礼文島と利尻島は20年前、平成4年の7月に訪れたことがある。当時は新卒で入社した会社をリストラされ、次に就職する会社もハッキリしないまま、根なし草のような存在での北海道旅行だった。礼文行きのフェリーでは、旭川ユースホステルで知り合いになった女性ホステラー(宿泊者)と再会し、楽しいひとときを過ごした。
私は船泊ユースホステルに旅装を解き、その翌日、ほかのホステラーとともに、「礼文島徒歩縦断・愛とロマンの8時間コース」に挑んだ。
「愛」とあるのは、8時間もいっしょに歩いていれば、同行の異性と愛が芽生える、という意味である。しかし当日は朝から雨。先の女性は桃岩荘ユースホステルに泊まったうえ、こちらのコースは参加女性がひとりで、愛が生まれるはずもなかった。しかも歩いている途中で雨がひどくなり、道半ばで引き返す有様。甘酸っぱい思い出となった。
話を現在に戻す。香深港に降りると、桃岩荘ユースホステルのヘルパーさんが、旗を拡げて迎えに来ていた。思わずそちらに行きそうになるが、私たちは観光タクシーをチャーターしている。
当初は稚内支部から借りたクルマで島巡りをする予定だったが、乗船料金が意外に高いので、観光タクシーに変えたのである。
運転手兼ガイドさんは、俳優の中西良太をさらにオッサンにして、福留功男キャスターをまぶした感じだった。
ライトバンに私たち8人が乗車。「3時間コース」で出発した。
礼文島は南北30キロ、東西8キロの細長い島。島の人口は2,905人だが1週間前にひとり亡くなったので現在は2,904人。島には約350種の花が咲いていて、うち150種が高山植物…と、ガイドさんの説明は軽やかだ。
沿道に、太陽と月をイメージしたモニュメントがある。昭和23年5月9日、この地に金環日食があったという。もっとも当日は「くもり」で、日食はほとんど見られなかったらしい。
海岸に出る。浜に出て目をこらしてみると、沖の彼方にアザラシがいる。きのうの稚内市内観光では、アザラシを見るプランも入っていたが、港にいないことが判明し、断念していた。
アザラシは警戒心が強く、ここからはちょっと距離があったのが残念だった。
いくつか小学校前を通るが、過疎化によって廃校になったところばかり。その「棄景」が見る者の心を打つ。ちなみに礼文常駐の警察官は3人、信号機は2台、とのことだった。
先にも書いたが、礼文は花の宝庫だ。ちょっと走っては止まり、沿道に咲いている花を紹介してくれる。
クルマは西側に出て、レブンアツモリソウ(礼文敦盛草)群生地に降りる。アツモリはラン科の花で、レモン色の花弁の一部が袋状になっている。特定国内希少野生植物種に指定されている、礼文島のシンボル的存在である。
急な斜面の遊歩道を登るが、アツモリのほかにもさまざまな高山植物が咲いており、ガイドさんに交じって、大矢順正氏も解説してくれる。大矢氏は自身のブログで、毎日違う花を紹介している花博士である。興味津々なのが傍目からも分かる。ガイドさんとも話が弾んでいるようで、ガイドさんは「あの方は花のことに詳しいですなあ」と、感心するように言った。
その大矢氏に負けず、大野八一雄七段も「アツモリ様」と崇めて、ケータイで撮影している。遅々として、全然列が進まない。
一周して戻ってくると、礼文島のマスコットキャラクターがいた。その名も「アツモン」。もちろんアツモリをイメージしたものだ。
きょう6月8日は年に一度の祭典、「アツモリ感謝祭」が行われる日らしい。礼文町長も姿を見せたが、私たちの関心はアツモンにある。大野七段が請い、アツモンとツーショット写真を撮る。その大野七段の、うれしそうな顔!
男はいつまで経っても少年なのだ。
クルマに戻って少し走り、スカイ(澄海)岬に着いた。エメラルドグリーンの海が美しい。私は中国には行ったことはないが、中国の山水画を思わせる、清澄な景色だった。
そのふもとの出店で、「トド肉」が売られていた。大野七段は数年前に350円を出してこれを食したことがあるが、あまりのマズさに閉口したという。
現在、このトド肉は一串200円で売られていた。マズくても何でも、精力がつきそうだ。モノは試しと、1本買ってみる。臭みをだいぶ抜いたのか、クジラの味に似て、美味だった。大野七段の味覚がおかしかったようだ。
続いてスコトン(須古頓)岬に行く。礼文島の最北端だが、表記は「最北限」。なぜ最北端ではないのか、W氏がしきりに首をかしげている。
突端の展望台に立つ。空はどんより曇っているが、海の眺めは素晴らしい。ここスコトン岬と稚内の宗谷岬は、日本最北端でいい勝負らしい。もしスコトン岬が最北端だったら、旅行者の分布図がかなり変わっていただろう。
これで礼文の観光は終わり。あとは港近くで昼食となる。ここで私が無理を言う。帰りにどこかの郵便局に寄ってほしい、と。
しばらく走って、こじんまりした郵便局の前で一時停止した。
「内路郵便局」、608円。
ガイドさん推奨の食堂に寄る。ここでとりあえず、観光タクシーはお役御免。いいガイドだった。
私たちは食堂に入る。遅れていた大野七段が戻ってきた。4時間近くのガイドになったが、ガイドさんに値切り交渉し、「3時間半」の料金で収めてくれたようだ。大野七段には厚く御礼申し上げます。
「ホッケのちゃんちゃん焼定食」を頼んだのが、私を含め6人。みんな将棋以外は、あまり考えないらしい。
料理人が、私たちの前で焼き網にホッケを乗せ、味噌を塗る。その上にネギを撒いて焼き上がるのを待つ。
焼きたてを頬張った。こりゃ美味い!! 北海道は食の宝庫だと、改めて思う。
13時05分発の鴛泊(利尻)港行きのフェリーに乗った。20年前、あれは礼文の港を離れるときだったか、ユースのヘルパーさんが、私たちホステラーのために、盛大な見送りをしてくれた。
ほかの観光客も手を振っていたが、あれは私たちにくれたものだと、胸を張ったのを思い出す。
船旅での別れは、ある種の感動がある。今回も何本かのテープが張られていた。
フェリーは定刻に出港した。次に礼文を訪れるのはいつになるだろう。港で手を振る人々が、米粒くらいに小さくなるまで、私はデッキに佇んでいた。
(つづく)
私は船泊ユースホステルに旅装を解き、その翌日、ほかのホステラーとともに、「礼文島徒歩縦断・愛とロマンの8時間コース」に挑んだ。
「愛」とあるのは、8時間もいっしょに歩いていれば、同行の異性と愛が芽生える、という意味である。しかし当日は朝から雨。先の女性は桃岩荘ユースホステルに泊まったうえ、こちらのコースは参加女性がひとりで、愛が生まれるはずもなかった。しかも歩いている途中で雨がひどくなり、道半ばで引き返す有様。甘酸っぱい思い出となった。
話を現在に戻す。香深港に降りると、桃岩荘ユースホステルのヘルパーさんが、旗を拡げて迎えに来ていた。思わずそちらに行きそうになるが、私たちは観光タクシーをチャーターしている。
当初は稚内支部から借りたクルマで島巡りをする予定だったが、乗船料金が意外に高いので、観光タクシーに変えたのである。
運転手兼ガイドさんは、俳優の中西良太をさらにオッサンにして、福留功男キャスターをまぶした感じだった。
ライトバンに私たち8人が乗車。「3時間コース」で出発した。
礼文島は南北30キロ、東西8キロの細長い島。島の人口は2,905人だが1週間前にひとり亡くなったので現在は2,904人。島には約350種の花が咲いていて、うち150種が高山植物…と、ガイドさんの説明は軽やかだ。
沿道に、太陽と月をイメージしたモニュメントがある。昭和23年5月9日、この地に金環日食があったという。もっとも当日は「くもり」で、日食はほとんど見られなかったらしい。
海岸に出る。浜に出て目をこらしてみると、沖の彼方にアザラシがいる。きのうの稚内市内観光では、アザラシを見るプランも入っていたが、港にいないことが判明し、断念していた。
アザラシは警戒心が強く、ここからはちょっと距離があったのが残念だった。
いくつか小学校前を通るが、過疎化によって廃校になったところばかり。その「棄景」が見る者の心を打つ。ちなみに礼文常駐の警察官は3人、信号機は2台、とのことだった。
先にも書いたが、礼文は花の宝庫だ。ちょっと走っては止まり、沿道に咲いている花を紹介してくれる。
クルマは西側に出て、レブンアツモリソウ(礼文敦盛草)群生地に降りる。アツモリはラン科の花で、レモン色の花弁の一部が袋状になっている。特定国内希少野生植物種に指定されている、礼文島のシンボル的存在である。
急な斜面の遊歩道を登るが、アツモリのほかにもさまざまな高山植物が咲いており、ガイドさんに交じって、大矢順正氏も解説してくれる。大矢氏は自身のブログで、毎日違う花を紹介している花博士である。興味津々なのが傍目からも分かる。ガイドさんとも話が弾んでいるようで、ガイドさんは「あの方は花のことに詳しいですなあ」と、感心するように言った。
その大矢氏に負けず、大野八一雄七段も「アツモリ様」と崇めて、ケータイで撮影している。遅々として、全然列が進まない。
一周して戻ってくると、礼文島のマスコットキャラクターがいた。その名も「アツモン」。もちろんアツモリをイメージしたものだ。
きょう6月8日は年に一度の祭典、「アツモリ感謝祭」が行われる日らしい。礼文町長も姿を見せたが、私たちの関心はアツモンにある。大野七段が請い、アツモンとツーショット写真を撮る。その大野七段の、うれしそうな顔!
男はいつまで経っても少年なのだ。
クルマに戻って少し走り、スカイ(澄海)岬に着いた。エメラルドグリーンの海が美しい。私は中国には行ったことはないが、中国の山水画を思わせる、清澄な景色だった。
そのふもとの出店で、「トド肉」が売られていた。大野七段は数年前に350円を出してこれを食したことがあるが、あまりのマズさに閉口したという。
現在、このトド肉は一串200円で売られていた。マズくても何でも、精力がつきそうだ。モノは試しと、1本買ってみる。臭みをだいぶ抜いたのか、クジラの味に似て、美味だった。大野七段の味覚がおかしかったようだ。
続いてスコトン(須古頓)岬に行く。礼文島の最北端だが、表記は「最北限」。なぜ最北端ではないのか、W氏がしきりに首をかしげている。
突端の展望台に立つ。空はどんより曇っているが、海の眺めは素晴らしい。ここスコトン岬と稚内の宗谷岬は、日本最北端でいい勝負らしい。もしスコトン岬が最北端だったら、旅行者の分布図がかなり変わっていただろう。
これで礼文の観光は終わり。あとは港近くで昼食となる。ここで私が無理を言う。帰りにどこかの郵便局に寄ってほしい、と。
しばらく走って、こじんまりした郵便局の前で一時停止した。
「内路郵便局」、608円。
ガイドさん推奨の食堂に寄る。ここでとりあえず、観光タクシーはお役御免。いいガイドだった。
私たちは食堂に入る。遅れていた大野七段が戻ってきた。4時間近くのガイドになったが、ガイドさんに値切り交渉し、「3時間半」の料金で収めてくれたようだ。大野七段には厚く御礼申し上げます。
「ホッケのちゃんちゃん焼定食」を頼んだのが、私を含め6人。みんな将棋以外は、あまり考えないらしい。
料理人が、私たちの前で焼き網にホッケを乗せ、味噌を塗る。その上にネギを撒いて焼き上がるのを待つ。
焼きたてを頬張った。こりゃ美味い!! 北海道は食の宝庫だと、改めて思う。
13時05分発の鴛泊(利尻)港行きのフェリーに乗った。20年前、あれは礼文の港を離れるときだったか、ユースのヘルパーさんが、私たちホステラーのために、盛大な見送りをしてくれた。
ほかの観光客も手を振っていたが、あれは私たちにくれたものだと、胸を張ったのを思い出す。
船旅での別れは、ある種の感動がある。今回も何本かのテープが張られていた。
フェリーは定刻に出港した。次に礼文を訪れるのはいつになるだろう。港で手を振る人々が、米粒くらいに小さくなるまで、私はデッキに佇んでいた。
(つづく)