波が少し穏やかになった。と、右手に軍艦島が見えてきた。あれが軍艦島か! なるほどあのシルエットは確かに、軍艦そのものだ。ウルトラセブン風にいえば「アイアンロックス」というところか。ここまでくればあと一息、リバースなしで何とか乗り越えられそうである。
島を一周するが、高層アパートが間近に見える。小。中学校もあるようだ。外壁が海岸線ギリギリまでせり出しているようで、軍艦島の最盛期は東京の約9倍の人口密度があったというが、なるほどと思わせる。
しかし前乗りの船がまだ出航していないようで、私たちはしばし待たされる。出入口の桟橋がひとつだけなのだ。
さらに数分待ち、いよいよ下船となった。私たちはそろそろと上陸する。小島に足を踏み入れるときはいつも緊張するものだが、ここ軍艦島は、鳩間島や波照間島とは一味違った感激がある。そんな私に、炭鉱群の廃墟が圧倒的迫力をもって迎えてくれた。
おおおおーーーっ!!
私は思わず唸る。もっとも、私たちは自由に行動できるわけではない。首から入場証を下げ、柵で覆われたこちら側の一部のスペースを、スタッフさんの指示に従い粛々と歩くのである。もちろんその間にも、スタッフさんは大判のパネルを持ち、おば様が解説を続けてくれる。
左手に、煉瓦の壁が目に入る。といっても遺っているのは一面の壁だけである。譬えがアレだが、爆破の後のようだ。その右手には竪杭の昇降口がある。その現役時代を想像するだけで、アドレナリンが分泌される感じである。
ここ軍艦島は、昭和49年に打ち棄てられて風化しただけなので、当時の雰囲気がそのまま味わえる。私の炭鉱観光は北海道の美唄炭鉱、福岡県の田川炭鉱があるが、現在それらは整備され、一部設備は観光用に残っているにすぎない。その観点からしても、ここ軍艦島は、一級品の廃墟群と思う。この棄景を鑑賞しただけで、4,200円のツアー料のモトは取れると思った。
おば様の解説は続く。スタッフさんはその話に合わせ、パネル写真を捌く。さすがにぴたりと息が合っている。聞くと、地下炭鉱の竪坑の最深部は630メートルもあったという。これは東京スカイツリーの高さに相当する。その坑道の直径がどのくらいか分からぬが、かなり狭いことはたしかだ。その坑道を、ハコに乗って降りる。そこから作業するとなれば、峰不二子や勝俣州和のような閉所恐怖症でなくとも、息苦しくなってくる話である。
ガスが充満している坑内はもちろん火気厳禁だが、それでも事故は起こったようだ。使者も出たとなれば、もはや観光気分で聞く話ではない。これは立派な社会科見学である。
さらに奥まで歩き、行き止まりになった。これが島の端ということか。彼方に高層アパートが見える。現役時代、島民はどんな生活をしていたのだろう。
やはり、ここで折り返しとなる。帰りもおば様の解説があり、ふんふん頷きながら戻る。
風はやはり強い。波が岸壁に当たって、高い波しぶきが立った。晴れていてこの有様だから、これで台風でも来たら、当時は文字通り孤島である。私には堪えられない環境だ。
港の近くまで戻ってきた。これで軍艦島の見学は終わりである。上陸前は、島での行動範囲は広くないと危惧したのだが、けっこう歩いた気がした。撮影タイムも十分取ってくれた。私も珍しく、証明用に自分を撮った。ただ、アパート群が林立している、いわば軍艦島の主要部は一切立入不可で、わずかな欲求不満があったことは否めない。しかし現行の規定では、やむを得ないところだ。
たっぷり1時間半の観光で、船は午後1時5分、出航した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c5/67f705b9501bf8136d3b2069f7b48ba6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e0/2565584e6d225d57d9e0994f9a9d3f00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/da/c76e3b15d9e4e9e8265cc5822069704c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a0/d5e8443e1bf286e4241395b8e1e7571f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/2a/b04e970ee3fca2e941042168ff0174ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fd/6cc6b91cd510ca0c471d6901d644d760.jpg)
復路の波は、往路に較べて穏やかだった。高波の峠は越えたようだ。船内では、2009年に軍艦島で収録された、B'zのプロモーションビデオが流された。
おば様の語りは帰りも続く。軍艦島の上陸者数は、当初の予想に反して、右肩上がりを続けているという。これは軍艦島そのものの妖しい魅力もあるが、運航会社スタッフのたゆまぬ努力もあると思う。実際軍艦島コンシェルジュのスタッフさんはよく勉強しており、とても好感が持てた。次に軍艦島を訪れることがあれば、またこの会社を利用したい。
下船間際、みなにポイントカードが配られた。ハンコがひとつ捺されていて、これが3つたまると、4つ目は無料で船に乗れるという。これは譲渡も可能で、実際無料で乗った客もいたそうだ。しかし私個人は、さすがに4つ目は無理だと思う。
1時半、私たちは無事に下船した。何か異国の地にタイムスリップしたような、濃密で不思議な半日だった。
(つづく)
島を一周するが、高層アパートが間近に見える。小。中学校もあるようだ。外壁が海岸線ギリギリまでせり出しているようで、軍艦島の最盛期は東京の約9倍の人口密度があったというが、なるほどと思わせる。
しかし前乗りの船がまだ出航していないようで、私たちはしばし待たされる。出入口の桟橋がひとつだけなのだ。
さらに数分待ち、いよいよ下船となった。私たちはそろそろと上陸する。小島に足を踏み入れるときはいつも緊張するものだが、ここ軍艦島は、鳩間島や波照間島とは一味違った感激がある。そんな私に、炭鉱群の廃墟が圧倒的迫力をもって迎えてくれた。
おおおおーーーっ!!
私は思わず唸る。もっとも、私たちは自由に行動できるわけではない。首から入場証を下げ、柵で覆われたこちら側の一部のスペースを、スタッフさんの指示に従い粛々と歩くのである。もちろんその間にも、スタッフさんは大判のパネルを持ち、おば様が解説を続けてくれる。
左手に、煉瓦の壁が目に入る。といっても遺っているのは一面の壁だけである。譬えがアレだが、爆破の後のようだ。その右手には竪杭の昇降口がある。その現役時代を想像するだけで、アドレナリンが分泌される感じである。
ここ軍艦島は、昭和49年に打ち棄てられて風化しただけなので、当時の雰囲気がそのまま味わえる。私の炭鉱観光は北海道の美唄炭鉱、福岡県の田川炭鉱があるが、現在それらは整備され、一部設備は観光用に残っているにすぎない。その観点からしても、ここ軍艦島は、一級品の廃墟群と思う。この棄景を鑑賞しただけで、4,200円のツアー料のモトは取れると思った。
おば様の解説は続く。スタッフさんはその話に合わせ、パネル写真を捌く。さすがにぴたりと息が合っている。聞くと、地下炭鉱の竪坑の最深部は630メートルもあったという。これは東京スカイツリーの高さに相当する。その坑道の直径がどのくらいか分からぬが、かなり狭いことはたしかだ。その坑道を、ハコに乗って降りる。そこから作業するとなれば、峰不二子や勝俣州和のような閉所恐怖症でなくとも、息苦しくなってくる話である。
ガスが充満している坑内はもちろん火気厳禁だが、それでも事故は起こったようだ。使者も出たとなれば、もはや観光気分で聞く話ではない。これは立派な社会科見学である。
さらに奥まで歩き、行き止まりになった。これが島の端ということか。彼方に高層アパートが見える。現役時代、島民はどんな生活をしていたのだろう。
やはり、ここで折り返しとなる。帰りもおば様の解説があり、ふんふん頷きながら戻る。
風はやはり強い。波が岸壁に当たって、高い波しぶきが立った。晴れていてこの有様だから、これで台風でも来たら、当時は文字通り孤島である。私には堪えられない環境だ。
港の近くまで戻ってきた。これで軍艦島の見学は終わりである。上陸前は、島での行動範囲は広くないと危惧したのだが、けっこう歩いた気がした。撮影タイムも十分取ってくれた。私も珍しく、証明用に自分を撮った。ただ、アパート群が林立している、いわば軍艦島の主要部は一切立入不可で、わずかな欲求不満があったことは否めない。しかし現行の規定では、やむを得ないところだ。
たっぷり1時間半の観光で、船は午後1時5分、出航した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c5/67f705b9501bf8136d3b2069f7b48ba6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e0/2565584e6d225d57d9e0994f9a9d3f00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/da/c76e3b15d9e4e9e8265cc5822069704c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a0/d5e8443e1bf286e4241395b8e1e7571f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/2a/b04e970ee3fca2e941042168ff0174ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fd/6cc6b91cd510ca0c471d6901d644d760.jpg)
復路の波は、往路に較べて穏やかだった。高波の峠は越えたようだ。船内では、2009年に軍艦島で収録された、B'zのプロモーションビデオが流された。
おば様の語りは帰りも続く。軍艦島の上陸者数は、当初の予想に反して、右肩上がりを続けているという。これは軍艦島そのものの妖しい魅力もあるが、運航会社スタッフのたゆまぬ努力もあると思う。実際軍艦島コンシェルジュのスタッフさんはよく勉強しており、とても好感が持てた。次に軍艦島を訪れることがあれば、またこの会社を利用したい。
下船間際、みなにポイントカードが配られた。ハンコがひとつ捺されていて、これが3つたまると、4つ目は無料で船に乗れるという。これは譲渡も可能で、実際無料で乗った客もいたそうだ。しかし私個人は、さすがに4つ目は無理だと思う。
1時半、私たちは無事に下船した。何か異国の地にタイムスリップしたような、濃密で不思議な半日だった。
(つづく)