だいぶマジックが続いたので、マスターの指示で、みなで両腕をぐるぐる回す。体が硬直したので、柔軟体操である。
「そろそろ疲れてきましたもんね。私も疲れました。でもカウンターの皆さんはまだいいですよ。座ってるから。だけど後ろの人はねぇ、ずぅっと立ち放しで。早くマジックを終わらせろ、なんて思ってるかもしれませんね」
これもマスター鉄板のジョークである。
続いて左手とピストルの形、右手をグーにして、それを交互に逆の形にする。一見簡単そうだが、なかなか難しい。
マジックに戻り、お次はルービックキューブである。1秒で6面を揃えるなどいつものマジックが披露された。だが、メインは次だった。「今日は、世界初のことをやりますよ」。
マスターは、任意の男性がバラバラの色にしたキューブを、キューブに心得のある女性に渡した。そしてマスターは目をつぶったまま、キューブの動きを指示する。そう、マスターがこのまま6面を揃えるということだ。
マスターはごちゃごちゃやっているうち、6面を揃えてしまった。私たちはあんぐりするばかりである。
お次は血液型当てである。任意の男女が4人選ばれ、マスターはすべての血液型を当ててしまった。
そして、旅館の前で宿泊客がパン、パン、とやる例の話。さらに「10年経った自分を想像してみる。そうすれば、いまの自分は何をすべきかが見えてくる」と、お馴染みの話になった。
私はこれを21年前から聞いていた。だが、全然身になっていなかった。ただただマジックを愉しんだだけのバカだった。でもこの日本には、マスターの言葉に感化されて、人生を有意義にした人もいるのだ。
マジックは終盤に入り、いよいよコインマジックである。やはりこれが白眉だ。しかし私の左の夫婦は、さっきからゴソゴソやっている。
すでにコインは何種類も出されている。私も出せたが、この位置からでは放れなかった。せめて2列目だったら、腕を伸ばせて出せたのだが……。
「マスターすみません、飛行機の時間があるので、私たちはこれで……」
と左の女性が言った。これも「あんでるせんあるある」で、飲食とマジックの時間を計り間違え、中途退出するケースも少なくない。かくいう私もだいぶ昔、終列車に間に合わない事態になり、たぶん20分くらい早く退いたことがある。マジックが1日2回制だったときのことだ。
「それは残念。でもこれだけ見ていってください」
マスターは千円札に50円玉をスーッと入れ、それをお札の中で泳がせた。私はすでに21回見ているが、このマジックが最も衝撃度が高い。カウンターの女性は「ぎえー!!」と叫び、目を白黒させた。間近で見るマジックは大変な迫力だろう。夫婦は満足して、店を後にした。
コインマジックはこれからが本番だ。続いてはマスターが掌の上で、100円玉をペロン、と曲げてしまった。これは元に戻さず男性に返したので、彼のお宝になった。
マスターからの「プレゼント」はいくつかあるが、この変形コインが一番だと思う。ちなみに私は「ペロンの500円玉」を2枚所有している(1枚はどこかに行ってしまったのだが……)。
マスターが、別の100円玉をかじる。それは3分の1ほどなくなった。あり得ない光景に、また室内が沸く。マスターがフッと息を吹きかけると、それはもとの100円玉に戻った。再びびっくりである。
マスターが千円札にボールペンをぶっ刺す。そのボールペンが、お札の中を上下した。混乱している私たちを尻目に、
「おカネは固いと思うからいけないのです」
と言い、500円玉を紙で包む。「これは豆腐です」。
マスターは男性に爪楊枝を渡すと、その「豆腐」を刺すように言った。男性が刺すと、爪楊枝はズブズブと紙を貫通していく。そのまま抜くと、500円玉に小さな穴が開いていた。
瓶の中に10円玉を入れたいが、その口の直径より10円玉のほうが大きい。そこでマスターは10円玉を小さくし、瓶の中に入れてしまった。カウンターの女性は大混乱である。彼女らは、一生忘れられない日になるであろう。
「来年の2月5日まで、カウンターは満席になっています」
とマスター。
現在は毎月1日より、2ヶ月先の1ヶ月分を電話予約できる。例えば4月10日の観戦希望なら、2月1日に予約できる(第1、第3日曜日は休み)。ところが、この予約が1日の一日しかできないとの噂が拡まって、困っているという。この話は昨年も聞いた。もちろん予約は何日でもできるし、運がよければ前日の予約でも大丈夫だ。実は私も1、2回危ないときがあったが、私は最初からここに来るイメージができているので、問題ない。
今度はマスターが任意の女性に、空き缶と100円玉を渡す。イメージすれば缶の底から100円玉を通すことができるらしい。女性は果敢にチャレンジするが、無理だ。だが何となく、そのまま続ければできそうな雰囲気がある。マスターは「いまのは1回入ったけど出てきちゃいましたよ」「行けます! 行けますよ!」と、いつになく必死だ。「それっ!!」
あっ、入った!!
100円玉はなくなり、缶の中でカラカラ音がした。これはマスターのマジックなのか、彼女の潜在能力を引き出したのか。いずれにしてもマスターは、ヒトにもマジックをやらせるところがすごいのだ。
長かったマジックも、これで終わりとなった。時刻は18時19分。何と、3時間40分の長丁場だった。いままでは最長でも2時間半くらいだったから、大幅な記録更新だ。仮に、3分に1回マジックをやったとして、約75種もやったことになる。マジックの時間を長くしてもマスターにメリットはないのに、ありがたいことだ。
だが残念なこともあった。あんでるせん訪問22回目にして、私はついに、1回も棒が当たらなかった。
まあ昨年も誕生日当てのところで当たったものの、「あなたは何回かやったから……」と別の人に移った。よって今年も私は蚊帳の外だった可能性があるが、私が潜在的に拒否していたのかもしれない。
これで散会だが、お客は去りがたい感じだ。だが300円のぐにゃぐにゃスプーンやフォークが用意され、みなはこれを購入しつつ、マスターと一言かわすのが儀式となっている。
私も列に並び、私の番がきた。
「マスター、楽しかったです」
「おう、今年も来てくれてありがとう」
やはり私ことはバレていたか。
いつもはここで握手してくれるのだが、コロナ禍なのでそれはナシだ。そして「気」の注入も前述の通り、ない。
「いえいえ、全然成長がなくて」
私は自嘲気味につぶやく。私は今後結婚ができるのか、就職はできるのか、聞きたいことは山ほどあるのだが、「それは21年前から、生き方を説いていたでしょう?」となるはずだ。私は1999年からマスターのマジックを拝見していながら、それを充実した生き方のヒントにできなかった。
「いやいや、いいオーラが出ていますよ」
マスターは客に悪いことは言わないからな……。私はスプーンを所望した。ポケットにはちょうど、100円玉2枚と50円玉2枚がある。
私は深くお辞儀をして、あんでるせんを後にした。
(24日につづく)
「そろそろ疲れてきましたもんね。私も疲れました。でもカウンターの皆さんはまだいいですよ。座ってるから。だけど後ろの人はねぇ、ずぅっと立ち放しで。早くマジックを終わらせろ、なんて思ってるかもしれませんね」
これもマスター鉄板のジョークである。
続いて左手とピストルの形、右手をグーにして、それを交互に逆の形にする。一見簡単そうだが、なかなか難しい。
マジックに戻り、お次はルービックキューブである。1秒で6面を揃えるなどいつものマジックが披露された。だが、メインは次だった。「今日は、世界初のことをやりますよ」。
マスターは、任意の男性がバラバラの色にしたキューブを、キューブに心得のある女性に渡した。そしてマスターは目をつぶったまま、キューブの動きを指示する。そう、マスターがこのまま6面を揃えるということだ。
マスターはごちゃごちゃやっているうち、6面を揃えてしまった。私たちはあんぐりするばかりである。
お次は血液型当てである。任意の男女が4人選ばれ、マスターはすべての血液型を当ててしまった。
そして、旅館の前で宿泊客がパン、パン、とやる例の話。さらに「10年経った自分を想像してみる。そうすれば、いまの自分は何をすべきかが見えてくる」と、お馴染みの話になった。
私はこれを21年前から聞いていた。だが、全然身になっていなかった。ただただマジックを愉しんだだけのバカだった。でもこの日本には、マスターの言葉に感化されて、人生を有意義にした人もいるのだ。
マジックは終盤に入り、いよいよコインマジックである。やはりこれが白眉だ。しかし私の左の夫婦は、さっきからゴソゴソやっている。
すでにコインは何種類も出されている。私も出せたが、この位置からでは放れなかった。せめて2列目だったら、腕を伸ばせて出せたのだが……。
「マスターすみません、飛行機の時間があるので、私たちはこれで……」
と左の女性が言った。これも「あんでるせんあるある」で、飲食とマジックの時間を計り間違え、中途退出するケースも少なくない。かくいう私もだいぶ昔、終列車に間に合わない事態になり、たぶん20分くらい早く退いたことがある。マジックが1日2回制だったときのことだ。
「それは残念。でもこれだけ見ていってください」
マスターは千円札に50円玉をスーッと入れ、それをお札の中で泳がせた。私はすでに21回見ているが、このマジックが最も衝撃度が高い。カウンターの女性は「ぎえー!!」と叫び、目を白黒させた。間近で見るマジックは大変な迫力だろう。夫婦は満足して、店を後にした。
コインマジックはこれからが本番だ。続いてはマスターが掌の上で、100円玉をペロン、と曲げてしまった。これは元に戻さず男性に返したので、彼のお宝になった。
マスターからの「プレゼント」はいくつかあるが、この変形コインが一番だと思う。ちなみに私は「ペロンの500円玉」を2枚所有している(1枚はどこかに行ってしまったのだが……)。
マスターが、別の100円玉をかじる。それは3分の1ほどなくなった。あり得ない光景に、また室内が沸く。マスターがフッと息を吹きかけると、それはもとの100円玉に戻った。再びびっくりである。
マスターが千円札にボールペンをぶっ刺す。そのボールペンが、お札の中を上下した。混乱している私たちを尻目に、
「おカネは固いと思うからいけないのです」
と言い、500円玉を紙で包む。「これは豆腐です」。
マスターは男性に爪楊枝を渡すと、その「豆腐」を刺すように言った。男性が刺すと、爪楊枝はズブズブと紙を貫通していく。そのまま抜くと、500円玉に小さな穴が開いていた。
瓶の中に10円玉を入れたいが、その口の直径より10円玉のほうが大きい。そこでマスターは10円玉を小さくし、瓶の中に入れてしまった。カウンターの女性は大混乱である。彼女らは、一生忘れられない日になるであろう。
「来年の2月5日まで、カウンターは満席になっています」
とマスター。
現在は毎月1日より、2ヶ月先の1ヶ月分を電話予約できる。例えば4月10日の観戦希望なら、2月1日に予約できる(第1、第3日曜日は休み)。ところが、この予約が1日の一日しかできないとの噂が拡まって、困っているという。この話は昨年も聞いた。もちろん予約は何日でもできるし、運がよければ前日の予約でも大丈夫だ。実は私も1、2回危ないときがあったが、私は最初からここに来るイメージができているので、問題ない。
今度はマスターが任意の女性に、空き缶と100円玉を渡す。イメージすれば缶の底から100円玉を通すことができるらしい。女性は果敢にチャレンジするが、無理だ。だが何となく、そのまま続ければできそうな雰囲気がある。マスターは「いまのは1回入ったけど出てきちゃいましたよ」「行けます! 行けますよ!」と、いつになく必死だ。「それっ!!」
あっ、入った!!
100円玉はなくなり、缶の中でカラカラ音がした。これはマスターのマジックなのか、彼女の潜在能力を引き出したのか。いずれにしてもマスターは、ヒトにもマジックをやらせるところがすごいのだ。
長かったマジックも、これで終わりとなった。時刻は18時19分。何と、3時間40分の長丁場だった。いままでは最長でも2時間半くらいだったから、大幅な記録更新だ。仮に、3分に1回マジックをやったとして、約75種もやったことになる。マジックの時間を長くしてもマスターにメリットはないのに、ありがたいことだ。
だが残念なこともあった。あんでるせん訪問22回目にして、私はついに、1回も棒が当たらなかった。
まあ昨年も誕生日当てのところで当たったものの、「あなたは何回かやったから……」と別の人に移った。よって今年も私は蚊帳の外だった可能性があるが、私が潜在的に拒否していたのかもしれない。
これで散会だが、お客は去りがたい感じだ。だが300円のぐにゃぐにゃスプーンやフォークが用意され、みなはこれを購入しつつ、マスターと一言かわすのが儀式となっている。
私も列に並び、私の番がきた。
「マスター、楽しかったです」
「おう、今年も来てくれてありがとう」
やはり私ことはバレていたか。
いつもはここで握手してくれるのだが、コロナ禍なのでそれはナシだ。そして「気」の注入も前述の通り、ない。
「いえいえ、全然成長がなくて」
私は自嘲気味につぶやく。私は今後結婚ができるのか、就職はできるのか、聞きたいことは山ほどあるのだが、「それは21年前から、生き方を説いていたでしょう?」となるはずだ。私は1999年からマスターのマジックを拝見していながら、それを充実した生き方のヒントにできなかった。
「いやいや、いいオーラが出ていますよ」
マスターは客に悪いことは言わないからな……。私はスプーンを所望した。ポケットにはちょうど、100円玉2枚と50円玉2枚がある。
私は深くお辞儀をして、あんでるせんを後にした。
(24日につづく)