東急田園都市線・二子玉川駅前にある玉川高島屋S・Cでは、毎年4月下旬に「世田谷花みず木女流オープン戦」が行われている。解説のひとりは中村修九段で、私は2017年、中村九段と話をさせていただく機会に恵まれた。
新期の順位戦の話になり、B級2組在籍だった中村九段は「初戦の(中村)太地戦に勝てば昇級を狙える……」とつぶやいた。
これが私には意外な言葉だった。というのも中村九段はこのとき54歳。とうに全盛期は過ぎており、同期四段の高橋道雄九段、島朗九段、塚田泰明九段はすでにC級1組に降級、南芳一九段はC級2組に降級し、汲々としていた。よって中村九段も降級点回避が目標と思いきや、本人は昇級する気満々だったのだ。いや、その意気やよしである。棋士たる者、順位戦に参加する以上、常に昇級を狙わねばならぬ。
私は大いに感銘を受け、その年の「順位戦昇降級者予想」は、中村九段を挙げたのだった。
だが注目の中村太地六段戦に、中村九段は敗れた。のみならず、6戦まで終わって1勝5敗。昇級どころか降級点を気にしなければならず、私は一時の讃嘆で中村九段を昇級候補に挙げたことを後悔した。
ちなみに中村太地六段は、昇級はならなかったものの、同年秋の第65期王座戦で羽生善治王座に挑戦し、3勝1敗で王座を奪取していた。
一方中村九段は1勝5敗のあと、怒濤の4連勝で降級点を回避した。その底力に私は感心したが、翌期の順位戦は2勝8敗となり、ついに降級点を取ってしまった。中村九段もここからガタガタいくのかと思われた。
だが中村九段は復活した。今期順位戦は8局を終わって6勝2敗。降級点を消去するとともに、6位につけた。現在は高額賞金の竜王戦があるが、棋士の格を決めるのはあくまでも順位戦である。その順位戦で降級点消去および昇級争いは賞賛に値する。そして9戦目の今月6日、中村九段は藤井聡太王位・棋聖(8勝0敗)との戦いになったのである。
話が戻るが、1978年に創刊された「将棋マガジン」創刊号では、新進奨励会員紹介のコーナーで、中村修3級が取り上げられていた。颯爽とした通学姿、自身の対局を師匠の佐伯昌優七段(当時)が見守るというほんわかしたグラビアを見て、彼の四段昇段は間違いないと思ったものだ。
四段に昇段した中村九段は六段時代に中原誠名人から王将を獲り、翌年のリターンマッチも返り討ちにした。私はこの時点で、中村九段のA級入りを疑わなかった。だが結局、中村九段はA級に昇れなかった。
とはいえ、A級入りした南九段、高橋九段、塚田九段、島九段は現在C級である。棋士の評価は難しいが、順位戦の在籍クラスは大きな指標になると思う。58歳で堂々B級2組の中村九段はここに来て、この4名を上回ったのである。
藤井王位・棋聖との対局で、中村九段は羽織袴姿で登場した。私は、1987年6月5日に行われた、芹沢博文九段と中村修王将との第46期順位戦B級2組を思い出した。
前期全敗だった芹沢九段は、前期に続き中村王将と当たることになり、この初戦に気合を入れた。確か白のスーツを着用したはずだが、あれは第43期のときだったか。
第46期は先番芹沢九段の居飛車明示に、中村王将が12手目に中飛車に振った。中盤、芹沢九段は▲1八角と名角を放つ。だが△3八飛の王手に48分の考慮で▲7七玉と立ったのが疑問手で、中村王将が制勝した。

あれから33年7ヶ月、今度は中村九段が、若きタイトルホルダーのお手並み拝見となったわけだ。
しかし将棋は藤井王位・棋聖が終始優位を保ち、快勝した。中村九段は残念だったが、私だったら途中で何回も投げているところを、中村九段は最後の最後まで指しぬいた。58歳にしてこの頑張りがあれば大丈夫、来期順位戦も大いに期待できる。
新期の順位戦の話になり、B級2組在籍だった中村九段は「初戦の(中村)太地戦に勝てば昇級を狙える……」とつぶやいた。
これが私には意外な言葉だった。というのも中村九段はこのとき54歳。とうに全盛期は過ぎており、同期四段の高橋道雄九段、島朗九段、塚田泰明九段はすでにC級1組に降級、南芳一九段はC級2組に降級し、汲々としていた。よって中村九段も降級点回避が目標と思いきや、本人は昇級する気満々だったのだ。いや、その意気やよしである。棋士たる者、順位戦に参加する以上、常に昇級を狙わねばならぬ。
私は大いに感銘を受け、その年の「順位戦昇降級者予想」は、中村九段を挙げたのだった。
だが注目の中村太地六段戦に、中村九段は敗れた。のみならず、6戦まで終わって1勝5敗。昇級どころか降級点を気にしなければならず、私は一時の讃嘆で中村九段を昇級候補に挙げたことを後悔した。
ちなみに中村太地六段は、昇級はならなかったものの、同年秋の第65期王座戦で羽生善治王座に挑戦し、3勝1敗で王座を奪取していた。
一方中村九段は1勝5敗のあと、怒濤の4連勝で降級点を回避した。その底力に私は感心したが、翌期の順位戦は2勝8敗となり、ついに降級点を取ってしまった。中村九段もここからガタガタいくのかと思われた。
だが中村九段は復活した。今期順位戦は8局を終わって6勝2敗。降級点を消去するとともに、6位につけた。現在は高額賞金の竜王戦があるが、棋士の格を決めるのはあくまでも順位戦である。その順位戦で降級点消去および昇級争いは賞賛に値する。そして9戦目の今月6日、中村九段は藤井聡太王位・棋聖(8勝0敗)との戦いになったのである。
話が戻るが、1978年に創刊された「将棋マガジン」創刊号では、新進奨励会員紹介のコーナーで、中村修3級が取り上げられていた。颯爽とした通学姿、自身の対局を師匠の佐伯昌優七段(当時)が見守るというほんわかしたグラビアを見て、彼の四段昇段は間違いないと思ったものだ。
四段に昇段した中村九段は六段時代に中原誠名人から王将を獲り、翌年のリターンマッチも返り討ちにした。私はこの時点で、中村九段のA級入りを疑わなかった。だが結局、中村九段はA級に昇れなかった。
とはいえ、A級入りした南九段、高橋九段、塚田九段、島九段は現在C級である。棋士の評価は難しいが、順位戦の在籍クラスは大きな指標になると思う。58歳で堂々B級2組の中村九段はここに来て、この4名を上回ったのである。
藤井王位・棋聖との対局で、中村九段は羽織袴姿で登場した。私は、1987年6月5日に行われた、芹沢博文九段と中村修王将との第46期順位戦B級2組を思い出した。
前期全敗だった芹沢九段は、前期に続き中村王将と当たることになり、この初戦に気合を入れた。確か白のスーツを着用したはずだが、あれは第43期のときだったか。
第46期は先番芹沢九段の居飛車明示に、中村王将が12手目に中飛車に振った。中盤、芹沢九段は▲1八角と名角を放つ。だが△3八飛の王手に48分の考慮で▲7七玉と立ったのが疑問手で、中村王将が制勝した。

あれから33年7ヶ月、今度は中村九段が、若きタイトルホルダーのお手並み拝見となったわけだ。
しかし将棋は藤井王位・棋聖が終始優位を保ち、快勝した。中村九段は残念だったが、私だったら途中で何回も投げているところを、中村九段は最後の最後まで指しぬいた。58歳にしてこの頑張りがあれば大丈夫、来期順位戦も大いに期待できる。