一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「第3期マイナビ女子オープン・挑戦者決定戦」レポート(後編)・女王への道

2010-02-21 14:04:35 | 観戦記
118手目、甲斐智美女流二段が、切り札の7一飛を指した局面。ここで斎田晴子女流四段は、3四とと銀を取る手を含みに残して、単に7一同成香と飛車を取った。
しかしこの手がどうだったか。銀を取りたいところをぐっとこらえて飛車を取るのは、いかにもプロ好みの手だ。しかしここは味消しでも、3四と、同玉、2六桂、4三玉、3四銀と形を決め、とにかく盤上に自分の駒を置いて、利きの数を増やしておくべきだった。
本譜は4七銀、6七玉に4五角が痛打。先手が3四銀を打っていれば、この手はなかったのだ。だから甲斐女流二段のほうも、7一飛と馬を手にしたところでは先に4七銀を決めておき、3六や5六に利かしておく手はあった。ただここが微妙なのだが、この2手を決めてから馬を取ると、今度は4五角がミエミエなので、先手も3四と~2六桂~3四銀を指したに違いない。それなら先手が有望になったはずだ。甲斐女流二段にすれば、4七銀を打たなかったことが、結果的に功を奏したともいえる。
ともあれこの数手のやりとりで均衡が大きく崩れ、一気に甲斐女流二段が勝勢となった。しかし斎田女流四段も3四と、同角と銀を取り、127手目、4四歩と王手に叩く。甲斐女流二段は5三玉と寄る。5時25分。
「これで終わりか」
と言ったのは誰だったか。
しかし斎田女流四段は、5一飛となおも王手。甲斐女流二段は冷たく5二金と打つ。後手は6八桂成と金を取りつつ王手で迫る手があるので、手駒はいらないのだ。
斎田女流四段、同飛不成と金を取る。ライブ画像は見られなくても、秒読みに追われて駒をひっくり返す時間がなかったのが分かる。中村真梨花女流二段が、
「4五角が打てるかどうかが勝負でした」
と、もう将棋が終わったようなことを言う。
斎田女流四段がカナ駒を捨て、後手玉をムリヤリ引っ張りだす。まだまだ勝負は諦めていない。しかしこの非常手段は駒損が大きい。甲斐女流二段は盤から離れて座っている。落ち着きを取り戻したように見える。
斎田女流四段は決めるだけ決めて、5六歩と桂を外す。
夕方から所用があるという勝又清和六段も、帰るに帰れなくなった。そして
「投げ切れないよねー」
と言う。序盤から堅実な指し手を続け、先ほどは一瞬の勝ち筋があったのだ。敗勢でも、秒読みでは気持ちの整理をつけるいとまがない。
上野裕和五段も、理事としての仕事が残っていそうだが、終局まで見届けたい雰囲気である。
「甲斐さん、有望です」
と中村女流二段。
「投げなければいろいろとありますから」
と中井広恵女流六段。続けて、「甲斐さんは手堅い印象があります。終盤のブレがない」
奨励会で修業をした女流棋士は、ほかの女流棋士と比べて、たしかに将棋の質が違うと思う。
時刻は5時41分。長い将棋になった。しかし内容は濃い。
中井女流六段「どんなに形勢が良くても、早く投了してくれ、と思います」
中村女流二段「二歩は指さないように」
対局室天井のライブ画像が映っている。147手目、4四金の王手に、6二玉と力強く引く。音声は聞こえないが、ビシッ、という駒音が聞こえたような気がした。
斎田女流四段、3四の角を取ってはソッポなので、7五桂と妖しく迫る。この手は詰めろではないようだが、実戦心理としてはイヤなものだ。しかし甲斐女流二段は、5五桂と、先手玉を詰ましにいった。
本局の「懸賞金スポンサー」は6口あったという話が出る。昨年は私も含め2口だったから、大幅増だ。スポンサーがあってこそ、プロ棋士という職業が成り立つ。
5時44分。上野五段が
「いま甲斐さんは何考えてるんでしょうかね。決意表明でのコメントとか」
と、緊迫した空気を弛緩させるような言葉をもらす。ドッと笑いが起こる。上野五段がイベントなどで大盤解説を行ったら、さぞ楽しいものになるだろう。
甲斐女流二段の王手が続く。むずかしいところはもうない。
「でも毎コミさんには素晴らしい棋戦を創っていただきました。これは皆さん、ぜひブログに書いてください」
と中井女流六段。
「帰るタイミングを逸しました。中井さんがいるので、帰れません」
と上野五段。
斎田女流四段は最後まで指し続ける。164手目、6七歩に5九玉。13手目に玉が動いてから152手目に、玉が還元した。
甲斐女流二段、7九飛。ここで斎田女流四段が投了を告げた。5時53分50秒だった。
その瞬間、研修室内に拍手が起こった。サービスで解説を行ってくださった勝又六段らへの御礼の気持ちもあるが、大激闘を見せてくれた両対局者への感謝の表れであった。
総手数、実に166手。1分将棋になってから60手以上は指しただろう。かつて大山康晴十五世名人は、「終了図で不動駒が5枚以下なら、名局と見ていい」と著書に書いたが、本局の不動駒はちょうど5枚。投了図をあらためて観ると、各筋に駒が散らばり、抽象絵画を思わせた。
挑戦者決定戦にふさわしい、素晴らしい将棋だった。

私たちは特別対局室へお邪魔する。対局後の光景を「取材」するためである。
甲斐女流二段は挑戦権を勝ち取り、緊張から解き放たれた雰囲気。時折り笑みをもらす。
斎田女流四段は昼休後の姿と変わっていなかった。しかし鼻がうっすらと赤くなっている。
取材陣やレポーターが、両対局者にカメラのフラッシュを浴びせる。最初はおふたりを撮っていたが、斎田女流四段の背後に回り、甲斐女流二段を正面から撮る。背中にフラッシュを浴びる、斎田女流四段の無念さはいかばかりか。
感想戦はよく聞き取れなかったが、斎田女流四段が、「5五歩がよくなかった」としきりにもらしていた。のちの5五桂の筋がなくなったからだろうか。しかし5五歩は昼休直前の1手である。終盤で3四と~3四銀を決めないのがマズかったのではと思ったがそこはそれ、序盤の構想を検証するのが、プロなのだ。
この感想戦を聴くだけでも勉強になるが、時間が押している。激闘を制した甲斐女流二段には、矢内理絵子女王を交えた決意表明が控えている。西村一義専務理事に促され、感想戦は一時中断となった。

再び2階研修室に戻ると、室内前方に華やかな花々が飾られた会見場が設えられ、厳粛な雰囲気に変わっていた。
ここでも私は先ほどの最前列の席に座ることになる。本当に取材記者になった気分だが、同時にプレッシャーも感じる。
ほどなくして、矢内女王、甲斐女流二段が登場した。おふたりとも黒系のスーツ。似たようないでたちだ。胸ポケットに紫陽花を挿している。よく見ると、その下に着用しているセーターも、ともにタートルネックである。矢内女王はパープル、甲斐女流二段はブルー。甲斐女流二段が着替えてきたのだ、と思ったが、よく考えたら昼と同じだ。単なる偶然なのだろうが、もしそうなら、両雄が5番勝負を相まみえることを暗示していたようで、興味深い。
おふたりが着席し、まずは主催社のインタビュー。甲斐女流二段に本局の感想を聞く。
「終盤のねじりあいが大変でした。1局の将棋でこれだけ力を出せたのは久しぶり。(昼休後レポーターが入室したことについては)集中していたので、ふだん通りに指せました。
矢内さんは奨励会の先輩なので、指せるのがうれしい」
と述べた。昼休直前に5五歩を指し、それを悔やんでいた斎田女流四段と、昼休後、レポーターが大勢いた中でも集中力を切らさず3三桂と指した手が、勝負の分かれ目だったということか。
矢内女王は、
「甲斐さんは奨励会の後輩ですが、第1期以上に大変な勝負になる。開幕を楽しみにしています」
と「女王」の肩書きにふさわしく、堂々と述べた。たしかに、負けたら終わりという厳しいトーナメント戦で、第1期に続いて5番勝負に登場した甲斐女流二段は、段位以上の実力を有しているといえる。「大変な勝負になる」は、矢内女王の本音だったと思う。
ここからレポーターの質問タイムに入る。私はとくに質問は用意してこなかったが、もし指名されたら、取らぬタヌキの皮算用でもないが、500万円の使い道でも聞こうと思っていた。
しかし数人の手が上がったようである。その質問と回答を、印象に残ったところだけ記してみる。
里見香奈女流名人・倉敷藤花の存在について。
矢内女王「里見さんの活躍で、将棋を知らない人が将棋界に目を向けてくれたので、もっともっと活躍してほしい」
甲斐女流二段「里見女流名人は目標です」
おふたりとも謙虚な回答だったが、それを額面どおりに受け取るほど、私は甘くない。矢内女王は里見女流名人の将棋普及を応援はしても、タイトル戦での活躍は阻止しなければいけないし、その自覚もあるはずである。また甲斐女流二段も、目標とするのは里見女流名人の将棋ではなく、「女流名人」というタイトルに違いない。
甲斐女流二段は、いま最もタイトル獲得に近い人だと思いますが…との質問も出る。これには矢内女王も苦笑するしかない。
甲斐女流二段「結果よりも内容重視で戦いたい」
ちょっとコメントが弱いが、当人を前にしては、強気な発言もできまい。内容が伴えば、自然と勝ちが転がり込んでくる、ということだろう。
矢内女王への質問。予選からの戦いを見てきた感想は。
「挑戦権を獲る、という気持ちが、甲斐さんがいちばん強かったのだと思う」
その通りだと思った。そして矢内女王の論理を借りれば、女王を保持する、という気持ちがいちばん強かったのも、矢内女王自身だったということだ。
最後の質問は、予選から全局を振り飛車で戦ってきた甲斐女流二段が大一番で居飛車にしたワケを訊くものだった。これは私も聞きたかったところである。これに甲斐女流二段は、
「研究が生きる形にしたかったので…」
と述べた。なるほど、と思う。斎田女流四段は先手でも後手でもゴキゲン中飛車でくる。それを見越し、居飛車での作戦を立てていたのだ。
レポーター質問も終わり、おふたり揃っての記念撮影となった。
間断なくたかれるフラッシュの中でおふたりは握手をし、ほほ笑む。しかし胸の内では、闘志がメラメラと燃え上がっていたに違いない。
今期も数々の話題を呼んだマイナビ女子オープン。注目の5番勝負は、3月28日(日)、熊本市で火蓋が切られる。
最後に、このような機会を与えていただいた毎日コミュニケーションズ様に厚く御礼を申し上げ、今回のレポートの結びとしたい。
(了)
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする