昨年に続いて、今年も「将棋ペンクラブ大賞」の二次選考委員を任された。
将棋ペンクラブ大賞の選考過程を説明すると、まず将棋ペンクラブ幹事と有志が過去1年間の将棋著作物に目を通し、優秀作をピックアップする(一次選考)。それを二次選考委員10数名が「優・良・可」の3段階で評価し、簡単なコメントを付ける。その激戦をくぐりぬけた数本を、今度は大賞委員が厳正な選考を行い、大賞を決定するのである。
副賞は賞金数万円としょぼいが、その権威は絶大である。一昨年米長邦雄永世棋聖が大賞を受賞したが、そのときの喜びようはたいへんなものだったという。
ちなみにこの年は谷川浩司九段も特別賞を受賞した。ときの日本将棋連盟会長と専務を表彰してしまう。そんな団体はほかにあるまい。
これは書いても差し支えないと思うのだが、以前ある団体が、大口のスポンサーに名乗り出たことがあった。しかし将棋ペンクラブはその申し出を拒否した。その団体が、選考にも参加させよの条件を提示してきたからである。それは選考に偏りが生じるからダメである。
またいつぞやは、別の団体の社員が、「名誉会員」にせよ、と申し出たことがあった。これも将棋ペンクラブとしては、「否」と応えるしかなかった。将棋ペンクラブは会員の特別扱いをしない。ペンの前では、みなが平等なのである。
将棋ペンクラブは貧乏である。しかし貧しても鈍じない、鋼鉄のプライドがある。将棋ペンクラブの権威は、こうして培われている。だからこそ、大賞に価値があるのだ。
今年の一次選考通過作品は、観戦記21本、文芸部門(書籍)6本だった(ほかに技術部門もあるが、これは棋士が選考する)。二次選考委員には、各家に観戦記のコピーが送られてくる。
幹事はプロ棋戦すべての観戦記に目を通しているが、ハッキリ言って、個人の好みが反映される。ここは多少、運不運の要素があるかもしれない。ただ、そこで選ばれた観戦記は、いずれも面白いものばかりだ。つまり二次選考委員は、珠玉のアンソロジーを先読みできる栄誉に浴すことになる。
こんな大層な役を、私のような素人が担ってもいいのかと思うが、世の読者の大半は、私と同じ素人なのだ、私が読んで面白くなければしょうがないじゃないか、と開き直っている。
観戦記はこれでよいが、文芸部門の書籍は、各自で可能な限り入手しなければならない。
昨年は図書館から借りたり書店で立ち読みしたりして済ませた。今年もそのつもりだったが、図書館は「貸し出し中」があったり、書店は置かれていない本もあったりしたので、思い切って購入することにした。ところが…。
ネットで5冊購入するが、うち2冊は取り寄せに時間がかかり、締切日までに用意できないことが分かった。しかもうち1冊はマンガだったので立ち読みも叶わず、残りの1冊のみ立ち読みで済ませることにした。
かように選考作業は、合同でケンケンガクガクするわけではないから、孤独な作業となる。ただ、何人の影響も受けない利点はある。信ずるはおのが感性というわけだ。
こうして16日(月)までに可能な限りの評価を終え、それを担当幹事氏に郵送した。
その評価の内訳をここに書くわけにはいかぬが、文芸部門で、他を圧倒している作品があった。私の目に狂いがなければ、この作品が大差で大賞受賞となるだろう。そのときは当ブログでレビューを書きたい。自信を持ってお薦めできる、10年に一度の名稿である。
将棋ペンクラブ大賞の選考過程を説明すると、まず将棋ペンクラブ幹事と有志が過去1年間の将棋著作物に目を通し、優秀作をピックアップする(一次選考)。それを二次選考委員10数名が「優・良・可」の3段階で評価し、簡単なコメントを付ける。その激戦をくぐりぬけた数本を、今度は大賞委員が厳正な選考を行い、大賞を決定するのである。
副賞は賞金数万円としょぼいが、その権威は絶大である。一昨年米長邦雄永世棋聖が大賞を受賞したが、そのときの喜びようはたいへんなものだったという。
ちなみにこの年は谷川浩司九段も特別賞を受賞した。ときの日本将棋連盟会長と専務を表彰してしまう。そんな団体はほかにあるまい。
これは書いても差し支えないと思うのだが、以前ある団体が、大口のスポンサーに名乗り出たことがあった。しかし将棋ペンクラブはその申し出を拒否した。その団体が、選考にも参加させよの条件を提示してきたからである。それは選考に偏りが生じるからダメである。
またいつぞやは、別の団体の社員が、「名誉会員」にせよ、と申し出たことがあった。これも将棋ペンクラブとしては、「否」と応えるしかなかった。将棋ペンクラブは会員の特別扱いをしない。ペンの前では、みなが平等なのである。
将棋ペンクラブは貧乏である。しかし貧しても鈍じない、鋼鉄のプライドがある。将棋ペンクラブの権威は、こうして培われている。だからこそ、大賞に価値があるのだ。
今年の一次選考通過作品は、観戦記21本、文芸部門(書籍)6本だった(ほかに技術部門もあるが、これは棋士が選考する)。二次選考委員には、各家に観戦記のコピーが送られてくる。
幹事はプロ棋戦すべての観戦記に目を通しているが、ハッキリ言って、個人の好みが反映される。ここは多少、運不運の要素があるかもしれない。ただ、そこで選ばれた観戦記は、いずれも面白いものばかりだ。つまり二次選考委員は、珠玉のアンソロジーを先読みできる栄誉に浴すことになる。
こんな大層な役を、私のような素人が担ってもいいのかと思うが、世の読者の大半は、私と同じ素人なのだ、私が読んで面白くなければしょうがないじゃないか、と開き直っている。
観戦記はこれでよいが、文芸部門の書籍は、各自で可能な限り入手しなければならない。
昨年は図書館から借りたり書店で立ち読みしたりして済ませた。今年もそのつもりだったが、図書館は「貸し出し中」があったり、書店は置かれていない本もあったりしたので、思い切って購入することにした。ところが…。
ネットで5冊購入するが、うち2冊は取り寄せに時間がかかり、締切日までに用意できないことが分かった。しかもうち1冊はマンガだったので立ち読みも叶わず、残りの1冊のみ立ち読みで済ませることにした。
かように選考作業は、合同でケンケンガクガクするわけではないから、孤独な作業となる。ただ、何人の影響も受けない利点はある。信ずるはおのが感性というわけだ。
こうして16日(月)までに可能な限りの評価を終え、それを担当幹事氏に郵送した。
その評価の内訳をここに書くわけにはいかぬが、文芸部門で、他を圧倒している作品があった。私の目に狂いがなければ、この作品が大差で大賞受賞となるだろう。そのときは当ブログでレビューを書きたい。自信を持ってお薦めできる、10年に一度の名稿である。