横を見たが、W氏もいない。たしか植山悦行七段は325号室だったはず。私は一瞬、部屋を間違えたかと思った。
「ボクの部屋でみんな将棋を始めましたよ…。隣の部屋の人にはうるさいって注意されるし…。逃げてきました」
と、植山七段が私の布団から顔を出して言う。
「ああ、そうですか…」
「大沢さんもどうせこれから将棋を指すんでしょう?」
「まあ、考えてますけど」
「……」
植山七段が、信じられん…という顔をした。
プロ棋士が逃げ出す部屋とは、想像するだに恐ろしい。布団を取られた私は、その325号室に入る。と、His-Fuj、Kun-Hon各氏が将棋を指していた。
時刻は午前2時だというのに、このピンと張りつめた空気はなんなのだ。
シャワー室では、W氏がシャワーを浴びていた。W氏、この部屋にいたのか。
ここで各自の話を整理すると、こうなる。
323号室に帰ってきたFuj氏は、同室者に対局を求めた。しかしメンバーは大野八一雄七段、大矢順正氏、ミスター中飛車氏。今回の稚内ツアー参加者は将棋バカばかりだが、左の3氏は比較的「ライト」な部類に入る。Fuj氏はいずれにも断られた。
Fuj氏は同室での将棋を諦め、322号室の私を頼った。しかし私はあいにくシャワー中。Is氏とKub氏は就寝、W氏もそこまで将棋が好きではなく、この部屋も追い出された。
夜中の1時半すぎに盤駒を携え、2リットルのペットボトルとお菓子を抱えてホテルの廊下を徘徊するFuj氏。想像するだけでもおぞましい光景だ。
Fuj氏は325号室のドアを叩くと、そこではKun氏とHon氏が将棋を指しており、それをHis氏が観戦していた。ここにFuj氏はようやっと安寧の地を見つけ、His氏とにぎやかに将棋を始めた。
ところが、それに辟易したのが同室の植山七段だった。植山七段は前日から神経を遣いっぱなしで疲労困憊、一刻も早く寝たいところ。それなのに部屋の将棋が1局から2局になり、眠るどころではなくなってしまった。しかも隣の326号室から、うるさいとクレームまで来た。
「もうこんな部屋にはいられない」
それで植山七段は322号室に避難した、というわけだった。
またW氏はというと、私のシャワーがあまりにも長いので、325号室に借りにきていたのだった。
私はとりあえず、His-Fuj戦を観戦する。W氏がシャワー室から出てきた。
「おお、大沢さん来たの。大沢さん、シャワー長いよ」
「すまん。オレ、シャワーのときヒゲを剃るからさ」
「ヒゲは朝剃るもんでしょ」
そんなところに、部屋がノックされた。W氏が出る。ホテルの人だ。隣室のクレームを聞いて、部屋に確かめに来たらしい。これはいよいよ、私たちは雑談をできなくなった。
W氏は、なんでオレが怒られるんだと不満を洩らしながら、322号室に戻った。
His-Fuj戦が終わったあと、Fuj氏と私で将棋。傍らにあったペットボトルのお茶を勝手に注ぎ(Fuj氏のだ)、私の先手で対局開始。横歩取り△8四飛型になった。
▲2六飛▲7六歩▲7七桂▲8七歩、△7三桂△7五歩△8四飛の局面で、△7六歩▲同飛△5四角▲2六飛△7六歩とされたら桂損必至で私が悪かったが、Fuj氏は△3六歩。すかさず▲6六角と打って、指し易くなったと思った。
Fuj氏も△7六歩の取り込みはもちろん考えたが、△5四角の次▲8六飛とぶつけられるのがイヤだったという。しかしそれは△8五歩で後手よし。このあたり、Fuj氏は変調だった。
Kun-Hon戦が終了。感想戦が始まる。その声が少し大きく、私はハラハラしどうしだ。私はみんなに注意を促す。
「シーッ…」「ちょっと…」「静かに…」「Hisさん…うるさい」「His!」
私は思わずHis氏を呼び捨てにしてしまった。しかし自分より年長者を呼び捨てにするとは…。これは大変な非礼だった。
「なんだよウルサイナ!」
と、His氏もこちらを睨む。一瞬険悪な空気が流れた。
Fuj-一公戦は終盤戦。私の優勢だったが、緩手を指し、Fuj氏に追い上げられる。しかし逆転には至っていなかったようで、最後は私が後手玉を華麗に詰め上げ、うれしい勝利となった。
ここでFuj氏は退室、323号室に戻った。Kun氏とHon氏も寝床に就いているが、私とHis氏は引き続き将棋を指す。きょうはここが私の部屋だから、寝ている人に注意をすれば、とくに問題もない。
His氏は最近筋違い角を愛用しているので、私はそれを避ける。するとHis氏は中飛車を採用した。
詳細は省くが、私は手厚く指し、快勝。この時点で、私のスマホは3時40分を掲示していた。さあ、これでもうお開き、と思いきや、His氏が
「もう1局お願いできますか」
とすがるような目で聞いてきたので、つい応じてしまった。
この将棋はHis氏の筋違い角が実現した。私も頑張ったが、His氏の指し手が冴え、His氏の快勝。時に4時16分。これは異常な時刻である。ちょっと悔しかったので今度は私が再戦を申し込もうかと考えたが、さすがに私の中の「常識」が、それを許さなかった。残念だが、きょうはこれでお開きである。
交代でトイレに入って、4時25分、就寝となった。
(25日につづく)
「ボクの部屋でみんな将棋を始めましたよ…。隣の部屋の人にはうるさいって注意されるし…。逃げてきました」
と、植山七段が私の布団から顔を出して言う。
「ああ、そうですか…」
「大沢さんもどうせこれから将棋を指すんでしょう?」
「まあ、考えてますけど」
「……」
植山七段が、信じられん…という顔をした。
プロ棋士が逃げ出す部屋とは、想像するだに恐ろしい。布団を取られた私は、その325号室に入る。と、His-Fuj、Kun-Hon各氏が将棋を指していた。
時刻は午前2時だというのに、このピンと張りつめた空気はなんなのだ。
シャワー室では、W氏がシャワーを浴びていた。W氏、この部屋にいたのか。
ここで各自の話を整理すると、こうなる。
323号室に帰ってきたFuj氏は、同室者に対局を求めた。しかしメンバーは大野八一雄七段、大矢順正氏、ミスター中飛車氏。今回の稚内ツアー参加者は将棋バカばかりだが、左の3氏は比較的「ライト」な部類に入る。Fuj氏はいずれにも断られた。
Fuj氏は同室での将棋を諦め、322号室の私を頼った。しかし私はあいにくシャワー中。Is氏とKub氏は就寝、W氏もそこまで将棋が好きではなく、この部屋も追い出された。
夜中の1時半すぎに盤駒を携え、2リットルのペットボトルとお菓子を抱えてホテルの廊下を徘徊するFuj氏。想像するだけでもおぞましい光景だ。
Fuj氏は325号室のドアを叩くと、そこではKun氏とHon氏が将棋を指しており、それをHis氏が観戦していた。ここにFuj氏はようやっと安寧の地を見つけ、His氏とにぎやかに将棋を始めた。
ところが、それに辟易したのが同室の植山七段だった。植山七段は前日から神経を遣いっぱなしで疲労困憊、一刻も早く寝たいところ。それなのに部屋の将棋が1局から2局になり、眠るどころではなくなってしまった。しかも隣の326号室から、うるさいとクレームまで来た。
「もうこんな部屋にはいられない」
それで植山七段は322号室に避難した、というわけだった。
またW氏はというと、私のシャワーがあまりにも長いので、325号室に借りにきていたのだった。
私はとりあえず、His-Fuj戦を観戦する。W氏がシャワー室から出てきた。
「おお、大沢さん来たの。大沢さん、シャワー長いよ」
「すまん。オレ、シャワーのときヒゲを剃るからさ」
「ヒゲは朝剃るもんでしょ」
そんなところに、部屋がノックされた。W氏が出る。ホテルの人だ。隣室のクレームを聞いて、部屋に確かめに来たらしい。これはいよいよ、私たちは雑談をできなくなった。
W氏は、なんでオレが怒られるんだと不満を洩らしながら、322号室に戻った。
His-Fuj戦が終わったあと、Fuj氏と私で将棋。傍らにあったペットボトルのお茶を勝手に注ぎ(Fuj氏のだ)、私の先手で対局開始。横歩取り△8四飛型になった。
▲2六飛▲7六歩▲7七桂▲8七歩、△7三桂△7五歩△8四飛の局面で、△7六歩▲同飛△5四角▲2六飛△7六歩とされたら桂損必至で私が悪かったが、Fuj氏は△3六歩。すかさず▲6六角と打って、指し易くなったと思った。
Fuj氏も△7六歩の取り込みはもちろん考えたが、△5四角の次▲8六飛とぶつけられるのがイヤだったという。しかしそれは△8五歩で後手よし。このあたり、Fuj氏は変調だった。
Kun-Hon戦が終了。感想戦が始まる。その声が少し大きく、私はハラハラしどうしだ。私はみんなに注意を促す。
「シーッ…」「ちょっと…」「静かに…」「Hisさん…うるさい」「His!」
私は思わずHis氏を呼び捨てにしてしまった。しかし自分より年長者を呼び捨てにするとは…。これは大変な非礼だった。
「なんだよウルサイナ!」
と、His氏もこちらを睨む。一瞬険悪な空気が流れた。
Fuj-一公戦は終盤戦。私の優勢だったが、緩手を指し、Fuj氏に追い上げられる。しかし逆転には至っていなかったようで、最後は私が後手玉を華麗に詰め上げ、うれしい勝利となった。
ここでFuj氏は退室、323号室に戻った。Kun氏とHon氏も寝床に就いているが、私とHis氏は引き続き将棋を指す。きょうはここが私の部屋だから、寝ている人に注意をすれば、とくに問題もない。
His氏は最近筋違い角を愛用しているので、私はそれを避ける。するとHis氏は中飛車を採用した。
詳細は省くが、私は手厚く指し、快勝。この時点で、私のスマホは3時40分を掲示していた。さあ、これでもうお開き、と思いきや、His氏が
「もう1局お願いできますか」
とすがるような目で聞いてきたので、つい応じてしまった。
この将棋はHis氏の筋違い角が実現した。私も頑張ったが、His氏の指し手が冴え、His氏の快勝。時に4時16分。これは異常な時刻である。ちょっと悔しかったので今度は私が再戦を申し込もうかと考えたが、さすがに私の中の「常識」が、それを許さなかった。残念だが、きょうはこれでお開きである。
交代でトイレに入って、4時25分、就寝となった。
(25日につづく)