神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

死生観

2021年04月30日 18時30分10秒 | 昭和という時代
この頃は缶ビール1本とかワイン2杯とか
ちんけな飲み方で満足している
僅かな酒ですぐにまどろむ

こんなにもやる気がなくなるのか、現状で満足しているのか
野心はあるのか? 今も炎は消えていないのか?

「生まれた日から死に向かって歩き出すのだ」と何かで読んだ
なるほど、その通りだが誰がそんなことを思って生きているだろうか

死生観は人によって違うだろう
戦国武将の死生観は現代の我らより遥かに潔かったのでは

父は戦争中に東京の高射砲隊で無線通信兵であった
同じ場所には飛行場があり陸軍航空隊があった
毎日、敵の戦闘機や爆撃機と一対一の格闘戦を行い被弾したり
体当たりして戦死する兵は珍しくなかった
基地内でそんな戦闘機乗りに出会うと度胸の良い父でも何とも言えぬ凛とした怖さを感じると言っていた
「飛行機乗りには近寄りがたい雰囲気があった」と

この飛行兵の大部分は、東京が焼け野原になり東京爆撃が無くなったのち
新たな戦場に向かった、一部は名古屋浜松方面で戦いを続け、他の人たちは特攻隊として鹿児島へ行ったそうだ

10代から20代の若い飛行機乗りは特攻出撃を言い渡されたとき、そして飛行機が離陸した時、どんな死生観でいたのだろうか
お茶らけた平和ボケの我々などには到底知りえぬ感情であっただろう

ミャンマーは昔はビルマと言ったが今は大混乱している
ここにも日本軍が駐留していて、インドのインパールと言う町を占領するために5万人以上の戦死者を出して敗北した
この作戦に20歳そこそこの父の従兄弟が参加していて砲弾の破片で両腿貫通の大けがをして歩けなくなり部隊が「転進」(退却とは言わない)する時
自決用の手榴弾を二発渡されたそうだ
その時の気持ちを「ここで死ぬのかと思ったら情けなくなって涙が止まらなかった」と教えてくれた
幸いにも同郷の将校によって救出されて命拾いをしたのだった

私は無事に70歳の今日まで何ら苦労もなく、平々凡々と生きてくることができた
今日の苦境だって、父が70歳を過ぎてから得た苦境に比べればまだまだ軽いものだと思う
父に「根性なし」と言われぬように知恵を絞って頑張らなきゃな
100歳まで生きるからようやく70%終わり、まだ残る3分の一の人生を過ごす
「いろんなことがあった人生だ」なんて言うのはまだ早すぎる
70歳にして人生半ばだ

さーて、こうして悩んでみるのも人生の彩か
やせ我慢しながら生きていくのも刺激があっていいかもしれない
俺は運がいい男だから、まだまだ良いことはたくさんおきそうだ
「ラッキーマン」にしてくれた仲間に感謝感激雨あられだ






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