一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2020年・長崎旅行1

2021-01-19 00:40:21 | 旅行記・九州編
2020年も長崎県川棚の「あんでるせん」に行く時期がやってきた。今回も幸い予約が取れ、往復の飛行機も確保できた。日程は12月19日(土)・20日(日)の1泊2日である。無職なのに日程がギチギチなのは、いつ何時就職していてもいいように、だ。そしてそれは現実になったのだが、旅行の2日前、まさかの展開でまた私は無職に戻ってしまった。
さらにその前の12月上旬から、私の身にアクシデントが起こっていた。すなわち、意味不明の強い眩暈、吐き気に何度も襲われたのだ。
私はかかりつけの病院に行き精密検査を受け、眼科にも行った。念のため別所でMRI検査も受けた。結果はすべて異状なし。だが15日の未明、また強い眩暈に襲われた。助けを呼ぼうにも身動きができず、やがて吐き気を催してくる。大惨事は免れたが、これでは前途多難を思わせた。しかも運悪く、コロナの第三波も襲っていた。オヤジはたいそう心配し、旅行前日になって、私に長崎行きの中止を進言してきた。
オヤジの心配は分かるが、私はこの長崎旅行のために1年を生きている。幸い15日からは小康状態を保ち、体調も落ち着いている。体力的に問題はないと判断していた。
だがオヤジもうるさく、さすがに私はキレた。
「おう分かった! じゃあ行かねえよ! なんだよこっちは雪まつりからさき、どこにも旅行に行けなかったんだ。それを週末の休みに外出することの何がいけねぇんだ! 国もこの前までGoToGoTo言っといてなんだよ! それならオヤジ、正月になっても初詣に行くなよ! 一切表に出るなよ! オレがいちばん楽しみにしていた長崎旅行を止めさせたんだ、自分だけのこのこお参りするなよ!」
これが効いたのかオヤジも折れ、私は改めて長崎に行くことになったのである。
ただこの時オヤジが私の啖呵に応じていたら、私はどうなっていただろう。本当に長崎行きを止めただろうか。
19日は07時20分の飛行機だったので、早暁5時半に起きた。なぜかオフクロも起きていたが、万が一のため目覚まし代わりになってくれたのかもしれない。私は何歳になってもオフクロの子供なのだ。
今回の所持金は現金36,718円にクレジットカードやSuicaの類だ。現金は前日になって五千円札1枚と小銭しかないのに気付き、慌てて3万円をおろしてきた。よって現金の中身を種類別に記すと
壱万円札…3枚
五千円札…1枚
500円玉…2枚
100円玉…4枚
50円玉…6枚
5円玉…1枚
1円玉…13枚
となった。
あんでるせんでは1円玉を除き、すべての紙幣と硬貨を使う。私はあんでるせんに着くまでに千円札と10円玉を入手しなければならないが、その機会は限られている。
現金よりSuicaで入場したほうが安いから、Suicaで最寄り駅の改札を抜けた。いま思えば、この前後でチャージして千円札を入手すべきだったが、そこまで考えが及ばなかった。
京浜東北線には適当にヒトがいたが、座れた。
むかしは長崎に行くのが本当に楽しみだったが、実はここ数年、その気持ちがやや失せている。いい歳をしてチョンガーである社会的恥辱に改めて気づき、光のない未来が頭の中に渦巻いて、気分は落ち込むばかりなのだ。
羽田空港第1ターミナルビルに着き、スカイマークで手続きを取った。スカイマークは2020年6月からチェックイン方法が変わり、予約番号や名前を打ち込むシステムになった。
すぐに搭乗して14A、つまり翼の横の席に座ったが、前ポケットの機内誌は取り払われていた。これもコロナ対策で、接触対象物を減らしているのだろう。
飛行機が離陸し、私は目をつぶって体を休めた。旅先で出会った夏子さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。ここ何年かの想起は郁子さんでもなく真知子さんでもなく、夏子さんである。まったく、郁子さんはともかく夏子さんとは何度か飲み食いしたのに、20代の私はどうしてその先に進まなかったのか。玉砕覚悟で、交際を申し込むしかなかった。もうチャンスはそんなにないことを、当時の私は知るべきだった。
思いついて、2021年年賀状用に、機内から雲の写真を撮ってみる。でも使えそうにない。



08時40分、神戸空港着。長崎便は神戸を経由するのだ。だから時間がかかりあんでるせん入り(11時)はいつも遅くなるのだ。私たちはいったん飛行機を降りた。
再び搭乗し、神戸発09時15分。今日は快晴で、このまま滞りなく長崎に着けそうである。
10時25分、長崎空港に着いた。そのままストレートでバス乗り場に行く。たしか川棚バスセンターまでは960円だった。自動券売機で壱万円札を使えば、不足していた千円札と10円玉を同時に入手できる。……が、券売機に行くと、Suicaも使えることが分かった。これを使えば、何ポイントか付く。迷った私は、ここはSuicaを使うことにした。
空港内にはコンビニがあるので、ここでおにぎりでも買って、おつりをもらえばよい。
しかしおにぎりの値段が微妙に高く、また私は買うのを躊躇してしまう。それに、おにぎり1つの購入で壱万円札を出すのか?
私は反省し、券売機に戻る。ところがそこは、長蛇の列になっていた。そして早くも、川棚方面行きのバス乗り場に列ができていた。何があってもこのバスに乗り遅れることはできない。バスは定員制だが1台しか来ないから、気は進まないが列の後ろに加わった。バス代はSuica利用だ。4ポイント取得のために、千円札と10円玉を入手し損ねる。自分は何をやっているのだろう。
川棚方面行きのバスが来た。私の前にいた女性2人は、「川棚まで」と言いキャリーケースを預けた。彼女らもあんでるせんだろうか。
私は後方窓際の席に座った。しかし降車するときに容易でないから良し悪しである。母娘が来て、私の右に3歳くらいのお嬢ちゃん、補助席に母親が座った。2つ前の席が空いてそうだったので私が移動を申し出ると、2つ前は背の低い人が座っていたようだった。
かなり前方に座っていた父親がこちらに来て、何事か言った。ああ、家族で旅行しているのか。
バスは補助席も含めて満席になり、積み残しも出た。彼らには申し訳ないが、仕方ない。バスは定刻の11時ちょうどに出発した。
お嬢ちゃんは、横に不気味なおっさんがいるから不安そうだった。……あ! 前方に座ったお父さんと、私が席を替わってあげればよかったのか。
30秒で何かを決断しなければならないとき、私はたいてい間違える。いくら将棋を勉強して秒読みを経験したって、私生活では何の役にも立っていない。
県道の左には、鉄路が付かず離れず寄り添っている。大村線である。しかしそのレールは茶色く変色し、後ろの女性は「ここに電車が走るのかしら」とか言っている。
定刻の11時41分を何分か過ぎ、バスは川棚バスセンターに到着した。結局降車するのは、さっきの2人と私だけだった。私は補助席組に恐縮して降りると、手前の歩道橋に上がり、あんでるせんの全景を撮影した。これを2021年の年賀状にしようか。



地上に降りると、あんでるせんの1階テナントはガランとしていた。ここはクリーニング店ではなかったか? 現在はそこにテーブルとイスが置かれ、あんでるせんの待合室になっていた。
2階に上がり、あんでるせんに入る。1年振りだが、とてもそうは思えない。実に22年連続22回目のお邪魔である。店内はいつもの奥さん?がいて、マスクをしていた。非接触体温計を私の額にかざし、37度以下。これで無事、入店することができた。これが2020年のスタイルである。
(つづく)
コメント (10)
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