3日は第78期C級1組順位戦最終局が行われ、佐々木勇気七段が9勝1敗となり、10戦全勝の藤井聡太七段とともに、うれしい昇級を決めた。
同じく9勝1敗となった及川拓馬六段と石井健太郎五段は、このクラスでおなじみの頭ハネ(麻雀用語)。勝率9割で昇級できないとは順位戦の不備だ。来期からこのクラスの昇級者は3名に増えるが、悲劇はなくなるだろうか。
降級点は7名に付き、塚田泰明九段は2回目の取得でC級2組降級。さびしい結果となった。
塚田九段のデビューは1981年3月。奨励会生活は2年5ヶ月という驚異的スピードだった。
この1980年度(昭和55年4月~昭和56年3月)は8名の棋士が誕生し、多くの活躍をしたことから、のちに「花の55年組」と呼ばれた。芸能界の「花の57年組」みたいなものである。
では、この8名の最高クラスと主な活躍を記してみよう。
高橋道雄九段…十段1期・王位3期・棋王1期、A級13期
中村修九段…王将2期、B級1組
泉正樹八段…B級2組、十段リーグ入り
依田有司七段…C級2組
島朗九段…竜王1期、A級9期
南芳一九段…棋聖2期・棋王2期・王将3期、A級9期
塚田泰明九段…王座1期、A級7期、22連勝
神谷広志八段…28連勝、B級1組
以上、タイトルホルダー5名、A級4名である。
この中で最も早く頭角を現したのは高橋九段で、五段時代の1983年、第24期王位戦で内藤國雄王位から王位を奪取した。五段のタイトル獲得は当時考えられず、大変な話題になった。
高橋九段はその後、十段や棋王も獲得した。1989年にA級昇級と八段昇段を果たしたときはすでにタイトルを5期獲得していたが、当時の規定で、九段昇段まではあと1年待たねばならなかった。
中村九段は、六段時代の1986年、第35期王将戦で中原誠王将から王将を奪取し、一躍時の人となった。翌期も、中原名人のリターンマッチを退けた。
だが順位戦では最高位がB級1組で、棋界の七不思議といえる。
南九段の活躍も特筆に値する。デビューから順位戦で昇級昇段を重ね、1986年、A級八段。22歳の若さだった。
1988年1月、第51期棋聖戦で桐山清澄棋聖に勝ち、初タイトル。1989年にはタイトル3期で九段に昇進し、同期で最も早く最高段に到達した。タイトルは通算7期。
塚田九段の活躍も素晴らしい。1987年に第35期王座戦で中原王座から王座を奪取すると、翌年3月、23歳でA級に昇級昇段した。奨励会同様、順位戦での昇級も早かったのだ。
神谷八段は、順位戦は最高位B級1組だったが、1987年は年初から猛烈に勝ち進み、28連勝を達成した。これは不滅の記録、もう誰にも破られない、と当時は言われていた。
島九段は26歳のときの1988年、第1期竜王戦で米長邦雄九段に4勝0敗で勝ち、初代竜王と優勝賞金2600万円を獲得した。当時はまったくのダークホースで、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。
泉八段は、最高クラスはB級2組だったが、四段時代の1987年、当時最難関といわれた十段リーグに入った。55年組8名の中で、十段リーグ入りはほかに高橋九段だけである。
依田七段は8名の中でパッとせず、棋士で依田といえば、囲碁の依田紀基九段のほうが目立っていた。
しかし依田七段は、デビュー翌年のNHK杯では本戦に勝ち上がり、中原名人と対戦した。また王位戦で大山康晴十五世名人に勝ったこともある。
依田七段はその後クリークラスに転出し、2010年に引退している。
こんなわけで、花の55年組のほとんどが活躍し、そしてそれが未来永劫続くものと思った。
しかし時の移ろいは残酷である。皆さん歳を重ねるごとにタイトル戦からは遠ざかり、順位戦も徐々に降級を重ね、気が付けば以下のごとくになってしまった。
高橋道雄九段…A級→C級1組
中村修九段…B級1組→B級2組(降級点1)
泉正樹八段…B級2組→フリークラス
依田有司七段…C級2組→引退
島朗九段…A級→C級1組(降級点1)
南芳一九段…A級→C級2組
塚田泰明九段…A級→C級2組(来期より)
神谷広志八段…B級1組→C級2組(降級点2)
引退、フリークラス、C級がほとんどだが、南九段の凋落がひどい。
南九段は2013年度・第72期順位戦でC級1組に降級すると、第74期、第75期と降級点を取り、C級2組に降級してしまった。けっこうなノンストップである。南九段にいったい何があったのか。かつてはタイトル戦の常連だっただけに、私にはC級2組か受け入れられないのである。やはり、寄る年波には勝てないのだろうか。
そんな中で、中村九段の「B級2組」は頑張っている。不運にもB級1組が最高位だったから、1ランクしか下げていない。
とはいえ中村九段も降級点を持ち、あぶないことはあぶない。今期順位戦はここまで4勝5敗。B級2組の降級点は5名で、中村九段より下位3名はすでに確定している。
しかし最終戦で自身が負け、中村九段より順位が上の3勝者5名のうち4名に勝たれると、順位の差で降級してしまうのだ。最終戦は11日。こちらも注目だ。
同じく9勝1敗となった及川拓馬六段と石井健太郎五段は、このクラスでおなじみの頭ハネ(麻雀用語)。勝率9割で昇級できないとは順位戦の不備だ。来期からこのクラスの昇級者は3名に増えるが、悲劇はなくなるだろうか。
降級点は7名に付き、塚田泰明九段は2回目の取得でC級2組降級。さびしい結果となった。
塚田九段のデビューは1981年3月。奨励会生活は2年5ヶ月という驚異的スピードだった。
この1980年度(昭和55年4月~昭和56年3月)は8名の棋士が誕生し、多くの活躍をしたことから、のちに「花の55年組」と呼ばれた。芸能界の「花の57年組」みたいなものである。
では、この8名の最高クラスと主な活躍を記してみよう。
高橋道雄九段…十段1期・王位3期・棋王1期、A級13期
中村修九段…王将2期、B級1組
泉正樹八段…B級2組、十段リーグ入り
依田有司七段…C級2組
島朗九段…竜王1期、A級9期
南芳一九段…棋聖2期・棋王2期・王将3期、A級9期
塚田泰明九段…王座1期、A級7期、22連勝
神谷広志八段…28連勝、B級1組
以上、タイトルホルダー5名、A級4名である。
この中で最も早く頭角を現したのは高橋九段で、五段時代の1983年、第24期王位戦で内藤國雄王位から王位を奪取した。五段のタイトル獲得は当時考えられず、大変な話題になった。
高橋九段はその後、十段や棋王も獲得した。1989年にA級昇級と八段昇段を果たしたときはすでにタイトルを5期獲得していたが、当時の規定で、九段昇段まではあと1年待たねばならなかった。
中村九段は、六段時代の1986年、第35期王将戦で中原誠王将から王将を奪取し、一躍時の人となった。翌期も、中原名人のリターンマッチを退けた。
だが順位戦では最高位がB級1組で、棋界の七不思議といえる。
南九段の活躍も特筆に値する。デビューから順位戦で昇級昇段を重ね、1986年、A級八段。22歳の若さだった。
1988年1月、第51期棋聖戦で桐山清澄棋聖に勝ち、初タイトル。1989年にはタイトル3期で九段に昇進し、同期で最も早く最高段に到達した。タイトルは通算7期。
塚田九段の活躍も素晴らしい。1987年に第35期王座戦で中原王座から王座を奪取すると、翌年3月、23歳でA級に昇級昇段した。奨励会同様、順位戦での昇級も早かったのだ。
神谷八段は、順位戦は最高位B級1組だったが、1987年は年初から猛烈に勝ち進み、28連勝を達成した。これは不滅の記録、もう誰にも破られない、と当時は言われていた。
島九段は26歳のときの1988年、第1期竜王戦で米長邦雄九段に4勝0敗で勝ち、初代竜王と優勝賞金2600万円を獲得した。当時はまったくのダークホースで、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。
泉八段は、最高クラスはB級2組だったが、四段時代の1987年、当時最難関といわれた十段リーグに入った。55年組8名の中で、十段リーグ入りはほかに高橋九段だけである。
依田七段は8名の中でパッとせず、棋士で依田といえば、囲碁の依田紀基九段のほうが目立っていた。
しかし依田七段は、デビュー翌年のNHK杯では本戦に勝ち上がり、中原名人と対戦した。また王位戦で大山康晴十五世名人に勝ったこともある。
依田七段はその後クリークラスに転出し、2010年に引退している。
こんなわけで、花の55年組のほとんどが活躍し、そしてそれが未来永劫続くものと思った。
しかし時の移ろいは残酷である。皆さん歳を重ねるごとにタイトル戦からは遠ざかり、順位戦も徐々に降級を重ね、気が付けば以下のごとくになってしまった。
高橋道雄九段…A級→C級1組
中村修九段…B級1組→B級2組(降級点1)
泉正樹八段…B級2組→フリークラス
依田有司七段…C級2組→引退
島朗九段…A級→C級1組(降級点1)
南芳一九段…A級→C級2組
塚田泰明九段…A級→C級2組(来期より)
神谷広志八段…B級1組→C級2組(降級点2)
引退、フリークラス、C級がほとんどだが、南九段の凋落がひどい。
南九段は2013年度・第72期順位戦でC級1組に降級すると、第74期、第75期と降級点を取り、C級2組に降級してしまった。けっこうなノンストップである。南九段にいったい何があったのか。かつてはタイトル戦の常連だっただけに、私にはC級2組か受け入れられないのである。やはり、寄る年波には勝てないのだろうか。
そんな中で、中村九段の「B級2組」は頑張っている。不運にもB級1組が最高位だったから、1ランクしか下げていない。
とはいえ中村九段も降級点を持ち、あぶないことはあぶない。今期順位戦はここまで4勝5敗。B級2組の降級点は5名で、中村九段より下位3名はすでに確定している。
しかし最終戦で自身が負け、中村九段より順位が上の3勝者5名のうち4名に勝たれると、順位の差で降級してしまうのだ。最終戦は11日。こちらも注目だ。