一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

伊藤能六段、逝去

2017-01-05 23:19:16 | 男性棋士
昨年、第三者委員会の発表があった日に、伊藤能六段の訃報がネットで報道された。亡くなったのは前日の12月25日で、享年は54歳だった。
伊藤六段は1992年9月、30歳で四段昇段を決めた。奨励会生活17年、まさにドラマチックな昇段で、もう一人の昇段は三浦弘行現九段だったが、こちらは「30歳四段」の陰に隠れて、ほとんど話題にならなかった。
棋士人生、20歳で四段になってもフリークラスに降級する棋士もいれば、晩学でもタイトルを獲る棋士もいる。しかし統計を取れば、年を取っての昇段ほど成績は芳しくないだろう。伊藤六段もそうで、順位戦の成績はパッとしなかった。
降級点を2回取った2006年、フリークラス宣言。これは、3回目の降級点を取って降級すると強制引退まで10年だが、自発的に転出すれば5年寿命が延びることから、よく用いられる手筋である。だが「順位戦失格」を自らに言い聞かせるわけで、これは身を切るような決断といえる。伊藤六段もむろんそうだった。
だが伊藤六段は観戦記者のワラジを履いて頑張った。棋聖戦の観戦記者を務め、専門誌にも時折記事を書いていた。その筆致は氏の人柄を表すように誠実で、とても好感が持てた。
ところで今回は伊藤六段の病名が公表されていない。「突然死」だったという噂があるのだ。実際少し前の棋聖戦でも観戦記を書いていた記憶があるし、公式戦も指していた。
伊藤六段に何があったのか。亡くなったから書くわけではないが、伊藤六段にはどこか翳があった気がする。直接お会いしたことはないが、誌面やネットで見た感じでは、伊藤六段の笑顔にはどこか憂いがあった。
人生、中盤を過ぎると終盤の展開を読んでしまう。おのが人生を考えても必然の数手が予想されるが、それが坂道を転がり落ちるごとくで、しかも回避するてだてがない。つまり考えれば考えるほど気が滅入るのだ。
伊藤六段も棋士という華やかな職業に就いたが、内実は似たような心境だったのではないか。
人が亡くなるのは切ないものだが、今回はとくにそれを強く感じた。
伊藤六段にこれといった代表局はない。しかし将棋ファンの中では確実に、記憶に残った棋士だった。好漢・伊藤先生のご冥福をお祈りします。
コメント (4)
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