「ルソンへ使いを出せ、スペインの提督に、『スペイン王は余に臣従せよ』と言う書状を届けるのだ」
それは高圧的な内容であった、「スペインが日本との交易を望むなら、まずは余に対して臣従を誓え、そうすれば交易を許す、だがキリシタンの布教と、パードレの来日は許さない
もし臣従しないなら、明を従属させ、朝鮮を従えた日本は大軍を持って高山国(台湾)を占領し、そこからルソンに攻め寄せるであろう」
そのように脅した、ルソン(フィリピン)を占領しているスペイン人は驚き、恐れた、いかにスペインが欧州最強であっても、ルソンに駐屯する僅かな軍隊では、とても戦続きで猛り狂っている日本の武士10万の敵ではない
仕方なく、ルソンの提督は秀吉のご機嫌取りに使者を送って時間稼ぎをした。
豊臣家の前途はどうなるのか、それは秀吉の周りに仕える武士たちが一番よくわかる・・・が、うかつに外に漏らせば首と胴がたちまち離れてしまうだろう
だが人間の性(さが)誰かに話さないと、それがストレスとなる、自然と取り巻き同士で話すことになる。
「お拾い様も、豊臣秀頼さまとなられ五歳にしてはや二位の中納言様じゃ、太閤殿下もお歳じゃし、急いで中納言様に権威付けをしたいのであろうのう」
「殿下のことであるから、もう十年は指揮をとるであろうよ、十年たてば中納言さまも十五歳、立派に豊臣家を継がれて関白殿下になられるだろう」
「そうなれば、われらも中納言様の親衛隊として、大名になれるであろうか」
「欲を言って墓穴を掘らぬようにいたせ、此度の関白秀次さまの一件では、おおぜいご家老様がお腹を召された、一寸先は闇じゃ」
「くわばらくわばら」
「それにしても、この数年でずいぶんと殿下の取り巻きも変わった、小早川隆景さまも亡くなられて三年になるのかのお、殿下の甥御の木下秀俊さまが養子になられたので小早川家を継がれ、秀秋さまと名乗られた、だが噂によればかなりの酒乱癖だと言うぞ」
「なんと! これはまた秀次さまの二の舞にならねばよいが」
「うかつなことは言うでない」
「だが、儂は見たことがある」
「本当か」
「顔色が真っ青になって癇癪を起こす、御付きの者共は慣れたものよ」
「だが朝鮮では全軍を率いたそうじゃ」
「それはそうじゃ、殿下の姉様のお身内の三兄弟はみな非業の死を遂げて、一人として残らぬ、そうなれば次に近いお身内は、政所様のお血筋じゃ
小早川さまは政所様の兄者のお子であるからのう」
「だが、おぬしが申した通りの酒乱癖、しかもまだ16歳じゃ、此度の采配はみなご家老様たちが話し合って進めたとのことじゃ、軍議になればやはり場を仕切るのは宇喜多秀家さまであろう」
「大老衆で最前線で指揮を執られたのは宇喜多様だけであるからのう、しかも奥方は前田利家様の姫じゃ、養父が太閤殿下とくれば小早川様より一枚も二枚も上手じゃ、仁義に厚い殿様らしい」
「いや、そうでもないらしい、家中のご家老衆が二つに割れているとか」
「ほう? 聞いてみなければわからぬものよのう」
「そうなれば、これから先の時代、秀頼さまを盛り立てていくのはどなただろうか」
「それは決まっておろう、石田様、増田様、長束様など五奉行じゃ、五大老様は政務、五奉行は豊臣家の防壁じゃ」
「たしかに奉行衆は忠義者がそろうとる、じゃが残念ながら、いずれも小身の大名ばかりじゃ、やはり宇喜多様、毛利秀元様、それに上杉景勝様もさすが謙信公の甥だけあって義に厚いおかたじゃ
毛利秀元様と言えば、立花宗茂様と朝鮮で意気投合して兄弟の契りを結んだとか、どとらも勇敢な猛将だということじゃ
立花様も、秀頼さまにとって心強いお味方であろうよ」
「それに淀殿の周りには大野兄弟がついておる、それと叔父の織田長益様、織田信包様という後見もおられる」
「しかし大野治長殿と淀殿の・・・」「ばかもの! 命が惜しくないか、言って良いことと悪いことがあるぞ」
「すまぬ、忘れてくれ、儂も命が惜しい、口が滑った」
「その口を切り落とせ、命を落とすよりはましじゃ」
医師全宗は秀吉の病に不審を感じていた、単に神経症(パセドウ氏病)であればここまで急激に痩せることはないはずだ
過去にもこうした病気は見てきた、たいていは痩せて短い年月で亡くなっている、それは大腸や胃の病である、たいていは激痛を伴うが秀吉に限って、そのような痛みは見られない、そこが?なのだ
時々寝込むのは、体力の消耗か気力の衰え、めまい、貧血である
だが、秀吉は3日と寝込むことはない、何事もなかったかのようにケロッと回復して、また人並み以上に精力的に働きだす。
そんなときは、決まって頭がさえわたる、今日もそうだった
「三成、これを見よ」
「なんでござりますか」
「陣立てじゃ」
「・・・朝鮮ですか」
「いかにも、来年には決着をつけねばならん、いよいよ唐入りじゃ、よいか今度こそ一気に北京を攻め落とす、大明国と雌雄を決するのじゃ、奴らが弱いことは此度の戦でようわかった
よいか三成、一年かけて船を作れ、2000、いや3000造れ、一気に25万の軍勢を送り込む、兵糧も南岸の城に20万石送り込め
けっして手を抜くな、秀吉の一世一代の大戦ぞ、これがうまくいけば、そなたには朝鮮の南部2道をあたえてやろうぞ、百万石の大名じゃ
そうじゃ忘れて居った、佐和山19万4千石をそなたにやろう」
「なんと、ありがたき幸せにござります」
「足りなんだら肥前の辺りにもう三郡も与えようか」
「いえ、佐和山でも過分でございます」
「そうか、欲のない奴よのう、土地は力ぞ、多いに越したことはないぞ」
「肝に銘じておきます」
「来年の遠征は宇喜多と福島を大将に命ずる、今から二人に伝えておけ、市(福島正則)の奴め、ずっと虎(加藤清正)が先陣をきっておったから面白くなかったのじゃ、これで満足するであろう」
「はは」
「明を占領したなら、秀家には朝鮮総督として支配してもらおう、そなたは朝鮮総奉行じゃ、秀家を補佐してもらう」
「なんとも壮大なことでござります」
「なあに、まだまだじゃ、天竺を占領するまでは通過点でしかないわ、天竺を占領すればオランダもスペインもみな退散じゃ、そうなればシャムからルソン、高山国までみな我がものじゃ、天竺は誰に任そうか、徳川にでも与えるか
ははっは、秀頼はいよいよ大明国の帝となるか、そうなればそなたも朝鮮二道など狭いところにおられぬぞ、紫禁城の宰相を勤めるか?」
「それはよろしゅうございます、三成、粉骨砕身でお仕え申します」
「そうじゃそうじゃ、その意気じゃ」
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