私のすぐ後ろには、なぜか車掌が留まっていた。ずぅっとここで運転を見守るようである。運転席の右側スペースに行けばいいと思うが、そうできない事情があるのだろう。
私は運転席後方から、前方を複雑な思いで眺める。列車はまったく速度を上げず、まるで惰性で動いているようだ。
列車は清水沢を通過する。鈍行列車の駅通過である。
列車は南清水沢に入線した。ホームには、上り列車に乗りたい客がいた。
列車は止まり、運転手は一応どこかに連絡を取ったが、乗せなかった。逆に、もうここで降ろしてくれ、というオバチャンも車内にいたが、同様にドアは開けられなかった。
この列車は、乗客を無事新夕張に戻すことが使命なのだ。回送列車の扱いで、規則上旅客営業はできないのだろう。12時38分夕張発の上り列車は運休である。
列車は相変わらず遅い。さっき運転手が「清水沢から10キロ」と言ったが、あれは新夕張からの走行距離ではなく、この速度のことだったのか? とさえ思う。
もっともその分だけ、私たちは夕張支線を堪能できるわけだが……。
それでもやっぱり遅い。これは代行バスの到着に合わせているのか、はたまたディーゼル費の節減か……。でも遅く走って、節減になるのだろうか。
列車は13時30分ごろ、ようやっと新夕張に到着した。約1時間での回送で、これはこれで、記憶に残る乗車だった。
係の人が夕張までの希望乗車を確認する。私たちは観光がほとんどで、夕張に緊急の用事はない。むしろ夕張支線に乗ることが目的なわけだが、問題は今日今後の運行だ。
現在は15時56分夕張行きの運行が確約されており、折り返し16時40分の上りも出る。ということで、大半の人が代行バスに乗ることになった。
だが、そのバスの到着が遅れているという。もはやいくら遅くなっても構わないが、夕張では「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」や、「石炭の歴史館」を再訪するつもりではいた。
「幸せの黄色いハンカチ」は日本を代表する映画で、夕張での五軒長屋でのラストシーンは、日本映画に燦然と輝く名シーンとなっている。
「想い出ひろば」にはその五軒長屋がまだ残されており、「島勇作」の表札も掛かっている。表には黄色いハンカチがはためいており、室内には、武田鉄矢が乗ったファミリアが展示されている。黄色いハンカチも販売されており、私が1990年代に伺った際は、その並びで営業している理容店が委託販売をしていた(500円)。
「石炭の歴史館」は、1990年2月に訪れた。冬の時期でもあったが客は少なく、私は経営を危ぶんだものだが、果たしてその数年後、歴史館は経営破綻した。現在も何らかの形で営業しているようなので、今回訪れるにいい機会だと思った。
だがこの状態では、どれかは削らないといけないだろう。
表に出ると。雪に埋もれて「紅葉山」の駅名板があった。前述の通り、ここはかつて紅葉山という駅だった。夕張線にも歴史があるのだ。


待合室に戻り、自販機で缶コーヒーを買う。もちろんサントリーBOSSである。私は正価で買わない主義だが、今回はサントリーへの御礼である。
ようやく代行バスが到着した。大型バスのしっかりしたもので、室蘭ナンバーだった。車体には、「Tarumae Kanko」と書かれていた。
14時14分発車。一足先に、代行バスを味わう形だ。バスは雪の少ない道路を通り、途中で乗客を降ろし、14時43分、夕張駅前に到着した。実に2時間17分の遅れとなったが、それもまたよしである。
係員は、夕張までの切符は回収しなかった。この切符は記念とする。
さて夕張だが、駅がどこにあるのか分からない。さっき「ナゴミの前につけて」と誰かが言ったが、ここは駅前なのか?
夕張支線になってから、私は2度ほど訪れているが、鉄路は「ホテルマウントレースイ」の真ん前で、唐突に終わっていた気がする。駅舎もなかった。後で分かったことだが、夕張支線はマウントレースイの建設に合わせ、レールを800m短縮したらしい。
現在ももちろんマウントレースイは健在だが、よく見ると、ナゴミの向こうに鉄路があった。
私がご無沙汰している間に、駅付近にいろいろ建物が建ったのだ。「和」は、軽食喫茶だった(列車で「和」はE655系を指すが、それとは関係あるまい)。
ちょっと入口が分からないが、営業しているようには見えなかった。
それはともかく、先に貯金である。今回は3連休の旅の予定だったが、もしもの時のために、通帳を携行していたのだ。
郵便局はバス車内から確認していた。「夕張郵便局」212円。私は、2月12日の貯金が最も多いかもしれない。
夕張駅に入る。時刻表を見ると、
「夕張支線ありがとう Re startまで、あと47日」
の日めくりがあった。計算すると、3月31日が最終営業日である。今年の新ダイヤは3月16日だから、JR北海道は、天寿を半月延ばしてくれたわけだ。
外からホームを見るとかなり長く、数両分が停まれるスペースがあった。しかし庇は1両分である。
手前の柵には、「夕張の鉄路にありがとう! ありがとう夕張支線実行委員会」の横断幕がかかっていた。現在列車は上下5本しかない。廃線を嘆くのではなく、お疲れ様でした、という労いの気持ちが感じられた。


マウントレースイに入り、スタッフに食事処を聞く。すると、喫茶店はあるが15時からの営業で、しかも軽食しか置いてない、とのことだった。
温泉を聞くと、館内の外れにあるとのことだった。
そこに行き、入る。入浴料700円はまずまずか。浴場は天井の高いよくあるタイプで、湯船も大きかった。平日に温泉を愉しむのは優越感に浸れて気分がいいが、無職の現在では、それが却って虚しい。プーは休みを愉しんではいけないのだ。
ここは露店風呂も併設されていたが、さすがにお湯はぬるくなっていた。
帰り、フロントのオバチャンに「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」への行き方を聞くと、冬季は閉鎖中とのことだった。
それは残念だが、好都合だったともいえる。
だが駅前の観光案内ポールに、「石炭博物館・冬季休館」とあって、ガックリきた。
北海道は、冬だからこその祭りができるが、その一方で施設が閉鎖してしまうのだ。どちらにしても今回は、もう見学する時間がなかった。
「和」に行ったら営業していたが、結構客がいる。どうしようか。
(つづく)
私は運転席後方から、前方を複雑な思いで眺める。列車はまったく速度を上げず、まるで惰性で動いているようだ。
列車は清水沢を通過する。鈍行列車の駅通過である。
列車は南清水沢に入線した。ホームには、上り列車に乗りたい客がいた。
列車は止まり、運転手は一応どこかに連絡を取ったが、乗せなかった。逆に、もうここで降ろしてくれ、というオバチャンも車内にいたが、同様にドアは開けられなかった。
この列車は、乗客を無事新夕張に戻すことが使命なのだ。回送列車の扱いで、規則上旅客営業はできないのだろう。12時38分夕張発の上り列車は運休である。
列車は相変わらず遅い。さっき運転手が「清水沢から10キロ」と言ったが、あれは新夕張からの走行距離ではなく、この速度のことだったのか? とさえ思う。
もっともその分だけ、私たちは夕張支線を堪能できるわけだが……。
それでもやっぱり遅い。これは代行バスの到着に合わせているのか、はたまたディーゼル費の節減か……。でも遅く走って、節減になるのだろうか。
列車は13時30分ごろ、ようやっと新夕張に到着した。約1時間での回送で、これはこれで、記憶に残る乗車だった。
係の人が夕張までの希望乗車を確認する。私たちは観光がほとんどで、夕張に緊急の用事はない。むしろ夕張支線に乗ることが目的なわけだが、問題は今日今後の運行だ。
現在は15時56分夕張行きの運行が確約されており、折り返し16時40分の上りも出る。ということで、大半の人が代行バスに乗ることになった。
だが、そのバスの到着が遅れているという。もはやいくら遅くなっても構わないが、夕張では「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」や、「石炭の歴史館」を再訪するつもりではいた。
「幸せの黄色いハンカチ」は日本を代表する映画で、夕張での五軒長屋でのラストシーンは、日本映画に燦然と輝く名シーンとなっている。
「想い出ひろば」にはその五軒長屋がまだ残されており、「島勇作」の表札も掛かっている。表には黄色いハンカチがはためいており、室内には、武田鉄矢が乗ったファミリアが展示されている。黄色いハンカチも販売されており、私が1990年代に伺った際は、その並びで営業している理容店が委託販売をしていた(500円)。
「石炭の歴史館」は、1990年2月に訪れた。冬の時期でもあったが客は少なく、私は経営を危ぶんだものだが、果たしてその数年後、歴史館は経営破綻した。現在も何らかの形で営業しているようなので、今回訪れるにいい機会だと思った。
だがこの状態では、どれかは削らないといけないだろう。
表に出ると。雪に埋もれて「紅葉山」の駅名板があった。前述の通り、ここはかつて紅葉山という駅だった。夕張線にも歴史があるのだ。


待合室に戻り、自販機で缶コーヒーを買う。もちろんサントリーBOSSである。私は正価で買わない主義だが、今回はサントリーへの御礼である。
ようやく代行バスが到着した。大型バスのしっかりしたもので、室蘭ナンバーだった。車体には、「Tarumae Kanko」と書かれていた。
14時14分発車。一足先に、代行バスを味わう形だ。バスは雪の少ない道路を通り、途中で乗客を降ろし、14時43分、夕張駅前に到着した。実に2時間17分の遅れとなったが、それもまたよしである。
係員は、夕張までの切符は回収しなかった。この切符は記念とする。
さて夕張だが、駅がどこにあるのか分からない。さっき「ナゴミの前につけて」と誰かが言ったが、ここは駅前なのか?
夕張支線になってから、私は2度ほど訪れているが、鉄路は「ホテルマウントレースイ」の真ん前で、唐突に終わっていた気がする。駅舎もなかった。後で分かったことだが、夕張支線はマウントレースイの建設に合わせ、レールを800m短縮したらしい。
現在ももちろんマウントレースイは健在だが、よく見ると、ナゴミの向こうに鉄路があった。
私がご無沙汰している間に、駅付近にいろいろ建物が建ったのだ。「和」は、軽食喫茶だった(列車で「和」はE655系を指すが、それとは関係あるまい)。
ちょっと入口が分からないが、営業しているようには見えなかった。
それはともかく、先に貯金である。今回は3連休の旅の予定だったが、もしもの時のために、通帳を携行していたのだ。
郵便局はバス車内から確認していた。「夕張郵便局」212円。私は、2月12日の貯金が最も多いかもしれない。
夕張駅に入る。時刻表を見ると、
「夕張支線ありがとう Re startまで、あと47日」
の日めくりがあった。計算すると、3月31日が最終営業日である。今年の新ダイヤは3月16日だから、JR北海道は、天寿を半月延ばしてくれたわけだ。
外からホームを見るとかなり長く、数両分が停まれるスペースがあった。しかし庇は1両分である。
手前の柵には、「夕張の鉄路にありがとう! ありがとう夕張支線実行委員会」の横断幕がかかっていた。現在列車は上下5本しかない。廃線を嘆くのではなく、お疲れ様でした、という労いの気持ちが感じられた。


マウントレースイに入り、スタッフに食事処を聞く。すると、喫茶店はあるが15時からの営業で、しかも軽食しか置いてない、とのことだった。
温泉を聞くと、館内の外れにあるとのことだった。
そこに行き、入る。入浴料700円はまずまずか。浴場は天井の高いよくあるタイプで、湯船も大きかった。平日に温泉を愉しむのは優越感に浸れて気分がいいが、無職の現在では、それが却って虚しい。プーは休みを愉しんではいけないのだ。
ここは露店風呂も併設されていたが、さすがにお湯はぬるくなっていた。
帰り、フロントのオバチャンに「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」への行き方を聞くと、冬季は閉鎖中とのことだった。
それは残念だが、好都合だったともいえる。
だが駅前の観光案内ポールに、「石炭博物館・冬季休館」とあって、ガックリきた。
北海道は、冬だからこその祭りができるが、その一方で施設が閉鎖してしまうのだ。どちらにしても今回は、もう見学する時間がなかった。
「和」に行ったら営業していたが、結構客がいる。どうしようか。
(つづく)