3年間の大殺界、今年がど真ん中だと実感している
コロナに負けて廃業、弟の妻、妻の父、妹の嫁ぎ先の姑、小姑の夫など相次ぐ訃報。
そして昨日、今日と5歳年上の叔母の葬儀中。
そこで新たな良くない知らせ、同い年の従兄弟がガンのステージ3で入院、妹の嫁ぎ先のもう一人の小姑の夫も胃がんで全摘出したと
こんな風にいろをいろ続くと「ああ そうですか」くらいしか思わない
両親が死んだ時も不思議と落ち着いていて涙一つ出なかったから
思ったより非情な人間なのかもしれない。
自分では昔から涙もろい繊細な神経の人間だと思っていたが、こんな人間になったのは、生きてきた職種(冠婚葬祭)でたくさん喜怒哀楽を見てきたからか、それとも仏教について考えてきたせいなのか(無情と生と死について)。
自分の現在についても鈍感だから、昨日も久しぶりに会う人の何人かは「元気そうでよかった」と言う
「元気なんだよね、どうしてかわからないけど」他人事みたいに返事をかえしているが、その通りだから仕方ない。
苦しみも悲しみも自分の心が作るものだから、自分が楽しいと思えば苦難も楽しさにかえることができる。
他人に苦しみを言っても、助けを求めても自分の中から消え去ることはない。
自分の未練や僅かな希望にすがっていては解決しない
何もかも自然のなすがままに身も心も丸投げできれば楽になる
それは自殺とか宗教に入るということではない、
自分の欲、未練を最初から無かった状態に気持ちを切り替えることができるかどうかだ。
難しいけど、「生きてるだけで儲けもの」という心が定着すれば、それほど難しくはない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます