一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大野八一雄七段引退慰労会(後編)・お疲れさまでした

2014-06-17 00:08:38 | 男性棋士
奥の座敷に案内される。ここは周りに気兼ねなくおしゃべりができるからよい。
大野八一雄七段、Kaz氏、私はウーロン茶。W氏、Hon氏、Fuj氏、Ok氏は生ビールを頼み、グラスを合わせる。
初手▲7六歩の代わりに、私は前夜の衝撃ネタをバラした。大野教室出処のネタもあるが、こちらはそれを補って余りあるネタだ。さすがの大野七段もご存知なく、みなでのけぞった。
午後7時16分、Kun氏が来たので、改めてグラスを合わせた。ではここで、席の配置を記しておこう。

      壁
  Fuj 大野 Hon Ok
壁             壁
  Kun W 一公 Kaz
     戸

Kun氏には、前夜ジョナ研に現れた女性が誰かをクイズにしたが、やはり正解は出なかった。まあそうであろう。
舟盛が運ばれてきた。私は魚に疎いのでよく分からぬが、尾頭付きの魚にカンパチやトロなどの刺し身が盛られていた。一切れ一切れが分厚く、脂も乗って、美味かった。
きょうは大野七段が主役だから、何とか話を引き出したいのだが、ついLPSAその他将棋村の話題になってしまう。
続いて、蛤の酒蒸しが出された。これも上品な味で美味い。
大野七段に、現役時代に最も印象に残った将棋を聞いてみた。答えは、義父である芹澤博文九段が入院先で昏睡状態に陥った日の、自身の順位戦対局だった。
その日大野七段は一刻も早く病院に駆けつけたかったが、その一方で、全力で将棋を指したいとの思いもあった。対局は当然深夜に及び、大野七段が勝った。
将棋会館の表では田中寅彦九段が待っていてくれ、タクシーを飛ばしたところ、芹澤九段は存命だった。芹澤九段は、大野七段の到着を待っていたかのように、その日の未明に息を引き取った。享年51歳。昭和62(1987)年12月9日のことだった。

銀ダラの味噌焼きが出される。やっぱりこれも上品な味で美味い。
Ok氏が大野七段や植山悦行七段との指導対局で、ついに二枚落ちを完全卒業したという。Fuj氏も先日その手合いでOk氏に屈し、後は私を倒すだけとなった。それで、ここで対局をしたら、の声もあったが、さすがにそれは断った。きょうの主役は大野七段である。
それにしても私以外のみんなは、つくづく将棋バカだと思う。Hon、Fuj、Kazの各氏はきょう、御徒町の将棋センターで社団戦対抗戦をやってきたのだ。7月に社団戦が開幕するが、そこに出場するチームが話し合って、実戦の場を設けたらしい。しかも言い出しっぺがY氏というから、もはや笑うしかない。
ちなみにKun氏も、昼は将棋関係の集まりがあったようだ。やはり将棋…。
まったく、みなは私のことを「将棋バカ」と嗤うが、こちらこそちゃんちゃら可笑しいのであって、私に彼らほどの将棋の情熱はないのである。
そうだちょうどいい、きょうはW氏、Hon氏、Fuj氏がいるので、渡部愛女流初段の倉敷藤花戦、「勝手にマッカラン勝負」継続の話を告げておく。次に渡辺女流初段が貞升南女流初段に勝てば3連勝となり、まずはFuj氏が「マッカラン」を買うことになる。
「相手が貞升さんじゃハードルが低いじゃないですか…」
とFuj氏は不満顔だが、貞升女流初段もなかなかの実力者だ。この勝負は分からない。

「にぎり」が出された。Kaz氏が「まだ出るのか」と驚いたがとんでもない、これがメインである。
一福鮨のコーディネートはW氏に任せているので詳細は分からぬが、大トロ、中トロ、ボタンエビ、数の子、赤貝、ホタテなど8貫に、ウニ、イクラなど軍艦3つ、ほかに鉄火巻、自家製玉子とあれば、これは間違いなく「特上」であろう。
ネタは大ぶり、シャリも多めで、美味い。一貫いくらになるのか考えると味が分からなくなるので、純粋にその味だけを楽しむ。
Kun氏が中座するようだ。W氏が「サッカーを見るんでしょ」と急所を衝いたが、それは言わぬが花であろう。
7人に戻ったあとも、将棋ネタで盛り上がる。フトW氏が気付いたのだが、きょうの面子で以前一福鮨を訪れたのは、私たちふたりだけということが分かった。そういえば植山七段の鍋パーティーのときは、R氏やIs氏がいたのだったか。ジョナ研メンバーは不動のようでも、微妙に人の入れ替わりがあるのだ。
そしてその現場に、Fuj氏がいなかったことに改めて驚く。Fuj氏が私たちの前に現れたのは2010年冬。それからのFuj氏の進撃は凄まじく、あっという間にジョナ研メンバーの中軸に成長した。そのFuj氏は今しも「将棋世界」を取り出し、気になる局面を大野七段に見せている。もう、将棋雑誌を持ち歩いているところが凄い。上にも書いたが、彼の将棋に対する情熱に比べれば、私のそれなどちっぽけなものだ。
そのFuj氏の功績のひとつが、大野七段と植山七段の生涯成績に着目したことだろう。平成25年度、大野七段が2勝10敗なら、植山七段と生涯成績がまったく同じになると発見したのがFuj氏だった。
大野七段はそれを聞いて、「まさか、2勝で終わらないよ」と笑い飛ばしたが、いざ最後の1年が開幕すると一向に星が伸びず、最後は魅入られたように2勝止まりで現役生活を終えてしまったのだった。
これに関しては、私も少し責任を感じているのだ。棋士が将棋教室を開くのはもちろんよいことである。しかしプロがアマに将棋を教えても、当然ながらプロは上達しない。むしろアマの変な棋風を目の当たりにして、却って弱くなってしまうのではないかとさえ思う。
教室のあとで遅くまで私たちに付き合ってくださったのも、勝負にはマイナスだったのではと思える。だってその時間、ほかの棋士は将棋の研究をしているのだから。
まさに大野七段は、身を削って、教室を開いてくださっていたのだと思う。
そんな私の感傷におかまいなく、座敷はこのあとも、W氏が20代のころのバイトの苦労話を披露したりして、面白おかしく過ぎていった。
散会は11時過ぎ。大野七段はどうだったか分からぬが、私は久しぶりに棋友と会い、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
最後に改めて、大野先生、お疲れさまでした。
コメント (4)
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