先ほどのクルマの中で、大矢順正氏が「来週は倉敷に行く」と言ったが、その話が発展して、「もし自分一推しの女流棋士と倉敷-東京間の新幹線でふたりっきりになれるとしたら、いくら出せるか」となった。
10万円、が適正価格で落ち着いたが、今回の郵便局~水族館デートをハンマープライスしたら、いくらになるだろう。
水族館はこじんまりしていて、いかにも地方のそれという感じだった。私の隣には「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」1位の女流棋士がいる。まさに夢心地である。
いろいろな魚が泳いでいて、綺麗ですね、かわいいですね、とふたりでつぶやきながら歩く。
しかし毛ガニの群れを見てから、その言葉が、美味しそうですね、食べたいですね、に変わった。私は自宅を出てから、お茶とコーヒーしか口にしていない。
と、2階からミスター中飛車氏とKub氏が降りてきた。水族館組はこのふたりだった。これから4人で見学か…と落胆していると、しばらく経って、彼らは後方に過ぎていった。何だか知らぬが、またふたりきりになれた。
水槽は家庭用と思しき質素なものもあり苦笑を禁じ得ないが、それも横に中井広恵女流六段がいれば楽しいものとなる。旅の思い出は同行者に左右される、は私の持論だ。
建物の表に出ると、「入口」の文字があった。どうも私たちは、出口から入ってしまったらしい。
ともあれこれで、中井女流六段とのデートは終了。40分足らずの、至福の時間だった。
食事組はまだ見えない。私はひとり、岬先端の恵山泊漁港公園に向かう。左手には利尻島が見えるはずだが、きょうは厚い雲に覆われて、見えない。
ひとりたそがれていると、中井女流六段、中飛車氏、Kub氏らも来た。気のおけない同行者がいるのはありがたいことである。
しばし談笑していると、食事組が戻ってきた。漁師が経営している食堂に入ったそうで、ウニ丼が1,500円、ホッケの「中」が150円という安さだったらしい。
私はウニは嫌いではないが、丼で食べるほど好きではない。軍艦巻を2カンも食べればいい。ましてやその時間は中井女流六段とデート中だったから後悔はしないが、中飛車氏とKub氏は、心残りがあったようだ。
私たちはクルマに戻り、稚内公園に向かう。急な坂道をグングン登っていく。むかしここに来た時は、ロープウェイを利用したものだが、それはいまもあるだろうか。
午後4時半、開基百年記念塔・北方記念館に入る。私がここに入るのは、意外にも初めて。私の旅は路線バスと徒歩の併用だから、中途半端に遠い施設は、どうしても見送りになってしまうのだ。
入館料は400円。ちょっと高めだが、記念塔の展望台も込みだから、妥当なところである。
北方記念館は、稚内の歴史や間宮林蔵、「九人の乙女」などの資料が展示されていた。
つい見入ってしまったのが大正から昭和にかけての、稚内町内のスナップだ。当時の人々の生活が活写され、ノスタルジックな気分に浸れた。
海抜240mの展望台に上る。さぞや見晴らしがいいだろうと思いきや、濃霧に覆われて、まったく景色が見えない。残念だが、雨が降っていないだけマシ、と考える。
クルマで少し戻り、「九人の乙女の碑」へ向かう。学生時代にここを訪れたとき、私はこの碑の横に立ち、写真を撮った。しかしこの碑の意味を考えるとき、その行為は不謹慎だったといまでは思う。きょう私は九人の乙女に、心の中で手を合わせた。
いよいよホテルに向かうが、最後にもう一軒寄る。中井女流六段が稚内に来ると必ず寄るという、洋菓子店だ。
稚内駅近くの商店街に入る。その名は「香花堂」。どらやきにソフトクリームを挟んだ「どらやきソフト」(350円)が名物で、みながそれを注文する。
それを一口ほおばる中井女流六段の幸せそうな顔! 私も食べる。美味い! 「空腹は最高の調味料」というが、中井女流六段も私も、北海道に上陸して初の食べ物だ。そしてこれは、これから山のように繰り出される食物の、ほんの序章にすぎないのだった。
稚内駅から数分走ったところにある、「ホテル奥田屋」にチェックインする。ここが4日間お世話になる、私たちの宿である。
部屋は3階。エレベーターを降りた向かいの部屋が中井女流六段とご両親。左をぐるっと回った反対側に私たちの部屋があり、右から322号室「W・Kub・一公」、323号室「大野・大矢・中飛車」、325号室「植山・His・Hon」だった。
なお金曜日組の3人は、ここにひとりずつ振り分けられる。
私たちの部屋は角部屋ということもあり、かなり広かった。深夜になればどこかに人が集うのだろうが、どうもこの部屋になりそうである。
フロントでいただいた読売新聞を読む。前日行われた「AKB48総選挙」の記事が社会面に載っていた。まったく、日本は平和だと苦笑せざるを得ないが、投票総数が138万もあったと知れば、社会的事象と認めざるを得ない。ちなみに私だったら、河西智美に1票を投じただろう。
さすがに北海道だと思ったのは、「よさこいソーラン始まる」の記事があったこと。一度本場の踊りを見てみたいが、それは叶わぬようである。
早速Kub氏と一局。Kub氏の棋力はアマ5級前後だが、手合いは平手である。私の四間飛車にKub氏は穴熊に潜り、気がついたら私が作戦負けになっていた。
ここで夕食の時間である。7時から2階の大部屋で摂る。部屋に入り、各自が好みの席に着いた。
ではここで、席の配置を記そう。
中井 大野 中飛車 大矢 Kub Hon
父 母 植山 一公 W His
ここ「ホテル奥田屋」はビジネスホテルだと理解していたが、どうしてどうして豪華な食事だった。一品ごとの味つけもいいが、それを入れている器が華やかでよい。植山悦行七段は、「ウニ丼食ったから腹いっぱいだ」とフーフー言う。こんなに美味しいのに、もったいないことだ。ともあれ、あすの夕食も楽しみになった。
食後は「将棋クイズ」の答え合わせ。解答したものは自信があったのだが、意外とケアレスミスが多かった。大野八一雄七段が私たちといっしょに熱く答え合わせをしているのが微笑ましかった。
ところであすはどうしようか。ツアーの行程表では、稚内港を6時20分に出港するフェリーで、礼文島-利尻島を1日で回ることになっている。ホテルを出るのは5時台になる。イヤだ、そんなに朝早いの。
あすはフリーだから、私は路線バスで浜頓別に出て温泉にでも入り、音威子府を経由して稚内に戻ってくるつもりだった。
しかしほかのメンバーは、礼文-利尻の観光以外考えてないようである。さらに植山七段や大野七段が、あすは私と行動を共にし、私流のひとり旅を経験したい、と言いだした。
それは困る! 私の旅行はマル秘なのだ。いままでそれを体験したのは、2月10日の小樽旅行に同行した女性ひとりだけで、それで十分なのだ。
けっきょく私は、みなと同じ、礼文と利尻を回ることにした。
フロントに行って、あす早朝の朝食を、ひとり分増やしてもらう。すると大矢氏と中飛車氏が下りてきて、酒を買う算段をしていた。彼らは将棋より酒なのだろう。
私は部屋に戻って、Kub氏と将棋の続き。やはり最後は、私が勝った。しかしKub氏はイビアナがお気に入りのようで、相居飛車でも穴熊に潜りたいらしい。それもいいが、急戦などで脳ミソに汗をかく将棋を指さないと、後で苦労するよ、と脅かしておく。
しばらく寛いでいたら、ドアがノックされた。それは中井女流六段だった。
ああっ、な、中井先生、その格好…!!
(つづく)
10万円、が適正価格で落ち着いたが、今回の郵便局~水族館デートをハンマープライスしたら、いくらになるだろう。
水族館はこじんまりしていて、いかにも地方のそれという感じだった。私の隣には「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」1位の女流棋士がいる。まさに夢心地である。
いろいろな魚が泳いでいて、綺麗ですね、かわいいですね、とふたりでつぶやきながら歩く。
しかし毛ガニの群れを見てから、その言葉が、美味しそうですね、食べたいですね、に変わった。私は自宅を出てから、お茶とコーヒーしか口にしていない。
と、2階からミスター中飛車氏とKub氏が降りてきた。水族館組はこのふたりだった。これから4人で見学か…と落胆していると、しばらく経って、彼らは後方に過ぎていった。何だか知らぬが、またふたりきりになれた。
水槽は家庭用と思しき質素なものもあり苦笑を禁じ得ないが、それも横に中井広恵女流六段がいれば楽しいものとなる。旅の思い出は同行者に左右される、は私の持論だ。
建物の表に出ると、「入口」の文字があった。どうも私たちは、出口から入ってしまったらしい。
ともあれこれで、中井女流六段とのデートは終了。40分足らずの、至福の時間だった。
食事組はまだ見えない。私はひとり、岬先端の恵山泊漁港公園に向かう。左手には利尻島が見えるはずだが、きょうは厚い雲に覆われて、見えない。
ひとりたそがれていると、中井女流六段、中飛車氏、Kub氏らも来た。気のおけない同行者がいるのはありがたいことである。
しばし談笑していると、食事組が戻ってきた。漁師が経営している食堂に入ったそうで、ウニ丼が1,500円、ホッケの「中」が150円という安さだったらしい。
私はウニは嫌いではないが、丼で食べるほど好きではない。軍艦巻を2カンも食べればいい。ましてやその時間は中井女流六段とデート中だったから後悔はしないが、中飛車氏とKub氏は、心残りがあったようだ。
私たちはクルマに戻り、稚内公園に向かう。急な坂道をグングン登っていく。むかしここに来た時は、ロープウェイを利用したものだが、それはいまもあるだろうか。
午後4時半、開基百年記念塔・北方記念館に入る。私がここに入るのは、意外にも初めて。私の旅は路線バスと徒歩の併用だから、中途半端に遠い施設は、どうしても見送りになってしまうのだ。
入館料は400円。ちょっと高めだが、記念塔の展望台も込みだから、妥当なところである。
北方記念館は、稚内の歴史や間宮林蔵、「九人の乙女」などの資料が展示されていた。
つい見入ってしまったのが大正から昭和にかけての、稚内町内のスナップだ。当時の人々の生活が活写され、ノスタルジックな気分に浸れた。
海抜240mの展望台に上る。さぞや見晴らしがいいだろうと思いきや、濃霧に覆われて、まったく景色が見えない。残念だが、雨が降っていないだけマシ、と考える。
クルマで少し戻り、「九人の乙女の碑」へ向かう。学生時代にここを訪れたとき、私はこの碑の横に立ち、写真を撮った。しかしこの碑の意味を考えるとき、その行為は不謹慎だったといまでは思う。きょう私は九人の乙女に、心の中で手を合わせた。
いよいよホテルに向かうが、最後にもう一軒寄る。中井女流六段が稚内に来ると必ず寄るという、洋菓子店だ。
稚内駅近くの商店街に入る。その名は「香花堂」。どらやきにソフトクリームを挟んだ「どらやきソフト」(350円)が名物で、みながそれを注文する。
それを一口ほおばる中井女流六段の幸せそうな顔! 私も食べる。美味い! 「空腹は最高の調味料」というが、中井女流六段も私も、北海道に上陸して初の食べ物だ。そしてこれは、これから山のように繰り出される食物の、ほんの序章にすぎないのだった。
稚内駅から数分走ったところにある、「ホテル奥田屋」にチェックインする。ここが4日間お世話になる、私たちの宿である。
部屋は3階。エレベーターを降りた向かいの部屋が中井女流六段とご両親。左をぐるっと回った反対側に私たちの部屋があり、右から322号室「W・Kub・一公」、323号室「大野・大矢・中飛車」、325号室「植山・His・Hon」だった。
なお金曜日組の3人は、ここにひとりずつ振り分けられる。
私たちの部屋は角部屋ということもあり、かなり広かった。深夜になればどこかに人が集うのだろうが、どうもこの部屋になりそうである。
フロントでいただいた読売新聞を読む。前日行われた「AKB48総選挙」の記事が社会面に載っていた。まったく、日本は平和だと苦笑せざるを得ないが、投票総数が138万もあったと知れば、社会的事象と認めざるを得ない。ちなみに私だったら、河西智美に1票を投じただろう。
さすがに北海道だと思ったのは、「よさこいソーラン始まる」の記事があったこと。一度本場の踊りを見てみたいが、それは叶わぬようである。
早速Kub氏と一局。Kub氏の棋力はアマ5級前後だが、手合いは平手である。私の四間飛車にKub氏は穴熊に潜り、気がついたら私が作戦負けになっていた。
ここで夕食の時間である。7時から2階の大部屋で摂る。部屋に入り、各自が好みの席に着いた。
ではここで、席の配置を記そう。
中井 大野 中飛車 大矢 Kub Hon
父 母 植山 一公 W His
ここ「ホテル奥田屋」はビジネスホテルだと理解していたが、どうしてどうして豪華な食事だった。一品ごとの味つけもいいが、それを入れている器が華やかでよい。植山悦行七段は、「ウニ丼食ったから腹いっぱいだ」とフーフー言う。こんなに美味しいのに、もったいないことだ。ともあれ、あすの夕食も楽しみになった。
食後は「将棋クイズ」の答え合わせ。解答したものは自信があったのだが、意外とケアレスミスが多かった。大野八一雄七段が私たちといっしょに熱く答え合わせをしているのが微笑ましかった。
ところであすはどうしようか。ツアーの行程表では、稚内港を6時20分に出港するフェリーで、礼文島-利尻島を1日で回ることになっている。ホテルを出るのは5時台になる。イヤだ、そんなに朝早いの。
あすはフリーだから、私は路線バスで浜頓別に出て温泉にでも入り、音威子府を経由して稚内に戻ってくるつもりだった。
しかしほかのメンバーは、礼文-利尻の観光以外考えてないようである。さらに植山七段や大野七段が、あすは私と行動を共にし、私流のひとり旅を経験したい、と言いだした。
それは困る! 私の旅行はマル秘なのだ。いままでそれを体験したのは、2月10日の小樽旅行に同行した女性ひとりだけで、それで十分なのだ。
けっきょく私は、みなと同じ、礼文と利尻を回ることにした。
フロントに行って、あす早朝の朝食を、ひとり分増やしてもらう。すると大矢氏と中飛車氏が下りてきて、酒を買う算段をしていた。彼らは将棋より酒なのだろう。
私は部屋に戻って、Kub氏と将棋の続き。やはり最後は、私が勝った。しかしKub氏はイビアナがお気に入りのようで、相居飛車でも穴熊に潜りたいらしい。それもいいが、急戦などで脳ミソに汗をかく将棋を指さないと、後で苦労するよ、と脅かしておく。
しばらく寛いでいたら、ドアがノックされた。それは中井女流六段だった。
ああっ、な、中井先生、その格好…!!
(つづく)