一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

16日未明に見た夢

2011-01-17 00:22:51 | 
16日(日)未明にヘンな夢を見たので、例によって記しておこう。

私が、将棋ペンクラブ主催「将棋寄席」に出ることになった。どうも自分から落語をやりたいと申し出たらしく、湯川博士統括幹事に弟子入りしたらしい。夢の中では、湯川統括幹事役を橋爪功がやっていた。
私は無謀にも「文七元結(ぶんしちもっとい)」の大ネタをかけたい、と申し出るが、当然橋爪功からは拒否される。お前にはまだ早い、「時そば」をやりなさい、という。
確かにそのとおりだが、時そばかァ…。もっと大ネタがよかったなあ、と思う。もっとも時そばだって、誰でも知っている噺だけに、それはそれで笑いを取るのが難しい。やはりそれなりの稽古を積まねばならないだろう。
と、ここで私は、これはたぶん夢だと気づいた。あるいは一度、目が覚めたのかもしれない。そういえば、目覚まし時計を見たら7時半だった記憶もある。とにかくこのとき私は、どうせ稽古をしなくても、あと2時間後には、この夢から醒める。それなら稽古なんてしなくてもいいんじゃないか、と思った。ちょっと汚いやり方だけど、一理ある考えだ。
しかし同時に、俳優橋爪功が出ている豪華な夢が確実に終わってしまうさみしさも感じていた。
朝は9時半ごろ目が覚めた。やっぱり夢だった。

夢には深層心理や残像現象が深く関わっているのだろう。なぜ今回将棋ペンクラブ統括幹事の湯川氏が出てきたか。これは就寝前に、将棋ペンクラブネタをブログにアップしたからだろう。
橋爪功の登場は、1月8日に放映されたテレビ朝日系「味いちもんめスペシャル」に、京都の大旦那として出演したのを観たからだろう。「京都迷宮案内」や「名古屋やっとかめ探偵団シリーズ」の飄々とした役ではなく、シリアスな役回りだったから、それが印象に残っていたものと思われる。
事実今回の夢は、京都の大旦那キャラでの登場だった。
ちょっとハナシが面白い夢だと、トクをした気分になる。

しかし、私が落語をやりたがるとはなあ…。まあ確かに私は下町育ちで、江戸っ子である(桂扇生師匠によれば、自分が江戸っ子だと思えば、それで構わないらしい)。口調もどちらかといえば「べらんめえ調」で、学生時代には友人から、その流れるような口調が素晴らしい、と褒められたこともある。落語をやったらいい、と誰かに勧められたこともある。
でも私は人前で話すのが大の苦手だから、現実の世界で落語は無理である。
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「将棋ペン倶楽部・通信36号」・自作に朱を入れる

2011-01-16 01:03:54 | 将棋ペンクラブ
昨年12月中旬に、「将棋ペン倶楽部・通信36号(2010年冬号)」が発行された。
今回も「運よく」拙稿が掲載されたのは喜ばしい。「運よく」と書いたのは、最近「将棋ペン倶楽部」に投稿が増え、今号は台割の関係上、〆切日を過ぎて投稿した拙稿が、掲載延期の可能性があったからだ。
私は毎日このブログを更新しているが、「将棋ペン倶楽部」では、ナカイヒロエのアンニュイな対局姿がよかったとか、フナトヨーコのスリットに悩殺されたとか、自分の名字に女流棋士の名前を当てはめるとかバカなことは書けないので、かなり書く内容が制限される。
しかも私は将棋関係者ではないから、そうそう将棋に関する題材があるわけでもなく、それらを吟味すると、掲載可能なネタはほとんど残らず、それがキーボードを叩く手を重くさせるのだ。それでいつも〆切日を過ぎてしまう。
それなら投稿なんてしなければいいじゃないか、という意見もあるが、実はそうなのであって、いつやめてもいいのである。ただ、全国に私の投稿を心待ちにしている人がひとりでもいるのなら、何か書かなければ、と妙な義務感みたいなものも生じるわけである。もっとも望むと望まないとに関わらず、ネタ切れになって、早晩「ペン倶楽部」への投稿を中断する日がくるだろう。
今回は編集部氏の温情で、どうにか掲載までこぎつけることができた。編集部諸氏にあらためて御礼を述べたい。
さて「通信36号」は大増48ページ。通信号は通常は32ページ以下だし、冬号は別名「名簿号」だから、今回は実質2倍以上の投稿があった計算になる。では投稿掲載者のタイトルを以下に記してみよう。

ことばが生きている………Ha氏(2p~4p)
我が将棋半世紀………S氏(5p~10p)
子供たちと夢を育てる………A氏(11p)
新王位誕生で想うこと………T氏(12p~14p)
ねんりんピック奮戦記………U氏(15p~16p)
愛棋家 坂口安吾~外伝之外伝~………Ho氏(17p~20p)
或る夏の思い出………N氏(20p)
将棋人生の始まり【第4回】東海の真剣師………Y氏(イラスト・バトルロイヤル風間氏)(21p~30p)
将棋の文庫本………私(31p~32p)

将棋ペンクラブ会員名簿………(33p~46p)

私は「将棋の文庫本」を1頁2/3書いた。「将棋ペン倶楽部」ではあまりくだけた内容は書けないので、ちょっとマジメな考察。しかし出来あがった印刷物を見ると、いつもながら嫌気がさす。自分の下手クソな文章にだ。
一応推敲や校正はしているのだが、必ずヘンな箇所が見つかる。ちょっとこれ、何を言ってるのか分かんねーゾ、というのが多々ある。どうして投稿前に気がつかないのだろう。
まあいい。そこで今日は、当ブログで加筆訂正をしてしまおう。将棋ペンクラブ会員でない方には、どこをどう直しているのか分からずもどかしいだろうが、こっちもそこまで配慮していられない。

31p3段目22行目~32p1段目1行目「…わけではなく、昔もまったくなかったわけではない。(改行)昭和40年代には…」→「…わけではなく、昭和40年代には…」
32p1段目3行目「しかしその後」→改行
同1段目6行目「その文庫本」→「そのマンガ文庫本」
同1段目8行目~9行目「eメールやインターネット機能」→「メールやネット機能」
同1段目19行目「時代の要請である。」→「ユーザーは、小さい文字を読むことに慣れてしまったのである。」
同2段目7行目~8行目「再版」→「再販」
同2段目16行目「ちなみに」→削除
同2段目22行目「再版」→「再販」

これぐらいだろうか。全体のリズムを考えたら、もっと直したいところはいっぱいあるが、それをやりだしたらキリがない。
…と、私はこんなことを書いてる場合ではないのである。次号春号の〆切が20日に迫っているのに、私はまた、1行も書いていない。これ、宿題が終わってないのに、つい別のことに手を出してしまう心理に似ている。
ウオーッ、気が狂いそうだ。
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1月14日のLPSA芝浦サロン・「芋焼酎勝負」開始

2011-01-15 21:44:12 | LPSA芝浦サロン
14日(金)のLPSA芝浦サロンは、松尾香織女流初段の担当だった。私は年初めからインフルエンザに罹り、まだ体調が万全ではない。夜は「浅見光彦ミステリー」でも観てのんびりしようかとも思ったが、この日はどうしても芝浦サロンに行かなければならない理由があった。
私は昨年、「マッカラン」を懸けて松尾女流初段に勝負を挑んでいたのだが、数度の対局を終えて私が規定の勝数に届かず、松尾女流初段にマッカランを贈呈する羽目になってしまったのだ。今回バックレたら、松尾女流初段にマッカランをあげたくないから休んだと、あらぬ疑いをかけられる。私は当日3時すぎに、指導対局の予約を入れた。
芝浦サロンへは6時ちょっとすぎに到着。金曜にしては、ちょっと会員が少ない。マッカラン贈呈式はあとのお楽しみとして、早速指導対局に入る。
「今年はなにか勝負しないの?」
と松尾女流初段。
「今年もですか? こっちは勝っても、あまり得がないんですけど…じゃあやりましょうか」
「うん、やろう」
「じゃあ…年末まで12局指すとして、6勝6敗…いやそれは厳しいな。5勝7敗なら私の勝ち。私が4勝8敗だったら松尾先生の勝ちとしましょう。それでマッカランを贈呈します」
「今度は芋焼酎がいい」
「グッ…い、いいですよ」
というわけで、松尾女流初段と私の、「第2回お酒勝負」が始まったのだった。今回の将棋の詳細は後日記すが、勝負は58手で松尾女流初段の勝ち。私は前途多難のスタートとなった。
このあとはHon氏と一般対局。1月からの芝浦リーグ戦は、前回のリーグ戦消化にバラつきがあったため、前回分を3月まで継続することになった。
Hon氏の先手三間飛車。私は☖5三銀左から☖5五歩~☖6五歩と仕掛けようとしたが、Hon氏が先手だったのをうっかりした。☗5七銀の一手が入っており、上記の仕掛けが利かないのだ。
数手後戦いが始まり、☗4六銀☗5八飛☗6六角☗9九香、☖2二角☖3二玉☖5四銀☖5五歩☖6五桂☖8二飛・持駒歩2の局面で、Hon氏は勇躍☗5五銀。私は当然☖5七歩。Hon氏の動揺が見てとれたが、以下☗5四銀☖6六角(☖5八歩成が勝ったか)☗6八飛☖9九角成☗6五飛は先手も捌けた感じだ。
しかし☖6四歩に☗6八飛と引いたのが失着。ここは強く☗6四同飛と取り、☖5五馬に☗6五銀と引けば、Hon氏が有望だった。
私は☖5七歩と叩いた時点で優勢を確信したが、実はそうではなかった。ここが将棋のむずかしいところである。
次はKaz氏と。Kaz氏とは信濃わらび山荘合宿以来の対局となる。ここまで私の1勝5敗と、ひどい成績だ。少しでも借金を返さねばならぬ。
私の後手で、相横歩取りに誘導する。☖7四飛に☗3六飛と引かれてアテが外れた。このあとは双方模索の手将棋となる。しかしKaz氏に徐々に盛り上がられ、指しにくさを感じた。
無理に攻め合いにいったが、急所にと金を作られ、後手敗勢。☗3四桂☗5六角☗6三と☗8三竜、☖3二金☖3三桂☖4二銀☖4三歩☖5一玉☖7一金の局面で、平凡に☗5三とと寄られていたら、数手後に私は投了していただろう。本譜は☗5二との次善手。これでもよかったが、私にも妙な粘りの手があり、Kaz氏が攻めあぐむ。
その後☗5五歩☗7五竜☗7八金☗8九桂・持駒歩数枚など、☖3三桂☖4二金☖4三歩☖5一玉☖5二桂☖5三歩☖7三歩・持駒香の局面で、☗5四歩を☖同歩と取ったのが失着。すかさず☗7七桂とキズを消され、次に☗5三歩から☗6五桂を見せられてはクサッタ。☖5四同歩では当然☖7四香だった。
それより前の局面でも、私はどこかで☖3八歩成と金を取る手もあったようだが、視界に入っていなかった。☗7七桂以降はうっかり☖3三の桂を取られ、☗5三歩と桂頭を狙われ、いくばくもなく投了となった。
Kaz氏は私と将棋を指すのを楽しみにしているというヘンな人だが、私がスットコドッコイの手を指して、その期待に応えられないのが情けない。私のやることは簡単だ。将棋に精進するしかない。
このあとは松尾女流初段へのプチ贈呈式。「マッカラン18年」なら、松尾女流初段も許してくれるだろう。
続いて、女流名人位戦の話題が出る。松尾女流初段は、前日安食総子女流初段に勝って、リーグ入りまであと2勝とした。しかし次の相手は山口恵梨子女流初段だ。恐らく次で負けるだろうが、私はもちろん松尾女流初段を応援している。得意の振り飛車で、攻めるヤマトナデシコを攻め倒してもらいたい。

食事はW氏、Hon氏、Si氏、Kaz氏と。いずれも旧金曜サロン会員だが、レギュラーはW氏と私のみで、ちょっとさびしい。
サイゼリヤに向かう道すがら、Si氏から、
「一公さんの女流名人位戦の予想、LPSAからひとりも入ってなかったのにはガッカリしましたよ」
と言われる。
「ああ、そうなりましたかね。予想と希望は違いますから」
と返したが、Si氏からは、(信じられん、この人…)と、訝しげな目で見られた気がした。
今回のサイゼリヤは、私が王将席(壁側中央)。仕事は楽しくないし、将棋もつらい。私がほっとできるのは、ここだけかもしれない。
ここにいない会員の悪口を肴に、食事を摂った。10時になり、Hon、Si、Kazの各氏が退席した。ここからはW氏とふたりだ。これはいつ以来だろう。しかしふたりになると、相手が男性でも、ちょっと緊張してしまう。ここから少し突っ込んだ話をする。
「こんな歳になって、オレは堕落している」
「そんなことないよ大沢さん。大沢さんよりひどい境遇の人はいるよ。やるべきことは分かってるんだし、恵まれてると思わなきゃ」
サシで話すと、相手の別の一面が見えて興味深い。その日は11時30分すぎに、店を出た。
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LPSA芝浦サロン・石橋幸緒天河1・新たな始まり

2011-01-14 00:18:27 | LPSA芝浦サロン
新生LPSA芝浦サロンは昨年10月4日(月)に開席。金曜日(8日)の第1回目は、石橋幸緒天河の担当だった。
芝浦サロンの室内は白を基調としており、駒込サロンと雰囲気がよく似ている。広さだけが変わっただけ、という感じだ。
ここで芝浦サロンの基本的なシステムをおさらいしておこう。担当女流棋士は、原則的に1日1人体制。午後2時、3時30分、6時、7時30分の4回にわたり指導対局が行われ、私たちは任意の回に予約をしておく。金曜サロンでは入室した順番に指導対局の席についたから、金曜サロンのほうが自由度はあった。
JRの企画切符に例えると、今はなき「北海道ワイド周遊券」は、有効期間内ならいつ北海道に入ってもいいし、いつ北海道を出てもよかった。これが金曜サロン。ところが現在の「周遊きっぷ・北海道ゾーン」だと、きっぷ購入時に北海道に入る日と出る日を指定しなければならず、やや不便だ。こちらが芝浦サロンといえようか。
もっとも芝浦サロンは予約なしでも指導対局は可能だが、予約しておくに越したことはない。
もうひとつ芝浦サロンの大きな特徴は、女流棋士と「おかわり対局」(有料)ができることだ。たとえば2時の回で1局を終えた会員が、(指導対局に空きがあれば)3時30分、6時…と、追加対局が可能なのだ。その気になれば、1日4局指すことだって可能なのである。
ただし金曜サロンでは1日2女流棋士体制だったから、芝浦サロンで女流棋士と2回指導対局を行うと、割高になってしまう。月1万円という月極め料金も廃止になったし、旧金曜サロンを愛したものにとって、芝浦サロンのシステムは快く受け容れられるものではない。
私は3時30分の回を取っていたが、時間前に入室していたので、やや早めに指導対局を行った。
☗7六歩☖8四歩☗2六歩☖3四歩☗2五歩☖8五歩。棋は対話という。1手目(何はともあれ☗7六歩)。2手目(矢倉でも指しましょうか)。3手目(矢倉はあまり指す気がないんですよね)。4手目(じゃあ角換わり?)。5手目(横歩取りを指したい気分です)。6手目(受けて立ちましょう)。という按配だ。
というわけで、本局は横歩取りに進む。ふたりの対局では初めてだ。…☗2六飛☖2二銀☗8七歩。ここで定跡は☖4一王。いまなら☖5二王もある。しかし石橋天河は7一の銀を持ち、ちょっと逡巡しながら6二に置く。これはサービスボールがきた。
この局面、以前LPSAのスタッフ氏に教えていただいたことがある。☗3三角成から☗2一角と打って先手優勢、というものだ。これは定跡書にもよく載っている変化で、☖4二王☗3二角成☖同王☗4二金☖2一王☗2三歩、の進行は先手勝ち。
だから石橋天河は「マズかったですか」とつぶやき☖3一金と引いたが、☗4三角成と無条件に馬を作れては、早くも下手がポイントを稼いだ。
石橋天河は、夏より代表理事の座に就き、このころは多忙を極めていた。公式戦での成績もふるわず、不調をかこっていた。
将棋は2、3日勉強しなくても地力があれば勝てるのではないか、と思うのは間違いで、将棋以外の仕事で頭が満杯になると、とても将棋を考えるどころではなくなる。相対的にヨミが甘くなる。
本局、石橋天河がふらふらと☖6二銀と指してしまったのも、その弊害が出たと思う。まあ、このくらいのハンデをもらってちょうどいいのだが。
石橋天河は、私の前に来ると長考する。
「ここばかり相手にしているわけにいかないしなあ」
とつぶやきつつ、反撃の手を模索している。この辺が恐ろしい。
☗8七銀と飛車取りに立つ。ここで石橋天河は飛車を見捨て、☖3六銀と勝負に出た。こんな手があるのか! 1秒も考えなかった。これに私が飛車を取ったのが疑問だったかもしれない。☖3七銀成☗同桂☖3六歩と食いつかれて、ちょっといやな流れになってきた。
☗2一飛の王手に☖4一歩。きょうはこの局面を以下に記す。石橋天河におかれては不愉快な局面だと思うが、ご容赦いただきたい。

上手・石橋天河:1三歩、2五歩、3三桂、3六歩、4一歩、4三金、5一王、5二金、5三歩、6二銀、6三角、6四歩、7三桂、9一香、9三歩 持駒:角、歩
下手・一公:1七歩、1九香、2七銀、2八飛、3七桂、4七歩、4九金、5七歩、5九玉、6七歩、7五歩、7七桂、7八金、8六銀、9七歩、9九香 持駒:銀、香、歩3

ここで私は熟考のすえ☗3六銀と歩を払ったのだが、直後に石橋天河から☗3二銀☖4二金引☗4六香で受けなし、とご教示いただいた。これは次に☗4二香成ではなく、☗4一銀成の狙い。☗4六香に☖3二金は☗4一飛成で詰みだ。私はこの手順が見えず、☗4六香が打てなかった。☗4六香なら石橋天河は投了するつもりだったというが、実際は☖6一王と早逃げする手もあってむずかしい。
本譜は駒の損得がほとんどなくなり、悪い流れになった。しかしそこで石橋天河に短気な手が出て、いきなり私の勝勢になった。これは石橋天河、やはり絶不調だと思った。
石橋陣は金銀4枚で固めているが、「全然堅くない」(石橋天河)。これは私が、不敗の態勢になった。
「居玉同士ですねえ」
と石橋天河。
「大庭美夏先生と(私と)の将棋で、終局まで双方居玉というのがありましたよ」
と私。
97手目、☗4二金。
☖同金☗同桂成☖同王となれば、双方居玉の珍形が崩れる。
「このあたりで投げてくだされば、双方居玉の珍局面になりますよ」
と催促したら、投げてくれた。あれは中村真梨花女流二段だったか、どんなに優勢な局面でも、相手が投げてくれて初めて安堵する、という意味のことを語っていたが、まさにそうだと思った。
かくして芝浦移転第1局目は、代表理事相手に嬉しい勝利となった。
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金曜サロンファイナル・中倉宏美女流二段⑬・ありがとう、金曜サロン

2011-01-13 00:23:09 | LPSA金曜サロン
巷では「タイガーマスク現象」が起きている。ちょっと偽善のニオイを感じるのは私だけだろうか。

昨年9月24日のLPSA金曜サロン、2部は中倉宏美女流二段の担当だった。どっぷり日は暮れ、中倉女流二段が「夜のナカクラヒロミ」に変身する。時間的に見て、この中倉女流二段との指導対局が、駒込金曜サロン最後の対局となる。
この日はこれで8局目。昨日書いたように、この日の金曜サロンは、最後のサロンを楽しもうと会員が集い、満席状態だった。ローカル線なら廃止の侘しさがあるが、LPSAのそれは発展的解消ともいえ、明日への希望がある。
対局の前に改めて挨拶。
「(芝浦に移ったら、なかなか行けないと思うので)これが最後の金曜サロンになると思います」
と中倉女流二段をおどす。事実芝浦サロンのシステムを見ると、女流棋士の担当は1日1人に減る。それが本来の姿かもしれないが、1日2人システムに慣れた常連から見ると、サービスの低下を意識せざるを得ない。
「そう言わずに、また来てください」
と優しく返す中倉女流二段であった。
中倉女流二段との金曜サロン指導対局は、これで18局目。私の三間飛車に、中倉女流二段の一目散穴熊。私は例によって☗8八飛と振り直し、☖6四歩に☗5六銀と出、☗6五歩と歩交換が出来ては、まずまずの序盤だと思った。
☗5八飛と回り、☗5六歩と銀取りに歩を突く。以下☖6六歩☗5七金に☖5六銀が中倉流。☗同金☖6七歩成☗同銀に☖8七飛成ときた。銀損しても飛車が成れれば指せる、との大局観に基づくものだが、私もトクした銀を8八に打ち、竜を追い払う。
☖6九角☗7八角☖5八角成☗同金。私は銀ドクだから、切らせる方針だ。
☖7四歩に☗4六角と竜取りに打つ。以下☗7三歩成とと金を作れては、こちらが手厚い。容易に負けない局勢である。しかし☖4五金の角取りに☗5四歩の垂らしは功を焦った。ここは大人しく角を自陣に引き、次に歩の垂らしを狙うべきだった。
本譜は角金交換から桂を取られたうえ飛車を下ろされ、☖9九飛成と香を補充されては、こちらに指し切り筋が出てきた。
頼みの綱は中倉女流二段が6面指しであることだが、それよりけっこう時間が押しており、閉席の9時までに6局が終わらない可能性もでてきた。私はそちらのほうが気になっていた。
☗7九金とトラの子の金を打ち、☖8七竜と追い返す。ここでうっかり☗6七金寄と指しそうになったが、それは☖7八歩成があるので不可。私は☗5二と左と指した。中倉女流二段が戻ってくる。私は提案をした。
「先生、ここで指しかけにしたいと思うのですが、いかがでしょうか」
「あっ、いえいえ、まだ指せますよ」
「いえいえ時間もだいぶ押してるし、ここで指しかけのほうが…」
「じゃあそうですね、これは私の負けで…」
「いえいえ局面は完全な私の負けです。まあきょうは駒込最後だし、勝敗をつけないほうがいいでしょう。ありがとうございました」
一礼すると、私は指導対局を終了させた。参考までに、記念すべき最終局面を、以下に掲げておこう。

これでLPSA金曜サロンが終了した。金曜サロンでの指導対局は、2008年3月14日の藤森奈津子女流三段戦から、2010年9月24日の中倉女流二段戦まで、計183局。平手89勝70敗1指し掛け、香落ち8勝4敗、角落ち9勝2敗という成績だった。
しかしたいへんな対局数である。もし金曜サロンに行ってなかったら、けっこうなおカネが残ったんじゃないか? などと考えてはいけない。いままでに使ったおカネ以上の見返りを、私はいただいた。それはLPSA女流棋士との交流であり、新しくできた棋友であり、週に一度の心から笑えるひとときであった。
ありがとう金曜サロン。本当にお世話になりました。
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