きょう午前7時18分、米長邦雄会長(永世棋聖)が亡くなった。享年69歳。
私のような一将棋ファンにとって、米長会長は雲の上のような存在で、目にしたことは4回しかいない。そのうちの1回は2009年3月、マイナビ女子オープン挑戦者決定戦の控室においてで、そのときの模様は当ブログの9月11日に書いた。
いま一度は今年9月21日の「将棋ペンクラブ大賞贈呈式」においてで、このとき米長会長は体調がおもわしくなかったが、すでに死期を悟ったその眼には、異様な迫力があった。
このときの抽選会で、私は米長会長の直筆色紙を得た。落款はないものの、「無心」としたためられたその色紙は、今となっては貴重な品となった。
米長会長、生涯の名局はどれか。私は、昭和54年10月に指された第20期王位戦七番勝負第7局、中原誠王位との一局を挙げたい。これは、その半月前に指された千日手局の指し直し局である。では以下に、その棋譜を掲げよう。
第20棋王位戦七番勝負第7局・千日手指し直し局(持ち時間・9時間)
昭和54年10月12日・13日
東京都港区虎ノ門「福田家」
先手:棋王 米長邦雄
後手:王位 中原 誠
▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲4八銀△3二金▲7八金△5四歩▲6九玉△4一玉▲5八金△5二金▲5六歩△3三銀▲3六歩△3一角
▲7九角△4四歩▲6六歩△7四歩▲1六歩△9四歩▲1五歩△8五歩▲1七香△4三金右▲1八飛△6四歩▲3七桂△2二銀▲6七金右△9五歩▲6八角△6三銀▲7九玉△7三桂
▲8八玉△8一飛▲9八香△5三角▲2五桂△4五歩▲3七銀△6五歩▲同歩△同桂▲6六銀△2四歩▲6五銀△6四歩▲5四銀△同銀▲2四角△6五歩▲7七金寄△7五歩
▲同歩△4四角▲5五桂△2三銀▲7九角△5五銀▲同歩△同角▲5八飛△5一飛▲5五飛△同飛▲6三角△3一玉▲7四角成△5九飛成▲6八角△2九竜▲6五馬△1九飛
▲5九歩△1七飛成▲2四銀△2二香▲2三銀成△同香▲5四銀△4二金引▲4八銀△1八竜入▲5七角△5八歩▲7四歩△5九歩成▲7五角△4八竜▲6七金寄△9九銀▲7七玉△7八竜
▲同玉△7六歩▲6一飛△4一桂▲6八金△5八銀▲7六馬△3八竜▲5三銀成△6九銀▲7七玉△4七竜▲6七金△8八銀不成▲6六玉△4六竜▲6五玉△5五金▲6四玉△5三金
▲7三玉△6四歩▲9一飛成△7八銀不成▲4四香△同金▲6四角△4二銀▲3二馬△同玉▲5二金
まで、131手で米長棋王の勝ち。
96手目、中原王位が△4八竜と銀を取る。これに米長棋王が取れる竜を取らず、▲6七金寄と玉の逃げ道を開けた手が、渾身の一手。これで流れが変わり、米長棋王が制勝。熱闘8局の末、中原十六世名人からタイトル初奪取となった。
米長会長はかねてから、70歳が人生のピーク、を標榜していた。それゆえ古希を目前にしての入寂は無念だったに違いない。しかし大山康晴十五世名人の69歳4か月より2か月長生きしたことは、せめてもの慰みだったろう。
将棋界の一時代を築いた風雲児・米長邦雄元名人に合掌。
私のような一将棋ファンにとって、米長会長は雲の上のような存在で、目にしたことは4回しかいない。そのうちの1回は2009年3月、マイナビ女子オープン挑戦者決定戦の控室においてで、そのときの模様は当ブログの9月11日に書いた。
いま一度は今年9月21日の「将棋ペンクラブ大賞贈呈式」においてで、このとき米長会長は体調がおもわしくなかったが、すでに死期を悟ったその眼には、異様な迫力があった。
このときの抽選会で、私は米長会長の直筆色紙を得た。落款はないものの、「無心」としたためられたその色紙は、今となっては貴重な品となった。
米長会長、生涯の名局はどれか。私は、昭和54年10月に指された第20期王位戦七番勝負第7局、中原誠王位との一局を挙げたい。これは、その半月前に指された千日手局の指し直し局である。では以下に、その棋譜を掲げよう。
第20棋王位戦七番勝負第7局・千日手指し直し局(持ち時間・9時間)
昭和54年10月12日・13日
東京都港区虎ノ門「福田家」
先手:棋王 米長邦雄
後手:王位 中原 誠
▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲4八銀△3二金▲7八金△5四歩▲6九玉△4一玉▲5八金△5二金▲5六歩△3三銀▲3六歩△3一角
▲7九角△4四歩▲6六歩△7四歩▲1六歩△9四歩▲1五歩△8五歩▲1七香△4三金右▲1八飛△6四歩▲3七桂△2二銀▲6七金右△9五歩▲6八角△6三銀▲7九玉△7三桂
▲8八玉△8一飛▲9八香△5三角▲2五桂△4五歩▲3七銀△6五歩▲同歩△同桂▲6六銀△2四歩▲6五銀△6四歩▲5四銀△同銀▲2四角△6五歩▲7七金寄△7五歩
▲同歩△4四角▲5五桂△2三銀▲7九角△5五銀▲同歩△同角▲5八飛△5一飛▲5五飛△同飛▲6三角△3一玉▲7四角成△5九飛成▲6八角△2九竜▲6五馬△1九飛
▲5九歩△1七飛成▲2四銀△2二香▲2三銀成△同香▲5四銀△4二金引▲4八銀△1八竜入▲5七角△5八歩▲7四歩△5九歩成▲7五角△4八竜▲6七金寄△9九銀▲7七玉△7八竜
▲同玉△7六歩▲6一飛△4一桂▲6八金△5八銀▲7六馬△3八竜▲5三銀成△6九銀▲7七玉△4七竜▲6七金△8八銀不成▲6六玉△4六竜▲6五玉△5五金▲6四玉△5三金
▲7三玉△6四歩▲9一飛成△7八銀不成▲4四香△同金▲6四角△4二銀▲3二馬△同玉▲5二金
まで、131手で米長棋王の勝ち。
96手目、中原王位が△4八竜と銀を取る。これに米長棋王が取れる竜を取らず、▲6七金寄と玉の逃げ道を開けた手が、渾身の一手。これで流れが変わり、米長棋王が制勝。熱闘8局の末、中原十六世名人からタイトル初奪取となった。
米長会長はかねてから、70歳が人生のピーク、を標榜していた。それゆえ古希を目前にしての入寂は無念だったに違いない。しかし大山康晴十五世名人の69歳4か月より2か月長生きしたことは、せめてもの慰みだったろう。
将棋界の一時代を築いた風雲児・米長邦雄元名人に合掌。