6日(木)は第33期竜王ランキング戦1組2回戦・羽生善治九段VS佐藤康光九段戦が行われた。
この対局は両者163局目で、大山康晴十五世名人VS中原誠十六世名人、大山十五世名人VS二上達也九段の162局を抜いて単独4位となった。勝敗は羽生九段107勝、佐藤九段が55勝で、これは大山55勝・中原107勝とまったく同じである。
この将棋はAbemaTVで中継があったが、序盤から観るとキリがないものだ。それでもチラッと見たら、角換わりの力戦形っぽかった。あとはもう、最終盤に観るのが筋である。
夜に観ると、後手の佐藤九段が△9六桂と王手したところだった(第1図)。
第1図以下の指し手。▲9七玉△7八桂成▲2二飛成(第2図)
画面には例の形勢バーと、候補手が掲出されている。ここで▲7九玉や▲9六同香は悪く、後手が勝つようだ。となれば▲9七玉の一手だが、羽生九段はなかなか指さない。
形勢バーは「佐藤九段90%」で、佐藤九段勝勢となっていた。残り時間は羽生九段が1時間10分余り、佐藤九段10分だったが、羽生九段のそれはどんどんなくなり、佐藤九段に追いついてしまった。
ようやく▲9七玉が指された。いわゆる「桂頭の玉、寄せにくし」で、この手自体はノータイムで指せる。でもその後の見通しは立たなかったのではないか。終盤はある程度の解があるから、どんなに考えてもダメなものはダメなのだ。
むろん佐藤九段も、羽生九段と一緒に考えていた。局面は複雑だが、プロ的には読みやすい。佐藤九段はあらゆる変化を読みつくし、自身の勝利を確信したはずだ。これは佐藤九段が勝ったと思った。
△7八桂成に▲2二飛成(第2図)。次の手は当然に見えたが……。
第2図以下の指し手。△3二銀打▲3三金△5一玉▲3一竜△4一銀(第3図)
佐藤九段は△3二銀打とした。ここ、できれば△3二歩で間に合わせたいが、歩切れなのでカナケで受けるしかない。だがそれなら、竜取りの先手で△3二金と受けそうなものだ。△3二銀打が佐藤流の勝ち方か、と私は唸ったのである。
ところが気が付くと、形勢バーが「羽生九段90%」になっており、私は目を疑った。この将棋ソフトは、壊れているんじゃないか?
だが画面の先手最善手は「▲9一馬(参考図)」を指していて、アッと思った。
現在先手玉は△8八角▲9六玉△9五香▲同玉△8四金▲9六玉△9五金打までの詰めろである。だが8一飛の利き筋が逸れると先手玉の詰めろがほどけ、彼我のスピードが逆転してしまうのだ。
問題は羽生九段が気付くかどうかだ。しかし注目の指し手は▲3三金だった。気付かなかった。これで佐藤九段に形勢が戻った。△5一玉に▲3一竜と追撃する。
そして佐藤九段はここでも△4一銀! 私ならやはり△4一金とハジきたいが、銀1枚で凌ぐことが、佐藤九段の読みだったのだ。
だがここで羽生九段に、再び「▲9一馬」のチャンスが巡ってきた。まだこの手は有効期間なのだ。さすがに今度は、羽生九段が気付くような気がした。
第3図以下の指し手。▲9一馬△7七歩成▲4二金△6二玉▲7四桂△同金▲6四香△6三桂▲同香成△同玉▲5五桂(投了図)
まで、羽生九段の勝ち。
羽生九段は▲9一馬と香を取った。ついに気付いたのだ。佐藤九段は、羽生九段の右腕があらぬ方向に伸びたのでギョッとしただろう。確かに▲3七馬の存在は、意識から消えがちである。
そんな手があった⁉ と佐藤九段は考えたが、もう時間がない。とりあえず△7七歩成としたが、画面には「25手詰」が表示された。まさに急転直下である。
羽生九段は▲4二金から▲7四桂。作ったような寄せだ。△同金よりないが、▲6四香と中途半端な箇所に打つのがまたうまい。もちろんこの香は9一の香である。まったく絶好の駒を拾ったもので、勝ち将棋鬼のごとしとは、この将棋のことをいう。
この香には△6三角合が最善だったようだが、佐藤九段は△6三桂。羽生九段▲同香成△同玉に、ふつうは▲8一馬と飛車を取るところだが、馬の利きが中央に利いているうちに、▲5五桂。これが決め手で、佐藤九段の投了となった。
佐藤九段、まさに天国から地獄で、私だったら盤をひっくり返したくなるところだ。
「将棋世界」の中原誠十六世名人の連載では、4月号で大山康晴王将との大逆転勝利局を取り上げていた。大山王将が勝勢だったのに、中原玉を詰まし損ねて負けたやつだ。
この将棋は陣太鼓氏の観戦記で、私も読んだ記憶があるが、2人にはこのような大逆転が何局か見られる。もちろん、大山十五世名人側が負けるのだ。
本局の羽生-佐藤戦も大逆転といってよく、大山十五世名人-中原十六世名人の関係と同様、佐藤九段の羽生九段に対する相性の悪さが見て取れる。だからスコアがここまで開いてしまうのだ。
実際、この勝敗は大きかった。羽生九段はこれで、本戦出場まであと1勝。対して佐藤九段は、あと2勝を必要とする。羽生九段の引き続いての健闘を期待したいが、佐藤九段にも本戦入りを果たしてもらいたい、と心から願う。
この対局は両者163局目で、大山康晴十五世名人VS中原誠十六世名人、大山十五世名人VS二上達也九段の162局を抜いて単独4位となった。勝敗は羽生九段107勝、佐藤九段が55勝で、これは大山55勝・中原107勝とまったく同じである。
この将棋はAbemaTVで中継があったが、序盤から観るとキリがないものだ。それでもチラッと見たら、角換わりの力戦形っぽかった。あとはもう、最終盤に観るのが筋である。
夜に観ると、後手の佐藤九段が△9六桂と王手したところだった(第1図)。
第1図以下の指し手。▲9七玉△7八桂成▲2二飛成(第2図)
画面には例の形勢バーと、候補手が掲出されている。ここで▲7九玉や▲9六同香は悪く、後手が勝つようだ。となれば▲9七玉の一手だが、羽生九段はなかなか指さない。
形勢バーは「佐藤九段90%」で、佐藤九段勝勢となっていた。残り時間は羽生九段が1時間10分余り、佐藤九段10分だったが、羽生九段のそれはどんどんなくなり、佐藤九段に追いついてしまった。
ようやく▲9七玉が指された。いわゆる「桂頭の玉、寄せにくし」で、この手自体はノータイムで指せる。でもその後の見通しは立たなかったのではないか。終盤はある程度の解があるから、どんなに考えてもダメなものはダメなのだ。
むろん佐藤九段も、羽生九段と一緒に考えていた。局面は複雑だが、プロ的には読みやすい。佐藤九段はあらゆる変化を読みつくし、自身の勝利を確信したはずだ。これは佐藤九段が勝ったと思った。
△7八桂成に▲2二飛成(第2図)。次の手は当然に見えたが……。
第2図以下の指し手。△3二銀打▲3三金△5一玉▲3一竜△4一銀(第3図)
佐藤九段は△3二銀打とした。ここ、できれば△3二歩で間に合わせたいが、歩切れなのでカナケで受けるしかない。だがそれなら、竜取りの先手で△3二金と受けそうなものだ。△3二銀打が佐藤流の勝ち方か、と私は唸ったのである。
ところが気が付くと、形勢バーが「羽生九段90%」になっており、私は目を疑った。この将棋ソフトは、壊れているんじゃないか?
だが画面の先手最善手は「▲9一馬(参考図)」を指していて、アッと思った。
現在先手玉は△8八角▲9六玉△9五香▲同玉△8四金▲9六玉△9五金打までの詰めろである。だが8一飛の利き筋が逸れると先手玉の詰めろがほどけ、彼我のスピードが逆転してしまうのだ。
問題は羽生九段が気付くかどうかだ。しかし注目の指し手は▲3三金だった。気付かなかった。これで佐藤九段に形勢が戻った。△5一玉に▲3一竜と追撃する。
そして佐藤九段はここでも△4一銀! 私ならやはり△4一金とハジきたいが、銀1枚で凌ぐことが、佐藤九段の読みだったのだ。
だがここで羽生九段に、再び「▲9一馬」のチャンスが巡ってきた。まだこの手は有効期間なのだ。さすがに今度は、羽生九段が気付くような気がした。
第3図以下の指し手。▲9一馬△7七歩成▲4二金△6二玉▲7四桂△同金▲6四香△6三桂▲同香成△同玉▲5五桂(投了図)
まで、羽生九段の勝ち。
羽生九段は▲9一馬と香を取った。ついに気付いたのだ。佐藤九段は、羽生九段の右腕があらぬ方向に伸びたのでギョッとしただろう。確かに▲3七馬の存在は、意識から消えがちである。
そんな手があった⁉ と佐藤九段は考えたが、もう時間がない。とりあえず△7七歩成としたが、画面には「25手詰」が表示された。まさに急転直下である。
羽生九段は▲4二金から▲7四桂。作ったような寄せだ。△同金よりないが、▲6四香と中途半端な箇所に打つのがまたうまい。もちろんこの香は9一の香である。まったく絶好の駒を拾ったもので、勝ち将棋鬼のごとしとは、この将棋のことをいう。
この香には△6三角合が最善だったようだが、佐藤九段は△6三桂。羽生九段▲同香成△同玉に、ふつうは▲8一馬と飛車を取るところだが、馬の利きが中央に利いているうちに、▲5五桂。これが決め手で、佐藤九段の投了となった。
佐藤九段、まさに天国から地獄で、私だったら盤をひっくり返したくなるところだ。
「将棋世界」の中原誠十六世名人の連載では、4月号で大山康晴王将との大逆転勝利局を取り上げていた。大山王将が勝勢だったのに、中原玉を詰まし損ねて負けたやつだ。
この将棋は陣太鼓氏の観戦記で、私も読んだ記憶があるが、2人にはこのような大逆転が何局か見られる。もちろん、大山十五世名人側が負けるのだ。
本局の羽生-佐藤戦も大逆転といってよく、大山十五世名人-中原十六世名人の関係と同様、佐藤九段の羽生九段に対する相性の悪さが見て取れる。だからスコアがここまで開いてしまうのだ。
実際、この勝敗は大きかった。羽生九段はこれで、本戦出場まであと1勝。対して佐藤九段は、あと2勝を必要とする。羽生九段の引き続いての健闘を期待したいが、佐藤九段にも本戦入りを果たしてもらいたい、と心から願う。