21日(土)は現役女子高生と食事をした後、その足で「大野・植山教室」に向かった。同行は和田あき女流初段とW氏である。念のため記すが、両名は赤の他人である。
また、Hon氏は喫茶店に寄って買い物をした後、教室に来るとのこと。わざわざ喫茶店で時間をつぶす意図が私のような凡人には理解できないが、この秘密めいた行動が私は好きである。何でも大っぴらでは人生おもしろくない。
いつもより遅めの午後2時過ぎに入る。ただし、最近重役出勤が多いW氏には、早い入室だ。
大野八一雄七段は多面指しの真っ最中。他には手合い係のFuj氏や、Tod氏の姿があった。奥の部屋では、植山悦行七段が指導対局を行っていた。
前回訪れた時より生徒は少ない。今日は「級位者の日」で私が訪れるのは初めてだが、段位者もけっこういて、雰囲気は「段位者の日」と何ら変わらない。
今日は植山七段から教えていただく。盤の前に座ると、左の盤ではShin氏が角落ちで挑んでいた。
「今日は粘らないでくださいよ」
と植山七段。早速クギを刺されてしまった。「もっとも今日は生徒が少ないからいいけれども」
「はい、今日は軽く終わります」
何だか妙な会話を経て、前回と同じ平手で対局開始。▲7六歩△3四歩に▲2六歩では角換わり系の将棋になるだろう。今日は序盤で気を遣いたくなかったので、四間に飛車を振ってみた。
△1四歩に私は受けない。これが隠れた一公定跡で、上手(後手)が突き越さなければ、次に▲1六歩と受ける。しかし植山七段はすぐ△1五歩と伸ばした。このあたり、兄弟子の米長邦雄永世棋聖に似ている。
私の▲4六歩に、植山七段は△5五角。角を2手で右辺に持って行く手筋で、植山七段が時折指す手だ。
向こうの盤では、和田女流初段とFuj氏が対局している。Fuj氏はアマチュア時代の和田女流初段に1つ勝ち越していて、その戦績を留めるために、今後和田女流初段とは指さない、と公言していた。本局はせっかくのチャンスなので、指導を受けることにしたのだろう。
私は▲4七金の後、▲5六銀と上がる。ここ▲5六歩と突いて▲6五歩~▲6六銀もあり、むしろそちらが本筋だったかもしれない。考えているうち、ふらふらと腰掛けてしまった。
その後持久戦模様になり、私は▲8八飛と回る。相銀冠という珍しい形になった。その途中の△2三銀の時、私は▲8六歩と突く。△同歩▲同飛に飛車交換は、離れ駒がある上手が指しづらく、植山七段は△8四歩と謝る。私は1歩を手持ちにし、ポイントを挙げたと思った。
植山七段が△9五角と覗いて、第1図。
第1図以下の指し手。▲7七桂△6四歩▲9六歩△6五歩▲同銀△7三角▲5六歩△8六歩▲8五歩△6二飛▲8四歩△6四銀▲7四銀△5五銀▲6三歩△6六銀▲6二歩成△7七銀不成(第2図)
私は▲7七桂と跳ねる。振り飛車は左桂が跳ねられれば一応成功だ。
△6五歩には▲同桂もあるが、△5九角成▲5三桂成△同金は、駒得でも馬を作られ下手がおもしろくないと思った。
△7三角には、△5五角を防いで▲5六歩。ここでも後手を引いたが、駒の勢いは下手の方がある。次に指したい手もいっぱいあり、楽しみがある。
植山七段は△6四銀とぶつけてきた。これに▲同銀はつまらない。下手は抑え込みの態勢に入っているからだ。
私は▲7四銀と躱したが、植山七段は△5五銀と大技に出た。これには▲6三歩の一手で、以下駒の取り合いになってしまった。しかしこれでは序盤のポイントがなくなり、形勢が互角に戻ってしまった。私はヘンな手を指さなかったと思うのだが、上手に捌かれる。これがプロの腕というものだろう。
△7七銀不成(第2図)に、次の手もしくじった。
(26日につづく)
また、Hon氏は喫茶店に寄って買い物をした後、教室に来るとのこと。わざわざ喫茶店で時間をつぶす意図が私のような凡人には理解できないが、この秘密めいた行動が私は好きである。何でも大っぴらでは人生おもしろくない。
いつもより遅めの午後2時過ぎに入る。ただし、最近重役出勤が多いW氏には、早い入室だ。
大野八一雄七段は多面指しの真っ最中。他には手合い係のFuj氏や、Tod氏の姿があった。奥の部屋では、植山悦行七段が指導対局を行っていた。
前回訪れた時より生徒は少ない。今日は「級位者の日」で私が訪れるのは初めてだが、段位者もけっこういて、雰囲気は「段位者の日」と何ら変わらない。
今日は植山七段から教えていただく。盤の前に座ると、左の盤ではShin氏が角落ちで挑んでいた。
「今日は粘らないでくださいよ」
と植山七段。早速クギを刺されてしまった。「もっとも今日は生徒が少ないからいいけれども」
「はい、今日は軽く終わります」
何だか妙な会話を経て、前回と同じ平手で対局開始。▲7六歩△3四歩に▲2六歩では角換わり系の将棋になるだろう。今日は序盤で気を遣いたくなかったので、四間に飛車を振ってみた。
△1四歩に私は受けない。これが隠れた一公定跡で、上手(後手)が突き越さなければ、次に▲1六歩と受ける。しかし植山七段はすぐ△1五歩と伸ばした。このあたり、兄弟子の米長邦雄永世棋聖に似ている。
私の▲4六歩に、植山七段は△5五角。角を2手で右辺に持って行く手筋で、植山七段が時折指す手だ。
向こうの盤では、和田女流初段とFuj氏が対局している。Fuj氏はアマチュア時代の和田女流初段に1つ勝ち越していて、その戦績を留めるために、今後和田女流初段とは指さない、と公言していた。本局はせっかくのチャンスなので、指導を受けることにしたのだろう。
私は▲4七金の後、▲5六銀と上がる。ここ▲5六歩と突いて▲6五歩~▲6六銀もあり、むしろそちらが本筋だったかもしれない。考えているうち、ふらふらと腰掛けてしまった。
その後持久戦模様になり、私は▲8八飛と回る。相銀冠という珍しい形になった。その途中の△2三銀の時、私は▲8六歩と突く。△同歩▲同飛に飛車交換は、離れ駒がある上手が指しづらく、植山七段は△8四歩と謝る。私は1歩を手持ちにし、ポイントを挙げたと思った。
植山七段が△9五角と覗いて、第1図。
第1図以下の指し手。▲7七桂△6四歩▲9六歩△6五歩▲同銀△7三角▲5六歩△8六歩▲8五歩△6二飛▲8四歩△6四銀▲7四銀△5五銀▲6三歩△6六銀▲6二歩成△7七銀不成(第2図)
私は▲7七桂と跳ねる。振り飛車は左桂が跳ねられれば一応成功だ。
△6五歩には▲同桂もあるが、△5九角成▲5三桂成△同金は、駒得でも馬を作られ下手がおもしろくないと思った。
△7三角には、△5五角を防いで▲5六歩。ここでも後手を引いたが、駒の勢いは下手の方がある。次に指したい手もいっぱいあり、楽しみがある。
植山七段は△6四銀とぶつけてきた。これに▲同銀はつまらない。下手は抑え込みの態勢に入っているからだ。
私は▲7四銀と躱したが、植山七段は△5五銀と大技に出た。これには▲6三歩の一手で、以下駒の取り合いになってしまった。しかしこれでは序盤のポイントがなくなり、形勢が互角に戻ってしまった。私はヘンな手を指さなかったと思うのだが、上手に捌かれる。これがプロの腕というものだろう。
△7七銀不成(第2図)に、次の手もしくじった。
(26日につづく)