一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2020年・長崎旅行5

2021-01-24 00:11:42 | 旅行記・九州編
(22日のつづき)

川棚駅に入ると、次の長崎行きは18時49分だった。まだ駅員氏がいたので、両替を申し出る。だが年配の駅員氏は、「そのまま列車に乗ってください」と言った。
「え? でも中に整理券とかあります?」
「なくても大丈夫ですよ。下車駅で、川棚から乗ったと言ってくれれば」
「はあ……」
それから少しおしゃべりをする。私の話すことといえば、毎年この時期にあんでるせんに来ていること、この駅の券売機でオレンジカードが使いにくいこと、である。「ホントは駅の向こうにあるホテルクレールに泊まりたかったんですけど……」
いま、そちらの方角にあるであろうホテルは真っ暗だ。
「今年の春ごろまでは営業していましたが、いまは暗いですなあ」
駅員さんは事務所に戻り、千円札5枚を持って来てくれた。手提げ金庫でも開けてくれたのだろうか。ともあれこれで切符が買えて、堂々と列車に乗れることになった。
2分遅れで長崎行きが到着した。しかしその正面は豆電球がギンギラギンに光っており、遊園地の豆電車みたいだ。JR九州、また斬新な列車を投入したか!
車内も斬新なデザインだった。また水戸岡鋭治氏によるものだろうか。
だが車内はトイレスペースがやたら大きく、座席数は意外に少ない。私は立つよりなかった。
列車は定刻を3分遅れ、19時35分、諫早に到着した。



この列車は長崎本線の長与経由になり時間がかかるので、ここで乗り換えとなる。川棚の駅員さんは「特急に乗り換えれば長崎に早く着く」と言ったが、特急列車はよほどのことがない限り、利用しない。次の普通列車で十分である。それは定刻を4分遅れの19時44分に着き、私はそれに乗った。
ようやく座れたので、私は今晩のホテルの検索をした。現在GoToなので、楽天トラベルはホテルの宿泊料金が割引になっていた。その中で宿代が安く、評価も高い「ビジネスホテル ニュートップ」にした(このときなぜ、東横インのHPを検索しなかったのか不明。すっかり失念していた)。通常4,600円のところ、GoToが利いて、2,990円。これに1,000円分の地域共通クーポンが付くようだ。
定刻を2分遅れの20時12分、浦上着。駅前は市電が走っていた。むかしこの近くにユースホステルがあり、英語の堪能なペアレントさんがいた。そこでのんびりする時間が心地よかった。別の年の朝は、同じひとり旅の女性と、この浦上電停で記念写真を撮り合ったものだ。むかしはユースホステルが、男女の出会いの場でもあった。
さて、晩飯である。旅先ではこれが楽しみなのだが、浦上は意外にビジネス街で、これという店がない。市民病院電停の近くに、ラーメン屋「一麺亭」があった。もうここに入り、「GoToセット」を頼む。これは地域共通クーポン専用ということではなく、1,000円ピッタリ、ということだ。私は醤油ラーメン、ご飯、餃子7個のセットにした。
雰囲気的にはご飯分だけ得している感じだ。食欲はなかったが、美味しくいただいた。



ニュートップにチェックインする。と、フロント氏が非接触体温計をかざした。いまはこれが常識になっているに違いない。
入室して、一安心である。今日は疲れたので、旅行日誌を付けぬまま、シャワーを浴びたらすぐに寝た。

翌20日(日)である。
私にとってビジネスホテルは寝るだけだから多くの設備は要らないが、ここは室内が暗い、テレビが小さい、バスタブが小さい、ボディソープやシャンプーが携帯用だった、使い捨てカミソリの切れが悪い、などなど、いくつか不満点があった。だがフロント前のPCが無料で使えたのは大きかった。本日分のブログネタはすでに記してあるが、現在私のスマホでは、なぜかブログにログインできないのだ。毎日更新を期している私は最悪、日中にネットカフェ入店も考えていたので、この設備は大きかった。
私は身支度を整えるとフロントに降り、PCでブログを更新した。
さて今日は福岡空港から帰京することだけ決まっているが、あとはフリーだ。しかし1ヶ所だけ行くところを決めている。「匠寛堂(しょうかんどう)」だ。今回の旅行の際、手帳を見たら20日の欄に「匠寛堂」と朱書されていた。まったく記憶にないのでネットで調べたら、そこはカステラ専門店だった。以前テレビでこの店が紹介されたとき、私がメモしたのだろう。
実はこれと同じパターンが以前あって、やっぱりどこかのカステラ屋を訪ねたことがある。しかしそのときは休業だった。今回は日曜の営業も確認済である。よほどのことがない限り、入手できるだろう。
チャックアウトして、市民病院電停から、蛍茶屋行きの市電に乗った。以前は一律120円だったが、現在130円である。1日乗車券は500円据え置きなので4回乗れば得をするが、たぶんそこまで乗らないので、乗車時にはSuicaをカードリーダーにタッチした。
匠寛堂の最寄りはめがね橋電停だ。今さら眼鏡橋もないが、たまには鉄板の観光地に行くのもいい。しかし電車はめがね橋に行く雰囲気でない。と、美味そうなうどん屋があったので、新中川町で降りた。あれ? 新中川町?
路線図を見ると、このひとつ先が終点蛍茶屋である。我が市電は3系統で、眼鏡橋に行くには、この手前の市民会館で4系統か5系統に乗り換えねばならなかった。



まあ急ぐ旅ではないから、歩いていけばいい。そして、さっきのうどん屋「嘉助うどん」は11時の開店だった。まだ9時18分である。私は諏訪神社電停まで戻ることにした。
諏訪神社は山の中腹にあり、下から望むと鳥居がいくつも連なっていた。これは私の想像以上に由緒ある神社に違いない。そろそろと上がっていくと、鳥居のあるごとに道路が走り、クルマが通れるほど広かった。
途中で振り返ると、いい景色だ。私が事前の予習をしっかりして眼鏡橋に直行していたら、この諏訪神社には来ていなかった。ここが旅の面白さである。
やっと上ったと思ったら、拝殿までまだ30段近くある。やっと登ると、拝殿は切妻屋根とでもいうのか、威風堂々の造りで、これだけでもうご利益がありそうだった。5円を投じて参拝する。
狛犬の脇にはさざれ石が祀られていた。国歌「君が代」に出てくる、あのさざれ石である。さざれ石は細かい石の集まりで、要するに小さな力でもいっぱい集まれば大きな力になるということだ。













下に降りると社務所がある。その手前には神馬像があり、勇壮だ。私はご朱印状をいただきたいが、朱印帳を携行しなかったので、紙でいただくことにする。
ご朱印は何種類かあり、1枚500円だった。宮崎県の青嶋神社のように2種類600円のセットはあったが、500円はけっこうな額だ。これは福岡県柳川・日吉神社に続き2度目と記憶する。しかしその分ご利益も多そうなので、ありがたく所望した。
ご朱印は奇をてらわぬ平凡なものだったが、特製の栞が付いていた。
改めて眼鏡橋に向かう。大通りをぶらぶら歩くと、市電がひっきりなしに行き来する。東京にももっと都電が残っていたら、また別の情緒が醸し出されただろう。美濃部都知事が都電をことごとく廃止したのは、大失敗だった。
私はどこか道を一本奥に入ってしまい、いつの間にかめがね橋電停近くに来ていたようだ。地元の女性に聞くと、1本中に入った川沿いに眼鏡橋はあるとのことだった。いよいよである。
(つづく)
コメント
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