この18日、谷川浩司会長(十七世名人有資格者)が会長職を辞任した。三浦弘行九段の一連のもめ事の責任を取ってのものである。ついに決断したか、という印象だった。ただ直接の理由は、「自身の体調不良」とのこと。合わせて島朗常務理事(九段)の辞任も発表された。
2012年12月、米長邦雄会長(永世棋聖)の逝去に伴い会長に就いた谷川九段だったが、私は新会長の手腕に期待していた。正確に書けば、その存在感に期待していた。
谷川会長は14歳で四段になり、21歳で名人を獲り、十七世名人の称号も有する、天才中の天才である。そのブランド力は、並の棋士が束でかかっても敵わない。
将棋イベントで谷川会長が将棋ファンの前で挨拶をする。それだけで私たちは神様にお目にかかったような、幸せな気持ちになれるのだ。
谷川会長は、「そこにいるだけ」でいい。その意味では、就任後の会長は重責を十分に果たしていたと私は思う。
むずかしいことは側近がうまく立ち回ればよい。今回の騒動は、周りがしっかりしていなかった。例えばこれが大山康晴会長や米長会長だったら、おのれが中心に動いて、絶対にコトを表面化させなかった。あらゆる手を使って、隠蔽する。二上達也会長も、似たようなことをしたと思う。谷川会長は、正直すぎたのだろう。
この「挑戦者を替えた」という措置、レヴェルはまったく違うが、私も似たような経験がある。
説明の煩雑は避けるが、私が広告代理店に勤めていた時、ある会社の無料取材記事を、間に立っていた私が、独断で断ってしまったのだ。
後になってその会社の社長から大目玉を食らい私は出入り禁止になったのだが、確かに当時の判断は誤りだったと、今も消せないキズとして残っている。
谷川会長は騒動以後「胃がキリキリした」というが、幼少の頃から将棋一直線で、挫折はあってもそれは将棋内のことだった。慣れない政治が相手では、精神的にもかなり堪えたと思う。
まあよい、今回の騒動はまだ収束しないが、谷川会長が辞任すれば、もはやひとりの現役棋士である。これで指し将棋に専念し、谷川将棋に昔の冴えが戻ってくれれば、個人的にはうれしい。ともあれ谷川先生、お疲れ様でした。
さて巷では、次の会長が誰か、が話題である。最右翼は佐藤康光九段のようだ。
民間人がなるべき、という声もあるが、私は賛成しない。それは免状の問題で、将棋ファンが安くないおカネで申請するのだから、会長名は実績のある棋士の署名が望ましいと思う。
日本将棋連盟の行く先をあやぶむ声が聞かれるが、新聞社など、スポンサーへの感謝を忘れなければ大丈夫だろう。
2012年12月、米長邦雄会長(永世棋聖)の逝去に伴い会長に就いた谷川九段だったが、私は新会長の手腕に期待していた。正確に書けば、その存在感に期待していた。
谷川会長は14歳で四段になり、21歳で名人を獲り、十七世名人の称号も有する、天才中の天才である。そのブランド力は、並の棋士が束でかかっても敵わない。
将棋イベントで谷川会長が将棋ファンの前で挨拶をする。それだけで私たちは神様にお目にかかったような、幸せな気持ちになれるのだ。
谷川会長は、「そこにいるだけ」でいい。その意味では、就任後の会長は重責を十分に果たしていたと私は思う。
むずかしいことは側近がうまく立ち回ればよい。今回の騒動は、周りがしっかりしていなかった。例えばこれが大山康晴会長や米長会長だったら、おのれが中心に動いて、絶対にコトを表面化させなかった。あらゆる手を使って、隠蔽する。二上達也会長も、似たようなことをしたと思う。谷川会長は、正直すぎたのだろう。
この「挑戦者を替えた」という措置、レヴェルはまったく違うが、私も似たような経験がある。
説明の煩雑は避けるが、私が広告代理店に勤めていた時、ある会社の無料取材記事を、間に立っていた私が、独断で断ってしまったのだ。
後になってその会社の社長から大目玉を食らい私は出入り禁止になったのだが、確かに当時の判断は誤りだったと、今も消せないキズとして残っている。
谷川会長は騒動以後「胃がキリキリした」というが、幼少の頃から将棋一直線で、挫折はあってもそれは将棋内のことだった。慣れない政治が相手では、精神的にもかなり堪えたと思う。
まあよい、今回の騒動はまだ収束しないが、谷川会長が辞任すれば、もはやひとりの現役棋士である。これで指し将棋に専念し、谷川将棋に昔の冴えが戻ってくれれば、個人的にはうれしい。ともあれ谷川先生、お疲れ様でした。
さて巷では、次の会長が誰か、が話題である。最右翼は佐藤康光九段のようだ。
民間人がなるべき、という声もあるが、私は賛成しない。それは免状の問題で、将棋ファンが安くないおカネで申請するのだから、会長名は実績のある棋士の署名が望ましいと思う。
日本将棋連盟の行く先をあやぶむ声が聞かれるが、新聞社など、スポンサーへの感謝を忘れなければ大丈夫だろう。