あれは中村真梨花女流二段と岩根忍女流初段の、第2期マイナビ女子オープンの挑戦者決定戦の模様を書いたときだから、2009年の夏ごろだったと思う。「将棋ペン倶楽部」編集部の統括幹事だった湯川博士氏から、私宛に手紙が届いた。
その将棋、私は懸賞金スポンサーになり、当日は一日、東京・将棋会館にいた。対局室に赴き観戦をする機会にも恵まれ、感動、感激した私は、そのときの模様を「将棋ペン倶楽部」に投稿し、幸い、2009年夏号に掲載された。
その直後に湯川氏から、手紙をいただいたというわけだった。私は恐る恐る中を読むと、棋士の敬称についての、湯川氏の考えが書かれてあった。
要約すると、観戦記では敬称を外す。ただしプライベートの記述のときは「さん」を付ける、場合によっては段位を付けるべし、などと、温かみのある文章で綴られていた。
今後私が将棋観戦記を書くようになったとき、ヘタな呼称を付けて恥をかかないよう、配慮してくれたものであった。
そしてもうひとつ、「将棋ペン倶楽部」内において、女流棋士に対する段位の呼称についての、注意があった。
誌面の中で私は、女流棋士の段位を、「女流○段」とせず、たんに「○段」としていた。これはいかん、と湯川氏は書いていた。
「女流二段」を「二段」とすれば、これは通常、奨励会の二段を表わす。通の将棋ファンなら問題ないが、中には誤解してしまう将棋ファンもいる。それは避けるほうがよい、という教戒であった。
ただ、それは私も承知していて、私だってできれば「女流○段」と書きたかった。しかし漢字四文字はいささかうるさいし、原稿には文字制限もある。そこで私は、最初だけ「女流○段」と書き、次に出てくるときは、たんに「○段」と書いていたのだ。事実、ほかの編集部員氏は、私の考えも分からぬではない、と、後日賛同してくれたものである。
むろん湯川氏もそのあたりの事情は察していたが、それでも省略できるものとできないものがあり、段位の省略は不可、との主張であった。
言われてみればそのとおりだった。昨年、奨励会の加藤桃子さんが女流王座を獲得したが、彼女は「奨励会1級」である。私の論理でいくと、彼女は貞升南さんや香川愛生さんらと同じ肩書きになってしまい、それはやっぱりおかしい。
湯川氏の主張はもっともだと私も同意し、結果、その後の将棋ペン倶楽部では、必ず「女流」を付けるようにしたのだった。
余談ながら、2009年4月から始めた当ブログも、最初は「○段」と記していたが、同様に「女流○段」と改めた。
さてここまで書いて、賢明な読者はお気づきであろう。LPSAのホームページは、「女流」を省いた「○段」のみの表記が散見される。LPSAの公開対局を見にいっても、女流棋士の紹介は、「女流」を省略して呼ぶ場合がほとんどだった。これはいただけない。
「女流四段」は「四段」にあらず。言っちゃあなんだが、両者は天と地ほどの差がある。彼女らは「棋士」ではなく、「女流棋士」なのだ。
ホームページでの肩書きも、口頭での紹介も、簡単に修正が利くものである。LPSAスタッフの気持ちも分からなくはないが、ここはスタッフの勇断に期待したいところである。
その将棋、私は懸賞金スポンサーになり、当日は一日、東京・将棋会館にいた。対局室に赴き観戦をする機会にも恵まれ、感動、感激した私は、そのときの模様を「将棋ペン倶楽部」に投稿し、幸い、2009年夏号に掲載された。
その直後に湯川氏から、手紙をいただいたというわけだった。私は恐る恐る中を読むと、棋士の敬称についての、湯川氏の考えが書かれてあった。
要約すると、観戦記では敬称を外す。ただしプライベートの記述のときは「さん」を付ける、場合によっては段位を付けるべし、などと、温かみのある文章で綴られていた。
今後私が将棋観戦記を書くようになったとき、ヘタな呼称を付けて恥をかかないよう、配慮してくれたものであった。
そしてもうひとつ、「将棋ペン倶楽部」内において、女流棋士に対する段位の呼称についての、注意があった。
誌面の中で私は、女流棋士の段位を、「女流○段」とせず、たんに「○段」としていた。これはいかん、と湯川氏は書いていた。
「女流二段」を「二段」とすれば、これは通常、奨励会の二段を表わす。通の将棋ファンなら問題ないが、中には誤解してしまう将棋ファンもいる。それは避けるほうがよい、という教戒であった。
ただ、それは私も承知していて、私だってできれば「女流○段」と書きたかった。しかし漢字四文字はいささかうるさいし、原稿には文字制限もある。そこで私は、最初だけ「女流○段」と書き、次に出てくるときは、たんに「○段」と書いていたのだ。事実、ほかの編集部員氏は、私の考えも分からぬではない、と、後日賛同してくれたものである。
むろん湯川氏もそのあたりの事情は察していたが、それでも省略できるものとできないものがあり、段位の省略は不可、との主張であった。
言われてみればそのとおりだった。昨年、奨励会の加藤桃子さんが女流王座を獲得したが、彼女は「奨励会1級」である。私の論理でいくと、彼女は貞升南さんや香川愛生さんらと同じ肩書きになってしまい、それはやっぱりおかしい。
湯川氏の主張はもっともだと私も同意し、結果、その後の将棋ペン倶楽部では、必ず「女流」を付けるようにしたのだった。
余談ながら、2009年4月から始めた当ブログも、最初は「○段」と記していたが、同様に「女流○段」と改めた。
さてここまで書いて、賢明な読者はお気づきであろう。LPSAのホームページは、「女流」を省いた「○段」のみの表記が散見される。LPSAの公開対局を見にいっても、女流棋士の紹介は、「女流」を省略して呼ぶ場合がほとんどだった。これはいただけない。
「女流四段」は「四段」にあらず。言っちゃあなんだが、両者は天と地ほどの差がある。彼女らは「棋士」ではなく、「女流棋士」なのだ。
ホームページでの肩書きも、口頭での紹介も、簡単に修正が利くものである。LPSAスタッフの気持ちも分からなくはないが、ここはスタッフの勇断に期待したいところである。