一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

そうだ、長崎に行こう・3

2012-12-21 01:20:57 | 旅行記・九州編
きのう20日、注文していたノートパソコンが届いた。しかしタッチパネル機能が搭載されてないので、まったく興味がわかない。まだ箱も開けてない。これ、生まれてくる子供に興味が湧かないのと同じ感じか(知らないが)。パソコンは2年後くらいをメドに買いかえる予定。タッチ機能なしでも意外と使い勝手がいい、ということになれば話は別になるが…。

(きのうのつづき)
川棚16時16分発の快速シーサイドライナーで佐世保に向かう。予測より1時間ほど遅かったが、この天気だし、きょうはすでに観光は諦めている。
車内では立ちっぱなしで、佐世保着16時52分。佐世保市内はまだ雨が降っていたが、小雨なので傘は買わず、そのまま「させぼ四ツ町」アーケード街(正式名称は「さるくシティ4○3アーケード」)へ向かう。私は47都道府県を旅したが、脚の綺麗な女子高生といえば秋田県角館もそうだが、佐世保の女子高生を挙げたい。何年か前このアーケード街を歩いたとき、スラリと脚が伸びた女子高生が、これでもかというくらい闊歩していて、圧倒されたことがある。地方都市のアーケード街をぶらぶら歩くのは好きである。これは一石二鳥であった。
四ツ町アーケード街の手前に牛丼の吉野家があった。かなりお腹がすいているが、ここで入るわけにはいかない。アーケード街で皿うどんを食べたい。
アーケード街に入ると、5人組の女子高生が向こうからやってきた。しかし脚、顔とも……だ。こんなはずではない、と先に進む。
左手に「餃子の王将」が見えてきた。長崎県初上陸らしいが、ここもパスせざるを得ない。そのまま進む。しかしほかにラーメン屋は見当たらない。熊本市内のアーケード街だったら、いくつも見つかっている。これも県民性の違いだろうか。何だか知らないが、メガネ屋ばかりが目についた。
さらに歩くと、ようやくという感じで、学校帰りと思しき女子高生が目立ち始めた。やはり脚が綺麗だ。顔は芸能人並みの美しさで、私の眼力はやはり正しかった。
三ツ町の終点まで行ったが、結局ラーメン屋はなし。多少雨はかかるがアーケード街を外れると、「元祖佐世保ラーメン」の看板が目に入った。ラーメンの値段が掲げられてなかったから躊躇したが、結局そこに入る。
ただ、注文したのは「元祖ラーメン」と焼ギョーザだった。ラーメンはとん骨ベースだったが、とん骨特有の臭みはなく、素直な味だった。ギョーザも野菜が甘く、美味。合計920円はまずまずだった。
時刻は午後6時を回ったところである。きょうの宿「金子ホテル」へのチェックインは20時30分と送信していたが、この雨なので、ホテルに向かう。
宿は昭和の雰囲気を残す落ち着いた造りで、まさに「宿」と呼ぶにふさわしかった。浴室もユニットバスではなく、お湯の張れる独立したものである。これで素泊まり3,940円はお値打ちである。
しかし室内に有料ビデオの設備がなく、廊下に雑誌の類も置いてないので、ひどく退屈になってしまった。
1階の食堂に無料のパソコンがあったから、そこでブログを書いたが、そこも長時間は占領できない。そうしているうち小腹がすいてきたので、私はまたも佐世保の街へ出た。幸い雨はやんでいた。
あすは衆議院議員選挙なので、街中がかまびすしい。選挙カーの中から立候補者が私に手を振るが、無視せざるを得ない。ちなみに私は4日前(11日)に、期日前投票をしていた。
駅前に戻ると、何軒か食堂があったが、店頭に金額を明示している店に入った。注文したのはもちろん皿うどん。しかし麵が揚げていなかった。私は関東でいうカタ焼きそばをイメージしていたから、これは意外だった。
しかしこの皿うどんも、あんかけがよく利いていて、美味だった。会計のとき、
「昔、佐世保の駅前に地下道がありましたよねえ。あそこの両側にいっぱいあった中華料理屋はどこに行ったんです?」
と聞いてみた。
「あそこは埋めちゃったからいまはないよ。そのときの店は、駅のこっち側のビルの中で、いまも営業していますよ」
とのことであった。私は駅の右手にある「フレスタSASEBO」内にあると思っていたのだが、左手にあるビルの中にあるようだった。道理で見つからなかったわけだ。
ホテルに戻って、松本清張原作「十万分の一の偶然」を観る。これはだいぶ昔、「火曜サスペンス劇場」でドラマ化されたことがある。岸田森が出演していた。私が初めて観た「火サス」だったので、印象深い。
きょうの主演は田村正和だったが、相変わらず渋い演技だった。
風呂でゆっくり英気を養い、午前1時半ごろ床に就いた。

明けて16日、日曜日。
きょうはまず、九十九島を船で観光しようと思う。午後の予定が決まっていないが、夜には帰京せねばならぬので、あまり遠出はできない。どうなるだろうか。
毛生え薬を頭に付けて、金子ホテルを午前9時少し前にチェックアウト。駅前に戻り、バス1番乗り場で、九十九島行きのバスダイヤを確認する。「パールシーリゾート」というのが観光船の発着場らしいが、9時35分、9時41分、10時10分の便があった。9時35分のバスは快速便で、これに乗れば手っ取り早い。
片道230円だが、時刻表の上に、「一日乗車券」の案内がある。土休日に限るが、「佐世保市内バス」に1日乗り放題で、500円。しかも観光船の類も割引が利く。
私は窓口でそれを買う。あとは35分のバスを待つのみだが、ちょっと小腹がすいてきた。きょうは朝食を摂っていない。
かなり迷ったが、私は例の吉野家に向かった。
朝から牛丼を食べて、バス停に戻る。35分のバスは出たばかり。41分と10時10分のバスは6番線から出る。しかし41分のバスは土休日運休であった。こんなことなら35分のバスに乗るんだった…と後悔しても始まらない。
6番乗り場でボーッとしていると、台湾人か中国人と思しき2人組の女性が、地元のおじさんに、何か聞いていた。現地語なのでよく分からぬが、パールシーリゾートへの行き方を聞いていたようだ。対しておじさんが、「1番乗り場は快速便、6番乗り場は時間がかかる」みたいなことを日本語で言う。それはそうなのだが、その説明で、却って彼女らは混乱したのではなかろうか。
彼女らは分かったか分からないような感じで、そのまま付近のベンチに座る。それで10時10分のバスに乗ればいいから、この行動は正着である。
しかし私のほうは困っていた。彼女らはこのままパールシーリゾートに辿り着く。そしてそのまま観光船に乗る可能性が高い。というか100%そうだ。だがそれなら、市内バスの一日乗車券を前もって買ったほうが得である。それを彼女らに告げたほうが親切ではないのか? そう思った。しかし私は台湾語(中国語)がまるで分からない。英語もダメだ。それを日本語だけで伝えることができるだろうか。
彼女らは近くのコンビニに行った。戻ってきて、澤穂希を不機嫌にしたような顔の女性のほうが、ひとりになった。ひょっとしたら彼女らは親娘で、彼女は母親かもしれなかった。
私は意を決して、彼女に話しかけた。
(23日につづく)
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19日の朝に見た夢

2012-12-20 00:33:55 | 
きのう19日は久しぶりに、将棋の夢を見た。
きのうは朝5時半に尿意で目が覚め、それを済ませたあと、その夢を見た。将棋は3部作のイメージだった気がする。最初の将棋ネタは忘れたが、2本目は中倉宏美女流二段に将棋を教わっている夢だった。
場所は外国の貴賓室を思わせる瀟洒な部屋で、その中央で、私たちはふたりきりで将棋を指した。将棋は相掛かり。お互い中住まいに玉を構えた。
その後は私が会心の指し回しを見せ、快勝。感想戦では中井広恵女流六段がいつの間にか現れ、私の右側に腰掛けて参加してくれた。
中井女流六段は私にとって憧れの女流棋士だけれども、隣に座ってくれると、ドキドキするというより、安心する感じだ。夢の中でも、私はふつうに応対していた。
感想戦は宏美女流二段が、「美濃囲いにするべきでしたか」と口火を切った。相掛かりなのに美濃囲いって…。宏美先生、夢の中でも大ボケをかましてくれるのであった。
なお盤面は、隅の桂香がチューインガムの紙筒に変わっていて、それがバランスよく立っていた。この不可解なところも、夢ならではである。
さらに場面が変わって、どこかで5対5の団体戦をやっていた。当然私も参加していて、どれも好局だったのだが、その盤面は、具体的には現れなかった。
なぜ団体戦の夢を見たかと考えるに、前日の寝しな、録画していた「将棋フォーカス」を観た際、職団戦の特集が記憶に残っていたからだろう。
ともあれ夢の中であっても宏美女流二段に将棋を教えてもらうと、リアルの世界でも教えてもらいたくなるものだ。東京に住んでいる私には、幸いそのチャンスがある。今年はアレだったが、来年はまた芝浦サロンにお邪魔して、「宏美将棋」を堪能しようと思う。
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そうだ、長崎に行こう・2

2012-12-19 12:41:24 | 旅行記・九州編
マスターはプラスチックの筒の中にサイコロを放り投げていた。それを布の上にかぶせ、私に丁半を聞く。丁は偶数、半は奇数である。私は「5」と見たので、「半」と答える。すると、「ハンだ」と答えてください、とマスター。
「半だ」
と私。マスターが筒を開けると、サイコロが判子に変わっており、その名字がごていねいに「半田」になっていた。
えっ、これ……? いや、これはこれでお見事だが、せっかく当たったのに、これで私の回は終わり…? ええーっ、オレも「好きな人当て」とか、面白いものやりたかったよー。
この後も、数々のマジックが繰り広げられる。9の女性が当たり、マスターは彼女が慕っている男性の名前を、ピタリと当てた。しかも彼女は、将来結婚する、と告げられた。彼女は川棚まで来た甲斐があったというものだろう。
ちなみに先ほど私が当たったときは、何も言われなかった。数年前の「予言」から、結婚のオーラが変わってしまったのだろうか。
10の男性が当たる。今度は彼の生年月日を、ほかの客数人が当てるというマジックだ。カウンターの6人が電卓を繰り、ピタリと当てた。これは私も過去2回、生年月日を当てられたことがあるが、本当に不思議である。
10の彼は氏名や「悩み」まで当てられ、目を白黒させていた。これなど、タネも仕掛けもあったものではない。マスターが彼の脳内に忍び込んでいるとしか思えない。
この後もマジックは続く。しかし私の整理券はもうワキにのけられているから、当てられることはない。ちょっとさびしい。
マスターがコインを所望する。私は壱万円札から5円玉まで、二千円札を除く全種類をポケットに忍ばせている。だからすぐに出せるのだが、マジックに使われるコインは後の記念になるので、初見の人に出させるようにしている。
しかし50円玉がなかなか出なかったので、私が投じる。マスターに言わせると、こういうときは黙って見ているより、コインを出そうと積極的に行動を起こす姿勢が大事なのだという。
500円玉は、マスターが「かじって」、半分なくなった。復活した500円玉に紙をかぶせ、その上から爪楊枝を貫通させた。相変わらず見事だ。
私の50円玉には輪ゴムを3本「通し」、さらに千円札の中に50円玉を「泳がせ」た。
10円玉は大きくなったり小さくなったり。私はもう何回も見ているから余裕があるが、初見の客は口をあんぐりさせるばかりだ。
私の右にいる女性が先ほどからソワソワしている。長時間立ちっぱなしで、脚がくたびれたようだ。私は何時間立っていても大丈夫だが、女性にはキツイかもしれない。
これはマジックショーだが、ただ愉しむだけなら、客は何も長崎まで来ない。マジックの合間に説かれる「講話」が私たちの心を打つのだ。昨年も当ブログに書いたが、それをいま一度書いてみよう。

1.過去は生ゴミである。つねに前を見つめること。
2.人は過去には戻れないが、10年先の自分を想像すれば、現在の自分は10年間逆戻りしていることになる。そう思えば、10年先の自分のために、自分がいま何をするべきか、自ずと見えてくる。
3.人のやっていることは誰も大して変わらない。だから別に努力しなくても、生きてはゆける。しかし人よりちょっと努力すれば、別の世界が見えてくるのも事実である。どちらを選ぶもあなた次第。
4.付き合っていた人との別れ、離婚などを「無駄な時間だった」と嘆いてはいけない。それまでの付き合いで、学んだことも多かったはずだから。
5.同じことを繰り返し続けることは大事。何でも3か月間は続けてみる。
6.くよくよして人の後ろを歩いていると、前を歩く人の埃ばかりを浴びることになる。顔を上げて歩むべし。
7.いつも笑うことを心掛ける。笑顔で深刻なことを考える人はいない。
8.願望は口にしない。完了形を口にする。例えば、「幸せになりたい」ではなく、「もう幸せである」と思うようにする。

総計50以上のマジックが飛び出て、午後3時52分、終了した。ここ数年は、ショーの最後に、くねくねに曲げられたスプーンを買うのが私の定跡になっている。ほかの客も、記念に1本買っていくようだ。
その際はみな、マスターに頭を差し出して、「気」を入れてもらっている。いや、邪気を抜いてもらっているのか。ようやく私の番が回ってきて、ますはマスターと握手。そのあと、先ほど投じた50円玉をいただき、脳天に「気」を入れてもらった。スプーンには私の名前を書いてもらった。
スプーンはひとり何本購入してもいいので、中井広恵女流六段のぶんも買う。マスターがぐにゅぐにゅのフォークを選んでくれた。こちらには「Hiroe」と書いてもらった。ただ、これを中井女流六段に渡す機会がないのだった。
さあ、私にとって来年は正念場である。来年も元気に、この地に訪れることができるだろうか。私は複雑な気持ちで、あんでるせんを後にした。
(21日につづく)
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米長邦雄会長、逝去

2012-12-18 20:25:25 | 男性棋士
きょう午前7時18分、米長邦雄会長(永世棋聖)が亡くなった。享年69歳。
私のような一将棋ファンにとって、米長会長は雲の上のような存在で、目にしたことは4回しかいない。そのうちの1回は2009年3月、マイナビ女子オープン挑戦者決定戦の控室においてで、そのときの模様は当ブログの9月11日に書いた。
いま一度は今年9月21日の「将棋ペンクラブ大賞贈呈式」においてで、このとき米長会長は体調がおもわしくなかったが、すでに死期を悟ったその眼には、異様な迫力があった。
このときの抽選会で、私は米長会長の直筆色紙を得た。落款はないものの、「無心」としたためられたその色紙は、今となっては貴重な品となった。
米長会長、生涯の名局はどれか。私は、昭和54年10月に指された第20期王位戦七番勝負第7局、中原誠王位との一局を挙げたい。これは、その半月前に指された千日手局の指し直し局である。では以下に、その棋譜を掲げよう。

第20棋王位戦七番勝負第7局・千日手指し直し局(持ち時間・9時間)
昭和54年10月12日・13日
東京都港区虎ノ門「福田家」
先手:棋王 米長邦雄
後手:王位 中原 誠

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲4八銀△3二金▲7八金△5四歩▲6九玉△4一玉▲5八金△5二金▲5六歩△3三銀▲3六歩△3一角
▲7九角△4四歩▲6六歩△7四歩▲1六歩△9四歩▲1五歩△8五歩▲1七香△4三金右▲1八飛△6四歩▲3七桂△2二銀▲6七金右△9五歩▲6八角△6三銀▲7九玉△7三桂
▲8八玉△8一飛▲9八香△5三角▲2五桂△4五歩▲3七銀△6五歩▲同歩△同桂▲6六銀△2四歩▲6五銀△6四歩▲5四銀△同銀▲2四角△6五歩▲7七金寄△7五歩
▲同歩△4四角▲5五桂△2三銀▲7九角△5五銀▲同歩△同角▲5八飛△5一飛▲5五飛△同飛▲6三角△3一玉▲7四角成△5九飛成▲6八角△2九竜▲6五馬△1九飛
▲5九歩△1七飛成▲2四銀△2二香▲2三銀成△同香▲5四銀△4二金引▲4八銀△1八竜入▲5七角△5八歩▲7四歩△5九歩成▲7五角△4八竜▲6七金寄△9九銀▲7七玉△7八竜
▲同玉△7六歩▲6一飛△4一桂▲6八金△5八銀▲7六馬△3八竜▲5三銀成△6九銀▲7七玉△4七竜▲6七金△8八銀不成▲6六玉△4六竜▲6五玉△5五金▲6四玉△5三金
▲7三玉△6四歩▲9一飛成△7八銀不成▲4四香△同金▲6四角△4二銀▲3二馬△同玉▲5二金
まで、131手で米長棋王の勝ち。

96手目、中原王位が△4八竜と銀を取る。これに米長棋王が取れる竜を取らず、▲6七金寄と玉の逃げ道を開けた手が、渾身の一手。これで流れが変わり、米長棋王が制勝。熱闘8局の末、中原十六世名人からタイトル初奪取となった。

米長会長はかねてから、70歳が人生のピーク、を標榜していた。それゆえ古希を目前にしての入寂は無念だったに違いない。しかし大山康晴十五世名人の69歳4か月より2か月長生きしたことは、せめてもの慰みだったろう。
将棋界の一時代を築いた風雲児・米長邦雄元名人に合掌。
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そうだ、長崎に行こう・1

2012-12-18 00:14:20 | 旅行記・九州編
話が前後するが、きょう(15日)の宿泊先をどこにするか迷った。川棚でマジックショーを楽しんだあと、長崎市に戻るか、佐世保方面に出るか。長崎市に戻れば、稲佐山の夜景を楽しんだり、昨年訪れた伊王島の先にある高島に赴いたりと、観光候補がいくらでも出てくる。
しかしマニアックになるが、陽のあるうちに大村線を引き返す感じが気に食わない。「旅は一筆書き」が理想である。気合からいっても、ここは川棚から先に進みたいところだ。午前8時、私はスマホを使って、佐世保のビジネスホテルに予約を入れたのだった。
諫早第一ホテルは9時過ぎにチェックアウトした。空は雨模様だが、降ってはいない。今日は観光がメインではないから、これで十分である。
私はきのうのSEIYUに再び寄る。サケのおにぎりと「午後の紅茶MILK-TEA」(500ml)を買う。これでも166円であった。
9時33分、大村線の快速シーサイドライナーに乗る。2人掛けのクロスシートは、1人以上乗客が座っていた。大村線はローカル線だが、沿線にハウステンボスや中規模都市が複数あるので、乗車率はよい。
デッキに立ち、スマホを見て時間をつぶす。これがあるとすぐ見てしまうが、この光線が目に悪い。これからの日本人は、乱視が増えると断言する。
10時10分、川棚着。1年振りで、なつかしい。あんでるせんは11時の予約なので早く着きすぎだが、この1本後は11時11分着である。店内での最初の2時間は飲食の時間だから店も遅刻には寛容だが、遅刻は私のポリシーが許さない。
さておととしまでだったら、あんでるせんの向かいにある「ゆめうさぎ」という喫茶店で時間を潰すのが慣例だったが、「ゆめうさぎ」は昨年、駅前の古民家に移転し、規模を縮小してしまった。しかも外から店内が望めないので、何となく入りづらい。今年はパスして、駅近くのスーパーにて缶コーヒーを調達。それをあんでるせんの横にある、川棚バスターミナルの待合室で飲んだ。これはこれでオツである。どうにも貧乏臭いが、おかげで50円の出費で済んだ。
もう11時にならんとしているが、きょうの予約は何人だろう。当然31人の満員を覚悟しなければならないが、周りにそれらしき若者はおらず、その雰囲気は感じられない。
あんでるせんのシャッターが開いたようだ。驚いたのは、待合室にいた年配の男女グループも、あんでるせんの客だったことだ。私たちはそそくさと2階に上がり、入店する。あんでるせんはカップルの来店率が異常に高いが、きょうは珍しいことに、ひとり旅の女性が2組あった。
店内は私も含め、11人。9日にあんでるせんから電話があったとき、マスターは「不幸があった」と言った。たしかにそう言ったと思う。それで夕方のグループを昼のグループに捩じ込んだのだが、それなら当然満員でなければならない。しかしそれにしては、ずいぶん少人数である。
あれ、逆か? まさか夕方の予約客があまりいなくて、昼の部と一緒にしたんじゃあるまいな。いやいや、私が初めてあんでるせんにお邪魔した1999年12月18日夜の部は、客は私も含め3人だった。少人数だからといって、ショーを削減するマスターではない。
ビーフカレーとブレンドコーヒーを頼む。あんでるせんにお邪魔するのは14年連続14回目になるが、毎回違うメニュー(組み合わせ)を頼んでいる気がする。しかしまだ、全メニューは制覇していない。
向かいに中井広恵女流六段がいたらなあと思う。仮に彼女から同行のOKが出たとしたら、たぶんきょう(15日)午前の飛行機で長崎に到着し、午後は長崎市内を観光、そして午後5時に川棚に来るコースを組んだと思う。
とすれば、夕方のマジックショーが中止になったことで、飛行機の便を限定していたであろう私たちは、ショーを見られなくなった可能性が極めて高かった。
結局中井女流六段は、あんでるせんに来る運命になかったのだ。
旅行でもイベントでも、その日その時間を「待つ」のは楽しいものだ。いまだって、これからマスターのマジックを堪能できると思えば、ふつうなら夢心地である。しかし今年の私はあまりにも悩み事が多すぎて、心ここにあらずだ。
「2012年・私の将棋10ニュース」と「2012年・(全般)10大ニュース」を考える。「将棋」は楽しい話が多かったが、年賀状にしたためる「全般」は、暗い話が多かった。
1時間あまり経って、ビーフカレーが運ばれてきた。ウエイトレスさんは奥さんであろう。一口食べるが、ご飯が妙にゆるい。マスター、ちょっと水を入れ過ぎたんじゃないの? と言いたいところだが、ここはマジックショーがメインなので、我慢する。
食後にコーヒーが運ばれてきた。これも味と香りが薄い気がするが、構わない。
表は雨が降っている。ついに泣き出したか…という感じだが、きょうの雨は、まあ許す。
さらにしばらく経って、先にお会計となった。1,313円。東京なら、意外にももう少し安いと思うが、これから2時間あまりマジックショーを楽しめるのだから、激安といえる。
ついにマジックショーが始まるようだ。客は結果的に、17人になった。みながカウンターの前に陣取って、午後1時33分、マスターが登場した。丹波義隆みたいな顔立ちだ。
ではここで、席の配置を記しておこう。

  マスター
―――――――――
女 男 男 女 女 男
私 女 男 女 女 女
男 女 女 女 女

最前列は着席。それぞれ夫婦だが、齢60代から70代だった。私の右2人はカップル。その右の女性はひとり旅だ。最後列は椅子の上に立っている。左のふたりはカップル。とはいえ全体的に、平均年齢は高かった。
私の整理番号は12。整理番号は原則的に、最前列の右から、1、2…と割り振られる。もちろんこの順番は決まっていて、予約順である。中でも整理番号3の女性は重責で、みなに割り振られたカードを代表で引く。これに当たれば、マスターのマジックの相手ができるわけだ。
マスターがまず、客から指環を所望する。3の女性が指環を出した。と、マスターが右の掌に指環を載せ、「10度…」と言うと、指環がククッと浮いた。「20度…」と言うと、さらに浮く。この角度がそれぞれ10度と20度なのはいうまでもない。
それからマスターが客から千円札を所望して…と、いちいちマスターのマジックを述べていたらキリがないので、先を急ぐ。
この途中、5のお父さんが居眠りをして、マスターに起こされた。団体で来る客にはこういう手合いがある。マジックには興味がないのに、付き合いで来る客だ。これはショーの雰囲気を壊す。
団体といえば、きょうは15人の団体客のキャンセルがあって、この人数になったという。私以外にも夕方からの繰り替えはあったろうが、とりあえず私を除けば、満員の31人になっていた計算だ。
あんでるせんは芸能界でも有名である。藤岡弘、の7回来店は有名なところだが、きのう(14日)は観月ありさが来たらしい。壁にインスタント写真が貼られてある。もうだいぶ昔、私は12月の第2金曜日に訪れたことはあるが、ここ数年は、12月の第3土曜の体験が定番となっている。しょせん観月ありさには会えない運命だったのだ。
余談ながら9月14日には、柔道の松本薫も訪れていた。「金」曜日の来店というのがシャレている。
マジックの合間にマスターが、あなたは将来結婚します、と8や9の女性に言う。私も数年前、「これからカードを引かれる人は結婚します」と言って、私の番号が引かれたことがあった。あの予言?は、現在も継続中なのだろうか。
3の女性がカードを引く。「12」。私が当たった。
(つづく)
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