鏡は 画文帯環状乳神獣鏡B と言い 群馬 福岡 宮崎でも検出されている 全国では今のところ6面だそうだ
馬具なども明器として副葬されているのはやはり5世紀と言う倭の五王の関係で 半島や大陸との交流があったからであろう
こちらが頭で足が前方部に向いている また、左脇にあの銘文入りの鉄剣が置かれていた
被葬者はやはり・・・と言っていいのかな 乎獲居だろうな 獲加多支鹵大王(銘文による 斯鬼宮に在りしとき)=雄略天皇(朝倉宮なのだがな)に仕えていたので 現在の古市古墳群は目の当たりにしていただろうし、今でいう応神天皇陵も見ていただろうから自分もこの様な墓にしたかっただろうな
鉄剣など腰に佩くものだからその位置なのだろう
壺鐙 と言う文字が見える 他地域でも検出されているのはご存知も多かろうが 金銅製だろうな 足を抜きやすいようにしつらえてある 頭の位置には馬具でも装飾品のようだな 仕様によって副葬の位置を変えているようにも見える