そこへ観光バスが来て、たくさんの観光客が降りてきた。私たちの記念撮影がもう少し遅かったら、とても撮影などできなかった。あぶないところだった。
吉田弘作詞、船村徹作曲の「宗谷岬」が流れる中、私たちは再びクルマに乗り、岬の手前にある丘に登って、宗谷岬平和公園に向かう。
鶴を模したような、巨大な塔がある。「祈りの塔」だ。1983年9月の大韓航空機撃墜事件は、稚内に近いサハリン沖で起きた。これはその2年後に、恒久平和の願いをこめて建てられたものである。
牧場に牛が放たれている。宗谷黒牛だ。沖縄県の八重山諸島にある、黒島の風景を思わせる。しかし宗谷岬と黒島では北と南、数千キロも離れている。
某ゲストハウス内にある軽食喫茶に入る。「いももち」が売られていて、中井広恵女流六段がいくつか買う。さらにみなはソフトクリーム(250円)を買った。
「おいしい!」
一口なめて、中井女流六段が満面の笑みで言う。それを見たら、私も食べたくなった。私も買う。
一口頬張ると、ミルクキャラメルのような濃厚な味で、美味かった。今年の2月、小樽の北一硝子で食べたソフトクリームの味と同じだった。
いももちは、中井女流六段がみなにごちそうしてくれた。揚げられたジャガイモがもちもちしていて、美味い。中井女流六段も、よく作るという。
しかし中井女流六段が最近手料理を作ったという話は聞かないから、数年前のことだろう。
公園内にあるラーメン屋「間宮堂」に入る。これが北海道最後の食事だ。総勢15名なので、別れて座る。私たち男性5名はカウンターに座り、そろって塩ラーメン(700円)を頼んだ。しかし私たちは、将棋以外はどうしてテキトーなんだろう。
ちなみに中井女流六段は、遠く離れたテーブルに座った。
こうした観光地での食事処は期待外れが多いが、ここ間宮堂のラーメンは美味かった。地元の利を活かし、ホタテや利尻昆布、豊富なダシが入っているのだろう。
店を出る。ここで中井女流六段のご両親とはお別れ。ご両親はこのままクルマで、室蘭の住まいまで帰るのだ。そしてこのクルマには、Fuj氏も同乗する。Fuj氏は新千歳空港から帰京するため、ご両親が空港まで乗せていってくれるのだ。しかしこの3人だと、クルマの中でどういう会話になるのだろう。
それはとにかく、お父さんはいつもニコニコ、お母さんは江戸ッ子ならぬ蝦夷ッ子のごとく、チャキチャキしていて、とても気風がよかった。またご両親にお会いできればうれしいと思う。
クルマは国道238号を颯爽と走り去っていった。
やや時間差があって、私たちも2台に分かれてクルマに乗る。私はもちろん、中井女流六段の横だ。このまま稚内空港に直行すると、やや時間が余るので、中井女流六段は手ごろな観光地に向かう。
しかし見つけられず、結局私たちは、稚内空港に向かった。
空港には12時50分に着いた。東京行きは14時35分だから、まだ時間がある。
中井女流六段と大矢順正氏は所定の場所へクルマを返しに行く。私たちは一足早くチェックインを済ませた。
そのままANAショップで土産物を買う。しかしそれが済んでも、まだ時間が残っている。
His氏、Hon氏は、4階の送迎デッキに向かう。私も後を追うと、ふたりは将棋を指していた。このふたりは本当に将棋が好きだ。
しばしそれを眺めていたが、中井女流六段と大野八一雄七段が迎えに?来てくれ、私たちはそのまま、搭乗待合室に行った。
そこでもHis氏とHon氏は将棋。もう、どうしようもない。このふたりは、ホテル内はもちろん、フェリー、ホテルのロビー、そして空港、いつでもどこでも将棋を指していた。ふたりの仲は、いっそう親密になったことだろう。
私は手許の「PARCOポスター」が気になってしょうがない。「勝訴!」と言って、それをバッ!!と拡げる。どっかから到着した乗客が、こちらを見た。
「ちょっともう…イヤ」
と顔を伏せる中井女流六段。大野七段はおもしろがって、このポスターを再び写真に収めた。
Kun氏が、将棋指しませんか、と言う。私たちジョナ研仲間では、Kun氏は「正常な将棋バカ」という位置づけだったが、最近ではそれも覆されつつある。空港で将棋を所望するなんぞは、「怪しい将棋バカ」の典型である。
と言う私も、「やりましょうか」と嬉々として応じている。もうどうしようもない。
その一局が終わると、搭乗の時間になった。ついに稚内ともお別れである。
飛行機は行きと同じ、B767-300だった。私とHis氏、Kub氏は3人一組なので、またも並びの席。今度は私の席のヘッドホンも、正常に機能していた。
定刻に離陸。しばらく経って左を見ると、His氏は深い眠りについていた。鉄人Hisも、やはり人間だったようだ。
私も心身ともに疲れているが、頭は妙に冴えて、眠れない。前方に座っていた中井女流六段や植山悦行七段が、トイレを借りに、こちら側へ来た。羽田空港に着いたら、皆さんと一杯飲むことになるのだろうか。
B767-300は安定飛行している。ああそういえば、今回は稚内駅に行けなかった。先月、本土最南端の終着駅・枕崎駅を訪れていただけに、今月は日本最北端の駅にお邪魔したかったのだが…。しかし宗谷岬で、中井女流六段とツーショット写真を撮れたのだから佳しとしよう。
飛行機は着陸態勢に入った。オーディオの5チャンネルでは、AKB48の新曲「真夏のSounds good!」が流れてきた。
ゆっくり目を閉じると、この4日間のさまざまな出来事が改めて思い出された。
中井女流六段運転のクルマで、旅行貯金。
ノシャップ寒流水族館での、中井女流六段とのデート。
美味かったどら焼きソフト。
ホテル奥田屋の豪華な食事。
部屋で見た中井女流六段の、ピンク一色の艶姿。
久しぶりに飲んだカツゲン。
レブンアツモリソウの可憐さ。
フェリーのデッキで将棋。
宗谷バスのバスガイド・七戸詩穂さん。
スナックでの将棋三昧。
鮮魚スーパーの驚くべき安さ。
カフェテラスでの将棋。
稚内支部の方々の大歓迎。
中井女流六段のPARCOポスター。
対抗戦の残念な負け。
ウニ、カニ、ホタテ。食べ切れないほどの海鮮。
持てる力をすべて出した、ペア将棋決勝戦。
His氏、Fuj氏との、真夜中の将棋。
宗谷岬の感動と、中井女流六段とのツーショット。
宗谷岬平和公園で食べた塩ラーメン。
みんな、みんな、楽しかった。それもこれも、稚内支部の皆さんの手厚いもてなしがあったからこそだ。そして中井女流六段。中井女流六段の献身も、強く心に残った。
一将棋ファンにこんなにしてもらって、何て自分は幸せなんだろうと思う。自分の半生を省みるとき、この4日間は、間違いなく記憶に残るだろう。稚内支部の皆さん、本当にありがとうございました。いつか必ず、また会いましょう。
吉田弘作詞、船村徹作曲の「宗谷岬」が流れる中、私たちは再びクルマに乗り、岬の手前にある丘に登って、宗谷岬平和公園に向かう。
鶴を模したような、巨大な塔がある。「祈りの塔」だ。1983年9月の大韓航空機撃墜事件は、稚内に近いサハリン沖で起きた。これはその2年後に、恒久平和の願いをこめて建てられたものである。
牧場に牛が放たれている。宗谷黒牛だ。沖縄県の八重山諸島にある、黒島の風景を思わせる。しかし宗谷岬と黒島では北と南、数千キロも離れている。
某ゲストハウス内にある軽食喫茶に入る。「いももち」が売られていて、中井広恵女流六段がいくつか買う。さらにみなはソフトクリーム(250円)を買った。
「おいしい!」
一口なめて、中井女流六段が満面の笑みで言う。それを見たら、私も食べたくなった。私も買う。
一口頬張ると、ミルクキャラメルのような濃厚な味で、美味かった。今年の2月、小樽の北一硝子で食べたソフトクリームの味と同じだった。
いももちは、中井女流六段がみなにごちそうしてくれた。揚げられたジャガイモがもちもちしていて、美味い。中井女流六段も、よく作るという。
しかし中井女流六段が最近手料理を作ったという話は聞かないから、数年前のことだろう。
公園内にあるラーメン屋「間宮堂」に入る。これが北海道最後の食事だ。総勢15名なので、別れて座る。私たち男性5名はカウンターに座り、そろって塩ラーメン(700円)を頼んだ。しかし私たちは、将棋以外はどうしてテキトーなんだろう。
ちなみに中井女流六段は、遠く離れたテーブルに座った。
こうした観光地での食事処は期待外れが多いが、ここ間宮堂のラーメンは美味かった。地元の利を活かし、ホタテや利尻昆布、豊富なダシが入っているのだろう。
店を出る。ここで中井女流六段のご両親とはお別れ。ご両親はこのままクルマで、室蘭の住まいまで帰るのだ。そしてこのクルマには、Fuj氏も同乗する。Fuj氏は新千歳空港から帰京するため、ご両親が空港まで乗せていってくれるのだ。しかしこの3人だと、クルマの中でどういう会話になるのだろう。
それはとにかく、お父さんはいつもニコニコ、お母さんは江戸ッ子ならぬ蝦夷ッ子のごとく、チャキチャキしていて、とても気風がよかった。またご両親にお会いできればうれしいと思う。
クルマは国道238号を颯爽と走り去っていった。
やや時間差があって、私たちも2台に分かれてクルマに乗る。私はもちろん、中井女流六段の横だ。このまま稚内空港に直行すると、やや時間が余るので、中井女流六段は手ごろな観光地に向かう。
しかし見つけられず、結局私たちは、稚内空港に向かった。
空港には12時50分に着いた。東京行きは14時35分だから、まだ時間がある。
中井女流六段と大矢順正氏は所定の場所へクルマを返しに行く。私たちは一足早くチェックインを済ませた。
そのままANAショップで土産物を買う。しかしそれが済んでも、まだ時間が残っている。
His氏、Hon氏は、4階の送迎デッキに向かう。私も後を追うと、ふたりは将棋を指していた。このふたりは本当に将棋が好きだ。
しばしそれを眺めていたが、中井女流六段と大野八一雄七段が迎えに?来てくれ、私たちはそのまま、搭乗待合室に行った。
そこでもHis氏とHon氏は将棋。もう、どうしようもない。このふたりは、ホテル内はもちろん、フェリー、ホテルのロビー、そして空港、いつでもどこでも将棋を指していた。ふたりの仲は、いっそう親密になったことだろう。
私は手許の「PARCOポスター」が気になってしょうがない。「勝訴!」と言って、それをバッ!!と拡げる。どっかから到着した乗客が、こちらを見た。
「ちょっともう…イヤ」
と顔を伏せる中井女流六段。大野七段はおもしろがって、このポスターを再び写真に収めた。
Kun氏が、将棋指しませんか、と言う。私たちジョナ研仲間では、Kun氏は「正常な将棋バカ」という位置づけだったが、最近ではそれも覆されつつある。空港で将棋を所望するなんぞは、「怪しい将棋バカ」の典型である。
と言う私も、「やりましょうか」と嬉々として応じている。もうどうしようもない。
その一局が終わると、搭乗の時間になった。ついに稚内ともお別れである。
飛行機は行きと同じ、B767-300だった。私とHis氏、Kub氏は3人一組なので、またも並びの席。今度は私の席のヘッドホンも、正常に機能していた。
定刻に離陸。しばらく経って左を見ると、His氏は深い眠りについていた。鉄人Hisも、やはり人間だったようだ。
私も心身ともに疲れているが、頭は妙に冴えて、眠れない。前方に座っていた中井女流六段や植山悦行七段が、トイレを借りに、こちら側へ来た。羽田空港に着いたら、皆さんと一杯飲むことになるのだろうか。
B767-300は安定飛行している。ああそういえば、今回は稚内駅に行けなかった。先月、本土最南端の終着駅・枕崎駅を訪れていただけに、今月は日本最北端の駅にお邪魔したかったのだが…。しかし宗谷岬で、中井女流六段とツーショット写真を撮れたのだから佳しとしよう。
飛行機は着陸態勢に入った。オーディオの5チャンネルでは、AKB48の新曲「真夏のSounds good!」が流れてきた。
ゆっくり目を閉じると、この4日間のさまざまな出来事が改めて思い出された。
中井女流六段運転のクルマで、旅行貯金。
ノシャップ寒流水族館での、中井女流六段とのデート。
美味かったどら焼きソフト。
ホテル奥田屋の豪華な食事。
部屋で見た中井女流六段の、ピンク一色の艶姿。
久しぶりに飲んだカツゲン。
レブンアツモリソウの可憐さ。
フェリーのデッキで将棋。
宗谷バスのバスガイド・七戸詩穂さん。
スナックでの将棋三昧。
鮮魚スーパーの驚くべき安さ。
カフェテラスでの将棋。
稚内支部の方々の大歓迎。
中井女流六段のPARCOポスター。
対抗戦の残念な負け。
ウニ、カニ、ホタテ。食べ切れないほどの海鮮。
持てる力をすべて出した、ペア将棋決勝戦。
His氏、Fuj氏との、真夜中の将棋。
宗谷岬の感動と、中井女流六段とのツーショット。
宗谷岬平和公園で食べた塩ラーメン。
みんな、みんな、楽しかった。それもこれも、稚内支部の皆さんの手厚いもてなしがあったからこそだ。そして中井女流六段。中井女流六段の献身も、強く心に残った。
一将棋ファンにこんなにしてもらって、何て自分は幸せなんだろうと思う。自分の半生を省みるとき、この4日間は、間違いなく記憶に残るだろう。稚内支部の皆さん、本当にありがとうございました。いつか必ず、また会いましょう。