「稚内将棋クラブ」は平屋で、和室が3部屋。それに台所がついていた。
稚内支部の方々に、中井広恵女流六段、ご両親、植山悦行七段、大野八一雄七段、大矢順正氏、それに私たち生徒が挨拶。一部の方とは稚内空港やスナックでもお目にかかっていたので、緊張感はだいぶ薄れていた。
壁の一角には将棋クラブ会員の名札が下がっていた。その中に、「七段 渡辺俊雄」「六段 金内辰明」の名前があった。いうまでもないが、両人ともアマタイトルの経験者。その知名度は全国区だ。
きょうは交流戦を2局予定しているが、ふたりはそのうちの1局に参戦するとも聞いている。しかし私たちでは太刀打ちできるはずもなく、いささか荷が重い。
室内には将棋本がいっぱいある。けっこう昔のものが多く、芹沢博文九段のエッセイなどは、時間をかけて読みたいところだった。
「将棋マガジン」の昭和61年6月号があった。パラパラと中をめくってみる。懐かしい。裏表紙の裏のページ(広告用語で「表3」という)を見て、あっ!! と叫んだ。
中井広恵女流名人(当時)の、PARCOポスターが掲載されていたからだ。
話が前後するが、中井女流六段が来稚するにあたり、稚内支部の人がクラブ内を掃除したのだが、その際、PARCOのポスターが押し入れから何枚か出てきたらしい。
この広告が、そのポスターだったのは間違いなかった。
ポスターは中井女流名人が袴姿で対局に臨んでおり、そのコピーは
「女流」の二文字が、いや。
だった。
「いや」は最近大野教室で流行っている言葉で、植山七段やFuj氏が連発している。それがあったから、このコピーを見たとき、「『いや』、の元祖は中井先生だったんだ」と大笑いになった。
中井女流六段のお母さんが、そのポスターを持ってくる。それは2種類あって、1種類は袴で対局編。もう1種類は、中井女流六段の上半身のアップが、肖像画のようにデザインされていた。当時16歳。あごのラインがすっきりしているが、いまとほとんど変わっていない。中井女流六段、いまも若々しいのか、はたまた当時からフケていたのか。
机をタテにずらっと並べ、対抗戦の舞台が整った。支部会員と関東組―これ、何かいいチーム名はないか。中井広恵を愛する会、とでも付けちゃおうか―の対戦カードが読み上げられ、私たちは所定の座布団に座った。
稚内支部の氏名は失念したので、関東側の席順だけを記す。
大将・Fuj、副将・His、以下Kun、一公、Hon、Is、ミスター中飛車、W、Kub。それぞれ名前と棋力を言って自己紹介。私は四段と言ったが、これは見栄。いいところアマ三段であろう。しかしほかの8人の棋力も高く、植山・大野両七段の予想では、1回戦は関東組の圧勝、だった。
一礼して駒が並べられる。中井女流六段が稚内支部との交流を望んでから数年。それが本決まりになってから4か月余り。ついに…ついにこの日がやってきたのだ。
His氏が振って、奇数先手。ときに午後1時46分、ついに1回戦が開始された。
持ち時間は20分、切れたら一手30秒である。先手氏の四間飛車に、私は△5三銀左。数手後、△4二金上と上がったが、これは上がらないほうがよかった。
2部屋をブチ抜いて机が一直線に並べられ、そこに18人の対局者が対峙する光景は壮観だ。それを眺める中井女流六段や稚内支部の人たちも感動を隠せない。
私の将棋は一進一退の攻防が続いたが、終盤で先手氏に一失があり、ここで形勢の針が私に傾いた。
先手氏は▲5三銀の突撃。これを△同金▲同角成△同玉でも私の勝ちだが、まあ、△3三玉。と、Is氏とHon氏が勝ち名乗りを上げた。我がチームはだいぶ勝利を稼いでいるようだ。
先手氏は▲5二銀不成と金を取る。これに△1七桂成と角を取れば先手玉は必至。明快な私の勝ちだった。
しかし、角を取って緩めずとも、先手玉が詰んでいそうな気がした。その局面の部分図が下である(便宜上先後逆)。
先手・一公:5六歩、5九金、6七歩、7二竜、7六歩、7七玉、8五桂、8七歩、9六歩、9九香 持駒:金、銀、香…
後手氏:5八銀、6三金、6四歩、7四歩、8一桂、8二桂、8三歩、8九銀、9一玉、9三角、9四香 持駒:金…
ここで私の持ち時間は4分前後残っていたが、2分ほど使って、▲9二香と詰ましに行った。△同玉▲9三桂成△同玉▲8四角△同玉▲8五金。
ここまで進んで、あれっ? と思った。以下△9三玉▲9四金△同玉▲9五香△8四玉▲8五銀△同玉▲8三竜△8四歩▲8六歩まで詰み、はいいが、▲9四金に△同桂と取られたら、▲8二銀△8四玉▲8五香△同玉▲8三竜△8四歩▲8六歩には、△同桂があるではないか!! じゃあ▲9四金で▲9五歩か…と思うが、相手の持ち駒は角金桂香。△6五桂でさすがに詰むだろう。
それに、私はボタンの押し忘れがあって、秒読みになっていた。私は▲9四金と突撃するが、相手は当然△同桂。▲8二銀に△8四玉で、私の投了となった。
なんじゃこれ、なんじゃこれ、なんじゃこれーーーーっ!!!!!
▲9三桂成とすれば勝ちだったのに、無理に詰ましに行って、詰まし損ねてしまったーーーっ!!!
観戦していた支部の人が、▲8四角では▲5七角と離して打てば詰みでしたね、と言った。
なるほどそうで、金桂香の合い駒を7五に打っても、▲同角以下、作ったように相手玉は詰む。
しかしそれは結果論で、やはり私は詰ましに行くべきではなかった。
言い訳をすれば、周りに観戦者がいるのは気配で察せられたので、ここで相手玉を華麗に詰ませて、目立とうと考えたのだ。
格言でも、「長い詰みより短い必至」と教えているではないか。
何をやってるんだ何を!!
ほかの勝敗はと見ると、ここまで4勝4敗だった。印象ではこちらがかなり勝っていると思ったのに、意外に勝ってない。
残りの一局は大将戦である。しかし局面を見ると、Fuj氏の敗勢。私は目の前が暗くなった。
やがてFuj氏が投了。すべてが終わった。
植山七段に勝敗の報告をする。私の結果を知ってか知らずか、負けました、と言うと、大仰に驚かれた。
「3手勝ってたじゃないですか!」
私はグウの音も出ない。植山七段は半分笑っていたが、半分怒っていた。もっと一局の将棋を大事に指さなければいけませんよ、と、その眼が語っていた。
反省と後悔をする間もなく、2局目の開始となった。今度は稚内支部側の大将に金内氏、副将に渡辺氏が入った。こちらはFuj氏とKun氏が迎え討つ。しかし手合いは平手だ。
私は引き続き4将で、相手は1回戦で大将を務めた方。五段だ…。
時間も押しているので、今度は持ち時間15分。2時54分、開始となった。
振り駒でまたも私の後手。私は横歩取らせを目論んだが、先手氏に角を換えられ、分からなくなった。
私はふらふらと△6二銀だが、失敗。棒銀を含みに、△7二銀だった。
その中盤。▲4五歩△同桂▲同桂△3七角▲4九飛△4五歩▲同銀△同銀▲同飛△4四歩▲4九飛△5八銀▲2九飛△6七銀成▲同金△5五桂▲6八金△4七桂成▲5六歩△5四歩▲4五歩…。
△3七角と打ち得して面白くなったと思ったが、△4七桂成のあとの▲5五桂が厳しいので△5四歩とそれを消したところ、▲4五歩と急所を攻められ、以下も粘ったものの、土俵を割った。
感想戦には中井女流六段が加わってくれ、△4五歩と桂を取り返すところで、△2六角成とボンヤリ成り返っておく手を提示された。
なるほど、こうやってもたれて指すのがいいのか。言われてみれば味わい深い手で、私は全然気付かなかった。さすがにプロの視点は違うと思った。
ほかの対局も終了し、チームは2勝7敗で負け。交流戦2敗となった。渡辺、金内両氏はもちろん勝った。私個人は2敗でいいところなし。こちらはベストメンバーを揃えただけに、この結果は痛かった。しかし何といっても、稚内支部の方々が、強かったのだ。
(つづく)
稚内支部の方々に、中井広恵女流六段、ご両親、植山悦行七段、大野八一雄七段、大矢順正氏、それに私たち生徒が挨拶。一部の方とは稚内空港やスナックでもお目にかかっていたので、緊張感はだいぶ薄れていた。
壁の一角には将棋クラブ会員の名札が下がっていた。その中に、「七段 渡辺俊雄」「六段 金内辰明」の名前があった。いうまでもないが、両人ともアマタイトルの経験者。その知名度は全国区だ。
きょうは交流戦を2局予定しているが、ふたりはそのうちの1局に参戦するとも聞いている。しかし私たちでは太刀打ちできるはずもなく、いささか荷が重い。
室内には将棋本がいっぱいある。けっこう昔のものが多く、芹沢博文九段のエッセイなどは、時間をかけて読みたいところだった。
「将棋マガジン」の昭和61年6月号があった。パラパラと中をめくってみる。懐かしい。裏表紙の裏のページ(広告用語で「表3」という)を見て、あっ!! と叫んだ。
中井広恵女流名人(当時)の、PARCOポスターが掲載されていたからだ。
話が前後するが、中井女流六段が来稚するにあたり、稚内支部の人がクラブ内を掃除したのだが、その際、PARCOのポスターが押し入れから何枚か出てきたらしい。
この広告が、そのポスターだったのは間違いなかった。
ポスターは中井女流名人が袴姿で対局に臨んでおり、そのコピーは
「女流」の二文字が、いや。
だった。
「いや」は最近大野教室で流行っている言葉で、植山七段やFuj氏が連発している。それがあったから、このコピーを見たとき、「『いや』、の元祖は中井先生だったんだ」と大笑いになった。
中井女流六段のお母さんが、そのポスターを持ってくる。それは2種類あって、1種類は袴で対局編。もう1種類は、中井女流六段の上半身のアップが、肖像画のようにデザインされていた。当時16歳。あごのラインがすっきりしているが、いまとほとんど変わっていない。中井女流六段、いまも若々しいのか、はたまた当時からフケていたのか。
机をタテにずらっと並べ、対抗戦の舞台が整った。支部会員と関東組―これ、何かいいチーム名はないか。中井広恵を愛する会、とでも付けちゃおうか―の対戦カードが読み上げられ、私たちは所定の座布団に座った。
稚内支部の氏名は失念したので、関東側の席順だけを記す。
大将・Fuj、副将・His、以下Kun、一公、Hon、Is、ミスター中飛車、W、Kub。それぞれ名前と棋力を言って自己紹介。私は四段と言ったが、これは見栄。いいところアマ三段であろう。しかしほかの8人の棋力も高く、植山・大野両七段の予想では、1回戦は関東組の圧勝、だった。
一礼して駒が並べられる。中井女流六段が稚内支部との交流を望んでから数年。それが本決まりになってから4か月余り。ついに…ついにこの日がやってきたのだ。
His氏が振って、奇数先手。ときに午後1時46分、ついに1回戦が開始された。
持ち時間は20分、切れたら一手30秒である。先手氏の四間飛車に、私は△5三銀左。数手後、△4二金上と上がったが、これは上がらないほうがよかった。
2部屋をブチ抜いて机が一直線に並べられ、そこに18人の対局者が対峙する光景は壮観だ。それを眺める中井女流六段や稚内支部の人たちも感動を隠せない。
私の将棋は一進一退の攻防が続いたが、終盤で先手氏に一失があり、ここで形勢の針が私に傾いた。
先手氏は▲5三銀の突撃。これを△同金▲同角成△同玉でも私の勝ちだが、まあ、△3三玉。と、Is氏とHon氏が勝ち名乗りを上げた。我がチームはだいぶ勝利を稼いでいるようだ。
先手氏は▲5二銀不成と金を取る。これに△1七桂成と角を取れば先手玉は必至。明快な私の勝ちだった。
しかし、角を取って緩めずとも、先手玉が詰んでいそうな気がした。その局面の部分図が下である(便宜上先後逆)。
先手・一公:5六歩、5九金、6七歩、7二竜、7六歩、7七玉、8五桂、8七歩、9六歩、9九香 持駒:金、銀、香…
後手氏:5八銀、6三金、6四歩、7四歩、8一桂、8二桂、8三歩、8九銀、9一玉、9三角、9四香 持駒:金…
ここで私の持ち時間は4分前後残っていたが、2分ほど使って、▲9二香と詰ましに行った。△同玉▲9三桂成△同玉▲8四角△同玉▲8五金。
ここまで進んで、あれっ? と思った。以下△9三玉▲9四金△同玉▲9五香△8四玉▲8五銀△同玉▲8三竜△8四歩▲8六歩まで詰み、はいいが、▲9四金に△同桂と取られたら、▲8二銀△8四玉▲8五香△同玉▲8三竜△8四歩▲8六歩には、△同桂があるではないか!! じゃあ▲9四金で▲9五歩か…と思うが、相手の持ち駒は角金桂香。△6五桂でさすがに詰むだろう。
それに、私はボタンの押し忘れがあって、秒読みになっていた。私は▲9四金と突撃するが、相手は当然△同桂。▲8二銀に△8四玉で、私の投了となった。
なんじゃこれ、なんじゃこれ、なんじゃこれーーーーっ!!!!!
▲9三桂成とすれば勝ちだったのに、無理に詰ましに行って、詰まし損ねてしまったーーーっ!!!
観戦していた支部の人が、▲8四角では▲5七角と離して打てば詰みでしたね、と言った。
なるほどそうで、金桂香の合い駒を7五に打っても、▲同角以下、作ったように相手玉は詰む。
しかしそれは結果論で、やはり私は詰ましに行くべきではなかった。
言い訳をすれば、周りに観戦者がいるのは気配で察せられたので、ここで相手玉を華麗に詰ませて、目立とうと考えたのだ。
格言でも、「長い詰みより短い必至」と教えているではないか。
何をやってるんだ何を!!
ほかの勝敗はと見ると、ここまで4勝4敗だった。印象ではこちらがかなり勝っていると思ったのに、意外に勝ってない。
残りの一局は大将戦である。しかし局面を見ると、Fuj氏の敗勢。私は目の前が暗くなった。
やがてFuj氏が投了。すべてが終わった。
植山七段に勝敗の報告をする。私の結果を知ってか知らずか、負けました、と言うと、大仰に驚かれた。
「3手勝ってたじゃないですか!」
私はグウの音も出ない。植山七段は半分笑っていたが、半分怒っていた。もっと一局の将棋を大事に指さなければいけませんよ、と、その眼が語っていた。
反省と後悔をする間もなく、2局目の開始となった。今度は稚内支部側の大将に金内氏、副将に渡辺氏が入った。こちらはFuj氏とKun氏が迎え討つ。しかし手合いは平手だ。
私は引き続き4将で、相手は1回戦で大将を務めた方。五段だ…。
時間も押しているので、今度は持ち時間15分。2時54分、開始となった。
振り駒でまたも私の後手。私は横歩取らせを目論んだが、先手氏に角を換えられ、分からなくなった。
私はふらふらと△6二銀だが、失敗。棒銀を含みに、△7二銀だった。
その中盤。▲4五歩△同桂▲同桂△3七角▲4九飛△4五歩▲同銀△同銀▲同飛△4四歩▲4九飛△5八銀▲2九飛△6七銀成▲同金△5五桂▲6八金△4七桂成▲5六歩△5四歩▲4五歩…。
△3七角と打ち得して面白くなったと思ったが、△4七桂成のあとの▲5五桂が厳しいので△5四歩とそれを消したところ、▲4五歩と急所を攻められ、以下も粘ったものの、土俵を割った。
感想戦には中井女流六段が加わってくれ、△4五歩と桂を取り返すところで、△2六角成とボンヤリ成り返っておく手を提示された。
なるほど、こうやってもたれて指すのがいいのか。言われてみれば味わい深い手で、私は全然気付かなかった。さすがにプロの視点は違うと思った。
ほかの対局も終了し、チームは2勝7敗で負け。交流戦2敗となった。渡辺、金内両氏はもちろん勝った。私個人は2敗でいいところなし。こちらはベストメンバーを揃えただけに、この結果は痛かった。しかし何といっても、稚内支部の方々が、強かったのだ。
(つづく)