札幌から夕張までの普通料金は2,160円である。だが途中の南千歳までは840円、南千歳から夕張までは1,070円なのだ。合計1,910円。つまり南千歳で改札を出て、切符を買い直すだけで、250円もトクすることになる。
札幌から夕張までの直通列車はない。夕張行きは、南千歳の1つ前、千歳駅が始発である。よってここで乗り直しすればいいのだが、それをやると、千歳-夕張が1,270円に上がってしまう。ここで200円を損したんじゃ、あまり意味がない。
改めて整理すると、
1.札幌-夕張……2,160円
2.札幌-南千歳-夕張……1,910円
3.札幌-千歳-夕張……2,110円
である。2が最も安いが、それではボックス席を取れない。これは札沼線の件で明らかである。だが250円をケチって、デッキに追いやられるのもイヤだ。
本筋は千歳乗り換えなのだが、おトク額が50円に減じてしまうのがネックだ。
そもそも、合法的な手段で節約できると知ったのに、それを行使しない手はない。
私は結局、南千歳までの切符を買った。250円の節約に負けたということもあるが、オレンジカードを消費する意味もあった。
09時50分、快速エアポート96号に乗る。ここから新千歳空港まで、JR北海道の数少ないドル箱区間である。
10時23分、南千歳着。なお、夕張に行くなら前日でもよかったが、夕張は新千歳空港に近いので、この行程にしたのだ。
いったん改札を抜け、切符を買い直し、同じホームに戻る。こんな面倒臭いことをする旅行者は、私ぐらいだろう。
夕張行きの1両列車が到着した。案の定車内のボックス席は埋まっていた。ロングシート席も、広々と占領している学生らがいて、座れる雰囲気ではない。
私は後方のデッキに出た。こういう時に限って、事前の危惧が現実のものになるのだ。
10時43分、南千歳発。ここで改めて、石勝線についてまとめておく。
石勝線は、千歳線・南千歳駅(当時は千歳空港駅)から根室本線・新得駅までの132.4kmを結び、石狩地方から十勝地方への短絡路線として、1981年10月1日に開業した。国鉄不採算路線の整理が叫ばれている中での、微妙な開業だった。
この路線は丸々新設ではなく、夕張線の追分-紅葉山(後の新夕張)間25.4kmを石勝線に転用した。夕張線は紅葉山からなおも東西に分岐し、西は夕張、東は登川が終点だった。紅葉山-夕張16.1kmは石勝線夕張支線として営業継続、紅葉山-登川7.6kmは廃線となった。
石勝線の開通によって、帯広、釧路、根室方面への所要時間が大幅に短縮され、この新路線は重宝した。思えばこの時が、北海道の鉄路の最長営業キロだった。道内を網の目のように鉄道が走り、鉄路だけで北海道の形が出来上がるほどだった。
だがそれから、国鉄(JR)は路線廃止を本格的に断行し、1983年10月22日、白糠線の廃止を皮切りに、2016年3月26日の江差線・第3セクター移管まで、25路線を全線廃止した。その距離実に、1,700km余り。
だがそれでもJR北海道の赤字は軽減されず、まだ廃線を待つ路線がある。この新夕張-夕張の夕張支線も、炭鉱閉山後の代替産業が芳しくなく、今回廃線の憂き目を見たわけだった。
11時05分、追分着。南千歳からの17.6kmも新設で、地味ながら最強のバイパスだった。
11時17分発。列車はコトコトと、雪景色を走る。何となく感傷的になってしまうが、ここはまだ石勝線本線で、廃線区間ではない。
駅ごとに微妙に乗り降りがあり、11時57分、新夕張着。2分後の11時59分、発車した。ここから廃線区間である。
列車は緩い上り坂を登る。山岳地帯に入ったのだろう。辺りは雪が降り、ますます感傷的になる。デッキからでは景色も存分に楽しめない。振り返れば、運転席脇の正面に鉄路が見えるが、私は今来た道より、これから向かう景色を眺めたいのだ。
だがどの景色にせよ、近い将来、見られなくなってしまうのだ。
沼野沢、南清水沢、清水沢と到着、発車し、あとは鹿ノ谷、夕張で終着である。
その時、キハ40の走りがおかしくなった。車輪が空回りし、前に進めないのだ。この積雪で、レールが埋まってしまったらしい。シュルシュル、ギュー、ギュー、という音が何度も聞こえる。キハは助走を付けて、再度踏ん張る。しかしどうにも進めない。
やがて「雪のため列車が進行できず、これより新夕張に引き返します」と放送があったので、驚いた。
いやいやウソだろう? そんな措置は聞いたことがない。
ちなみに、かつて私が旅行中、常磐線と奥羽本線で車両故障に遭ったことがあったが、その時は、ともに小1時間ばかり待たされた後、後続の列車に押してもらったりした。
だけど今回は、車掌が列車から降りて雪を掻いたらダメなのか?
でもそれが何キロ続いているかも分からず、できないのだろう。さらにここは斜面で、キハの馬力にも限界がある。平坦な札沼線とは違うのだ。
この車両は新夕張まで回送し、改めて除雪車を出動させるらしい。北海道の赤字は、除雪の経費も重くのしかかっているのだ。
そして私たちには、新夕張から代行バスが用意されることになった。
運転手と車掌がこっちに来て、運転手は運転席に入る。「清水沢から10キロ、引き返します」と無線連絡し、12時30分ごろ、運転再開となった。
列車は減速したまま、ゆるゆると坂を下る。そうか、と思う。さっきまで最後尾だったデッキが、状況変わって、こちらが最上席になったのだ。まさかの一発逆転である。
(つづく)
札幌から夕張までの直通列車はない。夕張行きは、南千歳の1つ前、千歳駅が始発である。よってここで乗り直しすればいいのだが、それをやると、千歳-夕張が1,270円に上がってしまう。ここで200円を損したんじゃ、あまり意味がない。
改めて整理すると、
1.札幌-夕張……2,160円
2.札幌-南千歳-夕張……1,910円
3.札幌-千歳-夕張……2,110円
である。2が最も安いが、それではボックス席を取れない。これは札沼線の件で明らかである。だが250円をケチって、デッキに追いやられるのもイヤだ。
本筋は千歳乗り換えなのだが、おトク額が50円に減じてしまうのがネックだ。
そもそも、合法的な手段で節約できると知ったのに、それを行使しない手はない。
私は結局、南千歳までの切符を買った。250円の節約に負けたということもあるが、オレンジカードを消費する意味もあった。
09時50分、快速エアポート96号に乗る。ここから新千歳空港まで、JR北海道の数少ないドル箱区間である。
10時23分、南千歳着。なお、夕張に行くなら前日でもよかったが、夕張は新千歳空港に近いので、この行程にしたのだ。
いったん改札を抜け、切符を買い直し、同じホームに戻る。こんな面倒臭いことをする旅行者は、私ぐらいだろう。
夕張行きの1両列車が到着した。案の定車内のボックス席は埋まっていた。ロングシート席も、広々と占領している学生らがいて、座れる雰囲気ではない。
私は後方のデッキに出た。こういう時に限って、事前の危惧が現実のものになるのだ。
10時43分、南千歳発。ここで改めて、石勝線についてまとめておく。
石勝線は、千歳線・南千歳駅(当時は千歳空港駅)から根室本線・新得駅までの132.4kmを結び、石狩地方から十勝地方への短絡路線として、1981年10月1日に開業した。国鉄不採算路線の整理が叫ばれている中での、微妙な開業だった。
この路線は丸々新設ではなく、夕張線の追分-紅葉山(後の新夕張)間25.4kmを石勝線に転用した。夕張線は紅葉山からなおも東西に分岐し、西は夕張、東は登川が終点だった。紅葉山-夕張16.1kmは石勝線夕張支線として営業継続、紅葉山-登川7.6kmは廃線となった。
石勝線の開通によって、帯広、釧路、根室方面への所要時間が大幅に短縮され、この新路線は重宝した。思えばこの時が、北海道の鉄路の最長営業キロだった。道内を網の目のように鉄道が走り、鉄路だけで北海道の形が出来上がるほどだった。
だがそれから、国鉄(JR)は路線廃止を本格的に断行し、1983年10月22日、白糠線の廃止を皮切りに、2016年3月26日の江差線・第3セクター移管まで、25路線を全線廃止した。その距離実に、1,700km余り。
だがそれでもJR北海道の赤字は軽減されず、まだ廃線を待つ路線がある。この新夕張-夕張の夕張支線も、炭鉱閉山後の代替産業が芳しくなく、今回廃線の憂き目を見たわけだった。
11時05分、追分着。南千歳からの17.6kmも新設で、地味ながら最強のバイパスだった。
11時17分発。列車はコトコトと、雪景色を走る。何となく感傷的になってしまうが、ここはまだ石勝線本線で、廃線区間ではない。
駅ごとに微妙に乗り降りがあり、11時57分、新夕張着。2分後の11時59分、発車した。ここから廃線区間である。
列車は緩い上り坂を登る。山岳地帯に入ったのだろう。辺りは雪が降り、ますます感傷的になる。デッキからでは景色も存分に楽しめない。振り返れば、運転席脇の正面に鉄路が見えるが、私は今来た道より、これから向かう景色を眺めたいのだ。
だがどの景色にせよ、近い将来、見られなくなってしまうのだ。
沼野沢、南清水沢、清水沢と到着、発車し、あとは鹿ノ谷、夕張で終着である。
その時、キハ40の走りがおかしくなった。車輪が空回りし、前に進めないのだ。この積雪で、レールが埋まってしまったらしい。シュルシュル、ギュー、ギュー、という音が何度も聞こえる。キハは助走を付けて、再度踏ん張る。しかしどうにも進めない。
やがて「雪のため列車が進行できず、これより新夕張に引き返します」と放送があったので、驚いた。
いやいやウソだろう? そんな措置は聞いたことがない。
ちなみに、かつて私が旅行中、常磐線と奥羽本線で車両故障に遭ったことがあったが、その時は、ともに小1時間ばかり待たされた後、後続の列車に押してもらったりした。
だけど今回は、車掌が列車から降りて雪を掻いたらダメなのか?
でもそれが何キロ続いているかも分からず、できないのだろう。さらにここは斜面で、キハの馬力にも限界がある。平坦な札沼線とは違うのだ。
この車両は新夕張まで回送し、改めて除雪車を出動させるらしい。北海道の赤字は、除雪の経費も重くのしかかっているのだ。
そして私たちには、新夕張から代行バスが用意されることになった。
運転手と車掌がこっちに来て、運転手は運転席に入る。「清水沢から10キロ、引き返します」と無線連絡し、12時30分ごろ、運転再開となった。
列車は減速したまま、ゆるゆると坂を下る。そうか、と思う。さっきまで最後尾だったデッキが、状況変わって、こちらが最上席になったのだ。まさかの一発逆転である。
(つづく)