一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

中井広恵と行く稚内ツアー(第5手)・利尻島観光

2012-06-17 02:32:23 | 将棋イベント
13時05分に香深港を出港したハートランドは、順調に航海する。この船は早朝の船と似て非なるところがあって、デッキに喫煙コーナーがなかった。
これに閉口したのがHis氏とHon氏で、タバコを喫いながら将棋が指せない。しかしふたりは悪びれず、座席に布盤を置いて、将棋を指す始末。私もかなりの将棋好きだが、彼らには敵わない。
舳先には、カモメだかウミネコだかが寄ってきている。フェリーに乗っていると、日本全国、この鳥が旅のお供をしてくれる。思わず菓子をやりたくなるが、それは禁止事項となっている。
私はカメラを取り出し、彼らを撮った。
13時45分、フェリーは鴛泊港に着いた。利尻島も礼文島同様、20年前の7月に訪れた。ここでは、今は無き鴛泊ユースホステルに泊まったが、宿泊は1泊のみ。ユースのヘルパーさんが、礼文は2泊なのに、利尻は1泊ですか! と苦笑していたのを思い出す。
このように、利尻と礼文は微笑ましいライバル関係にある。利尻島民が礼文島を「ぞうり島」と揶揄すると、礼文島民は利尻島を「うんこ島」と揶揄するのである。
鴛泊ユースホステルでは、この宿名物の「利尻歌」があった。その名も「ああ利尻島」で、これを私たちは、夜のミーティングで聴かされたのである。
この歌は全国的に有名なので、以下にその歌詞を記そう。


ここはサロベツ大平原 はるか彼方に そびえたつ
あれがうわさの利尻島 海の中から ぬっと出た
北の荒波 ものとせず 男がほれる あの勇姿

ああ利尻(Say!)ああ利尻(Say!)ああ利尻島

稚内から 船が行く 荒波けたてて まっしぐら
あれが噂の利尻島 平らな礼文を友として
雄々しく そびえる利尻富士 女もほれるあの勇姿

ああ利尻(Say!)ああ利尻(Say!)ああ利尻島

黒ユリ咲きほこる ポンモシリ グリーンベルトは大草原
ここが噂の利尻島 輝く朝日に 燈台岬
おしどまり港に朝が来る 行こう姫沼、オタドマリ

ああ利尻(Say!)ああ利尻(Say!)ああ利尻島


キモは「ああ利尻」の歌詞の後の「Say!」で、向かいから「ああ利尻島」を歌いながら歩いて来る人がいたら、「ああ利尻」の後にこちらが「Say!」と合いの手を入れるのがよい。すると私たちは、赤の他人なのに利尻の同志だということが分かり、その場でガッチリ握手をすることができるのである。
話を現在に戻す。下船した私たちは、港前から出ている、利尻一周定期観光バスに乗った。14時ちょうどに鴛泊港前を出発、16時50分に帰ってくるもので、17時10分のフェリーで稚内に戻る私たちには、格好のバスであった。
ちなみに20年前の利尻でも、私はこの定期観光バスに乗った。前回も今回も、バスガイドさんが付いている。今回の彼女はShichinohe Shihoさん。身長は推定152センチ前後と小柄だが、モデル兼タレントの大政絢に、顔が瓜二つだった。いかにも可憐な感じで、これはW氏の、もろストライクゾーンである。
バスは2階建てで、大矢順正氏を除いた7名が、2階に陣取った。
定刻に、島を時計周りで出発。利尻は東西16キロ、南北19キロ、面積約180キロの円形の島で、島の人口は約5,200人…と、Shihoさんのガイドが始まる。
しばらく走ると、姫沼が見えてきた。ここで30分の時間を取る。湖沼を一周できる遊歩道があり、そこをブラブラ歩いた。
バスに戻る。利尻島は利尻山が有名で、ほかにこれといった観光地もなく(失礼)、20年前のガイドでは、「寝熊の岩」や「キリギリスの丘」というような、無理やり命名した観光地が点在したが、現在はどうなのか。
それをShihoさんに聞くと、「キリギリス」は知らないが、「寝熊の岩」はある、とのことだった。
ところで、金曜日組の3人は、もう稚内に着いているだろう。そして中井広恵女流六段の運転するクルマに乗っているはずだ。クルマの構造上、誰かが助手席に座っているのだろうが、軽い嫉妬を覚える。
しばらく走ると、ラナルド・マクドナルドなる人の上陸記念碑が見えてきた。日本に上陸した最初のアメリカ人といえばペリーが有名だが、実はそれを遡ること5年前の1848年、マクドナルドが遭難者を装って、利尻に上陸したのが最初らしい。
マクドナルドはその後、日本人に英語を教え、臨終の際には日本語で「さようなら」と言い残した…と、Shihoさんの言葉だ。
バス旅は快適だ。利尻島の周囲は約55キロ。鴛泊ユースホステルでは、これを1日かけて歩く企画があった。ゼッケンを背負い、完歩すると記念品がもらえたような気がする。
日程の問題で私は挑めなかったが、歩けば完歩できただろう。そしていまでも、その自信はある。
Shihoさんはまだ十代に見えるが、言語は明瞭で声も大きく、とても好感が持てる。驚いたのは、これらの説明を、ソラでしゃべっていることだ。
W氏情報によるもので、しかも彼女、まだ4回目の乗車だという。これは彼女、研修中に、よほど勉強したに違いない。そのプロ根性に、私はただただ唸った。
オタトマリ沼で下車。利尻島で最も大きな湖沼だ。ここからは利尻富士がハッキリ見える。晴れた日にはそれが湖面に映るらしいが、きょうは曇天だ。
ちなみに、北海道銘菓「白い恋人」のパッケージにある山は、利尻山である。
W氏らは、Shihoさんとのおしゃべりに夢中だ。修学旅行に行くと、観光そっちのけで、バスガイドさんをナンパしている生徒がいるものだが、W氏らはその典型といえる。
ここには土産物屋と軽食喫茶があり、His氏が焼ホタテを振るまってくださった。とても美味かった。ごちそうさまでした。
バスに戻り、移動。ここでShihoさんが、一曲歌ってくれた。待ってました! これぞ観光バスである。
高音をか細い声で歌うShihoさんがかわいらしい。歌い終えた後は、車内に万雷の拍手が起こった。
ところでカモメとウミネコの違いは何か。Shihoさんによると、脚がピンクなのがカモメ、黄色なのがウミネコとのことだった。
仙法志御崎公園で下車。ここから見る利尻富士も綺麗らしい。海岸に造られた囲いの中には、ゴマフアザラシが飼われているという。
岸壁に出ると、たしかにアザラシが2頭いた。しかし囲いの中では、ちょっと興趣が薄れる。しかもこのアザラシ、稚内水族館からのレンタルだという。つまり、きのう訪れた「ノシャップ寒流水族館」のことだろう。ノシャップ水族館、けっこう商売上手である。
W氏が、ガイドさんを写真に撮って、と、私にカメラを寄越す。その前にと、私は自分のカメラで、Shihoさんを写させていただいた。かわいい! このときばかりは、中井女流六段が脳裏から消えた。撮影のキッカケをくれたW氏には、大いに感謝したい。
バスに戻って、最後の移動。2階建てだから、景色がいい。今回は、みなと行動を供にして、本当によかった。
その時私は、アッ、と思った。植山悦行七段が私のひとり旅に同行したがったのは、そう希望すれば私が敬遠して、礼文・利尻旅行に変更するとフンだからではあるまいか。
せっかく稚内ツアーに来たんだから、ここはみんなと一緒に旅を楽しみなさいよ――。植山七段は、私にそう言いたかったのかもしれない。
海岸に、「寝熊の岩」があった。熊が寝たように見えるから、そう命名された。
いまは付近に祠が建ち、完全に観光地として定着したようである。
16時50分、バスは定刻に、鴛泊港前に着いた。
ここでShihoさんとはお別れ。束の間だったが、とても楽しい時間を過ごすことができた。Shihoさん、ありがとうございました。
17時10分発の稚内港行きのフェリーに乗った。20年前、あれは利尻の港を離れるときだったか、ユースのヘルパーさんが、私たちホステラーのために、盛大な見送りをしてくれた。
ほかの観光客も手を振っていたが、あれは私たちにくれたものだと、胸を張ったのを思い出す。
船旅での別れは、ある種の感動がある。今回も何本かのテープが張られていた。
フェリーは定刻に出港した。次に利尻を訪れるのはいつになるだろう。港で手を振る人々が、米粒くらいに小さくなるまで、私はデッキに佇んでいた。
(つづく)
コメント (5)
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