最近見た夢を記しておく。
まずは3月11日の夢。
私は「ルパン三世」を録画予約したのだが、ビデオデッキのHDDが残り24分しかなかった。
容量がわずかに足りず、放送時間が来ても録画ランプが点かないので焦った。
続いて14日に見た夢。
私はどこかを旅行していた。私は栃木県内のユースホステルにいたようだ。
時は昼ごろで、そろそろチェックアウトしたいのだが、ペアレントのオヤジが応じてくれない。
ぐずぐずしていたら栃木県内発の1時半の飛行機に間に合わなくなってきた。
ユースでは送迎バスで送ってくれる、とのことだったが、それもしてくれない。
ある外国人の2人組は、会計の時1,500円ボッタクられたと言っていた。私も1,000円ボッタクられたようだ。
時刻は1時10分。これでもう、飛行機には乗れない。
……というところで、現実の世界のスマホから何かのメロディーが流れた。
その数分後、目覚まし時計のベルが鳴った。
続いて19日の朝に見た夢。
私はどこかのオリンピック会場にいた。そこは閉会式で、私たちグループは、次の東京オリンピックでの開会式の、振り付けを任命された。
2019年、その開会式のリハーサルが行われたが、私たちが作った振り付けは、スマートで、素晴らしいものだった。
というところで、尿意を催して何となく目が覚めた。
珍しく清々しい夢だった。
続いて21日に見た夢。
この日の夢もなかなか見応えがあったのだが、ほとんど忘れてしまった。
私はどこかの会社に勤めていて、営業に出ていた。同僚が2人いたのだが、ひとりはW氏だった気もする。
新橋に会社があり、神田方面に行くのだが、これは地下鉄銀座線で行くべきところ、降りたのは感覚的に築地駅の辺りで、鉄路も晴海通りを通っていた気がした。
だが地上は荒涼としていて、銀座とはかけ離れていた。
続いて22日に見た夢。
私はフィルムカメラで、何かの写真を撮っていた。それはどこかの運動会だった気がする。しかしフィルムは途中で切れてしまった。36枚すべてを撮り終わり、カメラからフィルムを出したが、綺麗に巻き戻ってはいたものの、やはりどこかで切れていたようだった。
運動会はどこかの小学校で行われていたみたいだった。成人の私も参加していたが、オレンジのTシャツを着ているチームだけ、途中で終了となった。私もオレンジのTシャツを着ていたので帰ろうとしたら、ほかのTシャツ組はちゃんと行進しながら校舎に帰っていく。私だけ単独行動をしていたということだ。
行程の一隅のボードにはプロ野球の結果が書かれていて、大洋対ヤクルトは、8-0で大洋の勝ち。もう1試合はチーム名は分からぬが、4-2のスコアだった。
校舎内のエレベーターに乗ったら、乳母車を押す母親がいた。私たちはスペースを作ったが、母親は遠慮して乗ってこなかった。
……というところで、何となく目が覚めた。
続いて26日に見た夢。
この日の夢がまた見応え十分だったのだが、憶えているシーンはほとんどない。
ネジ工場をやっていた叔父が、なぜかウチの工場で働いていて、プレス機で鉄を板状にカットしていた。だが最後の1枚は10mmくらい短い。私がそれを注意すると、叔父は「間違えてないから心配するな」と言った。
まあこれは私が梱包する時確認すればよい。もっとも叔父も、確かに短いものが混じっていることに気付いたようだった。
現実の世界の話なのだが、最近目のかゆみが止まらない。耳鼻科で目薬は貰ったのだが、あまり利いていない。
私は就寝前に養毛剤を塗るのだが、それが枕カバーに染みこみ、うつぶせになった時にこの雑菌を目に入れているからでは、と考えた。
それで今朝は、寝ていながらも、うつぶせにならないよう注意していた。
今回はここで打ち切る。
まずは3月11日の夢。
私は「ルパン三世」を録画予約したのだが、ビデオデッキのHDDが残り24分しかなかった。
容量がわずかに足りず、放送時間が来ても録画ランプが点かないので焦った。
続いて14日に見た夢。
私はどこかを旅行していた。私は栃木県内のユースホステルにいたようだ。
時は昼ごろで、そろそろチェックアウトしたいのだが、ペアレントのオヤジが応じてくれない。
ぐずぐずしていたら栃木県内発の1時半の飛行機に間に合わなくなってきた。
ユースでは送迎バスで送ってくれる、とのことだったが、それもしてくれない。
ある外国人の2人組は、会計の時1,500円ボッタクられたと言っていた。私も1,000円ボッタクられたようだ。
時刻は1時10分。これでもう、飛行機には乗れない。
……というところで、現実の世界のスマホから何かのメロディーが流れた。
その数分後、目覚まし時計のベルが鳴った。
続いて19日の朝に見た夢。
私はどこかのオリンピック会場にいた。そこは閉会式で、私たちグループは、次の東京オリンピックでの開会式の、振り付けを任命された。
2019年、その開会式のリハーサルが行われたが、私たちが作った振り付けは、スマートで、素晴らしいものだった。
というところで、尿意を催して何となく目が覚めた。
珍しく清々しい夢だった。
続いて21日に見た夢。
この日の夢もなかなか見応えがあったのだが、ほとんど忘れてしまった。
私はどこかの会社に勤めていて、営業に出ていた。同僚が2人いたのだが、ひとりはW氏だった気もする。
新橋に会社があり、神田方面に行くのだが、これは地下鉄銀座線で行くべきところ、降りたのは感覚的に築地駅の辺りで、鉄路も晴海通りを通っていた気がした。
だが地上は荒涼としていて、銀座とはかけ離れていた。
続いて22日に見た夢。
私はフィルムカメラで、何かの写真を撮っていた。それはどこかの運動会だった気がする。しかしフィルムは途中で切れてしまった。36枚すべてを撮り終わり、カメラからフィルムを出したが、綺麗に巻き戻ってはいたものの、やはりどこかで切れていたようだった。
運動会はどこかの小学校で行われていたみたいだった。成人の私も参加していたが、オレンジのTシャツを着ているチームだけ、途中で終了となった。私もオレンジのTシャツを着ていたので帰ろうとしたら、ほかのTシャツ組はちゃんと行進しながら校舎に帰っていく。私だけ単独行動をしていたということだ。
行程の一隅のボードにはプロ野球の結果が書かれていて、大洋対ヤクルトは、8-0で大洋の勝ち。もう1試合はチーム名は分からぬが、4-2のスコアだった。
校舎内のエレベーターに乗ったら、乳母車を押す母親がいた。私たちはスペースを作ったが、母親は遠慮して乗ってこなかった。
……というところで、何となく目が覚めた。
続いて26日に見た夢。
この日の夢がまた見応え十分だったのだが、憶えているシーンはほとんどない。
ネジ工場をやっていた叔父が、なぜかウチの工場で働いていて、プレス機で鉄を板状にカットしていた。だが最後の1枚は10mmくらい短い。私がそれを注意すると、叔父は「間違えてないから心配するな」と言った。
まあこれは私が梱包する時確認すればよい。もっとも叔父も、確かに短いものが混じっていることに気付いたようだった。
現実の世界の話なのだが、最近目のかゆみが止まらない。耳鼻科で目薬は貰ったのだが、あまり利いていない。
私は就寝前に養毛剤を塗るのだが、それが枕カバーに染みこみ、うつぶせになった時にこの雑菌を目に入れているからでは、と考えた。
それで今朝は、寝ていながらも、うつぶせにならないよう注意していた。
今回はここで打ち切る。