とりあえずヒゲを剃り、まずは透明の温泉に入る。熱くもなく、ぬるくもなく、いい湯加減だ。将棋棋士には実感がないだろうが、平日の明るいうちから温泉に浸かるのは、独特の優越感があっていいものである。
上がって体を洗うが、やはり紫色の温泉が気になる。今度はそちらへ浸かってみると、壁に「赤ワイン風呂」という表示があった。
赤ワイン風呂!? 温泉や銭湯では、バラの花やリンゴを浮かべたり、コーヒーなどを入れたりする変わり風呂があるが、「赤ワイン」は初めてだった。説明板には「有機栽培のブドウを使用しています」とある。たしかに、なんとなくブドウの香りがする。ちょっと贅沢な気分になる。
ワイン…それも赤ワインと言えば、ソムリエール・船戸陽子女流二段である。船戸女流二段は赤ワイン風呂に入ったことがあるだろうか。風呂…? 赤ワイン…。赤ワインの温泉…。赤ワインの…温泉に…入る…フナト、ヨーコ…。……。…………。ああ、なんだかのぼせてきた。
猫の額のような露天風呂も併設されているので、屋外に出て、そちらも入る。しかし雪が堆く積もり、木々がまったく見えない。例年は木々のてっぺんが僅かに見えていたのだ。定点調査だから分かるのだが、やはり今年は雪が多い。
外気にさらされ少し頭が冷えて、再びワイン風呂に入る。…………。悶々としている自分に嫌気がさして、浴場を出た。髪を乾かしたあと体重計に乗り、信じられない数字に唖然としていると、「温泉入浴&お食事セット」の張り紙が目に入った。
見ると、平日のみのサービスで、入浴(500円)と天とろそば(900円)のセットが1,000円、入浴とルオント定食(1,500円)のセットが1,500円、とある。きょうは金曜日、平日ではないか!
ルオント内にはレストランが併設されていて、実はこの日の第三の楽しみが、入浴後に幌加内そばを食すことだった。
幌加内は北海道を代表する日本そばの産地で、二八だとは思うが、挽きぐるみで出されるそれは味が濃く、十割のような香りとコクがある。香りも強く、本当にそばを食べている、という感じがする。そうしてしんしんと降る雪を見ながら、ぼんやりする時間が、好きだった。
しかし今回は入浴料を払ってしまったので、いまからセット券を買うわけにはいかない。とはいえ正規料金で幌加内そばを食すのもバカバカしい。
とりあえず無料休憩室に入ると、ここにもその張り紙がある。休憩室とレストランは近く、出前もしてくれるのだ。しかし別の張り紙を見ると、「14:00~17:00は休みにさせていただきます」の注意書きがあった。時計を見ると、まだ午後3時にもなっていない。つまり現在は中休みということだ。
3年前に来たときは、レストランの休憩時間などなかった。ルオントに訪れる人は、ほとんどがクルマ利用だ。こんな中途半端な時間に食事をする客はほとんどいないわけで、経費削減のために、休憩時間を設けたのだろう。
次の名寄行きバスは4時19分である。しかしそのバスは1日4本しかなく、休日は朝の1本が運休する。つまり次の名寄行きが「最終バス」なのだ。ここで乗り遅れると以後の計画が破綻するので、慎重を期す。休憩室で小1時間ほど時間をつぶすと、私はルオントを出、バス待合室へ向かった。外はいつの間にか雪が舞っていて、さきほどから数センチ積もっている。
4時19分、ジェイアールバスは定刻に到着した。45人乗りの大型バスだ。にもかかわらず、乗客がひとりもいない。深名線ではよくある話で、こんな有様だから、列車が廃止になるのだ。
とはいえこのバスにひとりで乗るのは贅沢だ。私は最前列の席にすわり、周囲を見渡す。地面は雪一色、左右の木々はこんもりと雪をかぶり、時折見える民家の屋根には、雪が銀冠のように、厚みを造っている。
吹雪で、ほとんど前が見えなくなった。ホワイトアウトのようだ。しかし運転手は手なれたもので、何の苦もなく運転を続ける。私の命はこの運転手の手に委ねられているのだ。くれぐれも慎重を期してほしいと願う。
朱鞠内バス停を過ぎるといつの間にかウトウトし、目が覚めると、辺りが暗くなっていた。お陰さまで今年も、無事に名寄市へ入った。
17時58分、定刻から2分遅れて、終着「名寄駅前」ひとつ前の、「西3条南6丁目」に到着。ここで下車する。乗客は最後まで私ひとり。約1時間半、貸し切りであった。なんと豪華な旅だろう。
ここから南へしばらく歩くと、名寄市南広場で「なよろ雪質日本一フェスティバル」が開かれている。この日の観光の、最後の目的地だ。
私は北海道すべての雪まつりには行ってないが、いままで見た限りでは、ここの雪像が最も芸術的だと思う。「なよろ国際雪像世界彫刻コンテスト」と銘打たれ、数カ国が参加している。どこかの美術館や博物館に陳列されてもおかしくない、斬新なデザインの雪像ばかりが、約20基展示されている。広場にはそのほかに、市民が制作した雪像と、ステージを兼ねた大雪像がある。
北海道のテレビ局だろうか。美人レポーターがテレビカメラを前にレポートをしている。ハイヒールで歩いている、垢ぬけたファッションのお姉さまもいる。彼女も雪まつりのレポートをしたのだろう。
世界彫刻雪像は前面だけが細工されているのではなく、どの位置から見ても違ったデザインに見える。北海道の雪は全般的にサラサラだが、名寄のそれは文字どおりパウダースノーで、いくら踏んでもカチカチに固まらない。だから作業もしやすいのだろう。ライトアップされて、さらに芸術的になっている。やはり雪像を観るのは夜がいい。
しかし寒さが厳しくなってきた。私は会場を後にし、駅方向へ向かう。駅前通りに設置されている温度計を見るとマイナス7度だが、もっと寒く感じる。
行きつけの軽食喫茶でハンバーグカレーを食し、名寄駅の待合室へ入った。
まず岩見沢までの切符を買う。3,150円。この日は旭川まで戻り、10日(水)に宿泊したビジネスホテルに、再び泊まることになっている。名寄から岩見沢までは100㎞以上あるので、旭川で下車できるのだ。
旭川ではネットカフェで一夜を明かしてもいいのだが、13日(土)の朝6時に、ホテルで「月見栞」を観賞したい。
ところで、なぜ「岩見沢」までなのか。JR北海道では「1日散歩きっぷ・道央圏用」「同・道北用」というのを販売しており、土・日・祝日は2,200円で普通列車が乗り放題なのだ。明日13日(土)は余市や小樽、新千歳空港へ向かうので、ここでは「道央圏用」が有効となる。
しかし切符の販売駅が限られていて、その最北駅が岩見沢なのだ。それで私は岩見沢までの切符を買った、というわけだ。
時間は午後7時40分を回っている。次の旭川行きまで、まだ時間がある。手持ち無沙汰の私が駅のドア付近に行くと、「3連休おでかけパス」のポスターが貼ってあった。道内特急電車の自由席乗り放題(ただし、指定席にも4回乗れる)で、18,000円である。
今回の場合は、11日(木・祝)~13日(土)と、12日(金)~14日(日)が該当する。しかし18,000円は高い。とても元が取れない。ところでその右に「6,600円」と表示してあるのは何か。子供料金にしては安すぎる。「普通列車用」と書いてある。!?!?!? こ、こんな便利な切符があったのか!!
これは文字通り「道内普通列車専用」ということだ。今回の私は特急電車を利用していない。とするならば、この切符は今回の私にうってつけだった。
11日(木・祝)の旭川→札幌、この日の札幌→深川の高速バス、そしてたったいま買ったばかりの名寄→岩見沢までのJR料金、さらに翌13日に買うことになる「1日散歩きっぷ」2,200円を、すべて「3連休おでかけパス」に換算すると、こちらのほうが2,350円も安くなるのだった。
札幌→深川間は適当な時間に普通列車が走っていないので、これのみ高速バスを利用したとしても、750円もミスミス損したことになる。
いやこれは、鉄道ファンとしては、凡ミスをやらかしたものだ。10日夜、旭川の喫茶店で「STORY」を読んでいるくらいなら、「道内時刻表」でも精読するべきだったのだ。
バカだ…バカすぎる、とひとりごち、私は8時11分発の旭川行きの宗谷本線に乗ったのだった。
9時43分、旭川着。例のビジネスホテルに旅装を解き、すぐさま近くのネットカフェへ向かった。ブログの更新をするためである。
「2時間パック」を指定して、ブログを更新する。時間は12時を過ぎている。ホテルなんか予約せず、「ナイトパック」にするんだった、と後悔したが、「月見栞」も観たいところである。私は泣く泣くネットカフェを出ると、ホテルに戻った。
部屋に入る前、1,000円の有料カードを買う。午後2時すぎに赤ワイン風呂を堪能したので、あとは寝るだけでよい。しかしせっかくだから、有料ビデオの画質を確認しておきたい。
テレビ上に設置してある挿入口に、カードを挿しこむ。番組はふたつあって、この時間の放映番組は、ひとつが女性看護師モノ、もうひとつが激しいモノだった。当然、観るのは後者だ。2人目に登場した風間ゆりがよい。
――ここだった。ここだったのだが、まだ早い、と我慢したのがいけなかった。そのあと出てくる女優がひどく、萎えてしまった。これは意地でも、寝られなくなってしまった。
翌朝は早起きしなければならないのに、なんということだ。結局この夜は、午前2時30分過ぎに、布団にもぐった。