軍艦島は正式名称を「端島(はしま)」という。長崎港の南西約17.5キロに浮かぶ小島で、石炭の採掘のため、多くの人が移住した。島の周囲は当初数百メートルながら、都合6回の埋め立てを経て、面積はもとの3倍も大きくなった。日本初のコンクリート住宅を何棟も擁し、四角い建物がドンドンドーンと聳えるさまはある種異様だ。軍艦島とはもちろん、このシルエットにちなんで付けられた。
しかし石炭は代替エネルギーによって衰退し、軍艦島も昭和49年に閉山となる。以後はここに人が住む理由がなく、そのまま無人島となった。
それから長いこと上陸が禁止されていたが、2009年より条件付きで上陸可能となった。むろん施設は朽ちたが、近年の廃墟ブームもあり、一躍脚光を浴びているのである。
現在は複数の会社が軍艦島へ定期運航しており、私たちも時間制限付きで上陸できる。
私はホテルのカプセルの中で、どの会社を利用するか考える。軍艦島の手前、高島に寄る航路もありいろいろ迷ったが、船中のガイドが親切そうな「軍艦島コンシェルジュ」にお世話になることにした。
といっても、船が満席だったり、運航休止になったりする可能性もある。日付が変わった15日(日)午前1時に先方へメールを入れて、眠りについた。
朝、スマホのメールを開くと、先方からの返事は「可」で、10時40分の船で長崎港から出航することになった。
それまで時間があるので、付近を散歩する。長崎といえば路面電車である。私の横を通った電車が、そのままビルとビルの間を縫うように走り抜けていった。その光景が素晴らしい。
かつては東京都内にも総延長200キロ以上の路面電車が走り、たとえば東京駅前で多くの路面電車が発着するさまは、ロンドンの趣さえあったという。現在都営の路面電車は都電荒川線を残すのみだが、もっと路線を残していれば、そこがイコール観光地になっていたのに、惜しいと思う。
さらにしばらく行ったところに、しゃれた洋館群があった。函館や小樽、横浜などもそうだが、港町には洋館がよく似合う。
さらに坂を上ると、オランダ坂があった。オランダ坂はここにあったのか。
別に長崎に限らないが、初めて訪れる有名観光地は、観光することばかり考えて、駅からの位置関係が今一つ分からないことがある。2度目、3度目と訪れて気持ちの余裕ができ、ようやっと位置関係が把握できるという塩梅だ。ここ長崎もそうだった。
冬の朝は薄く靄がかかって、散策が気持ちいい。このまま市内観光しちゃおうかと思うが、今回は軍艦島観光が絶対である。この機会を逃したら、次はいつになるか分からない。
大浦海岸通り電停の先に、「軍艦島コンシェルジュ」のラウンジがあった。しかし早く着き過ぎたので、隣接の「ガスト」で朝食を摂ることにする。
私はチェーン店を苦にしないが、さすがにファミレスはあまり利用しない。ましてや朝食で寄るのは初めてである。
モーニングセットがあって、内容はスクランブルエッグとトースト、それにドリンクバーだった。これはこれで優雅なひとときである。場所が場所だけに、布将棋盤があったら出していたところだが、さすがに出航の時間が迫っていたので、店を出た。
ラウンジの前は、乗船客でいっぱいだった。いつの間にこれだけの客が集まったのか。私は慌ててチケットを買う。平日は3,600円だが、土休日なので3,900円だった。ほかに「長崎市端島見学施設利用券」300円も強制購入となる。計4,200円が高いか安いかは分からない。ほかに誓約書にもサインする。普通の島に行くのではないと実感する。
ふと見ると、カウンターでゴム製のリストバンドが売られていた。バンドの中央に豆粒大の突起が付いていて、これを手首に嵌めると、そこがツボを刺激して酔い止めになるのだという。これはいいと思ったが、値段を聞いたら500円だったので、購入はやめた。
常盤ターミナルから乗船する。船はけっこうな大きさで、優に100人は乗れそうだった。私はそのままデッキに立ち、10時30分出航。
スタッフは思ったより多く、10人近くいただろうか。みな臙脂色のトレーナーを着て、統一感を出している。波はおだやかで、気持ちがいい。船内では軍艦島の解説がなされているが、その様子がデッキの大画面にも映されている。
このままデッキにいてもいいと思ったが、波が荒れてきて、船内に入るよう指示が出た。
船内のナレーターの主は、50代のおば様だった。やはり軍艦島の出身らしい。大画面には島内の写真が映され、おば様は流暢に説明する。いよいよ期待感が高まるが、それに比例するように、船の揺れが激しくなってきた。
私はあまり船の揺れに強くないほうである。いつだったか、石垣島から沖縄本島へフェリーで渡った際、それほど揺れた意識がないのに、船内でリバースしてしまったことがある。あのときは、出航直前に食べた鶏の唐揚げ弁当が悪手だったが、今回はスクランブルエッグである。これがどう出るか。
波はいよいよ高い。船は左右に揺れ、そのたびにどよめきが起こる。揺れはさらに大きさを増し、波しぶきがバシャバシャッとかかった。な、何じゃこれは!?
まったく、さっきまでは何の障害もなく上陸できると構えていたのに、大変な形勢の変化だ。船はひたすら揺れまくる。これではまるで、遊園地のビックリハウスではないか。
しかしスタッフは慣れたもので、平然としている。もっともスタッフが青い顔をしていたら、乗客にまで伝染してしまう。三半規管が強力なのも、スタッフの資格の一部なのだろう。
軍艦島は1年を通じて上陸できるわけではなく、波の高い季節は出航しないという。そして島まで来ても、桟橋付近の高波が激しければ、やはり上陸は不可となる。きょう、島を前にして引き返さないという保証はどこにもないのだ。
ちょ、ちょっと、気持ち悪くなってきた。前方には、ぐったりして動かない女性がいる。それを目にした私も、一層気分が滅入ってくる。しかし私の左の女性も平然としたものだ。見ると手首に例のバンドを付けている。あれがホントに効くのなら、お金をケチらず、買っとくんだった。
全員におしぼりが配られた。それを首に当てると気持ちがいい。
私は果たして、軍艦島に上陸できるのだろうか――。
(つづく)
しかし石炭は代替エネルギーによって衰退し、軍艦島も昭和49年に閉山となる。以後はここに人が住む理由がなく、そのまま無人島となった。
それから長いこと上陸が禁止されていたが、2009年より条件付きで上陸可能となった。むろん施設は朽ちたが、近年の廃墟ブームもあり、一躍脚光を浴びているのである。
現在は複数の会社が軍艦島へ定期運航しており、私たちも時間制限付きで上陸できる。
私はホテルのカプセルの中で、どの会社を利用するか考える。軍艦島の手前、高島に寄る航路もありいろいろ迷ったが、船中のガイドが親切そうな「軍艦島コンシェルジュ」にお世話になることにした。
といっても、船が満席だったり、運航休止になったりする可能性もある。日付が変わった15日(日)午前1時に先方へメールを入れて、眠りについた。
朝、スマホのメールを開くと、先方からの返事は「可」で、10時40分の船で長崎港から出航することになった。
それまで時間があるので、付近を散歩する。長崎といえば路面電車である。私の横を通った電車が、そのままビルとビルの間を縫うように走り抜けていった。その光景が素晴らしい。
かつては東京都内にも総延長200キロ以上の路面電車が走り、たとえば東京駅前で多くの路面電車が発着するさまは、ロンドンの趣さえあったという。現在都営の路面電車は都電荒川線を残すのみだが、もっと路線を残していれば、そこがイコール観光地になっていたのに、惜しいと思う。
さらにしばらく行ったところに、しゃれた洋館群があった。函館や小樽、横浜などもそうだが、港町には洋館がよく似合う。
さらに坂を上ると、オランダ坂があった。オランダ坂はここにあったのか。
別に長崎に限らないが、初めて訪れる有名観光地は、観光することばかり考えて、駅からの位置関係が今一つ分からないことがある。2度目、3度目と訪れて気持ちの余裕ができ、ようやっと位置関係が把握できるという塩梅だ。ここ長崎もそうだった。
冬の朝は薄く靄がかかって、散策が気持ちいい。このまま市内観光しちゃおうかと思うが、今回は軍艦島観光が絶対である。この機会を逃したら、次はいつになるか分からない。
大浦海岸通り電停の先に、「軍艦島コンシェルジュ」のラウンジがあった。しかし早く着き過ぎたので、隣接の「ガスト」で朝食を摂ることにする。
私はチェーン店を苦にしないが、さすがにファミレスはあまり利用しない。ましてや朝食で寄るのは初めてである。
モーニングセットがあって、内容はスクランブルエッグとトースト、それにドリンクバーだった。これはこれで優雅なひとときである。場所が場所だけに、布将棋盤があったら出していたところだが、さすがに出航の時間が迫っていたので、店を出た。
ラウンジの前は、乗船客でいっぱいだった。いつの間にこれだけの客が集まったのか。私は慌ててチケットを買う。平日は3,600円だが、土休日なので3,900円だった。ほかに「長崎市端島見学施設利用券」300円も強制購入となる。計4,200円が高いか安いかは分からない。ほかに誓約書にもサインする。普通の島に行くのではないと実感する。
ふと見ると、カウンターでゴム製のリストバンドが売られていた。バンドの中央に豆粒大の突起が付いていて、これを手首に嵌めると、そこがツボを刺激して酔い止めになるのだという。これはいいと思ったが、値段を聞いたら500円だったので、購入はやめた。
常盤ターミナルから乗船する。船はけっこうな大きさで、優に100人は乗れそうだった。私はそのままデッキに立ち、10時30分出航。
スタッフは思ったより多く、10人近くいただろうか。みな臙脂色のトレーナーを着て、統一感を出している。波はおだやかで、気持ちがいい。船内では軍艦島の解説がなされているが、その様子がデッキの大画面にも映されている。
このままデッキにいてもいいと思ったが、波が荒れてきて、船内に入るよう指示が出た。
船内のナレーターの主は、50代のおば様だった。やはり軍艦島の出身らしい。大画面には島内の写真が映され、おば様は流暢に説明する。いよいよ期待感が高まるが、それに比例するように、船の揺れが激しくなってきた。
私はあまり船の揺れに強くないほうである。いつだったか、石垣島から沖縄本島へフェリーで渡った際、それほど揺れた意識がないのに、船内でリバースしてしまったことがある。あのときは、出航直前に食べた鶏の唐揚げ弁当が悪手だったが、今回はスクランブルエッグである。これがどう出るか。
波はいよいよ高い。船は左右に揺れ、そのたびにどよめきが起こる。揺れはさらに大きさを増し、波しぶきがバシャバシャッとかかった。な、何じゃこれは!?
まったく、さっきまでは何の障害もなく上陸できると構えていたのに、大変な形勢の変化だ。船はひたすら揺れまくる。これではまるで、遊園地のビックリハウスではないか。
しかしスタッフは慣れたもので、平然としている。もっともスタッフが青い顔をしていたら、乗客にまで伝染してしまう。三半規管が強力なのも、スタッフの資格の一部なのだろう。
軍艦島は1年を通じて上陸できるわけではなく、波の高い季節は出航しないという。そして島まで来ても、桟橋付近の高波が激しければ、やはり上陸は不可となる。きょう、島を前にして引き返さないという保証はどこにもないのだ。
ちょ、ちょっと、気持ち悪くなってきた。前方には、ぐったりして動かない女性がいる。それを目にした私も、一層気分が滅入ってくる。しかし私の左の女性も平然としたものだ。見ると手首に例のバンドを付けている。あれがホントに効くのなら、お金をケチらず、買っとくんだった。
全員におしぼりが配られた。それを首に当てると気持ちがいい。
私は果たして、軍艦島に上陸できるのだろうか――。
(つづく)