一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

名小結、フリークラスへ

2019-04-11 00:11:27 | 男性棋士
2018年度のフリークラス転出者は、脇謙二八段(58)と泉正樹八段(58)となった。

脇八段は1979年四段デビュー。順位戦は1981年の第40期から、1983年第42期にかけて、21連勝を記録。合わせてB級2組に昇級を果たした。この連勝は1992年、森内俊之六段に26連勝で破られたが、今も順位戦連勝記録の第2位である。
私生活では六段の時、フジテレビの公開お見合い番組「パンチDEデート」に出場し、見事カップルになった。だが当時のカップルのほとんどがそうであったように、脇八段もその後の進展はなかったようである。
「将棋年鑑」昭和61年版の棋士アンケートのひとつは「史上最強の棋士は?」だった。「大山康晴」の回答が多い中、神谷広志五段は「脇謙二」と答えた。奨励会でよほど痛い目に遭ったのか、いずれにしても、脇八段の強さを示すエピソードである。
脇八段の順位戦の最高位はB級2組だったが、竜王戦では1組を7期務めた。また第5期では1組優勝を果たした。
しかしその後、脇八段はどちらのクラスも徐々に降級し、昨年度は順位戦C級2組で2つ目の降級点を取ってしまった。誰にも衰えはやってくるが、哀しいことだった。
今回は「65歳現役」への延命のため、フリークラスへ転出したと思われる。

泉八段は1980年四段デビュー。数年間は特筆すべき活躍はなかったが、1987年・五段の時、第26期十段戦でリーグ入りを果たした。C級2組からのリーグ入りは、第16期の土佐浩司四段、第24期の有森浩三四段についでの快挙。十段リーグは10局指せるので、その対局料も合わせると、棋戦優勝に匹敵した。
リーグ戦では、米長邦雄九段に勝つなど健闘した。順位戦も頑張り、この年度に10戦全勝してC級1組に昇級した。また1992年度の第51期では、9勝1敗でB級2組に昇級した。
泉八段は後に「将棋マガジン」に連載講座を持ったが、最初の1ページをまるまる近況報告に使うなど、話し好き?だった。講座内では「ガオー、ガオー」と吠え、「野獣流」を自称していた。
2018年度の順位戦ではC級2組に降級が決まったが、まだ何年かは順位戦を指せただけに、私は訝った。しかし「将棋世界」の最新号で「夜戦になると身体がつらく、トイレに足を運ぶのも危険な状態」と、フリークラス転出の動機を明かし、私は納得した。
シアトルマリナーズのイチロー選手が45歳で引退したが、そのいっぽうで棋士は、頭脳勝負なので現役期間が長い。しかし泉八段のコメントを見ると、棋士も体力勝負ということを痛感させられる。

以上、好漢2人のフリークラス入りは寂しいが、現役を退いたわけではない。他の棋戦でもう一花咲かせてもらえたらうれしい。
コメント (2)
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