開け絶句したが、一礼したあと、逃げるように1階へ下りる。
近くのそば屋で、カツ丼ともりそばのセット(800円)を流し込むようにかきこみ、2時28分、研修室に戻った。セットの準備も完了し、ちょうど勝又六段の解説が始まろうとしているところだった。
私はたまたま最前列の椅子にすわっていたので、ほかのレポーターに申し訳なく思う。しかしこの好機はじゅうぶんに活かさなければならない。勝又六段の解説を、一言一句聞き逃すまいと、ペンを持つ手に力を入れた。
まずは接続されているパソコン環境が説明される。パソコンには、将棋会館内に設置されてある対局室のカメラがすべて見られるようになっている。特別対局室は、両者をナナメ頭上から俯瞰するカメラと、将棋盤を真上から映すカメラが2台設置されており、クリックだけで簡単に切り替えが可能だ。
関西将棋会館ともLANで結ばれていて、これも同様にクリックひとつで画面を切り替えることができる。3月2日(火)には東京と大阪でA級順位戦の最終局があるが、そのときは東京と大阪の画像を交互に観ることになるのだろう。
最新の将棋から旧い年に遡って約7万局がデータベース化されており、これもインストールされている。過去の戦型や勝敗が容易に検索でき、重宝だ。
将棋ソフトは「柿木将棋」で、駒の利きが色分けできたり、盤上に文字を書けたりと、多彩な機能が搭載されている。今回はこれをメインにしながら、時折対局室の映像も交え、解説を行うという構成である。
強調しておくが、これはあくまでも勝又六段の好意によるものである。勝又六段には、あらためて御礼を述べておきたい。
先手番は斎田女流四段だった。いよいよ勝又六段の解説…いや、「講義」が始まった。
(2月20日の中編、2月21日の後編につづく)
昨年の挑戦者決定戦では「1日スポンサー」になり、その激闘を間近で体感することができた。今年はスポンサーになる予定はなかったのだが、毎日コミュニケーションズ様から「挑戦者決定戦レポーター」の公募があり、熟考のすえ、申し込ませていただいた。その結果審査が通り、思わぬ形で、今年も挑戦者決定戦の場に足を運ぶことになったのだった。
決戦当日。午前中に仕事を済ませ、昼食を摂る時間も省き、いそいそと東京・将棋会館に向かう。集合場所は2階の研修室である。ほかのレポーターも揃い、午後12時45分、注意事項等の説明を受ける。
思えば昨年の7月15日(水)、私がいま説明を受けているまさにこの場所で、予選組み合わせの公開抽選会が行われたのだ。そのときは石橋幸緒女流王位(当時)対里見香奈・倉敷藤花(女流名人)という、タイトル保持者同士の対戦も組まれ、大いに盛り上がったものだった。
あれから7カ月が経ったのかと感慨にふけると同時に、私たちは今回けっこうな重責を担ったのだと、あらためて気を引き締めた。
抽選の綾はあったものの、数々の熱戦が繰り拡げられたすえ、勝ち残った女流棋士は、やはり実力者だった。今年の対局者は、斎田晴子女流四段と甲斐智美女流二段である。
斎田女流四段は過去に女流名人位を含むタイトルを4期獲得し、マイナビ女子オープンの前身であるレディースオープントーナメントでも、2回優勝の実績がある。
対する甲斐女流二段は元奨励会員で、2級まで昇級した。女流棋士に復帰してからは、棋戦優勝2回。しかし特筆すべきは第1期のマイナビ女子オープン5番勝負への登場で、惜しくも獲得はならなかったものの、準優勝は棋戦優勝に相当する実績である。
両者とも、昨年7月25日(土)に東京・竹橋のパレスサイドビルで行われた予選一斉対局からの参加で、ここまで5連勝。実に長い戦いだった。しかしそれも、本局に勝たなければ意味がない。
前期の挑戦者決定戦はともかく、第1期の矢内理絵子女流名人(当時)と甲斐智美女流二段の準決勝の相手はそれぞれ誰だったか、憶えている人は少ないと思う。タイトル戦に出なければ、その名前はすぐに忘れられてしまう。挑戦者決定戦は、タイトル戦に匹敵する大勝負なのである。
対局再開の1時すこし前、私たちは対局室への入室を、数分間だけ許された。
対局室は5階の「特別対局室」。18畳の広い部屋にこの1局。なんとも贅沢だが、その環境で将棋を指せる機会はなかなかない。勝ち進んだ棋士のみに与えられる特権なのだ。
下座に甲斐女流二段が座っている。しかし斎田女流四段の姿はない。と、私の後方から斎田女流四段が現われ、ゆったりとした動きで上座に座った。
盤側には、観戦記者、記録係のほかに、西村一義専務理事、上野裕和理事が列席している。これも大一番の証である。
記録係氏が、
「時間になりましたので、よろしくお願いします」
と対局再開を宣言した。
私は出入口の襖近くに座ったので、斎田女流四段の姿と、甲斐女流二段のややナナメ後ろの姿が拝見できた。
斎田女流四段はパープルのジャケットに黒のスカート。甲斐女流二段は黒系のブレザーに同色のパンツといういでたち。パッと見、高校生のようだ。甲斐女流二段は、ベージュの膝掛けもかけている。東京はここ数日、寒い日が続いている。室内にも暖房がかかっていたが、防寒対策を万全にするに越したことはない。
さて、局面である。どちらの手番なのだろう。私は事前にネット中継を見てこなかったので、先後はもちろん、戦型すらも分からない。ここからは駒がやや光って見えるが、斎田女流四段が飛車を振っているようだ。
斎田女流四段は両手を前に組んで静かに考えている。泰然、という言葉が浮かぶ。昨年の挑戦者決定戦で5階の控室にお邪魔したとき、「このたびはスポンサーになっていただき、ありがとうございます」と、真っ先に声を掛けてくださったのが斎田女流四段だった。あのときは検討の主役だった斎田女流四段が、今期は対局者の主役として、盤の前に座っている。
甲斐女流二段は両手を横につき、やや前のめりで考えている。と、腕を組んで姿勢を伸ばした。この動きは、甲斐女流二段の手番を表すものである。
静謐の空間、といいたいところだが、私たち第一陣のレポーターが10人近くおり、室内がわさわさしている。
斎田女流四段が、チラッと私を見たような気がする。その視線は鋭い。昨年の挑戦者決定戦では、昼食休憩後に盤側での観戦を許された。手番である岩根女流初段が熟考に沈むなか、私の存在が目に入ったのか、鋭い視線を向けられたことを思い出す。
レポーターの写真撮影も終わり、対局室は静寂を取り戻した。しかしこれだけ観戦者がいては、さすがに甲斐女流二段も局面に集中できなかったろう。
これは今年も、レポーターが退室した後での着手だろうな、との思いがよぎった刹那、甲斐女流二段の右手が伸び、左の桂をカチッ、と跳ねた。1時06分だった。そのままお茶を口に含むと、湯のみ茶碗をカタッ、と茶卓に置く。落ち着いている、と思った。
日本女子プロ女子協会(LPSA)主催の公開早指しトーナメントでは感じない、実に重みのある1手であった。
そこで退室の時間がきた。いいものを見せてもらった、と深い感銘を受け、私たちは特別対局室を後にした。
とりあえず2階の研修室へ戻る。このあとは、終局後の感想戦の観戦と、矢内女王と挑戦者の決意表明を聞くまで、自由時間となる。
室内後方にあるテレビで挑戦者決定戦の推移を見守るもよし、外で時間をつぶすもよし、である。私は昼食に出て、近辺にネットカフェがあればそこでブログを書き、本局の進行を見守るつもりでいた。
と、そこへ勝又清和六段が現われた。
「皆さん夕方まで何もしないのも退屈でしょう」
と言うや、事務の方にテキパキと指示を出し、前方の椅子や机を片付けさせた。どうも、この日公務でいらしていた勝又六段が、臨時の解説会を開いてくださるようだった。もしそうなら、これはありがたいことである。
机の上にノートパソコンを置き、プロジェクターを設置する。スクリーンは前方の白い壁だ。着々と準備が進み、予想外の展開に私も喜びを抑えきれないが、空腹状態も厳しい。こんなことなら事前に何か入れてくるのだった。ちょっと我慢できない。私は少考のすえ、食事に出ることにした。
1時58分、研修室を出ると、ジュースの自販機の前で中井広恵女流六段と石橋女流四段がドーンと立ち、ニコニコしていた。
「……!!」
私は口を大きく開け絶句したが、一礼したあと、逃げるように1階へ下りる。
近くのそば屋で、カツ丼ともりそばのセット(800円)を流し込むようにかきこみ、2時28分、研修室に戻った。セットの準備も完了し、ちょうど勝又六段の解説が始まろうとしているところだった。
私はたまたま最前列の椅子にすわっていたので、ほかのレポーターに申し訳なく思う。しかしこの好機はじゅうぶんに活かさなければならない。勝又六段の解説を、一言一句聞き逃すまいと、ペンを持つ手に力を入れた。
まずは接続されているパソコン環境が説明される。パソコンには、将棋会館内に設置されてある対局室のカメラがすべて見られるようになっている。特別対局室は、両者をナナメ頭上から俯瞰するカメラと、将棋盤を真上から映すカメラが2台設置されており、クリックだけで簡単に切り替えが可能だ。
関西将棋会館ともLANで結ばれていて、これも同様にクリックひとつで画面を切り替えることができる。3月2日(火)には東京と大阪でA級順位戦の最終局があるが、そのときは東京と大阪の画像を交互に観ることになるのだろう。
最新の将棋から旧い年に遡って約7万局がデータベース化されており、これもインストールされている。過去の戦型や勝敗が容易に検索でき、重宝だ。
将棋ソフトは「柿木将棋」で、駒の利きが色分けできたり、盤上に文字を書けたりと、多彩な機能が搭載されている。今回はこれをメインにしながら、時折対局室の映像も交え、解説を行うという構成である。
強調しておくが、これはあくまでも勝又六段の好意によるものである。勝又六段には、あらためて御礼を述べておきたい。
先手番は斎田女流四段だった。いよいよ勝又六段の解説…いや、「講義」が始まった。
(2月20日の中編、2月21日の後編につづく)