稚内に向かうフェリーは、2等室に空きがあった。何人かは座ったが、何人かはデッキに出る。それがHon氏と私で、私たちはそこで将棋を始めた。私はきょう初めてだが、Hon氏は実に4局目。その将棋バカぶりがまぶしい。
一局終わったが、2局目はなし。Hon氏は海を眺めた。私もあっちこっちをぶらぶらして、結局は海を眺める。しかしなぜか、虚しさを覚えた。この稚内ツアーが終われば、いつもの生活に戻る。その現実がつらいのだ。
フェリーはノシャップ岬を大きく回り込み、18時50分、稚内港に着いた。
「ホテル奥田屋」に戻る。金曜日組の3人、Kun氏、Is氏、Fuj氏はすでに到着していた。3人は中井広恵女流六段のガイドのもと、楽しい市内観光をしたようだ。ちなみに中井女流六段の助手席には、みなが交代で座ったらしい。
厳正な抽選の結果、3人はそれぞれ、植山部屋、W部屋、大野部屋に振り分けられた。
午後7時半からホテルで夕食。きのうのカニはズワイガニだったが、きょうは毛ガニまるまる一匹だ。さすがに北海道であった。
夜も更けてきたが、みんなで稚内の街へ出る。当初は稚内支部と9日(土)のみの交流予定だったが、急遽8日(金)夜も懇親会を設けてくれたからで、私たちは指示されるまま、繁華街にあるスナックに入った。
スナックには稚内支部の部員が何人かいて、大歓迎してくれた。
私たちは二手に分かれて座る。綺麗な脚がスラッと伸びたママさんが、オーダーを聞きに来る。私はウーロン茶を頼んで、周りをシラケさせた。
しばらく歓談していたが、せっかくなのでと、大野八一雄七段が支部員との指導対局を申し出た。しかし盤駒がないので、支部員が近くまで取りに行った。こういうとき、私たちがカバンから盤駒を出さなければならないのだが、さすがにスナックまで持ってきた人はいなかった。まだまだ読みが甘い。
さて、スナックで将棋である。私たちはファミレスや居酒屋で将棋を指すからいつもの光景だが、支部の人はどうだったか。
私たち関東組は、スナックのママさんには目もくれず、指導対局を食い入るように見つめる。その数7人。ついに稚内の人にも、将棋バカぶりを露呈してしまった。
10時45分、とりあえず中締め。私はホテルに戻り、温泉に入った。お湯はぬるぬるしていて、コクがある。どこかから引いているらしいが、立派な温泉だ。ちなみに私は、温泉は無味無臭が好みだ。
温泉から出て頭を乾かす。鏡を見ると、秩父合宿のときより、頭頂部がさらに薄くなっていた。
薄い部分をブラシで叩く、養毛剤を塗るなどの手段はあろうが、いかほどの効果があるのか。受けても一手一手ではないだろうか。どうしてこんなことになっちゃったんだと思う。
ちょうどW氏が入ってきたので、私は薄毛を愚痴った。
部屋に戻る。ここでIs氏と一局。Is氏の後手四間飛車に、私は▲5七銀左。△3二銀型で△5四歩と突いたので私は▲3五歩と仕掛けたが、この形なら▲9七角と覗いて山田定跡に進路を取るのが私流。なぜ▲3五歩と突いたのか分からぬ。
実戦は以下△3五同歩▲4六銀△3六歩▲3五銀△4五歩▲3三角成△同銀▲2四歩△6四角▲2六飛△2四歩▲同銀に△3四銀が好手で、以下完敗した。
Kub氏はすでに就寝。W氏、Is氏、それに遊びに来たHon氏としばしバカ話をしたあと、午前1時に就寝した。
明けて9日(土)。きょうは午後から、今回の稚内ツアーのメインである、稚内支部との将棋交流&食い倒れ懇親会である。
まずは朝食。自宅だったら夕食に相当する豪華さだ。食後にコーヒーまで出て、大満足である。
部屋に戻るとKub氏が、急戦の指し方を教えてください、と言った。とりあえず私は四間飛車に振る。昨夜のIs氏と同じ将棋になったが、このままいったら私の優勢になってしまう。
途中で植山悦行七段も見え、居飛車に都合のいい指し方で、強引に居飛車を優勢に持っていった。
ところで午前中は、駅近くの「副港市場(ふっこういちば)」にて、お土産タイムを設けている。稚内市の経済事情を鑑み、せいぜいお土産を買うようにと、「手引き」にも記されていた。
午前9時半にホテルを出発。副港市場に隣接する、もうひとつの市場「丸善」でお買い物。新鮮な海の幸が、目を疑うような安価で売られていた。
店に入っていくらも経っていないのに、Hon氏はカートの上下に、たくさんの海産物を入れている。その顔はいつになく真剣だ。
それも道理で、あの奥さんがHon氏を4日間も稚内ツアーに送りだしてくれたのは奇跡に近い。今後の将棋遠征企画に参加するためにも、お土産の充実は絶対条件なのだった。
私も計6千円前後のお土産を買う。すべて自宅と親戚用だが、私だって仕事を休んでいるので、自宅への配慮は必要なのだ。宅配便で送って、懸案事項がひとつ片付いた。
ちなみにHon氏は3万円近くの買い物になったとのこと。ご苦労さまである。
となりの副港市場に入る。ここはスーパーマーケットも併設されていて、野菜やお菓子、ジュースなども売られていた。
気が付くと、中井女流六段らがミニパックのカツゲンを飲んでいる。それを見た私と植山七段も買いに行くが、ミニパックはひとつしかない。
しかしこのミニパックは180mlで75円。一方1リットルは、88円で売られている。これは飲みきれなくても、1リットルを買うのが本筋である。私と植山七段は棋風が似ているらしいが、ここでも双方の意見が一致し、私たちはそろって、1リットルのパックを買った。
昼食を摂るにはまだ早い。私たちは表に出ると、広場前に据えられているイスに腰を下ろした。こんなときのヒマつぶしには将棋が一番である。中井女流六段とKun戦、His氏とFuj氏の一戦が始まってしまった。
中井-Kun戦は因縁の一戦。これの勝敗如何では、中井女流六段が生レバーが食べる羽目になるのだが、そこはさすがに中井女流六段、むずかしい将棋を、最後はキッチリ収束して見せた。
そろそろ昼食の時間である。きょうは夜に豪勢な海の幸が出るから、一食抜く手もあるのだが、同じ敷地内にうまいラーメンを食べさせる店があると聞いては、入らないわけにはいかない。
ほとんどの人が、その店に入った。塩ラーメンが有名とのことだったが、私が頼んだのはしょうゆラーメン。カウンター越しに、調理の様子が見えたが、麺を平網で湯切りしているのには感心した。
出されたラーメンはスープが、塩ラーメン用のスープに醤油を足しただけのような気もしたが、すっきりして飲みやすかった。麺も細くて、スープに合っている。チャーシューもよく煮こまれ、とても美味かった。
食後は敷地内をぶらぶら。稚内港駅が復元展示されていた。かつては稚内駅の先にもレールが伸びており、防波堤ドームの近くに駅があった。それが稚内港駅である。
さらに構内を回ると、その一隅に昭和30年代の街並みが再現されていた。
これがまたノスタルジックで、時間の経つのを忘れてしまう。W氏と出くわしたが、彼とは同学年なので、同じく感じ入るところもあったのだろう。ふたりでしばし、郷愁に耽った。
さて、そろそろ交流会&懇親会会場に向かう時間である。私たちは近くにある某所に、クルマで乗り付けた。その名は「稚内将棋クラブ」。ここが稚内支部のホームグラウンドであった。
(つづく)
一局終わったが、2局目はなし。Hon氏は海を眺めた。私もあっちこっちをぶらぶらして、結局は海を眺める。しかしなぜか、虚しさを覚えた。この稚内ツアーが終われば、いつもの生活に戻る。その現実がつらいのだ。
フェリーはノシャップ岬を大きく回り込み、18時50分、稚内港に着いた。
「ホテル奥田屋」に戻る。金曜日組の3人、Kun氏、Is氏、Fuj氏はすでに到着していた。3人は中井広恵女流六段のガイドのもと、楽しい市内観光をしたようだ。ちなみに中井女流六段の助手席には、みなが交代で座ったらしい。
厳正な抽選の結果、3人はそれぞれ、植山部屋、W部屋、大野部屋に振り分けられた。
午後7時半からホテルで夕食。きのうのカニはズワイガニだったが、きょうは毛ガニまるまる一匹だ。さすがに北海道であった。
夜も更けてきたが、みんなで稚内の街へ出る。当初は稚内支部と9日(土)のみの交流予定だったが、急遽8日(金)夜も懇親会を設けてくれたからで、私たちは指示されるまま、繁華街にあるスナックに入った。
スナックには稚内支部の部員が何人かいて、大歓迎してくれた。
私たちは二手に分かれて座る。綺麗な脚がスラッと伸びたママさんが、オーダーを聞きに来る。私はウーロン茶を頼んで、周りをシラケさせた。
しばらく歓談していたが、せっかくなのでと、大野八一雄七段が支部員との指導対局を申し出た。しかし盤駒がないので、支部員が近くまで取りに行った。こういうとき、私たちがカバンから盤駒を出さなければならないのだが、さすがにスナックまで持ってきた人はいなかった。まだまだ読みが甘い。
さて、スナックで将棋である。私たちはファミレスや居酒屋で将棋を指すからいつもの光景だが、支部の人はどうだったか。
私たち関東組は、スナックのママさんには目もくれず、指導対局を食い入るように見つめる。その数7人。ついに稚内の人にも、将棋バカぶりを露呈してしまった。
10時45分、とりあえず中締め。私はホテルに戻り、温泉に入った。お湯はぬるぬるしていて、コクがある。どこかから引いているらしいが、立派な温泉だ。ちなみに私は、温泉は無味無臭が好みだ。
温泉から出て頭を乾かす。鏡を見ると、秩父合宿のときより、頭頂部がさらに薄くなっていた。
薄い部分をブラシで叩く、養毛剤を塗るなどの手段はあろうが、いかほどの効果があるのか。受けても一手一手ではないだろうか。どうしてこんなことになっちゃったんだと思う。
ちょうどW氏が入ってきたので、私は薄毛を愚痴った。
部屋に戻る。ここでIs氏と一局。Is氏の後手四間飛車に、私は▲5七銀左。△3二銀型で△5四歩と突いたので私は▲3五歩と仕掛けたが、この形なら▲9七角と覗いて山田定跡に進路を取るのが私流。なぜ▲3五歩と突いたのか分からぬ。
実戦は以下△3五同歩▲4六銀△3六歩▲3五銀△4五歩▲3三角成△同銀▲2四歩△6四角▲2六飛△2四歩▲同銀に△3四銀が好手で、以下完敗した。
Kub氏はすでに就寝。W氏、Is氏、それに遊びに来たHon氏としばしバカ話をしたあと、午前1時に就寝した。
明けて9日(土)。きょうは午後から、今回の稚内ツアーのメインである、稚内支部との将棋交流&食い倒れ懇親会である。
まずは朝食。自宅だったら夕食に相当する豪華さだ。食後にコーヒーまで出て、大満足である。
部屋に戻るとKub氏が、急戦の指し方を教えてください、と言った。とりあえず私は四間飛車に振る。昨夜のIs氏と同じ将棋になったが、このままいったら私の優勢になってしまう。
途中で植山悦行七段も見え、居飛車に都合のいい指し方で、強引に居飛車を優勢に持っていった。
ところで午前中は、駅近くの「副港市場(ふっこういちば)」にて、お土産タイムを設けている。稚内市の経済事情を鑑み、せいぜいお土産を買うようにと、「手引き」にも記されていた。
午前9時半にホテルを出発。副港市場に隣接する、もうひとつの市場「丸善」でお買い物。新鮮な海の幸が、目を疑うような安価で売られていた。
店に入っていくらも経っていないのに、Hon氏はカートの上下に、たくさんの海産物を入れている。その顔はいつになく真剣だ。
それも道理で、あの奥さんがHon氏を4日間も稚内ツアーに送りだしてくれたのは奇跡に近い。今後の将棋遠征企画に参加するためにも、お土産の充実は絶対条件なのだった。
私も計6千円前後のお土産を買う。すべて自宅と親戚用だが、私だって仕事を休んでいるので、自宅への配慮は必要なのだ。宅配便で送って、懸案事項がひとつ片付いた。
ちなみにHon氏は3万円近くの買い物になったとのこと。ご苦労さまである。
となりの副港市場に入る。ここはスーパーマーケットも併設されていて、野菜やお菓子、ジュースなども売られていた。
気が付くと、中井女流六段らがミニパックのカツゲンを飲んでいる。それを見た私と植山七段も買いに行くが、ミニパックはひとつしかない。
しかしこのミニパックは180mlで75円。一方1リットルは、88円で売られている。これは飲みきれなくても、1リットルを買うのが本筋である。私と植山七段は棋風が似ているらしいが、ここでも双方の意見が一致し、私たちはそろって、1リットルのパックを買った。
昼食を摂るにはまだ早い。私たちは表に出ると、広場前に据えられているイスに腰を下ろした。こんなときのヒマつぶしには将棋が一番である。中井女流六段とKun戦、His氏とFuj氏の一戦が始まってしまった。
中井-Kun戦は因縁の一戦。これの勝敗如何では、中井女流六段が生レバーが食べる羽目になるのだが、そこはさすがに中井女流六段、むずかしい将棋を、最後はキッチリ収束して見せた。
そろそろ昼食の時間である。きょうは夜に豪勢な海の幸が出るから、一食抜く手もあるのだが、同じ敷地内にうまいラーメンを食べさせる店があると聞いては、入らないわけにはいかない。
ほとんどの人が、その店に入った。塩ラーメンが有名とのことだったが、私が頼んだのはしょうゆラーメン。カウンター越しに、調理の様子が見えたが、麺を平網で湯切りしているのには感心した。
出されたラーメンはスープが、塩ラーメン用のスープに醤油を足しただけのような気もしたが、すっきりして飲みやすかった。麺も細くて、スープに合っている。チャーシューもよく煮こまれ、とても美味かった。
食後は敷地内をぶらぶら。稚内港駅が復元展示されていた。かつては稚内駅の先にもレールが伸びており、防波堤ドームの近くに駅があった。それが稚内港駅である。
さらに構内を回ると、その一隅に昭和30年代の街並みが再現されていた。
これがまたノスタルジックで、時間の経つのを忘れてしまう。W氏と出くわしたが、彼とは同学年なので、同じく感じ入るところもあったのだろう。ふたりでしばし、郷愁に耽った。
さて、そろそろ交流会&懇親会会場に向かう時間である。私たちは近くにある某所に、クルマで乗り付けた。その名は「稚内将棋クラブ」。ここが稚内支部のホームグラウンドであった。
(つづく)